あ 2020年02月18日 07:55 宇宙には、ビッグバン発生時には既に存在していたであろう「原意識」というものがある。人は死ぬと脳内の意識が「量子もつれ」によって、宇宙空間に存在する「原意識」とつながるのだ。うわっ^_^
あ 2020年02月18日 21:35 意識がない限り、「物質化という現象」は起こらない^^意識とはそもそも宇宙の始まりであるビッグバンの時から「原意識」として存在しており、その「原意識」はイコール「量子情報」である。そして、その意識と私たち人間の意識も「量子もつれ」で繋がっている・・^^壮大な想念流しきたな^^
あ 2020年02月19日 15:46 感覚の機能は何の為にあるのか?一言で言い表すと世界を理解するために あるのだと、書かれています。感覚がなければ外界のことも、したがって、 自分達が生きて行くことが出来ません。そして、もし、自分が視覚も、触覚も、味覚も、嗅覚も、完全に失った 姿を想像してみて下さい。 どんな感じだろうか? 真っ暗な世界に、身体を失って、ぽっかり浮いている 様な感じだろうと思います。うん?世界を理解するためにあるのだ^_^つまりそう言うことや^_^
あ 2020年02月19日 18:56 我々が仏教を学ぼうとして 現実世界を眺めるなら、その時そこには迷いと悟りがあり、 生があり死があり、悟りを開いた仏がいて迷える衆生がいる。 ところが、わたしがこのちっぽけな自己、自我意識を捨ててしまったとき、 この世界には迷いも悟りもなく、悟った仏もなく迷える衆生もなく、生もなく死もない。うん?「生もなく死もない。」だと・・^^さっき書いたんだが^^
あ 2020年02月19日 19:40 「五感で感じるものは、すべて非真理です。五感で感じないものは、真理です。真理か非真理かを見極める簡単な方法は、五感で感じるか感じないかを目安にしてください。ただし、五感で感じなくても非真理のモノはあります。例えば、原子です。素粒子です。でもこれも、現象として何らかの方法で捕らえることはできますから、非真理です。 」こんな想念垂れ流しがあったんだが・・^^寝ながら考えることにしよう^^
あ 2020年02月19日 20:04 脳細胞はニューロンの活動によって「意識」を作り出している。宇宙にはビッグバンの時にはすでに存在していた「原意識」が存在している。脳細胞にはマイクロチューブルという管状の構造があって脳細胞をコンピュータのように機能させている。脳は「量子コンピュータ」なのである。「意識」はマイクロチューブル内にある「量子情報」という素粒子で、肉体が生きている間は当然脳にあるけれど実は宇宙の「原意識」とつながっている。この素粒子は「粒と波」の二重性を持っていて、観測されると物質(粒)になり、観測されないと波動(波)になって飛んで行く。「意識」という量子は、生きているうちは観測されている状態なので「粒」の状態で脳にとどまっているが、心臓が止まって脳に血液が行かなくなると量子コンピュータは動かなくなって「観測されない状態」になり、「意識」という素粒子は破壊されるのではなく「粒状」から「波動」に変わって宇宙に散らばる。量子には「量子もつれ」という現象があり、これによって「意識」という素粒子は時間や距離と無関係に同時に(瞬時に)「原意識」と”通じる”。息を吹き返すと散らばった量子情報は再び脳に戻る。カラダを抜け出し、散らばった量子情報が肉体に戻って「臨死体験」として自覚される。こんな話^^
あ 2020年02月20日 00:31 最近自我自我言ってたら頑張ってる自我さんがかわいそうになってきた^_^自我があるから無我もある^_^中道や^_^使い分ければいいんや^_^自我さん応援するかなっと^_^
あ 2020年02月20日 04:39 仏原義仏陀 - 仏教、ヒンドゥー教、ジャイナ教などインドの伝統で「覚者」「悟った者」のこと。如来、応供とも。仏教用語釈迦 - 覚者(仏陀)として目覚めた仏教の開祖。ゴータマ・シッダルタ、ガウタマ・シッダールタ。うん?
散歩好き 2020年02月20日 22:38 トイレのドアを開けて確認するまで便器があるかどうか確定していない。*_*会社に行って、同僚を見て確認するまで同僚が存在しているかは確定していない。*_*帰宅して、ドアを開けて確認するまで自宅かどうかは確定していない。*_*TV画面は光が点滅していて瞬間をとらえただけではなにがなんだか分らない、記憶によって動画だと認識できる。音楽は瞬間の音をとらえただけではなにがなんだか分らない、記憶によって音楽や鳥の囀りと認識できる。瞬間瞬間では光も音も感覚も単なる刺激か信号か圧力か波動かエネルギーなのかサッパリわからない。巨大な存在がいるとして、1回のまばたきが人間の時間で10年であれば20秒程度で人の一生が終わっている。20秒で地球の様相がまったく変化していて何が起こっているのか理解できないかもしれない。人間の思考範囲の空間認識と時間認識で世界を把握している。会社にいるときは会社の知識は必要だけど、退職すれば何も必要としない。死に際に知識はいったい何の役にも立たないかも、経験は?死に際は死に際の瞬間しかない・・・。結局何も必要でなかった・・・ゲームオーバー。自分の顔や背中は直視できないので、存在しているかどうかわからないまま。*_*各自は自分自身が存在しているかどうかを確認できずに生きている。^_^
愚 2020年02月22日 08:02 >散歩好きさん>>トイレのドアを開けて確認するまで>便器があるかどうか確定していない。*_*>>会社に行って、同僚を見て確認するまで>同僚が存在しているかは確定していない。*_*>>帰宅して、ドアを開けて確認するまで>自宅かどうかは確定していない。*_*>>TV画面は光が点滅していて瞬間をとらえただけでは>なにがなんだか分らない、記憶によって動画だと認識できる。>>音楽は瞬間の音をとらえただけでは>なにがなんだか分らない、記憶によって音楽や鳥の囀りと認識できる。>>瞬間瞬間では光も音も感覚も単なる刺激か信号か圧力か波動か>エネルギーなのかサッパリわからない。>巨大な存在がいるとして、1回のまばたきが人間の時間で10年であれば>20秒程度で人の一生が終わっている。20秒で地球の様相がまったく変化>していて何が起こっているのか理解できないかもしれない。>人間の思考範囲の空間認識と時間認識で世界を把握している。>>会社にいるときは会社の知識は必要だけど、退職すれば何も必要としない。>死に際に知識はいったい何の役にも立たないかも、経験は?>死に際は死に際の瞬間しかない・・・。>結局何も必要でなかった・・・ゲームオーバー。>>自分の顔や背中は直視できないので、>存在しているかどうかわからないまま。*_*>>各自は自分自身が存在しているかどうかを>確認できずに生きている。^_^世界がバラバラにあるという前提だと、つまり、主観と客観に分かれているとすると、さまざまな矛盾が生まれてくるということですよね
散歩好き 2020年02月22日 12:04 愚さまコメントありがとうございます。>世界がバラバラにあるという前提だと、つまり、主観と客観に分かれているとすると、さまざまな矛盾が生まれてくるということですよね 脳の扁桃体は対象を認識すると勝手に「run or fight」という判別をして視床下部に伝わりホルモンが分泌される。生きている限り保身・安全のための生命維持機能。脳が二元対立的にしているのが単なる脳の習性だと見抜くことが必要だと思われます。 進化の過程で染みつい受け継がれてきたものが「染色体」であり、本能はコントロールできないもの。誰もが恐怖から開放されて自由でいたい。現代の社会生活では実際に身体に直接危害が及ぶことはあまりありません。 些細なこだわりから「我」を張っているだけで、本当に些細なことでしかないと見抜いて「我」はなくても困らないという経験を積み重ねていく。 見ているのではなく見えていて、見えているのは自身そのものだという見抜きでバラバラというのが思い込みだった。 客体も主体もはなからなく全てが本来の面目の現れであり働きがあるだけだった。働きのままに働くしかない。二元に見えるのは否定しようのない事実なので見えるているものまで否定してもしょうがない。 事実はあるようにあるし、なるようになっているだけのことで・・・。手の出しようがないというのが現実のようで・・・従うしかありません。*_*
みゅう 2020年02月24日 07:22 散歩好き さん>人間の思考範囲の空間認識と時間認識で世界を把握している。 言われてみれば、なるほど、その通りだと思います。 でも、このブログで交わされているようなおしゃべりを通して情報を得て思考範囲を広げてもらうこともできるし、言葉を正確に使うことによって人々が育ててきた論理の力を借りてその情報から世界をよりしっかりと把握できる、、(言葉、やるなあとおもいません?例えば、私の世界では、今、外で騒いでいるカラスは卵で生まれるということになっています。カラスの卵は見たことも聞いたこともありませんが言葉の力によって。)>結局何も必要でなかった・・・ゲームオーバー これ、楽しくないですか?限られた能力で環境を確認しながらいろいろ工夫して課題をクリアしていく過程そのものが楽しいからこそみんなゲームに夢中になるんだと思いますが、どうでしょう
この記事へのコメント
人は死ぬと脳内の意識が「量子もつれ」によって、宇宙空間に存在する「原意識」とつながるのだ。
うわっ^_^
負けていられない^_^
とりあえず浄土きた^_^
浄土は無我を超える^_^
意識とはそもそも宇宙の始まりであるビッグバンの時から「原意識」として存在しており、その「原意識」はイコール「量子情報」である。
そして、その意識と私たち人間の意識も「量子もつれ」で繋がっている・・^^
壮大な想念流しきたな^^
では寝るか^^
ないものに執着する^_^
感覚としては何かある^_^
感覚が無ければ何もない^_^
対象が無ければ何も無い^_^
うん?
空や^_^
なんでやねん^_^
あるのだと、書かれています。感覚がなければ外界のことも、したがって、
自分達が生きて行くことが出来ません。
そして、もし、自分が視覚も、触覚も、味覚も、嗅覚も、完全に失った
姿を想像してみて下さい。
どんな感じだろうか? 真っ暗な世界に、身体を失って、ぽっかり浮いている
様な感じだろうと思います。
うん?
世界を理解するためにあるのだ^_^
つまりそう言うことや^_^
あさんが午後6時に生きてるか?死んでるか? 両方有り得る。
もらったも当然やな^_^
ないものがなくなるとはこれいかに^_^
おい^_^
100万円もらう人おらへんで^_^
その時そこには迷いと悟りがあり、
生があり死があり、
悟りを開いた仏がいて迷える衆生がいる。
ところが、わたしがこのちっぽけな自己、
自我意識を捨ててしまったとき、
この世界には迷いも悟りもなく、
悟った仏もなく迷える衆生もなく、
生もなく死もない。
うん?
「生もなく死もない。」だと・・^^
さっき書いたんだが^^
あ
2020年02月19日 16:48
生もなく死もなく^_^
ないものがなくなるとはこれいかに^_^
極楽浄土へ行った直後やな・・^^
これ正解^^
おわかりですね^^
愚さん^^
この現象の世界で生死がないものがありますか?
すみません^^
こんな想念垂れ流しがあったんだが・・^^
寝ながら考えることにしよう^^
「私って何?」
宇宙にはビッグバンの時にはすでに存在していた「原意識」が存在している。
脳細胞にはマイクロチューブルという管状の構造があって脳細胞をコンピュータのように機能させている。
脳は「量子コンピュータ」なのである。
「意識」はマイクロチューブル内にある「量子情報」という素粒子で、肉体が生きている間は当然脳にあるけれど実は宇宙の「原意識」とつながっている。
この素粒子は「粒と波」の二重性を持っていて、観測されると物質(粒)になり、観測されないと波動(波)になって飛んで行く。
「意識」という量子は、生きているうちは観測されている状態なので「粒」の状態で脳にとどまっているが、心臓が止まって脳に血液が行かなくなると量子コンピュータは動かなくなって「観測されない状態」になり、「意識」という素粒子は破壊されるのではなく「粒状」から「波動」に変わって宇宙に散らばる。
量子には「量子もつれ」という現象があり、これによって「意識」という素粒子は時間や距離と無関係に同時に(瞬時に)「原意識」と”通じる”。
息を吹き返すと散らばった量子情報は再び脳に戻る。
カラダを抜け出し、散らばった量子情報が肉体に戻って「臨死体験」として自覚される。
こんな話^^
となる^_^
法に従うだけ^_^
楽ちん^_^
法に逆らうと苦が生じる^_^
自我や^_^
何故法に逆らうのか?
自我があるから無我もある^_^
中道や^_^
使い分ければいいんや^_^
自我さん応援するかなっと^_^
原義
仏陀 - 仏教、ヒンドゥー教、ジャイナ教などインドの伝統で「覚者」「悟った者」のこと。如来、応供とも。
仏教用語
釈迦 - 覚者(仏陀)として目覚めた仏教の開祖。ゴータマ・シッダルタ、ガウタマ・シッダールタ。うん?
法にただ従っておる^_^
なかなか出来へんで^_^
苦の消滅^_^
こうなる^_^
環境に適応して当たり前となってしまう^_^
極楽は極苦があってこそ成り立つ^_^
便器があるかどうか確定していない。*_*
会社に行って、同僚を見て確認するまで
同僚が存在しているかは確定していない。*_*
帰宅して、ドアを開けて確認するまで
自宅かどうかは確定していない。*_*
TV画面は光が点滅していて瞬間をとらえただけでは
なにがなんだか分らない、記憶によって動画だと認識できる。
音楽は瞬間の音をとらえただけでは
なにがなんだか分らない、記憶によって音楽や鳥の囀りと認識できる。
瞬間瞬間では光も音も感覚も単なる刺激か信号か圧力か波動か
エネルギーなのかサッパリわからない。
巨大な存在がいるとして、1回のまばたきが人間の時間で10年であれば
20秒程度で人の一生が終わっている。20秒で地球の様相がまったく変化
していて何が起こっているのか理解できないかもしれない。
人間の思考範囲の空間認識と時間認識で世界を把握している。
会社にいるときは会社の知識は必要だけど、退職すれば何も必要としない。
死に際に知識はいったい何の役にも立たないかも、経験は?
死に際は死に際の瞬間しかない・・・。
結局何も必要でなかった・・・ゲームオーバー。
自分の顔や背中は直視できないので、
存在しているかどうかわからないまま。*_*
各自は自分自身が存在しているかどうかを
確認できずに生きている。^_^
神仏に実体はなく妄想なのだから、量子論が適用されるわけないでしょ。^^v
>散歩好きさん
>
>トイレのドアを開けて確認するまで
>便器があるかどうか確定していない。*_*
>
>会社に行って、同僚を見て確認するまで
>同僚が存在しているかは確定していない。*_*
>
>帰宅して、ドアを開けて確認するまで
>自宅かどうかは確定していない。*_*
>
>TV画面は光が点滅していて瞬間をとらえただけでは
>なにがなんだか分らない、記憶によって動画だと認識できる。
>
>音楽は瞬間の音をとらえただけでは
>なにがなんだか分らない、記憶によって音楽や鳥の囀りと認識できる。
>
>瞬間瞬間では光も音も感覚も単なる刺激か信号か圧力か波動か
>エネルギーなのかサッパリわからない。
>巨大な存在がいるとして、1回のまばたきが人間の時間で10年であれば
>20秒程度で人の一生が終わっている。20秒で地球の様相がまったく変化
>していて何が起こっているのか理解できないかもしれない。
>人間の思考範囲の空間認識と時間認識で世界を把握している。
>
>会社にいるときは会社の知識は必要だけど、退職すれば何も必要としない。
>死に際に知識はいったい何の役にも立たないかも、経験は?
>死に際は死に際の瞬間しかない・・・。
>結局何も必要でなかった・・・ゲームオーバー。
>
>自分の顔や背中は直視できないので、
>存在しているかどうかわからないまま。*_*
>
>各自は自分自身が存在しているかどうかを
>確認できずに生きている。^_^
世界がバラバラにあるという前提だと、つまり、主観と客観に分かれているとすると、さまざまな矛盾が生まれてくるということですよね
コメントありがとうございます。
>世界がバラバラにあるという前提だと、つまり、主観と客観に分かれているとすると、さまざまな矛盾が生まれてくるということですよね
脳の扁桃体は対象を認識すると勝手に「run or fight」という判別をして視床下部に伝わりホルモンが分泌される。生きている限り保身・安全のための生命維持機能。脳が二元対立的にしているのが単なる脳の習性だと見抜くことが必要だと思われます。
進化の過程で染みつい受け継がれてきたものが「染色体」であり、本能はコントロールできないもの。誰もが恐怖から開放されて自由でいたい。現代の社会生活では実際に身体に直接危害が及ぶことはあまりありません。
些細なこだわりから「我」を張っているだけで、本当に些細なことでしかないと見抜いて「我」はなくても困らないという経験を積み重ねていく。
見ているのではなく見えていて、見えているのは自身そのものだという見抜きでバラバラというのが思い込みだった。
客体も主体もはなからなく全てが本来の面目の現れであり働きがあるだけだった。働きのままに働くしかない。二元に見えるのは否定しようのない事実なので見えるているものまで否定してもしょうがない。
事実はあるようにあるし、なるようになっているだけのことで・・・。手の出しようがないというのが現実のようで・・・従うしかありません。*_*
>人間の思考範囲の空間認識と時間認識で世界を把握している。
言われてみれば、なるほど、その通りだと思います。
でも、このブログで交わされているようなおしゃべりを通して情報を得て思考範囲を広げてもらうこともできるし、言葉を正確に使うことによって人々が育ててきた論理の力を借りてその情報から世界をよりしっかりと把握できる、、(言葉、やるなあとおもいません?例えば、私の世界では、今、外で騒いでいるカラスは卵で生まれるということになっています。カラスの卵は見たことも聞いたこともありませんが言葉の力によって。)
>結局何も必要でなかった・・・ゲームオーバー
これ、楽しくないですか?限られた能力で環境を確認しながらいろいろ工夫して課題をクリアしていく過程そのものが楽しいからこそみんなゲームに夢中になるんだと思いますが、どうでしょう