ライブやります26日、29日

みなさま

お世話になります。

ZOOM坐禅会、ライブ(5月26日、29日)

今週も、ライブふたつやります・・・

それから、ZOOM坐禅会は、まだ、毎朝やっていますので、よろしかったらどうぞ・・・毎朝(土日も)6時から7時です・・・

https://zoom.us/j/96466595688
ミーティングID: 964 6659 5688)

ライブ・・・・よろしければ、ご参加ください。

1)5月26日(火)19時より・・・リクエスト、禅語等、知足、仏道をならふというは、自己をならふなり、空間が曲がるとは?

https://youtu.be/V5OyxP3BY_g

2)5月29日(金)19時より・・・TRUTH AND ACTUALITY(4)真理と実在

https://youtu.be/W61CwsfpAcM

1)以下のご質問です。

⑨知足
⑩禅という言葉の意味

「仏道をならふというは、自己をならふなり」を解説して頂けませんでしょうか。よろしくお願いいたします。

①アインシュタインが言う空間が曲がるということはどういうことか。
②相対的時間とは
③絶対的時間とは
④時間はいつ始まったのか。
⑤時間はいつか終わるのか。
⑥光速では時間がどう流れるのか。
⑦時間は空間の中でどう存在しているのか。

2)TRUTH AND ACTUALITY(4)真理と実在

四回目ですが、初めてでも大丈夫です。

こちらのPDFを印刷しておくと、便利ですchaptere1・・・・15ページまで(全部印刷すると大変なことになります)

https://www.holybooks.com/wp-content/uploads/Truth-and-Actuality-by-J-Krishanmurti.pdf

12ページ途中から
K: How am I to empty that consciousness and yet retain
knowledge which is not twisted - otherwise I can't function - and
reach a state, or whatever it is, which will comprehend reality. I
don't know if I'm making myself clear.
Dr B: Yes.
K: What I'm asking is: my human consciousness is its content,
which is knowledge; it's a messy conglomeration of irrational
knowledge and some which is correct. Can that consciousness
comprehend, or bring into itself, truth?
Dr B: No, it can't. K: Therefore, can this consciousness go to
that truth? It can't either. Then what?
Downloaded from https://www.holybooks.com
Dr B: There can be a perception of the falseness in this
consciousness. This consciousness is false, in the sense that it does
not run true. Because of the confused content it does not run true.
K: It's contradictory.
Dr B: It muddles things up.
K: Not,"muddles things up; it is a muddle.
Dr B: It is a muddle, yes, in the way it moves. Now then, one of
the main points of the muddle is that when consciousness reflects
on itself, the reflection has this character: it's as if there were a
mirror and consciousness were looking at itself through a mirror
and the mirror is reflecting consciousness as if it were not
consciousness but an independent reality.
K: Yes.
Dr B: Now therefore, the action which consciousness takes is
wrong, because it tries to improve the apparently independent
reality, whereas in fact to do this is just a muddle.
I would like to put it this way: the whole of consciousness is
somehow an instrument which is connected up to a deeper energy.
And as long as consciousness is connected in that way, it maintains
its state of wrong action.
K: Yes.
Dr B: So on seeing that this consciousness is reflecting itself
wrongly as independent of thought, what is needed is somehow to
disconnect the energy of consciousness. The whole of
consciousness has to be disconnected, so it would, as it were, lie
there without energy.
K: You're saying, don't feed it. My consciousness is a muddle, it
is confused, contradictory, and all the rest of it. And its very
Downloaded from https://www.holybooks.com
contradiction, its very muddle, gives its own energy.
Dr B: Well, I would say that the energy is not actually coming
from consciousness, but that as long as the energy is coming,
consciousness keeps the muddle going.
K: From where does it come?
Dr B: We'd have to say that perhaps it comes from something
deeper.
K: If it comes from something deeper, then we enter into the
whole field of gods and outside agency and so on.
Dr B: No, I wouldn't say the energy comes from an outside
agency. I would prefer to say it comes from me, in some sense.
K: Then the "me" is this consciousness?
Dr B: Yes.
K: So the content is creating its own energy. Would you say
that?
Dr B: In some sense it is, but the puzzle is that it seems
impossible for this content to create its own energy. That would be
saying that the content is able to create its own energy.
K: Actually, the content is creating its own energy. Look, I'm in
contradiction and that very contradiction gives me vitality. I have
got opposing desires. When I have opposing desires I have energy,
I fight. Therefore that desire is creating the energy - not God, or
something profounder - it is still desire. This is the trick that so
many played. They say there is an outside agency, a deeper energy
- but then one's back in the old field. But I realize the energy of
contradiction, the energy of desire, of will, of pursuit, of pleasure,
all that which is the content of my consciousness - which is
consciousness - is creating its own energy. Reality is this; reality is
Downloaded from https://www.holybooks.com
creating its own energy. I may say, "I derive my energy deep
down", but it's still reality.
Dr B: Yes, suppose we accept that, but the point is that seeing
the truth of this...
K: ...that's what I want to get at. Is this energy different from the
energy of truth?
Dr B: Yes.
K: It is different.
Dr B: But let's try to put it like this: reality may have many
levels of energy.
K: Yes.
Dr B: But a certain part of the energy has gone off the straight
line. Let's say the brain feeds energy to all the thought processes.
Now, if somehow the brain didn't feed energy to the thought
process that is confused, then the thing might straighten out.
K: That's it. If this energy runs along the straight thread it is a
reality without contradiction. It's an energy which is endless
because it has no friction. Now is that energy different from the
energy of truth?
Dr B: Yes. They are different, and as we once discussed, there
must be a deeper common source.
K: I'm not sure. You are suggesting that they both spring out of
the same root.
Dr B: That's what I suggest. But for the moment there is the
energy of truth which can comprehend the reality and -
K: - the other way it cannot.
Dr B: No, it cannot; but there appears to be some connection in
the sense that when truth comprehends reality, reality goes straight.
Downloaded from https://www.holybooks.com
So there appears to be a connection at least one way.
K: That's right, a one-way connection - truth loves this, this
doesn't love truth.
Dr B: But once the connection has been made, then reality runs
true and does not waste energy or make confusion.
K: You see, that's where meditation comes in. Generally,
meditation is from here to there, with practice and all th

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この記事へのコメント

地球人
2020年05月24日 20:06
2)5月29日(金)19時より・・・TRUTH AND ACTUALITY(4)真理と実在

真理とは何か? 真理を具体的に語ったものはありません。

我々の世界には真理がないとの認識が虚無になり、此処に全ての問題があります。

 
宮啓
2020年05月26日 14:06
 『真理の種子』、よろしくお願いいたします。

 いつも、楽しみにしています。。
地球人
2020年05月26日 17:05
真理が無いとは、たとえば、クリシュナムルティ・ボーム・禅等々のトピもいずれ消滅することです。
通行人
2020年05月26日 17:33
この世では、諸行無常、刹那の現象が真理です。

永遠不変の生命だったら、今日することは何もない。退屈だわ。^^
通行人
2020年05月26日 17:44
永遠不滅の生命。^^;
地球人
2020年05月26日 18:19
永遠不滅の生物だったら、原始的単細胞の生物でヒトには進化しない。笑

というか、生物ではないだろう。
みゅう
2020年05月27日 08:01
26日のライブ、勉強させていただき、有難うございました。
 
地球上から上空を走る光路が曲がって見えるはずだということから
重力で空間がゆがむことを推論した。さすが!

質問です。

地球上から見て厳密に直線を描いて動くものはありますか?
2020年05月27日 08:35


>みゅうさん
>
>26日のライブ、勉強させていただき、有難うございました。
> 
>地球上から上空を走る光路が曲がって見えるはずだということから
>重力で空間がゆがむことを推論した。さすが!
>
>質問です。
>
>地球上から見て厳密に直線を描いて動くものはありますか?
>
厳密にかどうかわかりませんが、物が落下するときは、ほぼ直線でしょうね
みゅう
2020年05月28日 06:29
>厳密にかどうかわかりませんが、物が落下するときは、ほぼ直線でしょうね

 物とともに落下する愚さんにその直線に沿って等間隔に無限本のピンを置いて、光が時計の針の先、文字盤が直線の”直線時計”を作ってもらいます。

 地上にいる私から見るとピンも自由落下しているのでその間隔は下に行くほど開いています。
 
 そのピンの列を等速で通過する光を観測する私にとって、愚さんの時計の示すように時間の進み方は下に行くほど遅れます。

 この場合下というのは重力の強いところなので重力が時間を遅らせることが想像されます。

 本当かなあ
 
 
地球人
2020年05月28日 18:59
日々坐禅を熱心にしていたら、危うく、自動車税の納付期限を過ぎるところだった。苦笑

世俗、人間社会を忘れてはいけないな。宇宙の真理なんて世界で生きてるのではないのだからさ。
地球人
2020年05月29日 09:11
26日の動画を半分程、視聴しました。

しかし、知足では人間の文明は進化しなかったのでは?
地球人
2020年05月29日 09:41
人間の欲望は必要悪になるかな。
地球人
2020年05月29日 10:01
坐禅は正に足るを知るです。満ち足りてしまいます。

朝からこのままでいいのだろうか?笑
地球人
2020年05月29日 12:29
坐禅はエゴが消えるから、不足も消えるのは自明です。
地球人
2020年05月29日 12:54
イージーリスニング!^^;
地球人
2020年05月29日 13:13
自我が消えることはない。

あれこれ、考えます。
地球人
2020年05月29日 20:49
意識が有れば自我です。
宮啓
2020年05月29日 21:34
『真理の種子』ライブ見ました。ありがとうございます。

 クリシュナムルティは、内部と外部は同じと言っています。

 外部は混乱に満ちていることはよくわかります。

 それで、壁を立てて内部を保護しようとします。

 ひきこもり。。

 ひきこもりは、自分で安定していると思っているのですが、客観的に見て、混乱しているのですね。。

 「ひきこもりの混乱」、これを見ていく。

地球人
2020年05月29日 23:46
子供は自我が確立してませんが、大人に成れば自我は確立して安定します。
地球人
2020年05月29日 23:50
クリシュナムルティは妻に母に見立てて幼児プレイを求めていたようです。
地球人
2020年05月30日 00:12
悟りを求める人達は純粋なのでしょう。
地球人
2020年05月30日 09:21
自己とは森羅万象ですかね。

自己を忘れて顕現するのは動物、生きものでしょう。

わたしは悟れない事を知りました。
地球人
2020年05月30日 10:08
無生物の物質の現象は苦がないからあるがままですが、動物、人間は生体の苦が有るからあるがままというわけにはいきません。
通行人
2020年05月30日 10:29
肉体的、精神的に痛み、苦しみは危険信号のサインで真理から外れて正しくないのだよ。^^
地球人
2020年05月30日 11:10
如何なる痛み、苦しみには原因があって是正する必要がある。

それはそうだな。
地球人
2020年05月30日 12:10
以前、キリスト教支持者が諸行無常、一切皆苦、諸法無我、色即是空は何の救いになるのか?と言っていたが、確かに肉体を持って存在している私達の救いにはならない。死ではなく生の喜び、救いの言葉でなければならない。
地球人
2020年05月30日 12:23
渡邊さんのKB会の講義も、苦を滅するにはどうすればよいか? その対処法を教えてるだけでしょう。

通行人
2020年05月30日 13:18
>確かに肉体を持って存在している私達の救いにはならない。死ではなく生の喜び、救いの言葉でなければならない。

肉体を主体にしたしら、死は避けれないよ。^^
地球人
2020年05月30日 13:38
えっ? 肉体が主体なら、生きることが目的となる。
死を想定して生きることを考える者はいない。

如何に生きるか? 生きる喜びを目的とする。
snow
2020年05月31日 07:18
ライブ拝見しました。ありがとうございます。

日常生活での様々な混乱(深い悲しみや怒り、動揺など)を、ただありのままに見ていくこと、それが真理のエネルギーだとクリシュナムルティは言っている、ということ。
ここ、合ってますか?

真理そのものは知りえないものであるけれど、そこからあふれるエネルギーと共にあることはできる、ということを言っているのだろう、とも思いました。

なにかになろう、良いものになろうとせずにただ、日常生活のなかで自分の思考も含めての様々をありのままに見ていくこと、それが瞑想であるというのを、ルパートスパイラさんという人も言っていて、共通するものを感じました。
2020年05月31日 09:22


>snowさん
>
>ライブ拝見しました。ありがとうございます。
>
>日常生活での様々な混乱(深い悲しみや怒り、動揺など)を、ただありのままに見ていくこと、それが真理のエネルギーだとクリシュナムルティは言っている、ということ。
>ここ、合ってますか?
>
>真理そのものは知りえないものであるけれど、そこからあふれるエネルギーと共にあることはできる、ということを言っているのだろう、とも思いました。
>
>なにかになろう、良いものになろうとせずにただ、日常生活のなかで自分の思考も含めての様々をありのままに見ていくこと、それが瞑想であるというのを、ルパートスパイラさんという人も言っていて、共通するものを感じました。

わたしの説明はフライングです。

正確には、かれの言っていることは、こういうことだと理解しています。

1、内面を、そのあるがままに見ていくこと・・・このとき、観察者のない観察です・・・・観察者は観察されるものである、ということです。

2、このとき、真理のエネルギーが生まれ、あるがままを変容させる。

3、すると、ひとはこのエネルギーとひとつになって機能する。

個人的には、あるがままを見ていくこと自体が、真理のエネルギーから来ていると感じているので、そのような表現をしてしまいました。失礼しました・・・・
2020年05月31日 09:25


>愚さん
>
>
>>snowさん
>>
>>ライブ拝見しました。ありがとうございます。
>>
>>日常生活での様々な混乱(深い悲しみや怒り、動揺など)を、ただありのままに見ていくこと、それが真理のエネルギーだとクリシュナムルティは言っている、ということ。
>>ここ、合ってますか?
>>
>>真理そのものは知りえないものであるけれど、そこからあふれるエネルギーと共にあることはできる、ということを言っているのだろう、とも思いました。
>>
>>なにかになろう、良いものになろうとせずにただ、日常生活のなかで自分の思考も含めての様々をありのままに見ていくこと、それが瞑想であるというのを、ルパートスパイラさんという人も言っていて、共通するものを感じました。
>
>わたしの説明はフライングです。
>
>正確には、かれの言っていることは、こういうことだと理解しています。
>
>1、内面を、そのあるがままに見ていくこと・・・このとき、観察者のない観察です・・・・観察者は観察されるものである、ということです。
>
>2、このとき、真理のエネルギーが生まれ、あるがままを変容させる。
>
>3、すると、ひとはこのエネルギーとひとつになって機能する。
>
>個人的には、あるがままを見ていくこと自体が、真理のエネルギーから来ていると感じているので、そのような表現をしてしまいました。失礼しました・・・・

ここのところを、次回、正確に、詳しく?説明したいと思います。
snow
2020年05月31日 15:23
>正確には、かれの言っていることは、こういうことだと理解しています。
>
>1、内面を、そのあるがままに見ていくこと・・・このとき、観察者のない観察です・・・・観察者は観察されるものである、ということです。
>
>2、このとき、真理のエネルギーが生まれ、あるがままを変容させる。
>
>3、すると、ひとはこのエネルギーとひとつになって機能する。
>
>個人的には、あるがままを見ていくこと自体が、真理のエネルギーから来ていると感じているので、そのような表現をしてしまいました。失礼しました・・・・

>ここのところを、次回、正確に、詳しく?説明したいと思います。


ありがとうございます。
私はクリシュナムルティの本を、愚さん訳の『時間の終焉』と他二冊しか読んでいなくて詳しくありません。

また拝見します。よろしくお願いします。
アフタヌウン
2020年05月31日 23:11
愚さん、配信ありがとうございました。

「観察者」というのは、私(自我)を「主体」と思い込んでいる状態のことでしょうか?

「あるがままの変容」とは、「私」が「主体」ではなく、全体性の意識の中の一部分であると認識することでしょうか?

次回の配信で、解説いただけると幸甚です。
地球人
2020年06月01日 10:55
全体性とは、今日は月曜日で会社に行って仕事をする。

仏教では因縁の諸法無我でしょう。

地球人
2020年06月01日 11:02
宇宙の全体性とは、コロナウィルスの脅威で人類の生存に危機が生じる。

喩えとしては、こちらが選り適当かな。




地球人
2020年06月01日 11:14
自我の悟りとは、今日は月曜日だが働きたくないので家族も無視して平気で会社を休む。

これが苦も無く出来る人は悟ってます。笑
地球人
2020年06月01日 11:16
会社も家族も無視して・・・
2020年06月01日 13:33
彼女に逃げられて欲求不満状態。
2020年06月01日 13:33
彼女に逃げられて困ってる。
2020年06月01日 17:53


>アフタヌウンさん
>
>愚さん、配信ありがとうございました。
>
>「観察者」というのは、私(自我)を「主体」と思い込んでいる状態のことでしょうか?
>
>「あるがままの変容」とは、「私」が「主体」ではなく、全体性の意識の中の一部分であると認識することでしょうか?
>
>次回の配信で、解説いただけると幸甚です。

観察者=自我です。

あるがままの変容というのは、あるがまま=混乱=うらみ、悲しみ、怒り、嫉妬、野心・・・・そういったものが、消えてしまう、ないし、変質してしまうということです。
アフタヌウン
2020年06月01日 18:59
愚さん、ありがとうございます。

>観察者=自我です。
>あるがままの変容というのは、あるがまま=混乱=うらみ、悲しみ、怒り、嫉>妬、野心・・・・そういったものが、消えてしまう、ないし、変質してしまう>ということです。

なるほど。真理のエネルギーによって、ネガティブなモノが消される、もしくは変質させられるのですね。

クリシュナムルティと通じるのか分かりませんが、ホオポノポノを思い出しました。

ホオポノポノでは、4つの言葉を唱え続けていくと、神聖なる存在がネガティブな記憶を消去してくれると教えていますので。
2020年06月03日 21:23


>アフタヌウンさん
>
>愚さん、ありがとうございます。
>
>>観察者=自我です。
>>あるがままの変容というのは、あるがまま=混乱=うらみ、悲しみ、怒り、嫉>妬、野心・・・・そういったものが、消えてしまう、ないし、変質してしまう>ということです。
>
>なるほど。真理のエネルギーによって、ネガティブなモノが消される、もしくは変質させられるのですね。
>
>クリシュナムルティと通じるのか分かりませんが、ホオポノポノを思い出しました。
>
>ホオポノポノでは、4つの言葉を唱え続けていくと、神聖なる存在がネガティブな記憶を消去してくれると教えていますので。

調べてみました・・・・なるほど、効果はあるでしょうね・・・・なかなか、いい言葉だと思います
アフタヌウン
2020年06月03日 23:15
>調べてみました・・・・なるほど、効果はあるでしょうね・・・・なかなか、いい言葉だと思います

唱えるだけでいいというのは、楽ですね。自我の観察がうまくいかない時は、ホオポノポノとか世界平和の祈りをやってます。
地球人
2020年06月04日 21:17
しかし、仏教は世界平和の祈りなんてありません。
仏教信者は自我が救われることしか頭にありません。

渡邊さんの講義も、自我救済でしょ。

アフタヌウン
2020年06月04日 21:44
>しかし、仏教は世界平和の祈りなんてありません。
仏教信者は自我が救われることしか頭にありません。
渡邊さんの講義も、自我救済でしょ。

地球人さん

日本テーラワーダ仏教協会で、慈悲の瞑想を教えています。

その中に「生きとし生ける者が幸せでありますように」という文言が入っています。
地球人
2020年06月05日 08:11
>アフタヌウンさん

>日本テーラワーダ仏教協会で、慈悲の瞑想を教えています。
>その中に「生きとし生ける者が幸せでありますように」という文言が入っています。

主催者はそうでしょう。仏の視点です。

煩悩の一般信徒は自我自己が救われたいから、神仏に縋るのです。
生きとし生ける者が幸せであるように願う者に煩悩はないでしょう。



通行人
2020年06月05日 09:37
仏は祈りではなくて慈悲でしょ。

煩悩の信徒には無理だわ。^^
地球人
2020年06月05日 09:58
菩薩が仏道を求めるときの四弘誓願はあるが・・・

凡夫の信徒には無理だろう。

衆生無辺誓願度 - 地上にいるあらゆる生き物をすべて救済するという誓願
煩悩無量誓願断 - 煩悩は無量だが、すべて断つという誓願
法門無尽誓願智 - 法門は無尽だが、すべて知るという誓願
仏道無上誓願成 - 仏の道は無上だが、かならず成仏するという誓願

凡夫の信徒には無理です。笑
通行人
2020年06月05日 10:55
親鸞の浄土真宗には悪人正機説の他力本願はあるよ。

一説ではキリスト教の罪人救済のパクリらしい。^^
アフタヌウン
2020年06月05日 12:13
>煩悩の一般信徒は自我自己が救われたいから、神仏に縋るのです。

自我の救済のために祈ったり、唱えたりするんでしょ。いいんじゃないですか、そういう手法があっても。南無阿弥陀仏でも南無妙法蓮華経でも。
地球人
2020年06月05日 12:31
>アフタヌウンさん

KB会の渡邊さんは神仏信心救済ではなくて、神仏に頼らず自力で自我救済を説法してるのです。

youtubeの動画をご覧になっては如何か? 
地球人
2020年06月05日 12:51
自力で自我救済・・・は語弊があるので削除します。



アフタヌウン
2020年06月05日 12:52
>KB会の渡邊さんは神仏信心救済ではなくて、神仏に頼らず自力で自我救済を説法してるのです。
youtubeの動画をご覧になっては如何か? 

そうですね。クリシュナムルティ自体、そういう姿勢を貫いていましたから。

私は別に神仏の信仰を推奨してるわけではありません。ホオポノポノという手法があると語っただけ。信仰心はありあせんが、たまに世界平和の祈りを祈ることもあるよと語っただけ。

そんなにまずかったのですね。参者のなので事情が良くわかりませんでした。以後気を付けます。失礼致しました。


アフタヌウン
2020年06月05日 12:55
[訂正]

参者→新参者
地球人
2020年06月05日 13:18
>私は別に神仏の信仰を推奨してるわけではありません。ホオポノポノという手法があると語っただけ。信仰心はありあせんが、たまに世界平和の祈りを祈ることもあるよと語っただけ。

ホオポノポノは知りませんが、youtube動画を貼りましたが、題目の南無妙法蓮華経を唱えると同じでしょう。
人間界で生きてるわけですから、戦争が起きたら生死に係わるので世界平和を祈るのは当然です。

snow
2020年06月05日 14:10
地球人さんて、デロリンマンさんかな?
まぁ、それはともかくとして。

人の書いたコメントの文章はよく読んで、理解した上でレスしないと、ちぐはぐなやりとりになってしまいますよ。

気を悪くされたらごめんなさい。
2020年06月05日 14:38


>アフタヌウンさん
>
>>KB会の渡邊さんは神仏信心救済ではなくて、神仏に頼らず自力で自我救済を説法してるのです。
>youtubeの動画をご覧になっては如何か? 
>
>そうですね。クリシュナムルティ自体、そういう姿勢を貫いていましたから。
>
>私は別に神仏の信仰を推奨してるわけではありません。ホオポノポノという手法があると語っただけ。信仰心はありあせんが、たまに世界平和の祈りを祈ることもあるよと語っただけ。
>
>そんなにまずかったのですね。参者のなので事情が良くわかりませんでした。以後気を付ます。失礼致しました。
>

まったくまずくありませんよ・・・・気にしないでください・・・・好きなことを書き込んでいただきたいです
地球人
2020年06月05日 14:59
>人の書いたコメントの文章はよく読んで、理解した上でレスしないと、ちぐはぐなやりとりになってしまいますよ。

意味不明です。

>気を悪くされたらごめんなさい。

非常に気を悪くしました。笑
snow
2020年06月05日 16:36
アフタヌウンさん、はじめまして。 よろしくお願いします。

自我の観察をしている、と書かれていましたが、方法としては、ヴィパッサナーのようにある程度の時間を取っての方法ですか?
それとも、日常生活を送りながらされているのですか?

坐禅をされる方は多くいらっしゃるのですが、観察としてされていると書かれる方はなかなかいらっしゃらないので、ちょっとお聞きしてみたくなった次第です。
アフタヌウン
2020年06月05日 16:46
愚さん、ありがとうございます。

こうした掲示板のやりとりを通じても、自我に巻き込まれることもあるし、観察もできるのだと感じました。

改めて、この自我が脱落するとはどういうことだろう?と考えました。

以下、現時点において、私が考察している自我に対する認識と疑問点を書かせていただきます。あくまで勝手な想像です。

自我は、思考による一人二役だと考えます。

具体的には、①思考やイメージに圧がかかり、その部分のエネルギーが滞り、「違和感」として感じられる、②その違和感を見ようとする、説明す
る、変えようとする、解消しようとする…

①は対象(見られるモノ)、②は主体(見るモノ)という役割を演じますが、どちらも思考です。②は、気づく主体ではなく、気づかれる側のモノ
です。

思考が「見られるモノ」と「見るモノ」とを一人で演じているのだと思います。

思考は、全体性の意識によって気づかれています。

「全体性の意識」とは、「気づき」であり、「今」であり、五感や思考のベースとなるもので、誰もが常に体感している感覚です。

しかし、思考が、自分を気づく主体であると錯覚すると、全体性から離れ、部分となって、別空間(肉体の前面あたり)を生みだすのだと思います。

これが自我だと想像しています。

仮にこれが正しいとして、疑問点は、この自我が脱落するとはどういうことなのか?ということです。そもそも思考やイメージに対し、圧をかけるエネルギーの収縮がなぜ起こるのか?

死人禅のEOは、自我を「焦点化機能」と定義づけました。カメラのピントと同じ仕組みです。肉体周辺のエネルギーが収縮するのはわかりますが、
果たしてこの焦点化機能は消滅するのだろうか?

また、自我が脱落した人でも、ほとんどの場合、自我は元に戻ると聞いています。そして、自我が戻ってきた時に混乱する人もいるそうです。

全体性の中の自我は、風景の一部と同じで、あってもなくても何ら問題ない…ということをネイサン・ギルが著書『すでに目覚めている』の中で書
いています。

自我の脱落を達成しても、ほとんどの人が元に戻るなら、それにとらわれず、自我を風景の一部として見ていく方が良いのかなとも思います。でも
、脱落した方がスッキリするだろうとは思います。
アフタヌウン
2020年06月05日 16:49
snowさん、ありがとうございます。

ちょうど、自我について投稿したところです。

よろしくお願い致します。
snow
2020年06月05日 18:20
アフタヌウンさん、ありがとうございます。

ヴィパッサナーではなく、非二元系のもの、でいいのかな、と理解しました。

ネイサンギルという人は名前だけは知ってました。
動画にヒットしたので拝見したのですが、なかなかに究極な話をされていますね。
私は嫌いではないです。


すべては全体性のなかで起きている、という理解は確かにあるのですが、それでもやはり、自我による苦しみというのは発生してきます。(私自身についてです。)
なので、条件づけられたものから離れるというか、手放していく、というのは少しずつしています。
まぁ、実際には、自分がしているというより、そういうことが起きてきている、のですが。

ペリフェラル
2020年06月05日 18:51
みなさんこんばんは。

自我が諸悪の根源だというのはそのとおりだと思います。
で、自我とは何か?
自我とは身口意の三業によって生きとし生けるものを傷つけることと理解します。人間は身口意の三業で生物や人間を傷つけるから、人生が苦しくなるんです。
仏教瞑想は禅でもヴィパッサナーでも、身口意で生きとし生けるものを傷つけることから解放されることを目標にすべきでしょう。
それがなければ、見性しようがどういう体験をしようが、人生から苦悩や痛みはなくなりません。
アフタヌウン
2020年06月05日 19:01
snowさん

>ヴィパッサナーではなく、非二元系のもの、でいいのかな、と理解しました。

そうですね。日常生活の中で、自己を観察してますが、非二元系になるのでしょうね。ヴィパッサナーは大変そうなのでやってません。

>すべては全体性のなかで起きている、という理解は確かにあるのですが、それでもやはり、自我による苦しみというのは発生してきます。(私自身についてです。)

自我の苦しみは、何もない全体性の空間の中で、部分的なエネルギーの緊張が起きている状態と観察しています。

思考やイメージは、肉体から前方へと流れています。自分にとって不都合な思考やイメージが湧くと、それに逆行するエネルギーの波が起こり、思考とエネルギーがぶつかり、エネルギーが滞留し、違和感となって苦しみになると見ています。

>なので、条件づけられたものから離れるというか、手放していく、というのは少しずつしています。

いざとなると難しいです。私は、すぐ自我に巻き込まれています。
2020年06月05日 19:02
自分の思考や感情に気づいていることが大事だと言われるが、ただ気づいているだけでは不十分です。

例えば具体的な人間に対して憎しみや嫉妬、害意をもっていたとします。ポイントは、そういう意識内容が実現化することに、潜在的なところでOKを出しているかどうか。OKを出してはいけません。OKを出してしまう自分がいたら、そのことを深く懺悔しなければ。

もしOKを出していれば、たとえ現実生活ではコントロールできても、憎しみや害意は将来にわたってずっと反復されていきます。
地球人
2020年06月05日 19:31
自我の観察は脳の構造と機能を調べれば解ります。

snow
2020年06月05日 20:15
アフタヌウンさん。

>思考やイメージは、肉体から前方へと流れています。自分にとって不都合な思考やイメージが湧くと、それに逆行するエネルギーの波が起こり、思考とエネルギーがぶつかり、エネルギーが滞留し、違和感となって苦しみになると見ています。

なるほど。 思考に苦しめられている時というのは、身体に力が入っていたりというのがありますよね。


>>なので、条件づけられたものから離れるというか、手放していく、というのは少しずつしています。

>いざとなると難しいです。私は、すぐ自我に巻き込まれています。

いざ、という時は誰でもたいてい難しいんじゃないでしょうか。
巻き込まれているのに気づいていながら翻弄される、なんていうのは最悪に苦しいですし。(私の実例です。)

でも。気づきという光に照らされているというのがわかれば、隠すことはできないので(自分を騙すというのも苦しい)、徐々に手放すしかなくなっていくみたいです。
地球人
2020年06月05日 20:29
自我の言動を止めれないのは猿なのです。笑
アフタヌウン
2020年06月05日 20:38
snowさん

>でも。気づきという光に照らされているというのがわかれば、隠すことはできないので(自分を騙すというのも苦しい)、徐々に手放すしかなくなっていくみたいです。

気づきは光でしょうね。部屋の電灯が点いてるようなもの。電気が点いてなければ部屋は真っ暗。気づきがあるから、この世界を認識できている‥みたいな。
地球人
2020年06月06日 13:58
間違った。

自己の猿的言動を止めるのが自我です。

自我は脳の活動の統括管理人です。
地球人
2020年06月06日 21:22
つまり、自我は自己を管理する理性です。
地球人
2020年06月07日 08:16
体調が良くない。寒気がする。 頭痛がする。 熱が有る。

風邪ではないか? 気づくのは自我です。 
snow
2020年06月07日 08:55
地球人さん。

>気づくのは自我です。

自我、そしてその中身に気づいているのが「気づき」で、「気づき」というのは、つかめないものなんですよ。

思考(自我)は、思考には気づけないでしょ?
思考を浮かばせておいているもの、思考が流れてくるつかめないスペース、それが「気づき」です。
坐禅をしている時というのは、その気づきのスペースになっているんじゃないですか。

なんかいっつも同じようなことを書いてらっしゃるみたいなので、とりあえず。
地球人
2020年06月07日 10:16
>>気づくのは自我です。

>自我、そしてその中身に気づいているのが「気づき」で、「気づき」というのは、つかめないものなんですよ。
>思考(自我)は、思考には気づけないでしょ?
>思考を浮かばせておいているもの、思考が流れてくるつかめないスペース、それが「気づき」です。
坐禅をしている時というのは、その気づきのスペースになっているんじゃないですか。

「気づき」は根拠の無い単なる思いつきではないです。

だから、風邪の例を挙げたでしょう。風邪は思考ではない。笑




snow
2020年06月07日 10:27
>>>気づくのは自我です。

>>自我、そしてその中身に気づいているのが「気づき」で、「気づき」というのは、つかめないものなんですよ。
>>思考(自我)は、思考には気づけないでしょ?
>>思考を浮かばせておいているもの、思考が流れてくるつかめないスペース、それが「気づき」です。
坐禅をしている時というのは、その気づきのスペースになっているんじゃないですか。

>「気づき」は根拠の無い単なる思いつきではないです。

>だから、風邪の例を挙げたでしょう。風邪は思考ではない。笑


ということは。 自我が気づくのではなく、自我は気づかれているほうだというのは理解された、ということでいいんですか?
地球人
2020年06月07日 10:31
コロナウィルス感染が拡大している。
感染すれば生死の危険は免れない。
外出時はマスクをして、手洗いを十分怠らないように注意する。

その危険度を自覚するのが「気づき」です。

自我が気づかないと感染するのです。
地球人
2020年06月07日 10:33
あなたの自我が気づかないとコロナウィルスに感染します。
地球人
2020年06月07日 10:42
渡邊さんのブログで地球人のレスに返信しててるのは、sonowさんの自我でしょ。 

地球人
2020年06月07日 10:57
私もよく知らないけれども、脳器官の構造と機能と働きを学識するのが賢明です。 思考は脳器官の機能の一部に過ぎない。
地球人
2020年06月07日 11:16
ですから、自我は脳器官の働きに個人差があってピンからキリまであります。

脳器官の働きの精度の高い自我の人を覚者と呼びます。
snow
2020年06月07日 11:49
>コロナウィルス感染が拡大している。
感染すれば生死の危険は免れない。
外出時はマスクをして、手洗いを十分怠らないように注意する。

>その危険度を自覚するのが「気づき」です。


「気づき」というのは、自覚や注意するというのとは違うんですよ。
自覚や注意する、といったものをすべて含むというか超えている、ものです。

判断、思考、注意、そうしたものと必ず共にあるスペース、それが「気づき」です。
あまりにも当たり前すぎるもの。それが「気づき」です。
存在するものはすべて「気づき」とともにあります。

ペリフェラル
2020年06月07日 12:44
欧米の非二元の人たちにとって、「気づき」とは、神とかGodのことですよ。

心理的な作用や脳活動ではない。
地球人
2020年06月07日 13:23
>「気づき」というのは、自覚や注意するというのとは違うんですよ。
自覚や注意する、といったものをすべて含むというか超えている、ものです。
>判断、思考、注意、そうしたものと必ず共にあるスペース、それが「気づき」です。
あまりにも当たり前すぎるもの。それが「気づき」です。
存在するものはすべて「気づき」とともにあります。

五感、感覚器官ですか? テーブルの上にリンゴが有ります。笑

地球人
2020年06月07日 13:36
>欧米の非二元の人たちにとって、「気づき」とは、神とかGodのことですよ。

神仏は或る物理現象に対する抽象的イメージです。
ペリフェラル
2020年06月07日 13:59
「気づき」は別名、「意識」です。
イメージや思考、感情に気づいている、意識している。
もっとも基底にある「気づき」が抽象やイメージのわけがない。
非二元の人たちにとって、「気づき」が神に相当するとはそういうことです。
snow
2020年06月07日 14:09
>五感、感覚器官ですか? テーブルの上にリンゴが有ります。笑

五感、感覚器官とは違います。

テーブルの上にリンゴがある、の例でいえば。
テーブル、リンゴと名付けられて分けられる以前の、「今ただある、それそのもの」のスペース、空間、それが「気づき」です。

興味を惹かれたらですけど、動画とかで探して見てみるといいかもですね。
今すぐに理解するのは難しいと思います。
私もなかなかわからなかったですよ。


地球人
2020年06月07日 14:11
>テーブルの上にリンゴがある、の例でいえば。
テーブル、リンゴと名付けられて分けられる以前の、「今ただある、それそのもの」のスペース、空間、それが「気づき」です。

それは意識です。笑
snow
2020年06月07日 14:22
https://www.youtube.com/watch?v=JBuTZmoOOKU

地球人さん、わかったのかな。

とりあえず、動画貼ってはおいてみます。
結構長いです。40分ぐらいかな。
snow
2020年06月07日 14:25
意識とはいえ、それは、身体の中たとえば脳のなかに閉じ込められているもののことではないですよ。
そのあたりも動画にはあったと思います。
地球人
2020年06月07日 14:29
空間は視覚が物体の遠近の距離を認知して生じます。

だから、ヒトは空間が有ると感じるわけです。



地球人
2020年06月07日 14:33
>意識とはいえ、それは、身体の中たとえば脳のなかに閉じ込められているもののことではないですよ。
そのあたりも動画にはあったと思います。

意識はあなたの視覚がテーブル上のリンゴを認知した時に生じます。
地球人
2020年06月07日 14:46
神は宇宙の物理現象のアメージングな体験です。
物理現象を物理科学で確認すれば神では無くなります。



ペリフェラル
2020年06月08日 05:48
非二元の気づきは、何かに気づいていることにポイントがあるのではない。気づいていることに気づく。何かに気づくの何かが問題ではない。気づきそのもの。何かに囚われている間は自我でしかない。

気づきとは人間であることの真の意味での発見のようなところがあるね。オレは日本人だ、オレは中国人だ、普通は日本人だ、中国人だで止まってしまうけれど、それはまさに自我そのもので、人生に苦悩をもたらす元凶。そうではなく、オレは日本人や中国人ではなく、人間そのものだという新鮮かつ普遍的な発見が、気づきだよね。これが非二元の気づき。
ペリフェラル
2020年06月08日 06:00
人間でも誤解をまねくかも。人間よりXとでもしておきますか。
要は二元的投影ではないということです。中国人だ日本人だアメリカ人だという間は、二元的投影が不可避。日本人や中国人であることに気づいていたところでどうにもならない。気づいていることに気づけとは、二元的投影の背景にある源泉を発見しろ、の意味。
ペリフェラル
2020年06月08日 06:18
三投稿でやめます。
日本人だ、中国人だ、を文字通りに取らないでください。
この肉体を持って生きるAさん、あの肉体を持って生きるBさん、Aさんの友人Cさん、Bさんと仲の悪いDさんでも同じです。

要は二元的投影でしかないものに気づくことだけでは、非二元の気づきにはなっていない。気づきに気づけということです。
みゅう
2020年06月08日 06:46
snow さん

>思考を浮かばせておいているもの、思考が流れてくるつかめないスペース、それが「気づき」です。
>判断、思考、注意、そうしたものと必ず共にあるスペース、それが「気づき」です。
>テーブル、リンゴと名付けられて分けられる以前の、「今ただある、それそのもの」のスペース、空間、それが「気づき」です。

 とても面白いと思い、触発されて自分なりに考えてみました。
 
 思考も判断も注意もテーブルもリンゴもリンゴの色もそれら一切合切が名づけられて分けられるよりさらに前に「気づき」の段階を経ている。

「気づき」は一般に言われている感覚達をタグ付けし束ね、他と区別する独自の感覚であるともいえそう。(個人的には「覚」の一字がぴったりだと思うのだけれど、この際、言葉は増やさないほうが良いかと)

 他の感覚を整理することからスペース、空間と表現されたのだと思います。

 ご意見いただければ嬉しいです。 

 対話に突然割り込んでごめんなさい。思えば、仏典はお釈迦さまと誰かの対話。凡夫の経典研究としてお許しください。
地球人
2020年06月08日 08:36
文学の人達ばかりですね。笑
地球人
2020年06月08日 08:40
空間を作るには空箱を用意する。
snow
2020年06月08日 08:55
みゅうさん。 よろしくお願いします。

>>思考を浮かばせておいているもの、思考が流れてくるつかめないスペース、それが「気づき」です。
>>判断、思考、注意、そうしたものと必ず共にあるスペース、それが「気づき」です。
>>テーブル、リンゴと名付けられて分けられる以前の、「今ただある、それそのもの」のスペース、空間、それが「気づき」です。

> とても面白いと思い、触発されて自分なりに考えてみました。
 
> 思考も判断も注意もテーブルもリンゴもリンゴの色もそれら一切合切が名づけられて分けられるよりさらに前に「気づき」の段階を経ている。

「気づき」は、すべての対象に対する唯一の主体で、「気づき」にはかたちはなく、それは見られることはないけれど、見ている、ということです。

わかりやすく言ってしまえば。身体や感覚器官、思考が私なのではなく「気づき」が本質としての自分なのだという話です。
なので、それから離れたことはないし、すでにそれであるという言い方もできます。

>「気づき」は一般に言われている感覚達をタグ付けし束ね、他と区別する独自の感覚であるともいえそう。(個人的には「覚」の一字がぴったりだと思うのだけれど、この際、言葉は増やさないほうが良いかと)

> 他の感覚を整理することからスペース、空間と表現されたのだと思います。

「気づき」を言葉で表現するに、空(から)の広大なスペース、フィールドなどとも表現されます。
そこにいろいろな対象が経験される、というのが実は私たちが送っている日常だとも言えます。
対象というのにはもちろん、感覚も含まれます。

求められているものの答えになってないような気がします。(;^_^
すみません。

以前に「指さし」の技法をされていましたよね。
ダイレクトパスといって非二元の手法なんですよ。
私は一緒にそれを実験してみる技能(という言い方でいいのかな。)はないですけど。




snow
2020年06月08日 09:12
あ、そうだ。みゅうさん。

覚というのは、禅の言葉でいいんですよね?
それの意味するものは私にはわからないんです。
(不勉強ですみません。)

分別なしに今にあり気づいている、時の意識状態のことかな、とか想像はしてみました。
あくまで想像です。
可能でしたら、覚について教えてください。
地球人
2020年06月08日 10:26
テーブルの上に、りんごがある。

何故、わたしはりんごを認識できるのだろうか?
ペリフェラル
2020年06月08日 10:30
ルパートスパイラは、気づきの本質について、timeless spaceless dimensionlessという表現をよく使います。なので、正確にいうと、空間というのは思考や認知や感情が生起する場を表す比喩なのだと思います。
ペリフェラル
2020年06月08日 11:05
objectlessという表現も使っていた。
日本という地域の部屋の中にテーブルがあってその上にリンゴが乗っている。objectとしてのリンゴに個人が気づくというのは正しくありません。気づきというフィールドの中に、objectと見紛う何かが生起している、というべき。
ペリフェラル
2020年06月08日 20:47
ルパートスパイラは、「気づき」には境界線がないといっています。三次元空間座標の中に定位できるたぐいのものは「気づき」ではない。「気づき」は無限ということです。
アフタヌウン
2020年06月08日 21:55
ふと、以前の動画を見てみようという気になり、気になるタイトルから「全ての根源的な問題は嫌な感じを避けることにある」を視聴しました。

すると、ネガティブな感情に巻き込まれる問題や、自我の脱落についても、私が疑問に感じていたことを、既に解説されていました。

1つの動画を見ただけでも、かなりの情報量が詰め込まれていることに改め気づきました。大変参考になり、もっと他の動画も見直してみようと思った次第です。ありがとうございます。
地球人
2020年06月08日 22:11
>テーブルの上に、りんごがある。
>何故、わたしはりんごを認識できるのだろうか?

ええ、気づきとは全く関係ありません。

地球人
2020年06月08日 22:20
欧米人は自我を否定しません。
東洋人は特に日本人は自我に否定しません。最近はそうでもありませんが、何故、日本人は自我に対して否定的なのか? 
地球人
2020年06月08日 22:22
<訂正>

欧米人は自我を否定しません。
東洋人は特に日本人は自我に否定的です。最近はそうでもありませんが、何故、日本人は自我に対して否定的なのか? 
地球人
2020年06月08日 22:27
日本人は自我に対してネガティブなのか?

仏教思想である色即是空、諸法無我の影響なのか?
地球人
2020年06月08日 22:35
簡単に言えば、社会に対して精神的に個人・自我が自立してない。
地球人
2020年06月08日 22:54
「気づき」について議論したいなら、「気づき」とは何か?具体的に定義にしてもらいたい。
地球人
2020年06月08日 23:21
世間で、神とか仏の言葉を聞いたことがない。

死語ではないのか? 笑
地球人
2020年06月08日 23:28
世間で「自我は無い」と言ったら・・・

「お前のことだよ!」と笑われます。
地球人
2020年06月08日 23:46
確かに、仏教全盛の時代は諸法無我で自我は無かった。

しかし、現在は自我の人権は憲法で認められてます。
2020年06月09日 00:21


>ペリフェラルさん
>
>ルパートスパイラは、気づきの本質について、timeless spaceless dimensionlessという表現をよく使います。なので、正確にいうと、空間というのは思考や認知や感情が生起する場を表す比喩なのだと思います。

スパイラさんという方、知りませんが、気づきということでいいたいことは、認識する主体がない認識、という感じでしょう。
そこに、あえて、主体を立てると、空間ということになるわけでしょ。そこから、思考や感情が生まれる。
デカルトの、われ思う、ゆえにわれあり、の、われですね。
2020年06月09日 00:30


>アフタヌウンさん
>
>ふと、以前の動画を見てみようという気になり、気になるタイトルから「全ての根源的な問題は嫌な感じを避けることにある」を視聴しました。
>
>すると、ネガティブな感情に巻き込まれる問題や、自我の脱落についても、私が疑問に感じていたことを、既に解説されていました。
>
>1つの動画を見ただけでも、かなりの情報量が詰め込まれていることに改め気づきました。大変参考になり、もっと他の動画も見直してみようと思った次第です。ありがとうございます。

あらゆる問題は、不快な感覚からの逃避ないし回避だと思います。欲望も、トラウマも、怒りも、そして、迷いも、ここから生じてきます。

そして、この不快な感覚は肉体的なものです。ですから、知性では解決できません。

不快な感覚は、先天的なものもありますが・・・・暑い、湿気が強い、痛いとか、大部分が防衛的なもので、しょうがありません。

感情的なものは、後天的条件付けです。その親玉が自我です。

簡単にいえば、自我は麻原ナニガシみたいなもので、わたしはその信者になっちゃったということです。自我は社会的、個人的な条件付けです。そして、それが、後天的な不快な感覚の根源です。

この肉体まで及んでいる条件付けは強固なものですが、解消できます。突破するのに難しいことはありません。ただ、構造の理解と、根気がいるだけです。
2020年06月09日 00:35


>さん
>
>自分の思考や感情に気づいていることが大事だと言われるが、ただ気づいているだけでは不十分です。
>
>例えば具体的な人間に対して憎しみや嫉妬、害意をもっていたとします。ポイントは、そういう意識内容が実現化することに、潜在的なところでOKを出しているかどうか。OKを出してはいけません。OKを出してしまう自分がいたら、そのことを深く懺悔しなければ。
>
>もしOKを出していれば、たとえ現実生活ではコントロールできても、憎しみや害意は将来にわたってずっと反復されていきます。

おっしゃっていることもわかりますが、懺悔しなければならない、と言ったとき、抑圧が始まります。

この抑圧が憎悪を継続させます。

かといって、憎悪を放っておくわけにもいかないわけです。受け入れるわけにはいきません。

じゃあ、どうします?

2020年06月09日 00:41


>アフタヌウンさん
>
>>調べてみました・・・・なるほど、効果はあるでしょうね・・・・なかなか、いい言葉だと思います
>
>唱えるだけでいいというのは、楽ですね。自我の観察がうまくいかない時は、ホオポノポノとか世界平和の祈りをやってます。

ためしてみましたが、これはいいですね・・・・自分の感情に対していうのがいいのかな・・・・

「ありがとう、ごめんなさい、許して下さい、愛しています」
みゅう
2020年06月09日 07:04
SNOWさん  

こちらこそよろしくお願いします。


>「気づき」を言葉で表現するに、空(から)の広大なスペース、フィールドなどとも表現されます。
そこにいろいろな対象が経験される、というのが実は私たちが送っている日常だとも言えます。
対象というのにはもちろん、感覚も含まれます。

 
 あとから引き出されて利用されることができなければ経験といえません。そのためには何か目印が必要です。感覚の経験を引き出すためのその感覚につけられた目印はなんでしょうか。

 テーブルの上に置かれたリンゴを観察します。ものであるリンゴは色々な感覚を束ねています。そのなかからつやつやした光沢を感じ取ります。その感じ取る働きを観察します。光の感じは瞬間的で無数にもたらされます。そこから例えばテーブルの表面の光沢を除外し、持続したそのリンゴの光沢にまとめるための目印は”側面の一点”。

 私の世界ではこれは感覚の一種で、このリンゴの観察で部屋をだんだん暗くして光の感覚の強さを弱くしていくときに残る”あそこ”の感覚です。この感覚は他の感覚とペアになってそれをタグ付けします。

 SNOWさんの世界の「気づき」、とりあえずこのように解釈(翻訳)してみました。どうでしょうか。

 
>可能でしたら、覚について教えてください。


 顔見知りの外国人がいて時々短い会話を交わします。使う言葉は、独自のbroken English と独自の簡略型日本語で結構情報交換ができます。私はその情報を頭の中で日本語に翻訳して整理します。文法も辞書もそのうち必要になれば、というか、はじめは持ち出さないのがお互い賢明です。

 

アフタヌウン
2020年06月09日 07:07
愚さん

>この肉体まで及んでいる条件付けは強固なものですが、解消できます。突破するのに難しいことはありません。ただ、構造の理解と、根気がいるだけです。

嫌な出来事の記憶と、それに付随する嫌な感情を思い出し、出来事の方はほっておいて、嫌な感情に焦点を当て、それを体で味わい、体に解決させる。

この手法と、ホオポノポノも行いながら、過去動画も視聴させていただきます。ありがとうございます。
snow
2020年06月09日 08:12
>みゅうさん。

> あとから引き出されて利用されることができなければ経験といえません。そのためには何か目印が必要です。感覚の経験を引き出すためのその感覚につけられた目印はなんでしょうか。

> テーブルの上に置かれたリンゴを観察します。ものであるリンゴは色々な感覚を束ねています。そのなかからつやつやした光沢を感じ取ります。その感じ取る働きを観察します。光の感じは瞬間的で無数にもたらされます。そこから例えばテーブルの表面の光沢を除外し、持続したそのリンゴの光沢に
まとめるための目印は”側面の一点”。

> 私の世界ではこれは感覚の一種で、このリンゴの観察で部屋をだんだん暗くして光の感覚の強さを弱くしていくときに残る”あそこ”の感覚です。この感覚は他の感覚とペアになってそれをタグ付けします。

> SNOWさんの世界の「気づき」、とりあえずこのように解釈(翻訳)してみました。どうでしょうか。


書いていただいてありがとうございます。

みゅうさんは、「気づき」を「感覚の一種」と捉えられている、ということでいいですか?



地球人
2020年06月09日 09:34
「気づき」とは・・・

例えば、 坐禅していて「自己に囚われていたな!」と、はっ!と気づく瞬間でしょう。

地球人
2020年06月09日 09:39
「気づき」の同義語は「閃き」かな。
地球人
2020年06月09日 09:43
気づき → 閃き → 光 を連想した。
地球人
2020年06月09日 10:00
大事なことは、私が気づいたのではなくて、脳が気づいた。

気づきとは関係ないですが、テーブルの上のリンゴの話は、私がリンゴを見てるのではなく、脳がリンゴを見てる。とのことです。
地球人
2020年06月09日 10:12
関係があるね。

脳がリンゴを見てると、私が気づいた。 
通行人
2020年06月09日 10:41
>脳がリンゴを見てると、私が気づいた。 

違うでしょ。^^

私がリンゴを見てると脳が気づいた。
私の感覚がリンゴを見て、脳の知覚が見てる私に気づいた。
地球人
2020年06月09日 10:52
いや、唯、リンゴに視点が合って見てる眼球に意思はないから、自我の私ではない。
地球人
2020年06月09日 11:00
リンゴと認識したのも脳の知覚だ。
地球人
2020年06月09日 11:10
そこで、 そのリンゴを食べたいと欲求した。それが過去にりんごを食べて美味しさを知ってる条件付けの自我の私だ。笑



ペリフェラル
2020年06月09日 13:11
>愚さん
>スパイラさんという方、知りませんが、気づきということでいいたいことは、認識する主体がない認識という感じでしょう。そこに、あえて、主体を立てると、空間ということになるわけでしょ。そこから、思考や感情が生まれる。

気づきがもっとも根源の全体性ということだと思います。その中で、主体を立てるとき、時間や空間ということになり、主体に対応する対象が生まれ、主体の側には感覚や思考や感情が生まれる。
ペリフェラル
2020年06月09日 13:21
>愚さん
>おっしゃっていることもわかりますが、懺悔しなければならない、と言ったとき、抑圧が始まります。

>この抑圧が憎悪を継続させます。

>かといって、憎悪を放っておくわけにもいかないわけです。受け入れるわけにはいきません。

>じゃあ、どうします?

懺悔しなければならないという表現がよくなかったですね。それだと上からの命令のようになる。要点は、人を苦しめた、痛みを味わせた、その苦しみ、痛みを生々しく感じることができるかでしょう。理屈じゃなく体感できることを懺悔というのでしょう。
ペリフェラル
2020年06月09日 13:34
「気づき」は宇宙においてもっとも包括的な一個のネットのようなものです。そのネットに何かが引っかかる、例えばリンゴがネットに引っかかるときに個人の人間は感覚的にそれを捉え、認知し、思考し、感情を抱く。しかし、個人が主体としてリンゴを客体として認識するというのは正しくありません。正しくは、広大な気づきのネットの中にリンゴが把捉され、気づきというネットが振動したのです。とりあえずリンゴとされるものも、実は、ネットのある部分が凝集しただけで、ネットとは別に何かがあるわけではない。
2020年06月09日 15:59


>ペリフェラルさん
>
>>愚さん
>>おっしゃっていることもわかりますが、懺悔しなければならない、と言ったとき、抑圧が始まります。
>
>>この抑圧が憎悪を継続させます。
>
>>かといって、憎悪を放っておくわけにもいかないわけです。受け入れるわけにはいきません。
>
>>じゃあ、どうします?
>
>懺悔しなければならないという表現がよくなかったですね。それだと上からの命令のようになる。要点は、人を苦しめた、痛みを味わせた、その苦しみ、痛みを生々しく感じることができるかでしょう。理屈じゃなく体感できることを懺悔というのでしょう。

それはそれでいいとして、究極のところ、懺悔というのはどういうことだと思いますか?
ペリフェラル
2020年06月09日 18:38
>愚さん

懺悔とは、他人を傷つけること=自分を傷つけること、が骨身にしみてわかることであると考えます。他人をどこまで広げることができるか、生きとし生けるもの全般に広げることができるか、は人間の器の大きさによります。広いほど聖人です。無理する必要はまったくありません。できる範囲で十分でしょう。
2020年06月09日 19:25


>ペリフェラルさん
>
>>愚さん
>
>懺悔とは、他人を傷つけること=自分を傷つけること、が骨身にしみてわかることであると考えます。他人をどこまで広げることができるか、生きとし生けるもの全般に広げることができるか、は人間の器の大きさによります。広いほど聖人です。無理する必要はまったくありません。できる範囲で十分でしょう。

それはそうですが、そこを超えるとどうなりますか?
ペリフェラル
2020年06月10日 05:31
>愚さん

懺悔を超えることを考える必要はないです。

傷や痛みをもたない存在がなくなることは、当面考えられないからです。

自分だけ楽チンになりたいのは、虫が良すぎるでしょう。
2020年06月10日 07:05


>ペリフェラルさん
>
>>愚さん
>
>懺悔を超えることを考える必要はないです。
>
>傷や痛みをもたない存在がなくなることは、当面考えられないからです。
>
>自分だけ楽チンになりたいのは、虫が良すぎるでしょう。

それはそうなんですが、要するに、懺悔の本質?とはなんだろうか?という問いです。懺悔を徹底した時、なにが起きるか?ということです。
みゅう
2020年06月10日 07:07
SNOWさん

光を対象としてみる
音を対象としてきく
、、、
は、視覚、聴覚、、、等の感覚の働きであり、
ものが感覚の束としての対象として登場するとすれば


>「気づき」は、すべての対象に対する唯一の主体で、「気づき」にはかたちはなく、それは見られることはないけれど、見ている、ということです。


>みゅうさんは、「気づき」を「感覚の一種」と捉えられている、ということでいいですか?


 いいと思います。

 さらに、その「気づき」によって気づかれるのは、ここ、そこ、あそこ、等の「場所」



よろしくおねがいします。


SNOW
2020年06月10日 08:18
>みゅうさん

>光を対象としてみる
>音を対象としてきく
、、、
>は、視覚、聴覚、、、等の感覚の働きであり、
>ものが感覚の束としての対象として登場するとすれば


>>「気づき」は、すべての対象に対する唯一の主体で、「気づき」にはかたちはなく、それは見られることはないけれど、見ている、ということです。


>>みゅうさんは、「気づき」を「感覚の一種」と捉えられている、ということでいいですか?


> いいと思います。

> さらに、その「気づき」によって気づかれるのは、ここ、そこ、あそこ、等の「場所」


「気づき」は、感覚の一種というのとは違うんです。
視覚、聴覚、嗅覚などの感覚といわれるものが現れる、例えていうなら透明で無限のスクリーンです。
すべてのものは、その透明で無限のスクリーンに現れます。
ここで言ってるスクリーンと、先日から言ってる空間、スペース、フィールドなどは同じく「気づき」を例えて言っているものです。

 
今、書いてみたこと、なんとなくでも伝わったでしょうか。
ペリフェラル
2020年06月10日 12:27
>愚さん
>要するに、懺悔の本質?とはなんだろうか?という問いです。懺悔を徹底した時、なにが起きるか?ということです

懺悔を徹底した時起きるのは、苦しみや痛みがまったくない状態への回帰です。苦しみや痛みに体感する以外にそこへ完全に回帰することはできないだろうということです。
ペリフェラル
2020年06月10日 12:43
人間は一生を通じて、さまざまな幸福体験をします。
オモチャをもらったり、友達と遊んだり、スポーツ、恋愛、旅行、学業や仕事の成功など。宝くじの一等に当たったり、ノーベル賞を取ったり。

こういった幸福体験は外部にあるものが原因となって外部からもたらされるのではなく、もともと内部にある幸福感を引き出すトリガーとして、上記のものがあったということです。

ルパートスパイラなどがいう「気づき」は万人の内部にあるかかる純度100パーセントの幸福感そのもの、幸福の源泉のことです。
地球人
2020年06月10日 13:32
懺悔か・・・

キリスト教では罪人、 仏教では一切皆苦、
地球人
2020年06月10日 14:05
浄土真宗の悪人正機はキリスト教の罪人のパクリです。
SNOW
2020年06月10日 18:21
>みゅうさん。

わかりやすい例えが浮かんだので書いてみますね。

社会的には、身体の中に心を持つ私が主体ですよね。
しかし、非二元では他の東洋の教えと同じように、それは主体ではない、というのが前提になります。
非二元では「気づき」「意識」などと呼ばれるものがこういうのが世界で唯一の)主体です。

それで。さきほど、その主体であるところの「気づき」を透明で無限なスクリーンに例えました。

(私の)身体のまわりにそのスクリーンがある、身体がそれに囲まれている、とイメージします。
スクリーンには、経験するいろいろなものが現れます。
私の身体、他の人の身体、道端の花、カレーの匂い、車、足の痛み、浮かんでくる思考・・・
こういうのが、あたりまえの日常そのものを非二元的に表現したものです。
ペリフェラル
2020年06月10日 20:13
ルパートスパイラによると、宇宙における唯一の主体である「気づき」と自我は別ものではなく同じですね。覆われた、蓋をされた「気づき」が自我です。覆いを外せば「気づき」が輝きだす。

ちょっと前にわたしが出した例えだと、人間と日本人、中国人の関係です。日本人だって中国人だって人間であることに変わりはないわけです。中国人だ、日本人だというアイデンティティに執着するとき、苦悩や不幸、争いが生まれる。そんなアイデンティティなんかどうだっていいやと、本気で思えるかだけがすべてを決める。
みゅう
2020年06月11日 07:21
SNOWさん

SNOWさんの世界の「気づき」について教えてもらっています。

 大きな丸と小さな三角形はその透明で無限なスクリーンにどのようにあらわれますか?

 Hey Jude のメロディーは?
SNOW
2020年06月11日 08:28
>みゅうさん


>SNOWさんの世界の「気づき」について教えてもらっています。

> 大きな丸と小さな三角形はその透明で無限なスクリーンにどのようにあらわれますか?

> Hey Jude のメロディーは?


透明で無限なスクリーンというのは「気づき」を例えるのに使っているもので、私自身、普段の生活のなかでそれを常に意識しているわけではない、けっこう馴染んでいてそれが自然になっている、、というのをまず。

大きな丸と小さな三角形。その形が視界に現れるには、それと共に現れるものが必要になります。
紙、画面、お皿とか。 
例えば、お皿に大きな丸と小さな三角形のおにぎりが仰向けで乗っていたら・・・
白いお皿と海苔の色の違いが丸、三角の輪郭をかたどって、おにぎりとお皿がある、というのがわかる、とか。
ちょっと理屈っぽくいうとそういうふうになっています。

未知のものに視覚として遭遇したら。同じようにまず、色の変化している部分で輪郭を捉え、「何かある」となります。

Hey Jude のメロディーは。
まず聴覚の体験(経験)ですね。
まず音として飛び込んできて、注意を向けたらその曲だという記憶が現れてくる、という感じです。

知りたいことと違ってたらすみません。
地球人
2020年06月11日 09:37
渡邊さんは、宗教家なのです。
ペリフェラル
2020年06月11日 09:43
「気づき」はシームレスな透明性です。その中で人間が主体を立てるとき、精神と物質の対立図式で切り取られるように、「気づき」の中に物質が浮かび上がる。科学や哲学もそこから起動します。宇宙というのは全体としての物質のことです。

要するに、人間がグチャグチャやることと、賢くなったつもりで多少は宇宙の構造を明るみに出す、すべては「気づき」を一歩も超えることははなかった、
地球人
2020年06月11日 12:33
>「気づき」の中に物質が浮かび上がる。科学や哲学もそこから起動します。宇宙というのは全体としての物質のことです。

自我に気づく?
ペリフェラル
2020年06月11日 13:17
>地球人さん
>自我に気づく?

自我という洞窟の中に、「気づき」という光が射し込んでくるのです。

自我には気づく力はまったくありません。

自我という洞窟の外に出ることができれば、「気づき」の光は遥かに輝かしくなりますが、「気づき」の光としては同じです。
地球人
2020年06月11日 14:34
>ペリフェラルさん

>自我という洞窟の中に、「気づき」という光が射し込んでくるのです。

たとえば、どんな時ですか?

地球人
2020年06月11日 14:42
わたしは坐禅してる時に、自我に気づくのです。

その自我は、あなたが言われる洞窟の自我です。
ペリフェラル
2020年06月11日 19:42
洞窟の自我は本当はないものです。そんなものはない。
洞窟に射し込む淡い光である「気づき」の方に向きを変えればいいのに、洞窟に閉じ込められていることに執着してしまう。これがあらゆる苦悩、不幸の原因。

淡い光は、本当は輝く大光明です。
ペリフェラル
2020年06月11日 21:00
あるメロディの気づきについてなら、メロディの気づきには背景の静寂、沈黙に対する気づきが当時に成立してなければならない。静寂や沈黙の方が圧倒的に重要であって、静寂や沈黙への気づきなくしてメロディへの気づきは絶対にありえません。

沈黙への気づき、というか、メロディを支え、メロディの源泉となる圧倒的に厚みのある沈黙が「気づき」です。メロディへの気づきは、本体の「気づき」の簡易な変奏に過ぎません。
みゅう
2020年06月12日 07:07
SNOW さん

SNOWさんの世界の「気づき」をみゅうの世界の「感覚」で理解しようとしてますがすっきりといきません。よろしくお願いします。


>(私の)身体のまわりにそのスクリーンがある、身体がそれに囲まれている、とイメージします。
スクリーンには、経験するいろいろなものが現れます。
私の身体、他の人の身体、道端の花、カレーの匂い、車、足の痛み、浮かんでくる思考・・・

とイメージされる「気づき」に「場所」にしばられていないものと関係がどのように現れるのかを知りたくて図形の質問をしたのですが頭の中がご飯粒だらけになりそう(ウソ)なので、イメージでなくそのものについての質問に換えます。


>未知のものに視覚として遭遇したら。同じようにまず、色の変化している部分で輪郭を捉え、「何かある」となります。

 
さらに細かく分割してみます。
 一つの色を捉える。近くの色を捉える。二つの色の違いをを捉える。色の違いを捉えた場所を点として捉える。それを無数に行う。点の集まりから図形を捉える。何かの輪郭を捉える。「何かある」と捉える

「気づき」はどこにあらわれますか?

 以上、よろしくお願いします。


 

 
SNOW
2020年06月12日 07:42
>みゅうさん

>SNOWさんの世界の「気づき」をみゅうの世界の「感覚」で理解しようとしてますがすっきりといきません。よろしくお願いします。

こちらこそ、伝わる説明がなかなかできず、すみません。

>>(私の)身体のまわりにそのスクリーンがある、身体がそれに囲まれている、とイメージします。
スクリーンには、経験するいろいろなものが現れます。
私の身体、他の人の身体、道端の花、カレーの匂い、車、足の痛み、浮かんでくる思考・・・

>とイメージされる「気づき」に「場所」にしばられていないものと関係がどのように現れるのかを知りたくて図形の質問をしたのですが頭の中がご飯粒だらけになりそう(ウソ)なので、イメージでなくそのものについての質問に換えます。


>>未知のものに視覚として遭遇したら。同じようにまず、色の変化している部分で輪郭を捉え、「何かある」となります。

 
>さらに細かく分割してみます。
 一つの色を捉える。近くの色を捉える。二つの色の違いをを捉える。色の違いを捉えた場所を点として捉える。それを無数に行う。点の集まりから図形を捉える。何かの輪郭を捉える。「何かある」と捉える

>「気づき」はどこにあらわれますか?

「気づき」それそのものは、どこにも現れません。
何かもの、それはどんなものでも、人の身体、感情、ビル、動物、宇宙の星や月などすべてのものが現れるには、「気づき」「意識」が必要で、「気づき」「意識」の中にすべては現れます。

アインシュタインとタゴールのした対話はご存じですか?
アインシュタイン タゴール で検索すると出てきます。
それがヒントになるかもしれないのでよかったら見てください。
地球人
2020年06月12日 08:22
>洞窟の自我は本当はないものです。そんなものはない。
洞窟に射し込む淡い光である「気づき」の方に向きを変えればいいのに、洞窟に閉じ込められていることに執着してしまう。これがあらゆる苦悩、不幸の原因。

いや、洞窟の自我は我執の比喩でしょ。笑
地球人
2020年06月12日 08:29
そもそも、自我は執着するのが本質です。
ペリフェラル
2020年06月12日 13:11
アインシュタインとタゴールの会話についていうと、ルパートスパイラはタゴールよりというわけではない。ある面ではアインシュタイン的でもある。「意識」「気づき」は人間とともに初めて成立するものではない。科学が真理であるという以上に、宇宙における「気づき」の唯一性、無限性、永遠性は絶対的な真理ですよ。これがルパートスパイラ的な非二元。日本大乗仏教的なものとは微妙に違うといえる?
地球人
2020年06月12日 13:20
大乗仏教は色即是空です。

自我は無いと気づく。
ペリフェラル
2020年06月12日 13:20
自我という洞窟に、「気づき」の光が射し込む。自我という洞窟に住むことには、強いリアル感が伴うわけですが、このリアル感が「気づき」によって生み出されていることがわからずに、洞窟に住むことがリアル感を生むと勘違いする。これが多くの人間の苦悩の原因。自我の洞窟に執着するのでなく、「気づき」の光を増幅させることにチェンジするんです。
ペリフェラル
2020年06月12日 13:24
>地球人さん
>自我はないと気づく

そうです。ただ、そこに「気づき」はあるんです。あると思い込んでいた自我のようなものをとおして働いていたのは「気づき」だった。
地球人
2020年06月12日 13:35
>そうです。ただ、そこに「気づき」はあるんです。あると思い込んでいた自我のようなものをとおして働いていたのは「気づき」だった。

何者の気づきなんですか?
ペリフェラル
2020年06月12日 13:38
>地球人さん
>何者の気づきなんですか

気づきの気づきです。
地球人
2020年06月12日 14:07
>気づきの気づきです。

同一者なんですか?

で、何ものなんですか?
地球人
2020年06月12日 14:27
要するに、意識の根源は何か?
SNOW
2020年06月12日 17:10
>みゅうさん

>「気づき」はどこにあらわれますか?

アインシュタインとタゴールの対話もヒントになるかな、と思い出してみたのですが、もしかしたらよけいに混乱するかもなので・・・
それはそれでとりあえず置いておいてください。

それで。

みゅうさん自身が体験できるもので「気づき」を説明してみます。

みゅうさんが誰かに批難されて混乱したとします。
混乱したり動揺したとします。
みゅうさんが動揺したり混乱したりしている、そのことに気づいている「意識」それ自体は動揺、混乱をしているでしょうか?
それ自体は、動揺混乱に静かに寄りそうようにあるからこそ、動揺混乱しているということに気づけるのではないでしょうか。

つまり。「意識」=「気づき」に、混乱や動揺が現れそれらに気づく、ということです。
「気づき」に現れるものは次々に変化していきます。
ずっと混乱動揺しているわけではなく、喜びの感情や怒りの感情なども現れてきます。
ペリフェラル
2020年06月12日 19:34
>地球人さん
>要するに、意識の根源は何か?

問いの方向がまったく逆です。宇宙にあるすべての根源が意識なのですよ。天動説から地動説への転回以上のラディカルさが必要です。
みゅう
2020年06月13日 07:21
SNOWさん

お世話になっております

>みゅうさんが誰かに批難されて混乱したとします。
混乱したり動揺したとします。

 色々な感覚の束が想起され、加工され、記憶されます。外からの新しい刺激も取り込みながら、このサイクルが無数に繰り返されます。時間とともに記憶された内容が変化します。


>みゅうさんが動揺したり混乱したりしている、そのことに気づいている「意識」それ自体は


ここが問題なんでしょうね


>動揺、混乱をしているでしょうか?
それ自体は、動揺混乱に静かに寄りそうようにあるからこそ、動揺混乱しているということに気づけるのではないでしょうか。


 みゅうの世界には動揺混乱に静かに寄りそって、動揺混乱しているということに気づくそれ自体はないのでそれが動揺、混乱をすることもないということみたいです。

 ちなみに、「意識」という言葉は日常的にも学術的にも色々な場面で登場するすっかり手あかにまみれた言葉になってしまっています。個人的には六根の一つの「意」からの知識で「意識」というのがしっくりきますが、ここでは使わないほうがよいかと。
SNOW
2020年06月13日 08:40
>みゅうさん

> みゅうの世界には動揺混乱に静かに寄りそって、動揺混乱しているということに気づくそれ自体はないのでそれが動揺、混乱をすることもないということみたいです。


みゅうさんは坐禅はされますか?
坐禅でなくてもいいのですが・・・

可能だったら次のことをしてみてください。
一人で部屋でゆったりと椅子に座るか寝転んでもいいです。
テレビや音楽は消して静かな空間にします。

すると、静かな空間にも何らかの感覚が現れてくると思います。
走る車の音かもしれないし、歩いている人の話し声かもしれません。
鳥の鳴き声、カエルの鳴き声かもしれません。
また、頭の中に何かしらの思考が流れてくるかもしれません。

「気づき」を言葉だけで表現し伝えるのはなかなか難しいです。
もし、「気づき」を経験を通じて経験するなら、それがわかってくると思います。

よかったらですが、試してみてください。


> ちなみに、「意識」という言葉は日常的にも学術的にも色々な場面で登場するすっかり手あかにまみれた言葉になってしまっています。個人的には六根の一つの「意」からの知識で「意識」というのがしっくりきますが、ここでは使わないほうがよいかと。


そうですね。それとは違います。
みゅう
2020年06月14日 07:04
SNOWさん

大変お世話になっています。

私の問題:テーブルの上のリンゴ。これ、なんですか。

  知ってるもので説明したい。エーテルやらドラゴンは避けたい。神も。

私の小問題:テーブルのつるぴかとリンゴのつるぴかとの区別

SNOWさんからのヒント:「気づき」、経験するいろいろなものが現れる、              身体のまわりのスクリーン

今回とりあえず納得したこと:対象が現れること、認知できること、                  タグ付けできること、気づくこと、
                すべて同じ。
               具体的対象では場所がタグになる、                   抽象的対象では言葉がタグになる

新しく納得したこと:場所は注視という動作を通した姿勢の感覚であり、             言葉も発声を通したやはり体の感覚
           どちらにしても体勢の感覚が対象のタグ

  

(右脳で)ものに固執して苦しんでいるときはそのものに照準を定めている姿勢をとらなければそのものはなくなる。枕に照準を切り替えろ。たたけ。照準は一つしかとれないから。
(左脳で)概念に固執して苦しんでいるときは「バカヤロー」でその言葉の発声の無限ループを壊せ。言わなければ概念もなくなる。同時に二つのことを言えないから。
 面倒くさかったら、とにかく、枕をたたきながら、バカヤローで、、、

(明日、同じことを言っている確信はありませんが、無理やり愚さんのsmart禅に結びつけてみました。愚さんには内緒でお願いします。)



地球人
2020年06月14日 08:15
>>要するに、意識の根源は何か?

>問いの方向がまったく逆です。宇宙にあるすべての根源が意識なのですよ。天動説から地動説への転回以上のラディカルさが必要です。

まあ、脳が無ければ意識は働きません。
地球人
2020年06月14日 08:28
意識はいつ発生したのか?

ダニ、ミミズ、蟻、ゴキブリにも意識はあります。

植物も花、桜、チューリップにも意識はあります。




SNOW
2020年06月14日 08:31
>大変お世話になっています。

こちらこそです。


>SNOWさんからのヒント:「気づき」、経験するいろいろなものが現れる、              身体のまわりのスクリーン

>今回とりあえず納得したこと:対象が現れること、認知できること、                  タグ付けできること、気づくこと、
                すべて同じ。
               具体的対象では場所がタグになる、                   抽象的対象では言葉がタグになる

>新しく納得したこと:場所は注視という動作を通した姿勢の感覚であり、             言葉も発声を通したやはり体の感覚
           どちらにしても体勢の感覚が対象のタグ

  
「気づき」は、人の心や身体の中にあるものではなく、それらに閉じ込められたものではないんです。
このあたりはなんとなくでも理解していただけているのかな、と思っています。

「気づき」に、走る車の音や鳥の鳴き声、鏡に映る私の顔、足の裏が畳に触る感覚などなど、すべてのものが現れています。
(これは、誰でもがそうなんです。)
身体に感じる感覚というのが最もリアルな感覚なので、身体そのものが私(自分)だと認識するのが通常ですが、そうではなく、「気づき」が本体、主体だということです。


地球人
2020年06月14日 08:37
男であれば女、女であれば男が眼の前に居なければ、異性に対する恋心は芽生えません。
SNOW
2020年06月14日 08:43
>みゅうさん

(続きです。)


>(右脳で)ものに固執して苦しんでいるときはそのものに照準を定めている姿勢をとらなければそのものはなくなる。枕に照準を切り替えろ。たたけ。照準は一つしかとれないから。
>(左脳で)概念に固執して苦しんでいるときは「バカヤロー」でその言葉の発声の無限ループを壊せ。言わなければ概念もなくなる。同時に二つのことを言えないから。
 面倒くさかったら、とにかく、枕をたたきながら、バカヤローで、、、

>(明日、同じことを言っている確信はありませんが、無理やり愚さんのsmart禅に結びつけてみました。愚さんには内緒でお願いします。)


抑圧してもしかたない、というのが枕叩きなのだろう、と考えています。
生理的に無理~、という音が頻発されたりしたら、私も「うるさい~」って心の中でだけど叫びます。
うるさい音を発する人の全人格を否定しているわけではないのでまぁ、いいかと。
地球人
2020年06月14日 08:46
意識の根源は何か?

私は太陽を意識しますが、太陽の周囲を回っている地球は太陽を意識してるのだろうか? 意識してるのかもしれない。
地球人
2020年06月14日 09:00
レスする場所を間違えた。

原子の周りを回っている電子の間に意識は働いてるのではなかろうか?
地球人
2020年06月14日 09:09
現代社会は感情型の人が増えていますが、個人主義、自我と関係あるでしょう。
地球人
2020年06月14日 09:20
しかし、「バカヤロー!」で解消するのだろうか?

ネット社会を見ると、増長してるだけのようにおもえるが・・・
ペリフェラル
2020年06月14日 15:30
人間の脳が存続して初めて成立するものを「意識」とは呼びません。
この宇宙から人間の脳という脳が悉く消滅しても、なお働いているものが「意識」です。その「意識」が人間の脳を通して「も」働いているというのが正しい。
ペリフェラル
2020年06月14日 15:35
個人の脳が死んでしまえば意識も完全に消えてなくなると思い込んでいる人は多いと思う。そういう人に尋ねたいね。意識が完全になくなってしまって二度と意識が戻ることはない、そのことを実体験した人は、人類史上今に至るまで、ただの一人でもいただろうか?いないね。
ペリフェラル
2020年06月14日 15:49
脳とは、地球という時空間で人間個体が占める立ち位置の膨大な履歴を書き込むデバイスでしょう。脳が変われば、立ち位置の履歴も完全に変わる。「気づき」や「意識」という本体は同じでもデバイスは億や兆という多様性がある。
地球人
2020年06月14日 19:52
>ペリフェラルさん
>個人の脳が死んでしまえば意識も完全に消えてなくなると思い込んでいる人は多いと思う。そういう人に尋ねたいね。意識が完全になくなってしまって二度と意識が戻ることはない、そのことを実体験した人は、人類史上今に至るまで、ただの一人でもいただろうか?いないね。

自我に実体が無いとの解釈なら理解できますが・・・
地球人
2020年06月14日 22:43
しかし、自我に実体が無いとは、来世の転生も有りません。
みゅう
2020年06月15日 07:16
SNOWさん

>身体に感じる感覚というのが最もリアルな感覚なので、身体そのものが私(自分)だと認識するのが通常ですが、そうではなく、「気づき」が本体、主体だということです。


 その感覚とよぶものを仮定し、論理でつなぎあわせて、認識を理解しようとする。

 そういう私の観察行為を、武器を装備し、ルールに従って、敵を倒すゲームに例えると認識がラスボスで「気づき」は中盤で現れるボスキャラ。

 SNOWさんとは違うゲーム設定というか平行世界ですが、自分の世界で使えるたくさんの情報をいただいたと思います。とりあえず満腹満足、感謝しています。

 この辺で、一度お休みということで、いかがでしょうか。

 (平行でなくて並行がいいかな、、、少なくとも閉口でないことを、)

 
SNOW
2020年06月15日 07:59
>みゅうさん

>この辺で、一度お休みということで、いかがでしょうか。

そうですね。

ゆったりと座って心を静めている時。
そこにいろいろな感覚(物音、身体の感覚など)や思考が流れてきて・・・
その流れてくる感覚や思考たちのほうではなく、その背後にあるような透明で形なきものが自分だ感じたりします。
その透明で形なきものが「気づき」を理解する入り口になります。
入り口を体感することはできるので、よかったら試してみてくださいね。

 おつきあいいただき、ありがとうございました。
みゅう
2020年06月15日 08:04
SNOWさん

有難うございました。

また、いつか、どこかで。