悩みを只管打坐する

只管打坐(しかんたざ)というのは、曹洞宗のキャッチフレーズです。ただひたすらに坐禅しろ、ということです。実践的には、思うまま、考えるまま自由にしておき、そこに手を加えるな、ということです。ただ、こころの動きを観察しろ、ということです。

このシステムが、どうして日常の悩みと関係するかが問題です。バラバラのものであれば意味がありません。

そこで、悩みを只管打坐します。欲しい、憎い、かわいい、うらやましい、等々です。

悩みをまず考えます。そうすると、次々と思考が生まれてくるでしょう。感情とともに思考が生まれてきます。

それを、なんでもあり、で、観察していきます。

そうすると、どういうことが起こるか、自分で試してみます。

感情も思考も収まっていくことがわかります。

この原理は単純です。悩みと(悩みを解決しようとする)「わたし」の間の葛藤がなくなるとき、悩みは消えていくということを意味します。

つまり、悩みが「わたし」を作って、その「わたし」が悩みと戦っていることを止める、ということです。そのとき、苦痛は止みます。また、悩み自体も消えていきます。そこで、「わたし」も消えていきます。

というのは、悩みを作り上げたのは「わたし」そのものであり、「わたし」が消えれば悩みもなくなるからです。

"悩みを只管打坐する" へのコメントを書く

お名前
メールアドレス
ホームページアドレス
コメント