仏道

>仏道は何かを得たり何かに達したりするものではなく、すでに誰でも備わっている「本来の自己」に気づき分離した自己が幻想であると見抜くことのようです。
・「奇なるかな、奇なるかな、一切衆生悉く皆な如来の智慧徳相を具有す。ただ妄想執着あるがゆえに証得せず」
・衆生本来仏なり 「白隠禅師坐禅和讃」


そういった知識をすべて捨ててしまったらどうなるか?というのが問いです。仏道とか白隠禅師とか、要するに、面倒くさいんです。かれらはかれらで、放っておいたらいいじゃないですか。高尚な議論や言明はかれらにまかせておいて、わたしは、自分の日常のバカバカしくドロドロしたところから始めます。かれらの言う通りかもしれないし、そうじゃないかもしれない。わたしにはわかりません。


わかっていることは、わたしの日常は、悩み多く、不安、心配、つかの間の幸福感、そういったものです。それは、わたしがわかっていることです。ですから、わかっているところから始めます。

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