12月27日KB会の題材

明日のKB会、および、いままで集まった題材は次の通りです。

12月27日(金曜)18:30より20:00・・・途中入退出自由
(その次は、1月31日(金曜)を予定しております)

港区立生涯学習センター(ばるーん)205教室・・・・無料です

/http://www.city.minato.tokyo.jp/shisetsu/toshokan/shogaigakushu/01.html
https://goo.gl/maps/bjTUUvVcBxC2

そのあと、近所のジョナサンを予約してあります・・・・割り勘です
こちらだけの参加も歓迎です
https://store-info.skylark.co.jp/jonathan/spot/detail?code=020421&_resl=true

題材

1、クリシュナムルティの「愛」についての講話をお願いします。

 クリシュナムルティを通して”本質”を見つけようとしていたころ、講演録の中で、彼自身も”あまりにごたついた、腐敗したものになっている言葉”と言っている”愛”がでてきてすっきりしなかったことがあります。
 
  愚さんの解説を聞かせていただければ嬉しいです。

 自分なりに、 クリシュナムルティのテーマである”観察”の対極が”無視”である一方で、 ”愛”の対極もその同類である”無関心”なので、それでよいと解釈していましたが、反省するにさすがに、雑!、それこそ、愛が足りない解釈だと思います。


2、題材1 量子CPと今のCPについて

   
(1)前回説明して頂きましたが、

もう一度、その違いを耄碌前の私にも論理的に理解できるように説明をお願いいたします。


(2)その利便性はひとまずおいて(明るい展望は山ほどあります。が、誰も触れていないようですが、)、

量子CPを使ったAIは、究極の問いである

『自分は一体何者なのか?』

『一体、自分はどこから生まれて、どこに行くのか?』に、

答えられるでしょうか?


CPは、既にデータ登録されているデータの組み合わせはできても、それを超える

ことは無理だと思いますが、いかがでしょうか?


3、題材2 スマホが世界を支配する未来について

キャッシュレス時代に入りかかり、その利便性は否定しません。

しかし、今後の課題としてマスメディア皆触れていませんが、

電磁波の心身・地球環境への悪影響は避けて通れなくなると思います。

では次回よろしくお願い申す仕上げます。

4、12/27のテーマに、「週刊金曜日」(1262号12月20日発行)の、表紙裏にクリシュナムルティの引用と引用者の文があります。

引用されたクリシュナムルティの世界の展開をお願いいたします。

「世界はあなた自身の延長であり、世界は複製され、増幅されたあなた自身なのです」

5、質問:曹洞宗で言う「座っている姿が悟りそのものだ」とはどういう
意味でしょうか?

 短く言うと「修証一如」だと思います。通常、「悟り」の定義は
以下だと仮定します。
悟り=体を自分だと思っていたものが、その感覚が落ち、全体を
自分だと感じる体験。
 しかし、座っているだけで、悟り体験が起きたわけではありません。
「悟り」の定義を何か違う形で使用されているのではないかと推察します
が、その定義はどういったものでしょうか?

 ちなみに「修証一如」の場合は、目的(=悟り)と手段(=修行)
は、悟った見地からみれば同じであるという理解でよいでしょうか?


6、只管打坐
一般的には、「ただする」と言われてますがどうも掴めない。
そこで、

今だけの事を真剣に命がけで只する

これを只管打坐としました。
どんなもんでしょうか?
真剣に命がけというものが入りましたら只管打坐にならないですか?

7、観察者は観察させれるもの

これ、以前わたしは煩悩である
と言われてましたが、

観察されるものが猫の場合
わたしは猫である
で、あってますか?

8、悟り、ということについて。 この自分が悟る、そのことによって今のしょぼい自分ではなくすごい自分になれるのではないか、という期待をする人というのも多いのかな、と感じたりします。

しかし。実際のところ、悟りというのはそういうことではありませんよね。
このあたりについて、説明していただけたらと思います。
(お時間が取れたら、ということです。)

9、色々書きましたが題材としましては、

空が事実なのか
色はこころが作り出したもので事実でないのか
色も事実なのか

と言う事でよろしくお願いします

渡辺 充
09040643765

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この記事へのコメント

カムイ
2019年12月26日 19:36
題材採用してくれてありがとうね

あと、以前のわたしはKB会に参加出来ましたが今のわたしは参加出来なくなりました。
ごめんね
カムイ
2019年12月26日 21:31
題材追加

道元禅師の正法眼蔵で
「仏性は元々備わってなくて、仏になってから仏性が備わる」
って書いてあるのね。

衆生本来仏なんで仏と自覚して初めて仏性が備わるって感じかな。

一般的には、仏性があるから仏になれるんだと思うんだけど、道元が嘘を書く訳ないし、どんな感じでしょう。
カムイ
2019年12月26日 21:34
道元禅師が嘘を書く訳ないし、どんな感じでしょう。


呼び捨てになってた。
こちらに訂正。
2019年12月26日 22:17
>道元禅師の正法眼蔵で
「仏性は元々備わってなくて、仏になってから仏性が備わる」
って書いてあるのね。

どこに書いてあります?引用してくれると助かります
カムイ
2019年12月26日 23:23
本山版訂補正法眼蔵
22ページ15行目〜

仏性の道理は、仏性は成仏よりさきに具足せるにあらず、成仏よりのちに具足するなり。
仏性かならず成仏と同参するなり。
カムイ
2019年12月27日 00:27
臨済禅師の四料簡

主 客
空 色・・・風景だけで自分なし
色 空・・・全てがわたし
空 空・・・人牛倶忘
色 色・・・全てがありのままにある

十牛図の牛は空で人は色


この4パターン、注目すべきは全て主客が一如になっている。


あとこれ!
わたしとしては凄く整理されたんだけど、色と空と四料簡と十牛図の関係がピタリと来た感じ。これ理屈としてはあってます?
Bananafish
2019年12月27日 04:58
>カムイさん

面白い一節ですね。紹介していただき、ありがとうございます
(恥ずかしながら、知りませんでした)。

私は、同じ正法眼蔵中「弁道話」の「この法は人人の分上にゆたかに
そなわれりといへども、いまだ修せざるにはあらわれず、証せざるには
うることなし。」と同義と見ました。悟って自覚するというプロセスを経て、
初めて「法」を手に持って自由自在に扱えるようになる ... ここが、道元禅師が
いわゆる無事禅と全く異なっていることを示す良い例であると感じます。


が、どうでしょうね ...

愚さんの見方もぜひうかがってみたいです。
カムイ
2019年12月27日 06:31
バナナフィッシュさん
はじめましてかな
面白いハンドルネームですね
バナナの終わり?最後のバナナ?

ついでに、わたしが普段から気をつけてる事書きますね
ちょっと長いですが


飛び回ってるこころを静めて一心に
今を離さず
相手を知ろうと思ったら、まず、自分を知ること
世界平和になる第一歩は自分を知ること
部屋の灯りは暗めの方が内に向かいやすくてよい
体の動作はなるべくゆっくり丁寧に動かすのが良い
思考がゆっくりになってきたらしめたもの
これが道中の工夫
飯を食う時もなるべくゆっくりとする。
これは、少しの量で腹が膨らむと言う効果もある。
坐禅だけが実践ではない。
こうやって四六時中、隙を作らず油断せず行じるのだ。
禅とは今を行じること
絶えず無意識にやってるもの
息だ
こいつを意識する。
一息一息丁寧に
これが今を行じるという事
例えば歩きながらだと息を意識するのは難しい
メインの動きを意識すれば良い
歩くときは歩く事に意識をおく
これを練ると言う

日々そうやっていくとおまけとして
男は腹がすわり
女は美人になる
やって損はないぞ

大事な事を言い忘れた
靴は脱いだらちゃんと揃えるように

寝る前みたいに気持ちよくなってるのは三昧ではなく妄想、雑念を追っかけてるだけ。
坐禅は妄想、雑念を意識的に切って、はっきりとした意識でおらんとあかん。

知性自体悪くないんですが
悪人は知性を相手を攻撃する為に使う
善人は知性を相手を救う為に使う

知性と感性と意思がひとつなる状態が禅定
この禅定は過去もない、体も忘れてる
Bananafish
2019年12月27日 06:56
>カムイさん

実は、「はじめまして」ではないんです。笑

別の掲示板で何度もやり取りをさせていただきました。
その節はお大変世話になりました。

私は、注意していることは最近はあまりないです。

坐られていますか?
お互い精進いたしましょう。
カムイ
2019年12月27日 07:09
ある程度体得したつもりでいたので、道中の工夫だけでいけると思ってたんだけど、いざ坐ると全然違うんでなるべく坐ってます。
Bananafish
2019年12月27日 07:34
カムイさん

そうですね、坐禅は理屈がないし、シンプルで、なんだかんだ
一番楽でいいです。(あと冬の結跏趺坐はポカポカして
あったかい ... 笑)

「動」中の工夫は、理屈がくっ付きやすいので、それこそ注意が
必要かと思います ... 個人的には。工夫は、工夫がないのが一番いい工夫
ですね〜。
カムイ
2019年12月27日 08:28
なるほど
工夫がなくなる工夫
2019年12月27日 10:09
>本山版訂補正法眼蔵
22ページ15行目〜

>仏性の道理は、仏性は成仏よりさきに具足せるにあらず、成仏よりのちに具足するなり。
仏性かならず成仏と同参するなり。

ありがとうございます。
なるほど・・・・仏性は、成仏=悟らないと、具現化しないということなんでしょうね。つまり、仏性の性能がうまく現れないということですか・・・・
2019年12月27日 10:24
>>仏性の道理は、仏性は成仏よりさきに具足せるにあらず、成仏よりのちに具足するなり。
仏性かならず成仏と同参するなり。

>ありがとうございます。
なるほど・・・・仏性は、成仏=悟らないと、具現化しないということなんでしょうね。つまり、仏性の性能がうまく現れないということですか・・・・

正法眼蔵、仏性、のところですね・・・・・五祖と六祖の問答のところ・・・・これはすこしややっこしいですね。KB会で話しましょう


カムイ
2019年12月27日 10:34
ありがとうございます。
かっこいい表現をしますと、今まで乗用車に乗ってたものが、ある日突然F1に乗る事になり、F1のポテンシャルを引き出すには、F1のノウハウが必要って感じかな?
カムイ
2019年12月27日 10:39
ノウハウってのは具体的には、絶えず油断せず五感を研ぎ澄まさないとそのポテンシャルを引き出せないよと。
カムイ
2019年12月27日 10:49
もう少し面白い表現にしますと
いつもオンボロ車に乗ってて、なんか知らないボタンが付いてる。
ある日なんときなしにそのボタンを押したら、突然F1に変わった。
カムイ
2019年12月27日 11:02
もう、どのボタンを押してもオンボロ車に戻らない、しょーがないんでF1を運転する。
いざ運転するとピーキーな仕上がりで上手く走らせれない。
こいつを乗りこなすにはそれなりのテクニックと知識を身につけてなければならない。

どう?ワクワクするでしょ?
地球人
2019年12月27日 21:08
F1運転は四諦八正道を身に着けないと運転できないとのことですか?
通行人
2019年12月28日 05:32
五蘊の脳が壊れたら仏も消える、てことです。
通行人
2019年12月28日 16:02
あれまっ、、前述は書く場所、間違えた。汗;

皆さん、良いお年を♪^^

こんな風に過ぎて行くのなら - 浅川マキ
https://www.youtube.com/watch?v=irSE8XsPrYg