心理学等について

YOUTUBEで、以下のメッセージを受け取りました。

思いついたことがあって、返信など気にせず書いてみます。
アドラの心理学とか他の有名な心理理論で心の問題が解決できるなら、この世は何の問題が無いでしょう。
私が渡辺さんに質問する理由は正解を求めるためでなく、
私が考えられないことや経験できなかったことに対して、多様な見方を示してくれるからです。
そのアルファ的な見方で私の所見の狭さに気付けて、
心が少し広がる感じがするからでもあります。
なんとなく書いてみたくなったので。

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アドラーについては、たしか、NHKで観た記憶があり、なるほどと感じた記憶があります・・・・中身は覚えていませんが・・・・
フロイドとかユングにしても、洞察力があり、たいしたものだと思っています。

一方、それらはみな、ある種、健全な?自我を、どうやって形成するかということだと思っています。

それはそれとして、あってもいいのですが、基本的な問題として、分析者と分析される自我、という分裂を含んでいます。分析者は、洞察があるかもしれませんが、あるパターンに依るので、完全足りえません・・・・だから、さまざまな理論があるわけです。
そしてまた、分析を重ねたところで、意識は無限なので、終わりはありえません。

わたしは、人間の問題は、自我そのものにあるので、自我のパターンをハウツーでいじっても、結局は、うまくいかないと思っています。

自我そのものへのアプローチは、宗教ということになってしまうのですが、そのなかで、単純なのが禅だと思っています。

しかし、禅も、やってみると、難しいんです。自我という単純な問題を解決するのに、さまざま、ああだこうだがあるわけです。只管打坐を標榜する曹洞宗で、ただ坐禅すればいいといっているくせに、道元禅師の正法眼蔵だ、ああだこうだ、面倒くさいのです。

わたしは自我の問題は単純だと思っています。わたしたちの問題は簡単で、苦悩や、恐怖や、いやなことからの逃避であり、逃避を止めればいい、それだけです。その方策として、坐禅とかがあり、悟りもあったりすると思っています。

そうはいっても、この逃避をやめるのは、難しいわけです。そこで、この逃避の構造をあきらかにして、逃避しないところに安定があることを示したいのです。その手順として、まず、自己を、自我を分析せずに、そのまま、見ていき、単純な構造を自分自身で実感することを、志向しています。

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