スマート禅

YOUTUBEでこんな題をやっていこうかと思っています・・・・・思い付きを書いただけですが・・・・・

精神の浄化・・・・・重荷をおろして楽ちんになろう
心配、不安、恐怖からの解放
時間からの自由
感情の解放
死を恐れない・・・・死んでどこへいくか・・・・いま死んで楽に生きる
空っぽに生きる・・・・バカになって生きる・・・パッパラパーに生きる
無字の公案で悟ろう
只管打坐で悟ろう
過去からの解放
希望なんかいらない・・・・幸せを求めない
瞑想、三昧、禅定
自我撲滅運動
アイデンティティよ、さようなら
観察者と観察
権威の否定
悟りの意味と無意味さ
思考者と思考
悟りの追求とその虚偽性
願望の罠
達成・成功と挫折
自己認識

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この記事へのコメント

宮啓
2020年03月04日 21:33
 とても嬉しく思います。

 楽しみにしています。。
地球人
2020年03月04日 21:50
スマート禅ですか、軽いですね。笑

ところで、コロナウィルスが世界各国に脅威を与えています。死者も多数出て深刻ですが、必ずしも負の因果だけでもないように思えるのです。

不謹慎ですかね。
2020年03月04日 22:07


>地球人さん
>
>スマート禅ですか、軽いですね。笑
>
>ところで、コロナウィルスが世界各国に脅威を与えています。死者も多数出て深刻ですが、必ずしも負の因果だけでもないように思えるのです。
>
>不謹慎ですかね。

原理的には、いいこともあるはずですが・・・・・思い浮かびません・・・・

地球温暖化はいいことだ・・・・もしコロナが暑いの嫌いならですが・・・・

なにか、思いつきました?
地球人
2020年03月05日 01:15
>原理的には、いいこともあるはずですが・・・・・思い浮かびません・・・・

>地球温暖化はいいことだ・・・・もしコロナが暑いの嫌いならですが・・・・

>なにか、思いつきました?

 世界各国、人類全体の危機は一つですよね。
Village beside a mountain stream
2020年03月05日 06:24
最近、生/死について考えています。
何かが死ぬためにはそれが生きていないといけないので、生まれるということについても考えています。死も謎なのですが、生まれるということも謎です。
〈私〉は死んだらどうなるか、ということは〈私〉は生まれる前にどうだったのかということになるので、〈私〉(〈自己〉、〈自我〉)の存在の問題にもなります。そして、〈存在〉も問題になります。
渡辺さんが仰るように〈私〉がこの身体でないならば、私は生まれてもなく、死にもしないということになりますが、判然としません。


上に書いたことと関係すると思うのですが、
この身体の操縦士としての〈私〉が有るという感覚が強烈にあります。一方でこの考えは変だとも思っています。変に違いないのですが、どのように間違っているのか。途方にくれてしまいます。
心臓、肺、脳、腸、赤血球、白血球、ニューロン、ミトコンドリア等々から成るこの複雑精妙な身体が、地球が刻々と動くように自ら刻々と動いていますから、〈私〉なる何かがこの身体を動かし、支配していると考えることは論理的ではないように思います。宇宙が働いていると考える方が論理的である、と考えられます。(宇宙という語で、存在一切とその基底の総称と取り敢えず概念規定しておきます。)
併しそれでも、脳の活動の結果が〈私〉なる何かを発生させ、脳とその〈私〉の有機的な関係でこの身体が動いている気がします。
つまり、脳を含めたこの身体と〈私〉の同一視(identification )が感覚としてあります。
いや、同一というべきなのかは分かりません。
脳を含むこの身体が〈私〉を生み出し、その〈私〉なる何かがこの身体を操っている。今このように文章を書いているのも〈私〉が書こうと思ったからだ、という感覚があります(あくまでも感覚なのですが)。
脳を自在に動かすこともできないし、肺も、心臓も含めた身体全てを動かした覚えはありません。睡眠中も身体は〈私〉なく動いています。
とするならば、渡辺さんが動画で仰っていたように、この身体はロボットみたいなもの、自動人形みたいなものと考えられます。地球が刻々と自転するように、太陽が刻々と活動するように、石ころが坂を転げ落ちるように、この身体が今文章を書いていることになります。
とすれば、この身体の操縦士としての〈私〉は必要ないように思えます。


然しながら、数秒前に手を伸ばしコップを口に運びコーヒーを一口飲んだのですが、それは〈私〉がコーヒーを飲もうと思ったからだ、と思考します。ここに行動の動作主の〈私〉が生まれます。
一般に次のように考えられています。
「私は特定の時刻にコーヒーを飲んだが、飲まないこともできたのだ。例えば、その特定の時刻にコーヒーではなく、隣に置いてあるチョコレートを食べることもできたのだ。併し、私はチョコレートを食べず、コーヒーを飲んだ。何故か。〈私〉がコーヒーを飲もうと思ったからだ。」
併し、このような考え方に納得がいきません。次のような問いが生まれるからです。
(a)もし、過去に時間を巻き戻せたら、私はもう一度同じ行動をするはずだ。(併し実際は時間を巻き戻すことはできないのだから、この命題は真とも偽とも言えません。録画したビデオは巻き戻せますが。)
(b)〈私〉が選んだと言うが、〈私〉が脳の結果だとしたら、そのように選んだのはこの身体であって、〈私〉ではない。〈私〉が選んだというのは脳が作り出す錯覚ではないだろうか。

過去を振り返る時に〈私〉が現われるのではないか、とこの頃考えています。
過去の嫌な体験を思い出す時、渡辺さんが仰るように強烈な葛藤が生じます。
過去は別物でありえたのに、という後悔、羞恥、憎悪、やるせなさ、が過去に執着させます。私の場合、過去の記憶がこの「別様でありえたのに」という感覚と不可分です。
過去に戻ることはできませんし、仮に戻ったとしてもこの今の記憶と共に戻る訳ではないでしょうから、もう一度、後悔の原因になっている行動をするはずです。
過去は一通りですから、どう考えても別の行動はありえません。今から考えるとそれ以外の過去はあり得なかったということになります。

がしかし、次のように過去の嫌な記憶と共に〈私〉が強烈に現れてきます。
「〈私〉は行動の選択者である。何故なら、コーヒーを飲んだが、チョコを食べることもできたし、何も口に入れないこともできたからだ。行動の主人、身体の操縦士それこそ〈私〉である。しかし、あの過去は…。後悔しかない。コーヒーにするかチョコにするかを〈私〉が選べたように、あの後悔も避けれたはずなのだ。別様に行動できたのにしなかった身体の操縦士としての〈私〉……。」

このような考えが基(もと)となって、私を含め多くの人が苦しんでいるのではないかと思います。
私が決定論に興味をもっているのも過去に苦しめられているからだと思います。


渡辺さんの講義を聞く内にこの問題は“バカヤロー禅”を内包する“スマート禅”で解決可能ではないかと希望が持てました。
何故なら問題は次のように展開しているように考えられるからです。
(1)過去の嫌な体験がある → (2)苦しいからそれを避ける → (3)嫌な体験でない過去であればよかったのにという思い → (4)併し、その過去は無かった → (5)それは〈私〉がそのようにしなかったからだ → (6)身体の操縦士としての〈私〉が強烈に意識される → (7)過去から現在までの〈私〉の一貫性が生まれる →(8)違うようにありえたのにという思いが体を突き刺す →(9)過去の記憶それ自体と、その過去を避けえなかった責任主体の〈私〉という二つが複雑に絡み合い余計に苦しくなる →(10)疲れ果て殆ど全てのエネルギーがもっていかれる

順番は合っているか分かりませんが、だいたいこのような過程が物凄いスピードで自動的に反復されるのではないかと、仮説を立てました。
これが正しいとすると、(1)の過去の嫌な体験をバカヤロー禅で徹底的に味わえば、(2)〜(10)は必要のない過程となり、その過程で用いていた膨大なエネルギーが本来の形で発揮されるということになりそうです。


渡辺さんの講義を聞き、自分なりに考えていく中でこの質問とも独白ともつかぬ文章が生まれました。
渡辺さんに、KB会の皆さんに考えたことをお知らせしたいと思いましたので、長々とした拙文をコメントとして残します。渡辺さん、KB会の皆さんのおかげで日々考えが進展しています。そして以前より少しだけですが世界に敬意を持てるようになりました。感謝申し上げます。













カルマ、業、輪廻転生
2020年03月05日 11:01
スマート禅というネーミングはダメですね。

賢くなろう、賢くみせよう、賢くなりたい。

カッコよくなりたい。

こういうモチベーションでやったら、間違いなく失敗します。賭けてもいい。

もっと泥臭く、自分のネガティブさ、ミジメさに向かい合うメソッドじゃないんですか?
カルマ、業、輪廻転生
2020年03月05日 11:12
バカヤロー禅というのは、とりあえずは貪瞋痴の瞋だと思いますが、なんでもいいんですね。自分だけが味わっている、知っている、ブレーキになっているネガティブ感情であれば。その意味では、自分なりに応用工夫してネーミングのセンスを働かせればいい。

ごく大雑把な分類では、

トン系のネガティブ → 欲しい、きれいだ、旨い

ジン系のネガティブ →イヤだ、気にくわない、他に行きたい

チ系のネガティブ →サビしい、カナしい、コワい
2020年03月05日 11:23


>Village beside a mountain streamさん
>
> 最近、生/死について考えています。
> 何かが死ぬためにはそれが生きていないといけないので、生まれるということについても考えています。死も謎なのですが、生まれるということも謎です。
> 〈私〉は死んだらどうなるか、ということは〈私〉は生まれる前にどうだったのかということになるので、〈私〉(〈自己〉、〈自我〉)の存在の問題にもなります。そして、〈存在〉も問題になります。
> 渡辺さんが仰るように〈私〉がこの身体でないならば、私は生まれてもなく、死にもしないということになりますが、判然としません。
>
>
>上に書いたことと関係すると思うのですが、
>この身体の操縦士としての〈私〉が有るという感覚が強烈にあります。一方でこの考えは変だとも思っています。変に違いないのですが、どのように間違っているのか。途方にくれてしまいます。
> 心臓、肺、脳、腸、赤血球、白血球、ニューロン、ミトコンドリア等々から成るこの複雑精妙な身体が、地球が刻々と動くように自ら刻々と動いていますから、〈私〉なる何かがこの身体を動かし、支配していると考えることは論理的ではないように思います。宇宙が働いていると考える方が論理的である、と考えられます。(宇宙という語で、存在一切とその基底の総称と取り敢えず概念規定しておきます。)
> 併しそれでも、脳の活動の結果が〈私〉なる何かを発生させ、脳とその〈私〉の有機的な関係でこの身体が動いている気がします。
> つまり、脳を含めたこの身体と〈私〉の同一視(identification )が感覚としてあります。
> いや、同一というべきなのかは分かりません。
> 脳を含むこの身体が〈私〉を生み出し、その〈私〉なる何かがこの身体を操っている。今このように文章を書いているのも〈私〉が書こうと思ったからだ、という感覚があります(あくまでも感覚なのですが)。
> 脳を自在に動かすこともできないし、肺も、心臓も含めた身体全てを動かした覚えはありません。睡眠中も身体は〈私〉なく動いています。
> とするならば、渡辺さんが動画で仰っていたように、この身体はロボットみたいなもの、自動人形みたいなものと考えられます。地球が刻々と自転するように、太陽が刻々と活動するように、石ころが坂を転げ落ちるように、この身体が今文章を書いていることになります。
> とすれば、この身体の操縦士としての〈私〉は必要ないように思えます。
>
>
>然しながら、数秒前に手を伸ばしコップを口に運びコーヒーを一口飲んだのですが、それは〈私〉がコーヒーを飲もうと思ったからだ、と思考します。ここに行動の動作主の〈私〉が生まれます。
> 一般に次のように考えられています。
>「私は特定の時刻にコーヒーを飲んだが、飲まないこともできたのだ。例えば、その特定の時刻にコーヒーではなく、隣に置いてあるチョコレートを食べることもできたのだ。併し、私はチョコレートを食べず、コーヒーを飲んだ。何故か。〈私〉がコーヒーを飲もうと思ったからだ。」
> 併し、このような考え方に納得がいきません。次のような問いが生まれるからです。
>(a)もし、過去に時間を巻き戻せたら、私はもう一度同じ行動をするはずだ。(併し実際は時間を巻き戻すことはできないのだから、この命題は真とも偽とも言えません。録画したビデオは巻き戻せますが。)
>(b)〈私〉が選んだと言うが、〈私〉が脳の結果だとしたら、そのように選んだのはこの身体であって、〈私〉ではない。〈私〉が選んだというのは脳が作り出す錯覚ではないだろうか。
>
>過去を振り返る時に〈私〉が現われるのではないか、とこの頃考えています。
>過去の嫌な体験を思い出す時、渡辺さんが仰るように強烈な葛藤が生じます。
>過去は別物でありえたのに、という後悔、羞恥、憎悪、やるせなさ、が過去に執着させます。私の場合、過去の記憶がこの「別様でありえたのに」という感覚と不可分です。
>過去に戻ることはできませんし、仮に戻ったとしてもこの今の記憶と共に戻る訳ではないでしょうから、もう一度、後悔の原因になっている行動をするはずです。
>過去は一通りですから、どう考えても別の行動はありえません。今から考えるとそれ以外の過去はあり得なかったということになります。
>
>がしかし、次のように過去の嫌な記憶と共に〈私〉が強烈に現れてきます。
>「〈私〉は行動の選択者である。何故なら、コーヒーを飲んだが、チョコを食べることもできたし、何も口に入れないこともできたからだ。行動の主人、身体の操縦士それこそ〈私〉である。しかし、あの過去は…。後悔しかない。コーヒーにするかチョコにするかを〈私〉が選べたように、あの後悔も避けれたはずなのだ。別様に行動できたのにしなかった身体の操縦士としての〈私〉……。」
>
>このような考えが基(もと)となって、私を含め多くの人が苦しんでいるのではないかと思います。
>私が決定論に興味をもっているのも過去に苦しめられているからだと思います。
>
>
>渡辺さんの講義を聞く内にこの問題は“バカヤロー禅”を内包する“スマート禅”で解決可能ではないかと希望が持てました。
> 何故なら問題は次のように展開しているように考えられるからです。
>(1)過去の嫌な体験がある → (2)苦しいからそれを避ける → (3)嫌な体験でない過去であればよかったのにという思い → (4)併し、その過去は無かった → (5)それは〈私〉がそのようにしなかったからだ → (6)身体の操縦士としての〈私〉が強烈に意識される → (7)過去から現在までの〈私〉の一貫性が生まれる →(8)違うようにありえたのにという思いが体を突き刺す →(9)過去の記憶それ自体と、その過去を避けえなかった責任主体の〈私〉という二つが複雑に絡み合い余計に苦しくなる →(10)疲れ果て殆ど全てのエネルギーがもっていかれる
>
> 順番は合っているか分かりませんが、だいたいこのような過程が物凄いスピードで自動的に反復されるのではないかと、仮説を立てました。
> これが正しいとすると、(1)の過去の嫌な体験をバカヤロー禅で徹底的に味わえば、(2)〜(10)は必要のない過程となり、その過程で用いていた膨大なエネルギーが本来の形で発揮されるということになりそうです。
>
>
>渡辺さんの講義を聞き、自分なりに考えていく中でこの質問とも独白ともつかぬ文章が生まれました。
>渡辺さんに、KB会の皆さんに考えたことをお知らせしたいと思いましたので、長々とした拙文をコメントとして残します。渡辺さん、KB会の皆さんのおかげで日々考えが進展しています。そして以前より少しだけですが世界に敬意を持てるようになりました。感謝申し上げます。
>
>
了解です。YOUTUBEで話します
2020年03月05日 11:26


>地球人さん
>
>>原理的には、いいこともあるはずですが・・・・・思い浮かびません・・・・
>
>>地球温暖化はいいことだ・・・・もしコロナが暑いの嫌いならですが・・・・
>
>>なにか、思いつきました?
>
> 世界各国、人類全体の危機は一つですよね。

ああ、そういう意味ですか・・・・・
わたしも、こういうことで、各国がまとまっていくのかなと思っていたのですが、結果は、入国拒否とかそういう方向に向かうわけですね。

バラバラになっていくんですね・・・・困ったものです

全体を考える組織がないとこうなるのかな・・・・
2020年03月05日 11:42


>カルマ、業、輪廻転生さん
>
>スマート禅というネーミングはダメですね。
>
>賢くなろう、賢くみせよう、賢くなりたい。
>
>カッコよくなりたい。
>
>こういうモチベーションでやったら、間違いなく失敗します。賭けてもいい。
>
>もっと泥臭く、自分のネガティブさ、ミジメさに向かい合うメソッドじゃないんですか?

ご意見ありがとうございます・・・・なるほど・・・そういう響きもありますね・・・・・

イメージは、スマートテレビとか、スマートウォッチとか、スマートグリッドとか、のイメージです

流行り言葉である難点はありますね

プロセスとして、自分の葛藤、エゴイズム、狡猾さ、嫉妬深さ、トラウマといったネガティブな面に向き合っていくことになると思います。

これらはネガティブで見たくないわけですが、そのネガティブなものは、意識の必然の産物であるということを知的に理解し、それゆえ、恐れることなく、立ち向かい、メカニカルに処理し、それらから脱却することを目指しています。

この意味で、既存の禅のスタイル・・・・自分の内面の問題をとりあえずは、横に置いておいて、坐禅をして、根本的に解決しよう・・・とは、違っています。

いわばハイブリッドなわけです。そして、そのために、知的な理解をまず優先します。全体のマップを理解します。

そして、一番効率的な手順を考えていくわけです。

そして、個人的なスコープとしては、教育の問題、社会的、政治的なスタンスというエリアまで、将来的に・・・それはわたしの死後でしょうが・・・拡大できると思っています・・・・形式は変わってもいいので、引き継いでくれる人々がいればの話ですが・・・・

この意味ではスマートでもいいかなと考えてもいるのですが・・・・まあ、こういうセンスはあまりないので・・・・自信はありません。
2020年03月05日 11:44


>カルマ、業、輪廻転生さん
>
>バカヤロー禅というのは、とりあえずは貪瞋痴の瞋だと思いますが、なんでもいいんですね。自分だけが味わっている、知っている、ブレーキになっているネガティブ感情であれば。その意味では、自分なりに応用工夫してネーミングのセンスを働かせればいい。
>
>ごく大雑把な分類では、
>
>トン系のネガティブ → 欲しい、きれいだ、旨い
>
>ジン系のネガティブ →イヤだ、気にくわない、他に行きたい
>
>チ系のネガティブ →サビしい、カナしい、コワい

こういう言語化は非常に大事だと思っています。ですから、言葉のメニューみたいのがあればいいと思っています。ご協力いただけたらありがたいです。
cheaptrick
2020年03月05日 13:00
smart

名詞
⚪痛、痛み、うずき
⚪苦悩、傷心

自動詞
⚪うずく、ズキズキ[ヒリヒリ]痛む、〔薬などが〕しみる
・Does this smart? : しみますか? ◆外傷に薬をつけてあげている人が尋ねる
⚪精神的苦痛を受ける、ひどく感情を害する
⚪〔重い〕罰を受ける、罪を償う

形容詞
⚪利口な、賢明な、賢い、頭が切れる、頭の回転が速い
⚪高性能の、コンピューター制御の
⚪気が利く
⚪格好いい、おしゃれな、洗練された、小粋な、ハイカラの、最新流行の
⚪上流社会の、粋な、高級な、あか抜けした
⚪きびきびした、活発な、急激な
⚪生意気な、こしゃくな
⚪抜け目のない

名詞や動詞のsmartにこんな意味があるとは知りませんでした。
2020年03月05日 13:55


>cheaptrickさん
>
>smart
>
>名詞
>⚪痛、痛み、うずき
>⚪苦悩、傷心
>
>自動詞
>⚪うずく、ズキズキ[ヒリヒリ]痛む、〔薬などが〕しみる
>・Does this smart? : しみますか? ◆外傷に薬をつけてあげている人が尋ねる
>⚪精神的苦痛を受ける、ひどく感情を害する
>⚪〔重い〕罰を受ける、罪を償う
>
>形容詞
>⚪利口な、賢明な、賢い、頭が切れる、頭の回転が速い
>⚪高性能の、コンピューター制御の
>⚪気が利く
>⚪格好いい、おしゃれな、洗練された、小粋な、ハイカラの、最新流行の
>⚪上流社会の、粋な、高級な、あか抜けした
>⚪きびきびした、活発な、急激な
>⚪生意気な、こしゃくな
>⚪抜け目のない
>
>名詞や動詞のsmartにこんな意味があるとは知りませんでした。

ああ、知りませんでした・・・・・ありがとうございます
なんか、イイ感じですね・・いろんな意味があって・・・・
お節介な見物人
2020年03月05日 14:04
愚さん
良いお題がいっぱいありますね。
「空っぽに生きる・・・・バカになって生きる・・・パッパラパーに生きる」
「空っぽ」に生きれれば楽ですね。
脈絡はありませんが書かせていただきます。
この世界を思考でコントロールできないのに、コントロールしようとするので苦しんでいるのではないかと思っています。

--「私」は見つからない--
 意識を持つ生命として今の我々が存在しているのは、我々の意志の及ばない偶然の出来事の積み重ねによって今の生があります。生まれる以前は母親の胎内でありその前は受精卵その前は卵子と精子その前はどこにも存在していない「無・空」でしかなく所在は不明。
 自身の身体・心・感情・感覚・思考の由来を探究しても行きつく先は「空・無」であり掴んだり得たりできるようなものでしょうか。生まれる前は自身は何処にも存在していません。身体が存在していないのなら心・感情・感覚・思考の存在もどこにもなかったということになります。
 少しばかり身体の一部を動かせるとか、「言葉や文字」を使って思考できるからといって身体が「私」であったり思考が「私」であることでしょうか。
 身体や思考は少なからず制御できる対象であって私そのものではない。身体のどこに「自分=私」がいて思考のどこに「自分=私」がいるのでしょうか。

 触れることや見ることもできるのなら対象であり真の私(=本来の自己、無位の真人・・)でははありません。幼少の頃から使い慣れていて便利な概念として「私=アイデンティティ」が使われているので違和感なく使っているだけです。
 身体・心・感情・感覚・思考は意識される対象なので、目の前のディスプレイと同様に意識される対象であり意識(=本来の自己・・)そのものではありません。

 赤ちゃんの時は全てが受動的で意識そのもの。聞こえるまま見えるまま味わうまま匂うままが自分自身。誰かが世話をしてくれるので、不自由も少なかった。他人と比較することもなく過去を持ち出すこともない。ただ身体で感じる違和感(=排泄・空腹等)があれば泣きわめくことぐらいしかできません。
 「自分」という存在が意識されず分離感がないので、見ている・聴いている・感じている主体とはなっていない。見えているだけがあり、聞こえている音だけがあり、感じている感覚だけがあり、匂いだけがあり、味だけがあるだけだったかもしれません。「自意識」が生まれていなければ解釈などありません、解釈する「私」などいません。対象もなく気づきだけがある。
 
 赤ちゃんは開かれた受容体であり、五感から様々な情報がひっきりなしに入力されています。入力された情報に対して脳が学習してより良く生きていけるように最善のプログラミングをしなければなりません。成長するに従い物事にどのように対処すべきかという思考が修練され、身体と脳のネットワークを構築し、臓器と脳のネットワークを構築するようです。
 成長するに従い生きていくために「言葉」を憶え身体を動かせるようにしなければなりません。口から何か音を発すると周りが反応するし自身でも聞こえます。「言葉」を発すると周りにいる人が反応してくれます。「言葉」には意味がり人を動かすことができると段々と気づいていきます。

 睡眠時以外は身体・思考・感情・感覚は常に修練されて居心地がいいようにしようとするようにプログラミングされているようです。プログラミングは自然の働きであってそこにプログラムしようとする主体者が存在しているでしょうか。  
 ある程度プログラミングができると身体をある程度動かせ言葉も使えるようになり動く範囲と言葉を自由に使いこなせるようになります。
 この自由が不自由を生み出す元凶であったことに徐々に気づき始めます。今まで着せてもらっていた服を着るのに時間がかかったり、駄々をこねて許されていたことが叱られる始末です。何とかしようとしようとすべく助けてくれる人を探しますがどこにもいません。結局自身の内に「私」という架空の助け人を生み出さなくてはなりませんでした。感覚は感覚だけなのに「私」という架空の者が痛いと感じていることにしてしまった。身体も感情も思考も代弁者・身代わりの「私」に委ねていくようになります。また、身体・感情・感覚・思考等をコントロールできるのも「私」が担わされるようになってしまった。ついには全てが「私」である確信にまでなり「私」に振り回されることになっているとういのが現実かも知れません。

--コントロールしようとするので苦しむ----
 「私」は居心地が良くなるように、全てをコントロールしていたい。現実は、コントロールできないからこそコントロールできると楽しい。楽器・声(=歌)・踊り・道具・料理・俳句・詩・小説・映画・・。現実は「私」の思いの通りにはいかなので一切皆苦と感じる。
 思考は現実にあるあらゆることをコントロールするために使われる源泉であると認識されています。考えなければ何も始まらないという思い込みから抜け出せません。全てを生み出す源泉である思考を放棄したり失うことなんて・・・と思考には思考を放棄することなどできません。
 あらゆるものの源泉としての打出の小槌(=思考)を手放したくない。この世に働きかけ自己実現(=コントロール)を達成してくれる思考は魅力的なものであり、変化をもたらしてくれる飽きることない有用なもの。
 
---そもそも良い悪いはない---
 嬉しい感情が良くて悲しい感情や怒りの感情が悪いとしているのでしょうか。感情の現れであり良いとか悪いとかはないのですが、欲しいか避けたいかの違いであり生きていくためには必要な感情ではないでしょうか。心地よい感覚や苦々しい感覚もありますが、人間の身体に備わっている必要な感覚であって取り去ることはできないようです。雪や雨が嫌でいつも晴天がいいといったら、作物は育ちません。自然現象に良いとか悪いとかしているのは「自分かわいい」の「私=自我」に他なりません。
 思考は、感情や感覚と同様に勝手に湧き起こってくる。思考は「私」ではなくコントロールしようとしない。思考を邪魔者扱いせずに「ああ働いてくれているなぁ」程度でいいのではないでしょうか。思考は道具として使えばいいだけで、使いたい時に活躍してもらえばいいだけではないでしょうか。
cheaptrick
2020年03月05日 17:15
>愚さん

私も驚きました。渡辺さんの言われるものにニュアンスが近い感じがします。こんなにかけ離れたイメージが、ひとつの「smart」の中にあるのは理解不能ですが・・・。
2020年03月05日 17:50


>cheaptrickさん
>
>>愚さん
>
>私も驚きました。渡辺さんの言われるものにニュアンスが近い感じがします。こんなにかけ離れたイメージが、ひとつの「smart」の中にあるのは理解不能ですが・・・。

語源を調べたら、苦痛がある、というもののようです。
そこから、知的にガイドされてふるまう、というような感じから、賢明なとかいうような感じ。
シャープと似てますね。
地球人
2020年03月05日 17:54
>> 世界各国、人類全体の危機は一つですよね。

>ああ、そういう意味ですか・・・・・
わたしも、こういうことで、各国がまとまっていくのかなと思っていたのですが、結果は、入国拒否とかそういう方向に向かうわけですね。
>バラバラになっていくんですね・・・・困ったものです
>全体を考える組織がないとこうなるのかな・・・・

個体の自我も、世界各国の自我も同じです。

自我は絶望すればいいのです。その時にどんな心境になるか?

愚さんなら分かるでしょう。

2020年03月05日 18:02


>お節介な見物人さん
>
>愚さん
>良いお題がいっぱいありますね。
>「空っぽに生きる・・・・バカになって生きる・・・パッパラパーに生きる」
>「空っぽ」に生きれれば楽ですね。
>脈絡はありませんが書かせていただきます。
>この世界を思考でコントロールできないのに、コントロールしようとするので苦しんでいるのではないかと思っています。
>
>--「私」は見つからない--
> 意識を持つ生命として今の我々が存在しているのは、我々の意志の及ばない偶然の出来事の積み重ねによって今の生があります。生まれる以前は母親の胎内でありその前は受精卵その前は卵子と精子その前はどこにも存在していない「無・空」でしかなく所在は不明。
> 自身の身体・心・感情・感覚・思考の由来を探究しても行きつく先は「空・無」であり掴んだり得たりできるようなものでしょうか。生まれる前は自身は何処にも存在していません。身体が存在していないのなら心・感情・感覚・思考の存在もどこにもなかったということになります。
> 少しばかり身体の一部を動かせるとか、「言葉や文字」を使って思考できるからといって身体が「私」であったり思考が「私」であることでしょうか。
> 身体や思考は少なからず制御できる対象であって私そのものではない。身体のどこに「自分=私」がいて思考のどこに「自分=私」がいるのでしょうか。
>
> 触れることや見ることもできるのなら対象であり真の私(=本来の自己、無位の真人・・)でははありません。幼少の頃から使い慣れていて便利な概念として「私=アイデンティティ」が使われているので違和感なく使っているだけです。
> 身体・心・感情・感覚・思考は意識される対象なので、目の前のディスプレイと同様に意識される対象であり意識(=本来の自己・・)そのものではありません。
>
> 赤ちゃんの時は全てが受動的で意識そのもの。聞こえるまま見えるまま味わうまま匂うままが自分自身。誰かが世話をしてくれるので、不自由も少なかった。他人と比較することもなく過去を持ち出すこともない。ただ身体で感じる違和感(=排泄・空腹等)があれば泣きわめくことぐらいしかできません。
> 「自分」という存在が意識されず分離感がないので、見ている・聴いている・感じている主体とはなっていない。見えているだけがあり、聞こえている音だけがあり、感じている感覚だけがあり、匂いだけがあり、味だけがあるだけだったかもしれません。「自意識」が生まれていなければ解釈などありません、解釈する「私」などいません。対象もなく気づきだけがある。
> 
> 赤ちゃんは開かれた受容体であり、五感から様々な情報がひっきりなしに入力されています。入力された情報に対して脳が学習してより良く生きていけるように最善のプログラミングをしなければなりません。成長するに従い物事にどのように対処すべきかという思考が修練され、身体と脳のネットワークを構築し、臓器と脳のネットワークを構築するようです。
> 成長するに従い生きていくために「言葉」を憶え身体を動かせるようにしなければなりません。口から何か音を発すると周りが反応するし自身でも聞こえます。「言葉」を発すると周りにいる人が反応してくれます。「言葉」には意味がり人を動かすことができると段々と気づいていきます。
>
> 睡眠時以外は身体・思考・感情・感覚は常に修練されて居心地がいいようにしようとするようにプログラミングされているようです。プログラミングは自然の働きであってそこにプログラムしようとする主体者が存在しているでしょうか。  
> ある程度プログラミングができると身体をある程度動かせ言葉も使えるようになり動く範囲と言葉を自由に使いこなせるようになります。
> この自由が不自由を生み出す元凶であったことに徐々に気づき始めます。今まで着せてもらっていた服を着るのに時間がかかったり、駄々をこねて許されていたことが叱られる始末です。何とかしようとしようとすべく助けてくれる人を探しますがどこにもいません。結局自身の内に「私」という架空の助け人を生み出さなくてはなりませんでした。感覚は感覚だけなのに「私」という架空の者が痛いと感じていることにしてしまった。身体も感情も思考も代弁者・身代わりの「私」に委ねていくようになります。また、身体・感情・感覚・思考等をコントロールできるのも「私」が担わされるようになってしまった。ついには全てが「私」である確信にまでなり「私」に振り回されることになっているとういのが現実かも知れません。
>
>--コントロールしようとするので苦しむ----
> 「私」は居心地が良くなるように、全てをコントロールしていたい。現実は、コントロールできないからこそコントロールできると楽しい。楽器・声(=歌)・踊り・道具・料理・俳句・詩・小説・映画・・。現実は「私」の思いの通りにはいかなので一切皆苦と感じる。
> 思考は現実にあるあらゆることをコントロールするために使われる源泉であると認識されています。考えなければ何も始まらないという思い込みから抜け出せません。全てを生み出す源泉である思考を放棄したり失うことなんて・・・と思考には思考を放棄することなどできません。
> あらゆるものの源泉としての打出の小槌(=思考)を手放したくない。この世に働きかけ自己実現(=コントロール)を達成してくれる思考は魅力的なものであり、変化をもたらしてくれる飽きることない有用なもの。
> 
>---そもそも良い悪いはない---
> 嬉しい感情が良くて悲しい感情や怒りの感情が悪いとしているのでしょうか。感情の現れであり良いとか悪いとかはないのですが、欲しいか避けたいかの違いであり生きていくためには必要な感情ではないでしょうか。心地よい感覚や苦々しい感覚もありますが、人間の身体に備わっている必要な感覚であって取り去ることはできないようです。雪や雨が嫌でいつも晴天がいいといったら、作物は育ちません。自然現象に良いとか悪いとかしているのは「自分かわいい」の「私=自我」に他なりません。
> 思考は、感情や感覚と同様に勝手に湧き起こってくる。思考は「私」ではなくコントロールしようとしない。思考を邪魔者扱いせずに「ああ働いてくれているなぁ」程度でいいのではないでしょうか。思考は道具として使えばいいだけで、使いたい時に活躍してもらえばいいだけではないでしょうか。

なるほど・・・・・そうですね・・・そこで、「私」がないとき、例えば、コーヒーを飲むとき、どんな感じになります?
2020年03月05日 18:04


>地球人さん
>
>>> 世界各国、人類全体の危機は一つですよね。
>
>>ああ、そういう意味ですか・・・・・
>わたしも、こういうことで、各国がまとまっていくのかなと思っていたのですが、結果は、入国拒否とかそういう方向に向かうわけですね。
>>バラバラになっていくんですね・・・・困ったものです
>>全体を考える組織がないとこうなるのかな・・・・
>
>個体の自我も、世界各国の自我も同じです。
>
>自我は絶望すればいいのです。その時にどんな心境になるか?
>
>愚さんなら分かるでしょう。
>
分かりません、どんな心境になります?
cheaptrick
2020年03月05日 18:44
>愚さん

>語源を調べたら、苦痛がある、というもののようです。
そこから、知的にガイドされてふるまう、というような感じから、賢明なとかいうような感じ。
シャープと似てますね。


なるほど。面白いですね。いよいよ渡辺さんの言われるものに近いですよ。

お釈迦さんの「毒矢のたとえ」を思い出しました。

人が毒矢に射られたとする。ところが、もしもその人が、かけつけてくれた医者に対して
「この矢を射たのは一体だれであるのか。弓はどのようなものであるのか。弦(つる)は何でできているのか。矢羽は、どんな鳥の羽であるのかが分からないうちは矢を抜くな」
と言ったなら、その人は、それが分かる前に死んでしまうであろう。必要なのは、まず毒矢を抜き、応急の手当てをすることである。
なんだかんだと哲学的なことを考えても、この世に現実としてあるさまざまの苦しみが消えてなくなるワケではない。重要なことは、その苦しみをどうすれば無くすことが出来るかという事だ。
2020年03月05日 20:00


>cheaptrickさん
>
>>愚さん
>
>>語源を調べたら、苦痛がある、というもののようです。
>そこから、知的にガイドされてふるまう、というような感じから、賢明なとかいうような感じ。
>シャープと似てますね。
>
>
>なるほど。面白いですね。いよいよ渡辺さんの言われるものに近いですよ。
>
>お釈迦さんの「毒矢のたとえ」を思い出しました。
>
>人が毒矢に射られたとする。ところが、もしもその人が、かけつけてくれた医者に対して
>「この矢を射たのは一体だれであるのか。弓はどのようなものであるのか。弦(つる)は何でできているのか。矢羽は、どんな鳥の羽であるのかが分からないうちは矢を抜くな」
>と言ったなら、その人は、それが分かる前に死んでしまうであろう。必要なのは、まず毒矢を抜き、応急の手当てをすることである。
>なんだかんだと哲学的なことを考えても、この世に現実としてあるさまざまの苦しみが消えてなくなるワケではない。重要なことは、その苦しみをどうすれば無くすことが出来るかという事だ。

まったく、その通りだと思います。その意味で、いまの仏教も、禅も、不満があります。早い話が、まだるっこしいし、難しいんです。

クリシュナムルティも、難しい・・・・

もちろん、それらはそれらで意味があるのですが・・・・

望ましいのは、変な新興宗教でもなく、逃避のハウツーでもなく、本質的で、かつ、実践的なものだと思っています。スマート禅はそのようなものでありたいと思っています。
お節介な見物人
2020年03月05日 20:06
愚さんへ

>なるほど・・・・・そうですね・・・そこで、「私」がないとき、例えば、
>コーヒーを飲むとき、どんな感じになります?

 「私」がいるとかいないとか、どうのこうので飲んでいるのではないのでどう答えていいのかよくわかりません。「私」というものは、飲んだ後に生じてくる分別であって、記憶や知識や経験から評価するときに生じるもののように感じます。
 飲んでいる時は飲んでいるだけで、後からどうのこうの何らかの感覚が浮かんでくるものがあればそれが「私」。どうのこうのがなければただ飲んでいたという事実があっただけのこと。事実には「私」を持ち出す必要はなく事実だけで完結してます。

 コーヒーは飲まないので、お茶ではお茶の香りと味があるだけです。
熱ければ熱い、まろやかならまろやか、濃ければ濃い、薄ければ薄い・・・それだけです。
 
地球人
2020年03月05日 20:11
愚さん

>地球人さん
>
>>> 世界各国、人類全体の危機は一つですよね。
>
>>ああ、そういう意味ですか・・・・・
>わたしも、こういうことで、各国がまとまっていくのかなと思っていたのですが、結果は、入国拒否とかそういう方向に向かうわけですね。
>>バラバラになっていくんですね・・・・困ったものです
>>全体を考える組織がないとこうなるのかな・・・・
>
>個体の自我も、世界各国の自我も同じです。
>
>自我は絶望すればいいのです。その時にどんな心境になるか?
>
>愚さんなら分かるでしょう。
>

分かりません、どんな心境になります?

解りませんか?

自我が絶望すると執着が消えて、本来の自己が解放されるのです。

2020年03月05日 21:33


>お節介な見物人さん
>
>愚さんへ
>
>>なるほど・・・・・そうですね・・・そこで、「私」がないとき、例えば、
>>コーヒーを飲むとき、どんな感じになります?
>
> 「私」がいるとかいないとか、どうのこうので飲んでいるのではないのでどう答えていいのかよくわかりません。「私」というものは、飲んだ後に生じてくる分別であって、記憶や知識や経験から評価するときに生じるもののように感じます。
> 飲んでいる時は飲んでいるだけで、後からどうのこうの何らかの感覚が浮かんでくるものがあればそれが「私」。どうのこうのがなければただ飲んでいたという事実があっただけのこと。事実には「私」を持ち出す必要はなく事実だけで完結してます。
>
> コーヒーは飲まないので、お茶ではお茶の香りと味があるだけです。
>熱ければ熱い、まろやかならまろやか、濃ければ濃い、薄ければ薄い・・・それだけです。
> 
なるほど・・・・・飲んだ後に、「いま、なにが飲んだんだろう?」と問いを自分に出した時、どうなりますか?
2020年03月05日 21:34


>地球人さん
>
>愚さん
>
>>地球人さん
>>
>>>> 世界各国、人類全体の危機は一つですよね。
>>
>>>ああ、そういう意味ですか・・・・・
>>わたしも、こういうことで、各国がまとまっていくのかなと思っていたのですが、結果は、入国拒否とかそういう方向に向かうわけですね。
>>>バラバラになっていくんですね・・・・困ったものです
>>>全体を考える組織がないとこうなるのかな・・・・
>>
>>個体の自我も、世界各国の自我も同じです。
>>
>>自我は絶望すればいいのです。その時にどんな心境になるか?
>>
>>愚さんなら分かるでしょう。
>>
>
>分かりません、どんな心境になります?
>
>解りませんか?
>
>自我が絶望すると執着が消えて、本来の自己が解放されるのです。
>
>
それで、解放されました?
お節介な見物人
2020年03月05日 22:21
愚さんへ

>なるほど・・・・・飲んだ後に、「いま、なにが飲んだんだろう?」と問いを
>自分に出した時、どうなりますか?

「いま、なにが飲んだんだろう?」という言葉があるだけですが・・。
2020年03月05日 22:36


>お節介な見物人さん
>
>愚さんへ
>
>>なるほど・・・・・飲んだ後に、「いま、なにが飲んだんだろう?」と問いを
>>自分に出した時、どうなりますか?
>
>「いま、なにが飲んだんだろう?」という言葉があるだけですが・・。

そうですか・・・・
地球人
2020年03月06日 14:05
愚さんの御友人は自殺したそうですが、自我が絶望することに耐えられなかったから自殺したのです。
地球人
2020年03月06日 14:21
ところで、バカヤロー禅は自我でしょう。
カルマ、業、輪廻転生
2020年03月06日 15:00
お茶を飲んで、濃い、まろやか、熱い?

ちょっとびっくりしたのですが、こんな反応ないし感想は仏教とはまったく異質です。

お茶にしても、濃い、熱いにしても、それは概念であって、事実ではありません。

この程度の概念的反応が事実のわけがない!

あるのはルーパとナーマであって、個人がこれこそ事実であると自慢気に吹聴する類型的な反射・反応ではありません。
お節介な見物人
2020年03月06日 15:03
カルマ、業、輪廻転生さん

熱いお茶をどう表現するのでしょうかお知らせください。
カルマ、業、輪廻転生
2020年03月06日 15:12
イヤな感情や記憶のネーミングについてなら、他人の言語表現はあくまで参考程度でしょうね。

自分の中ではっきりと特定する必要がある。そのために、感情やイメージ、記憶内容と結びついて、曖昧さ・抽象性はなくならなければ。

その上で、瞑想オブジェクトにするという道筋ではないですか。

瞑想オブジェクトとは、無字や数息観、坐法、マントラ、お経、仏像、ローソクの炎、問答としての公案などの、瞑想の中心ターゲットのことですが、
スマート禅ないしバカヤロー禅の場合は、自分に固有のネガティブなものそれ自体が瞑想オブジェクトになるのだと思います。
お節介な見物人
2020年03月06日 16:46
シンプルに表現していただければありがたいのですが・・・。
2020年03月06日 16:46


>カルマ、業、輪廻転生さん
>
>イヤな感情や記憶のネーミングについてなら、他人の言語表現はあくまで参考程度でしょうね。
>
>自分の中ではっきりと特定する必要がある。そのために、感情やイメージ、記憶内容と結びついて、曖昧さ・抽象性はなくならなければ。
>
>その上で、瞑想オブジェクトにするという道筋ではないですか。
>
>瞑想オブジェクトとは、無字や数息観、坐法、マントラ、お経、仏像、ローソクの炎、問答としての公案などの、瞑想の中心ターゲットのことですが、
>スマート禅ないしバカヤロー禅の場合は、自分に固有のネガティブなものそれ自体が瞑想オブジェクトになるのだと思います。

瞑想については、こんど、YOUTUBEで、説明しようと思っています。
地球人
2020年03月06日 18:30
自我を超越した意識に到るとバカヤローの自我は無いのですから、バカヤローはありません。
通行人
2020年03月06日 19:40
そうだね、、、愚さんが未だに「バカヤロー!」をやってるとすれば、それって、自我でしょう? と言いたくなるね。 悟ってないかも?^^
地球人
2020年03月06日 20:44
宇宙のわたしと言ってるのだから、バカヤロー禅は悟れない人達の為に言ったのだろう。