ライブのお知らせ 8月26日19時 坐禅の目的と効果、絶対矛盾的自己同一
みなさま
お世話になります。
KB会ライブ(8月26日(水)19時)坐禅の目的と効果、絶対矛盾的自己同一
8月26日(水)、19時より、ライブやります。
https://youtu.be/0ie7nmHy1NY
よろしければ、ご参加ください。
テーマは、以下のご質問についてです・・・・みなさんのご意見を、期待します。
只管打坐ては、何にもならない座禅をせよ、と教えられます。
悟り、見性、人格の完成などを嫌います。
改めて、坐禅の目的と効果を教えた下さい。
坐禅を始めて数年になりますが、まだ始めた時と同じ場所でグジグジ迷っています。
いま、福岡伸一、西田哲学を読む、という本を読んでいます。
ロゴスとピュシス、動的平衡と絶対自己矛盾的自己同一、時間論について、渡辺さんのご感想をお聞かせ頂ければ、有り難いです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
それから、まだ、早朝ZOOM坐禅会は、やっておりますので‥‥毎日6時から7時・・・出入り自由、みなさまのご参加を期待します。
Zoomミーティングに参加する
https://zoom.us/j/96466595688
以上
お世話になります。
KB会ライブ(8月26日(水)19時)坐禅の目的と効果、絶対矛盾的自己同一
8月26日(水)、19時より、ライブやります。
https://youtu.be/0ie7nmHy1NY
よろしければ、ご参加ください。
テーマは、以下のご質問についてです・・・・みなさんのご意見を、期待します。
只管打坐ては、何にもならない座禅をせよ、と教えられます。
悟り、見性、人格の完成などを嫌います。
改めて、坐禅の目的と効果を教えた下さい。
坐禅を始めて数年になりますが、まだ始めた時と同じ場所でグジグジ迷っています。
いま、福岡伸一、西田哲学を読む、という本を読んでいます。
ロゴスとピュシス、動的平衡と絶対自己矛盾的自己同一、時間論について、渡辺さんのご感想をお聞かせ頂ければ、有り難いです。
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それから、まだ、早朝ZOOM坐禅会は、やっておりますので‥‥毎日6時から7時・・・出入り自由、みなさまのご参加を期待します。
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https://zoom.us/j/96466595688
以上
この記事へのコメント
動的平衡とは絶え間なく壊される秩序、例えると、砂上の楼閣(波打ち際の砂上の城)・・・砂上の城の砂粒は数日後に入れ替わる。・・・
生命とは自己複製するシステムである。DNAという自己複製分子の発見をもとに私たちは生命をそのように定義した。・・・・しかし、現在は、私たちは、脳細胞のDNAでさえも不磨の抱い大典でないことを知っている。脳細胞は発生時に形成されると一生の間、わすかな例外を除き、分裂を除き、分裂も増殖もしないとされている。つまりここにはDNAの自己複製の機会はない。ならば脳細胞のDNAはまったく不変で、ヒトが生まれてから死ぬまで、同一の原子で構成されているのだろうか。そうではない。脳細胞はまさに波打ち際に立つ砂の城だ。その内部では常に分子と原子の交換がある。・・・・城はずっと分子が出入りする流れの中にあって、すっかりリナベートされるのである。・・・・「秩序は守られるために絶え間なく壊さなければならない。」 なぜか?ここにシュレーディンガーの予言が重なる。出版されたシュレーディンガーの「生命とは何か」で、すべての物理現象に押し寄せるエントロピー(乱雑さ)増大の法則に抗して、秩序を維持しうることが生命の特質であることを指摘した。しかしその特質を実現する生命の固有のメカニズムを示すことはできなかった。エントロピー増大の法則は容赦なく生体を構成する成分にも降りかかる。高分子は酸化され分断される。集合体は離散し、反応は乱れる。タンパク質は損傷をうけ変性する。しかし、もし、やがては崩壊する構成成分構成成分をあえて先回りして分解し、このような乱雑さが蓄積する速度より早く、常に再構築を行うことができれば、結果的にその仕組みは、増大するエントロピーを系の外部に捨てていることになる。つまり、エントロピー増大の法則に抗う唯一の方法は、システムの耐久性と構造を強化することではなく、むしろその仕組み自体を流れに置くことなのである。つまり流れこそが、生物の内部に必然的に発生するエントロピーを排出する機能を担っていることになるのである。私はここで、シェーンハイマーの発見した生命の動的な状態(dynamic state)という概念をさらに拡張して、動的平衡という言葉を導入したい。この日本語に対応する英語は、dinamic equilibrium(ダイナミック・イクイリブリアム)である。海辺に立つ砂の城は実体として存在するのではなく、流れが作り出す効果としてそこにある動的な何かである。私は先にこう書いた。その何かとはすなわち平衡ということである。「生命とは動的平衡にある流れである」
以上、生物と無生物のあいだー福岡伸一著より抜粋。
感想は、動的平衡は坐禅、禅の世界です。笑
日々の出来事、出会いで自我、人格は構成される、かな?^^
第一世代: 動的平衡
第二世代: 散逸構造
談三世代: オートポイエーシス
ということです。
「動的平衡」ばかりに注目させようとしている福岡 氏は商売人にしか見えなかったり、という私見。
自戒します。
動的平衡は梵我一如だろうwww
福岡伸一は、生物の動的平衡は諸法無我とも梵我一如とも言ってません。笑
誤解を与えたことを陳謝します。
仏教で例えると、一即多、多即一、色即是空、空即是色、煩悩即菩提か。
我にあらず^_^
簡単に言えば^_^
行為はあるが行為者はいない^_^
言葉遊びで言うと^_^
絶対矛盾的自己同一となる^_^
行為に知覚する者はいない、てこと?
自由意志はないことになる^_^
自由意志はない。 因果です。
やな^_^
行為者はいない^_^
愚さんのブログに投稿するのは因果です。
ブログに投稿するのを止めて、彼女とドライブに行く、とか
それにしても、因果の優先順位を選択をしただけです。
自由意志はない、てことね。^^
自由意志があるか否か?は行為の主体があることが前提です。
うん?
業すなわち・・^^
わかるな^^
うん?
なんかおかしい^^
〖業〗
1.
《名・造》生活の中心をささえるしごと。くらしの手だて。
「業者」の意味は事業や商売をしている人のこと^^
くらしの手だてはあるが商売をしている人はいない^^
うん?
なんかわからん^^
愚さんに聞いてみるかなっと^^
おまえらってほんと^^
くだらん^^
私等も脱線することもあるが・・此処は愚さんのブログだから、たんに投稿者の世界観、思想を好き勝手、語る場ではない。
訂正。「行為があって行為者がいない」と言っておいて、・・・・
因果の行為の連鎖があるだけで行為者はいない。
>「業者」の意味は事業や商売をしている人のこと^^
>くらしの手だてはあるが商売をしている人はいない^^
>うん?
>なんかわからん^^
例えば、ビルを清掃しなければなら状況があって、ビル清掃をする業者が生まれたわけです。その実態はビルを清掃してる行為があるだけです。
冗談をまともにとる人がおられる^_^
行為があるだけ^_^
主体は運動か?
そういえば^_^
誰かもそういってたな^_^
>主体は運動か?
雨が降るのは止められないが・・・
レスするには意しが必要だろうね。するorしない。
たんに条件反射で投稿してるわけではない。笑
自由意志とは、一般に行為が通りに選択し、決断することのできる能力をいいます。これに対して哲学では、「決定論」に対置される概念としてとらえることができます。決定論とは、人間の行動は運命などの何らかの外的な要因によって決定づけられていると考える立場です。したがって、反対に自由意志論者は、人間はこうした外的な要因によって決定づけられた存在ではないと主張します。いわば自由意志とは、自分で運命を決定することのできる能力であるといえます。 <哲学事典より
しかし、この解説には致命的な欠陥があります。
>自由意志とは、一般に行為が通りに選択し、
自由意志とは、一般に行為者が思い通りに選択し、
自己の努力で仕事が成功することはある。
まあでも、議論は誰が言ったか?ではなくて、何を言ったか?だからね。
思考したら悟れんで^_^
まじかー^_^
他者同志が会話するブログではない。^_^
すみませんでした。 しばらく、投稿を自粛します。m(_ _)m
名前は観念ということや^_^
これは奥が深いぞ^_^
それはさておき、絶対真理が肉体を持った自我自己の救いにならない。
わたしは語る。「では、今すぐ、高いビルの屋上から飛べ降りることができるか?」
永遠の真理、存在でありたいのは、肉体ではなく精神的心的な意味です。
過去がたまるからおかしくなるんだよな・・^^
生存のためにはしかたないか、、^^
>過去がたまるからおかしくなるんだよな・・^^
>生存のためにはしかたないか、、^^
その通りですね、、若い頃は、生死なんて考えてなかった。
即今でした。^^
ブッダは、あくまで現世における苦しみの超克をめざしたのであり、輪廻の主体はなんであるかとか、自己の本性は有限なのか無限なのかといった実体を提示する形而上学的な思索には深い関心は払いませんでした。インドの思想・哲学は、自己の実体(アートマン)の探究、霊魂の不滅性の実証といった面に関心が向かっていますが、ブッダにおいては「我無し」の価値観ですから、もともとそうしたことは、測る物差しがないのであります。したがって、ブッダは沈黙しました。 中村元
もちろん、仏でもなかった。生類、人だった。
イエスだって、神にされてしまった。^^
愚さんの話もそうか? KB会の人達に訊いてみようかな。
空やな^_^
そうなると^_^
今ここに何も存在しないということになるのかな^_^
となると^_^
空やな^_^
色即是空 空即是色^_^
あなたもいない^_^
うわぁああああああああ^_^
全て観念じゃ^_^
うん?
お前らって本当くだらん^_^
これくらいのこと書かんと^_^
一人前にならないな^_^
現代人の自我は頑固だよ。
愚さんを少しは見習いなさい。 あさんには無理だけども、笑
無我でなく、、具体的に表現できますか?
あさんに訊いてるのではないので答えなくていいですよ。笑
https://www.youtube.com/watch?v=EkfxnJQ3omA&list=PL2AniURXosBgfisBFEi2F6PVDkd-q6WTv&index=1
https://www.youtube.com/watch?v=dqLT0qoD3ds
大人が心を解き放すとどうなるのか?
酒場でよく見かけますが、笑
"Sway" - Bic Runga, Live in London
https://www.youtube.com/watch?v=1GMZa8ATurs
みんないっしょに^^
https://www.youtube.com/watch?v=ARaFvppBDLw
坐禅の会に参加してるんでしょう?
そこから、周縁社会を生きる為の八正道が始まるのです。
生涯、修行道なんだね。^^v
人はいない。誰もいない。すべては意識。
誰もいない、ということよりも、意識だけが実在である、ということに重点がおかれて読まれるべき書である。p.151にあるよに、本当のあなたは意識である、ということがこの書のポイントである。波ではなく海に重点を移行する。そうすると、波である私(エゴ)か消える。そして、安らかさが現成する。そういうことである。興味深い書である。苦しみの元凶である「あなた」が消えますように。
わたしも誰もいない。何も起きていない。ストーリーを変えることはできない。何もする必要はない。
。。。。。。。。。。この[静けさ]が深まるほど、ダイナミックに具体的に表現があふれでてゆく。ストーリー自らが変化してゆく。
ストーリーはストーリーに過ぎず、何も起きていない。奇妙だけれどいま起きていて、何も起きていない。。。
ふむふむ^^
そういうことである^^
性善説か、 ほんとかな?^^
まずは水風呂や^_^
ではでは^_^
https://sententiarum2.blogspot.com/search/label/1956_%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%AD%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%83%E3%83%AA
うん?
縁起?
ブッタちゃんのまねすんな^^
刹那生滅?
、五蘊(ごうん)生滅すれども、凡夫かつて不覚不知なり。】
おおよそ男が指を一回パチンと弾く間に、
65の刹那があって
身体も意識もすべて常に生滅しているのだが、
凡夫はかつてそれを自覚せず知らないままです。
【一日一夜をふるあひだに、64億9万9千9百8十の刹那ありて、五蘊ともに
生滅す。しかあれども凡夫かつて覚知せず、覚知せざるがゆえに、菩提心をおこさず。】
一日一夜のあいだには、
64億9万9千9百8十の刹那があって、
五蘊はすべてその刹那に生滅しています。
しかしながら、凡夫はそれを知ることはないのです。
知らないがゆえに菩提心を起こさないのです。
【仏法をしらず、仏法を信ぜざるものは、刹那生滅の道理を信ぜざるなり。】
仏法をしらず、
仏法を信ぜざるものは、
刹那の生滅がどのような道理なのか信じないのです。
【もし如来(にょらい)の正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)涅槃妙心(ねはんみ
ょうしん)をあきらむるがごときは、かならずこの刹那生滅の道理を信ずるなり
。】
もし釈迦如来の仏法の正しい教えをあきらかにするには、
かならずこの刹那生滅の道理を信じなければならないのです。
道元は、このように、刹那生滅の考え方を信じなさいと言っています。
どうしてもこうなってくる^^
>あさん
>
>https://www.youtube.com/watch?v=WKcSnjjmvto
時間が実体として存在しないことは、ちょっと考えればわかると思うんですけどね・・・・・
きずきませんでした^^
精進しますです^^
明日の予定はないのかな?
生死がある人間に、宇宙の本質、実体なんて意味あるのかな?
回答は、お墓に居ます。
空即是色^^
>空即是色^^
ん?
色即是空 空即是色 でしょ。^^
地球人とあさんが有るだけでは対話は生じない。
ま、悪しき因縁が生じなかったのは幸いかな。 休日だし、笑
無我、空は仏ではない。
たんに、何も生じていない、との事です。
楽に生きる為には論理的裏付けがないとね^_^
何もする必要はないと^_^
悟るためにね^_^
とりあえず
サウナ水風呂瞑想♨️や^_^
掃除と仕事だけはやらんとあかん^_^
>楽に生きる為には論理的裏付けがないとね^_^
>何もする必要はないと^_^
>悟るためにね^_^
でも、現実の人間の社会では、何かしなければいけないでしょ。笑
>楽に生きる為には論理的裏付けがないとね^_^
>何もする必要はないと^_^
>悟るためにね^_^
でも、現実の人間の社会では、何かしなければいけない。
無視するわけにはいかない。笑
そんなことは、重々、賢者の愚さんは分かってるので、一切、口にしません。笑
事物は「起きる」のだ。因縁生起
事が有って物は無い。
縁起で生じるだけであって実体はない。
仏教の真理です。
事物は「起きる」のだ。
有為の世界やな^_^
自我も出来事でころころ変わるだろう。
投稿しないことも自我の意志でできる。
A,B,C,の因果から選択してる主体の自己、すなわち自我は有ります。
以上は、主体の自我意志の選択です。
それを希求するのも煩悩、無明の自我です。
主体は仏ではなく自我です。
坐禅は自我を治癒する環境を作ってるだけで、本来の自己が自我を治癒してる。
自己の自然治癒です。
自己の自然治癒です。
やぱっり、、本来、自己が仏、、、あってるね。^^
>https://www.youtube.com/watch?v=Czk1VhcnM_k
面白い。
同時に同じ場所に二つのものがないことからわかるように物は場所で定義される。その物が一瞬でなくなってしまわないように運動の概念が導入される。時間軸を作りだすことによって。
ちょうど2年ほど前のこのブログで愚さんに教えてもらいました。KB会もやるね。
細かいことだけど、ビデオの20分位のところ
「或る場所ある時点にある時空中の出来事同士の関係の中にあるのが時間である。だからあの星座が気になるなあと思った瞬間にその星座の時間が進み始めるという、、」
前半は違和感があります。
色とか形とか記憶とかの出来事は時空中にあるのではなく時のない空間にいわば空中にある。それが意識されて色とか形とか名前とかを性質として備える星座という物が形成される過程で新しい時間が作られていく。意識が重ねられ時間が進む。と、思います。
空中にあれば当然それを含む時空中にもあるのだから論理的にまちがってはいないのだけれど、時間はないというのが主題なので、、
後半の表現はすばらしい。
ありがとうございます。
時間を決めないと山手線は成り立たたない。
時間は概念です。