すばらしい文章

CHEAPTRICKさんが引用してくれたものですが、いいですね・・・・・まだ、自分がここまでハッキリした表現のできる境涯まで至ってないことを知り、はげみになります。

「それ」は君たちの面前に示されており、今この瞬間、そっくり君たちに手渡されている。利根の者にとっては、その真理を納得させるのに一語で十分だが、すでにそこには過ちが潜んでいる。ましてそれが紙に書きつけられ、言葉による表示や論理的な表現に移されたとき、その過ちはますます大きくなり、「それ」は君たちのもとからはるか遠くに去ってしまう。

禅の偉大な真理は各人にそなわったものである。それを自己の存在のなかに求めていくべきであり、他のものに求めてはならない。君たちのそれぞれの心は、あらゆる形態を超えたものであり、自由にして閑静、そして充足したものであり、それはどこまでも、六根と四大に自らを極印してゆくのである。一切がその光のなかに呑みこまれてしまうのだ。主観・客観といった二元論を沈黙させ、二つながらを忘れ去り、知性を超え、自らの悟性を離れて、直下に仏心の「一」に透徹すべきである。これ以外には何も実在しない。

菩提達磨が西方より渡来したとき、彼はただ「まっすぐに自己自身の心を指し示せ。わが教説は無比なものであって、経典の教えに束縛されることなく、真の心印を単伝するものである」と宣言した。禅は文字や言葉や経典とは何のかかわりも持たない。それは直下に真実を捉え、そこに安心の地を見出すように君たちに求めるのだ。心の平静が乱されたとき悟性が働き、対象が認識され、さまざまな観念が心に浮かんできて妄想が現れ、偏見がはびこってくる。そうなったとき、禅はもはや迷路のうちに見失われているのである。

石霜慶諸は言う。「あらゆる渇望を捨て去れ。唇皮の上にカビを生じさせよ。自らを完全に一筋の白糸のようにせよ。この一念を永遠に固着させよ。自らを冷たく生命のない死灰のようにせよ。そしてさらに、自ら僻遠の地の古廟にある香炉のようになり果てよ」と。君たちはただこの言葉を信じて修業に励むべきである。自己の身心を一個の石、一片の木のように生命のない自然界の一物と化すべきであり、完全に変動のない、何も知覚しない境地に達したとき、生のあらゆる兆候は去り、同時にあらゆる限界が跡形もなく消え去る。もはや一念も君たちの意識をかき乱さなくなったとき、まさにそのとき、突如として君たちは、満ちあふれる歓喜のうちに一条の光を悟得するだろう。それはあたかも暗黒のなかで一筋の光に出会うような、貧しさのなかで宝を与えられるようなものである。四大五蘊のこの身さえ、もはや重荷と感じられることはない。非常に軽く、非常に安らかであり、非常に自在なのだ。君たちの存在そのものがあらゆる限界から解き放たれており、豁然として明白になる。君たちは諸々の事物の本性を洞察する能力を得る。そのとき君たちには、諸々の事物が実体のない幻影として映じてくるだろう。そこに実在するものこそが君たちの本来の面目、すなわち真正の自己である。そこに君たちの本地の風光があらわに示されているのだ。ひろびろとした何の碍げもない道がただ一筋、まっすぐに現れてくる。

これは君たちがすべてを捨て去ったとき、すなわち、内奥の自己に付着する一切を投げ捨てたとき、そうなのだ。そこにおいてこそ、まさに君たちは寂静、安閑、無為、そして名状しがたい至福を得るのである。ありとあらゆる経典はすべてこの事実を説いたものに他ならない。古今の聖者のすべてが工夫をこらして努めてきたのは、ただこの道を指し示すためだったのだ。それは宝庫の扉を開けるようなもので、ひとたび入口が見つかれば、目に触れる事物の一切は君たちのものであり、そこに示された機会のすべてが君たちの利用しうるものとなるのである。

それがいかに千差万別であっても、そこに得られた一切は、本来君たちの本分の内に在ったものだ。そこにある宝はすべて、ひたすら君たちの受用を待ち受けている。これこそ「一度得たものは、時の終わりにいたるまで永遠に得たものだ」と言われていることである。しかし実際には、何も得られたものはない。君たちが得たものは同時に得たものではないのである。それでいながらこのなかに、真に得られた何かがある。

いかなる仏もかつて地上に現れ出たことがない。また聖なる教えとして立てるべきものもない。菩提達磨はかつて西来したことはなく、また真理を伝えもしなかった。この何たるかを知らない者だけが、自己の外に真理を求めている。しかも憐れなことに、彼らが熱心に求めているそのものは、まさに自らの足下にあって踏みつけられているのだ。これは千万の聖賢の智慧をもっても捉えられないものである。私たちはそれを見ていながら見ていない。それを聞いていながら聞いてはいない。それを知っていて、しかも知らないのである。 (by 圜悟克勤)
cheap trick
2019年12月13日 17:54
君たちは大海の中に沈んで頭の上まで水に浸りながら、手を上げて「水をくれ」と言っているようなものだ。河のそばで水がほしいと言うならまだわかるが、身はすでに水の中にいるのだ。般若の大智慧があればそれがわかる。この事は「ただ我よく自ら知る」のである。むやみにあちらへ行って尋ね、こちらへ来て探したとしても安心立命は得られるものではない。

世間では、昭昭霊霊たる知性がこの身の内にあって、それが我らの心であるとか、主人公であるとか云っている。しかしそんなものは生死の根本であって、分別知の対象にすぎない。もしそれが真実の昭昭霊霊なら、覚めているときも眠っているときも、その昭霊性に変わりはないはずだ。これは賊を認めて子となすものである。世間で昭昭霊霊底と考えられているものは見聞覚知の境を離れてはいない。こんなものは本当の主人公ではない。

秘密の金剛体というべきものがある。これは身体の内に押し込められているようなものではない。円成の金剛体であって全宇宙に遍満している。今のこの山河大地、十方国土、および君たちの身心は、すべて君たちの円成の威光をうけて現じているのだ。天人群生の類、所作の業次、受生の果報、有情も無情も、みな君たちの威光をうけている。また諸仏の成道、成果、接物利生もことごとく君たちの威光をうけているのである。円成秘密の金剛体は実に君たち自身なのだ。   (by 玄沙師備)

一切の言語も、山河大地も、すべてが自ずから自己に帰着する。一切衆生は遥かな過去から三昧の中にあり、そのあらゆる行いがことごとく法性である。   (by 百丈懐海)
cheap trick
2019年12月13日 18:33
私が神から歩み出たとき、すべてのものは「唯一の神あり」と語った。しかし、それは私を幸福にはしなかった。なぜなら、そのとき私は自分を被造物と見なしたからである。しかし私が神から飛び出たとき、私は神の意志の真っ只中に立った。この神の意志ということをも離れ、あらゆる彼の業ということをも離れ、神そのものすら離れたとき、私は被造物性を超えた。なぜなら、私は神でもなく、また被造物でもなくなったからである。私はかつてあったところのものであり、また、これから永久に変わらぬところのものである。

そのとき私は一つの衝動を感じた。そして私はあらゆる天使の上に昇った。この衝動のうちで、私は言いしれない豊かさを憶えた。すなわち私は、神は神であるということによっても、神は神のあらゆる神々しい御業であるということによっても、神は私を満足させるものではなくなった。なぜなら、私はこの「突破」によって、神と私は同一だと感じたからである。

そのとき、私はみずからがかつてあったところのものであり、増えも減りもしないものなのだ。私はそのときあらゆるものを動かして、しかも自らは不動なのだ。ここでは神は、もはや人間のうちに何らの在り場を見出さないのである。なぜなら、人はこのとき貧しさの極みに達したので、彼が永遠にあったところのもの、また、永遠にあるであろうところのものを、今また獲得したからである。

愛が私に神を愛さしめるのに対し、離脱は神に私を愛さしめるからである。愛は神のためにあらゆるものを忍従する。離脱はあらゆる物から脱却し、神をみずからの内に迎え入れて神を神たらしめる。 (by Meister Eckhart)

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この記事へのコメント

カムイ
2019年12月17日 23:33
これらの文章、全て般若心経に書かれている気がします。
般若心経とはどえらいお経だ。
カムイ
2019年12月18日 17:06
今の事は今完結させないから、新しい今から離れる
カムイ
2019年12月18日 19:09
命がけになったらなんでも出来る
カムイ
2019年12月18日 22:24
わたしはある程度体得したつもりでいましたので、道中の工夫だけて行けると思いましたが、いざ坐ると深さが違いますね。
カムイ
2019年12月20日 03:57
がむしゃらになりふりかまわず今だけの事をする
メリークリスマス
2019年12月21日 12:46
>すなわち私は、神は神であるということによっても、神は神のあらゆる神々しい御業であるということによっても、神は私を満足させるものではなくなった。なぜなら、私はこの「突破」によって、神と私は同一だと感じたからである。

そのとき、私はみずからがかつてあったところのものであり、増えも減りもしないものなのだ。私はそのときあらゆるものを動かして、しかも自らは不動なのだ。ここでは神は、もはや人間のうちに何らの在り場を見出さないのである。なぜなら、人はこのとき貧しさの極みに達したので、彼が永遠にあったところのもの、また、永遠にあるであろうところのものを、今また獲得したからである。

愛が私に神を愛さしめるのに対し、離脱は神に私を愛さしめるからである。愛は神のためにあらゆるものを忍従する。離脱はあらゆる物から脱却し、神をみずからの内に迎え入れて神を神たらしめる。 (by Meister Eckhart)

ここでエックハルトが「突破」「離脱」という語で表そうとしているのは、聖霊の働きだと思います。

全体としてみれば、三位一体の深い説明になっています。
2019年12月23日 04:47
全体としてみれば、三位一体の深い説明になっています。

うん?

どこが^_^?

三位一体かな^_^

三位一体^_^

仏法僧やな^_^
カムイ
2019年12月23日 18:51
世界平和になる第一歩は自分を知ること
カムイ
2019年12月23日 20:46
飛び回ってるこころを静めて一心に
今を離さず
相手を知ろうと思ったら、まず、自分を知ること
世界平和になる第一歩は自分を知ること
部屋の灯りは暗めの方が内に向かいやすくてよい
体の動作はなるべくゆっくり丁寧に動かすのが良い
思考がゆっくりになってきたらしめたもの
これが道中の工夫
飯を食う時もなるべくゆっくりとする。
これは、少しの量で腹が膨らむと言う効果もある。
坐禅だけが実践ではない。
こうやって四六時中、隙を作らず油断せず行じるのだ。
禅とは今を行じること
絶えず無意識にやってるもの
息だ
こいつを意識する。
一息一息丁寧に
これが今を行じるという事
例えば歩きながらだと息を意識するのは難しい
メインの動きを意識すれば良い
歩くときは歩く事に意識をおく
これを練ると言う

日々そうやっていくとおまけとして
男は腹がすわり
女は美人になる
やって損はないぞ
カムイ
2019年12月23日 21:43
大事な事を言い忘れた

靴は脱いだらちゃんと揃えるように
カムイ
2019年12月25日 09:53
人類が滅びようとも、地球が無くなろうとも宇宙が無くなろうとも、今はある
カムイ
2019年12月25日 12:05
衆生本来仏なんだけど、仏と自覚してから仏性が備わる
地球人
2019年12月27日 21:46
正しくは、一切衆生悉有仏性でしょう。

衆生は仏に成る素質を持っているが、仏に成れない者もいる。

地球人
2019年12月27日 21:53
キリスト教の聖霊は仏教の仏性ですかね。