絶対的主体性

>>私は無いという言い方は間違いです。
私は○○では無いという言い方ならOKですが、絶対的な主体性は有るのです。
白隠禅師の大悟18回小悟数知れずの境地では絶対的な主体性があるのです。
主体がない、主体はあるが認識出来ないというのは全て途中図です。
因果だけあって自由意志がないという言い方は間違いであり、人間にとって一番大切な主体性=やる気を失わせてしまう言い方です。これが今の既成仏教の最大の問題点だと思います。

だれがどういったか、とか、やる気があるとかないとか、絶対的主体性とか、どうでもいいことです。ただ、わたしは、日常のあらゆる悩みを一掃したい、それだけのことです。だから、悩みを観察します。

そうすると、悩みに働きかけても悩みは解決しないとわかります。だから、悩むんです。効率よく、一所懸命悩みます。その時、どうなるか?というのが問いです。白隠禅師だ、因果だ、自由意志だなんか、どこにも居場所がないんです。

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