本日26日19時よりライブします・・・・非風非幡

みなさま
お世話になります

本日26日、19時よりライブやります。

https://youtu.be/QGHytch5ANk

よろしかったら参加してください

https://www.saikoji.net/houwa/howa0904.html

話--平成21年4月--
こころ(10)-- 非風非幡非心--
無門関第二十九則 「非風非幡」(ひふうひばん)
動いているのは幡(はた)でも風でもなく、それを見ている人の心だという、前回に引き続き"心の実体"に挑む公案です。

本則
六祖、因(ちなみ)に風刹幡(せっぱん)をあぐ。
二僧有り対論す。
一(ひとり)は云く、幡動くと、一は云く、風動くと。
往復して曾(かっ)て未だ理に契(かな)わず。
祖云く、是れ風の動くにあらず、是れ幡の動くにあらず、仁者が心動くのみ。
二僧悚然(しょうぜん)たり。
「六祖」とは達磨大師を初祖としてその第六番目の祖師という意味であり、大鑑慧能(だいかんえのう)禅師のことです。
唐の時代、禅宗の黄金時代を築いた第一人者であり、まさに禅宗の中興の祖とも云うべきお方です。

刹幡(せっぱん)とは、寺で説法をする印に掲げる旗のことです。
その幡を風が吹き上げていました。
これを見ていた二人の若い僧が議論を始めました。
一人は「幡が動いている」と言い、もう一人は「イヤ風が動いているのだ」と言って互いに譲りません。
その遣り取りを見かねた六祖は「幡が動くのでも、風が動くのでもない。お前さん方の心が動くのだ。」と言い放しました。その若い二人の坊さんは身震いしました。

以上が本則の内容ですが、常識から言えば風が動くから幡が動くのであり、それを己の心が動いているから幡も風も動くのだという、その真意とは一体何でしょう。

結論を言ってしまえば、幡と風と心の実体が"一つのもの"だということです。
しかしそれは机上の理論であり、机上の理論では答えにはなりません。
以前から言っているように理論上の理解は絵に描いた餅です。
本物を味わうには理論を超えた"実物"を会得するしかないのです。
そのために必要なのが"証明"です。
公案の意味合いはまさにここにこそあるのです。

公案はすべてそうですが、狙いは「三界唯一心」「心外無別法」という理論の"証明"です。
宇宙の真理も仏法も、理論は単なる知識です。知識は分別です。
分別は妄像ですから、その一切の分別妄想を断ち切るための証明が必要なのです

今回の公案で言えば、幡と風と心の実体は一如であるということの証明です。
すなわちこの三者間にある一切の対立観念を完全に払拭するための証明です。
室に於いては「作用」を以て証明しますが、さあ、あなたならこの公案をどう作用しますか? 作用の仕方は「達磨安心」のところで私が示した通りです。
ヒントはそれで十分でしょう。
渡辺 充

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この記事へのコメント

2020年04月26日 08:02
うん?

なんかきた^^
snow
2020年04月26日 09:09
幡、風、心は分けられない、ということなんですね。
この例のみならず、世界中のすべての場面においてそうだということで。

私という主体に対して向こう側にある風と幡、だと思うのが普通の感覚とされているけれど、実はこの三つを分けることはできない。
カムイ
2020年04月26日 10:14
なんか長期戦になってくるとシャドーボクシングずっとしてるみたいな感覚になって疲れるね。
2020年04月26日 10:35
五感を軽視しているのはある^_^
cheaptrick
2020年04月26日 12:09
そういえば、以前このブログで公案の解説をされてましたね。もう底の方に埋もれてしまってますが・・・。
カムイ
2020年04月26日 16:12
自分が自分にボディブローくらわしてるんでだんだんヘトヘトになる。
カムイ
2020年04月26日 20:54
わたしたちは時間のない今の空間で生活してるイメージですかね。
地球人
2020年04月26日 23:08
時間を決めないと人間社会の生活が成り立たない。
地球人
2020年04月26日 23:21
個人は存在するか?

顔認証、指紋で識別できるのだから存在するのだろう。
地球人
2020年04月27日 00:07
私もいずれ死ぬが、平均寿命からすればそんなに先のことではない。

悟りは意味があるのかな。笑



カムイ
2020年04月27日 01:52
愚さん

自分が見てる感覚をあえて自覚して、それを落とすボディブロー戦法。
これ、愚さんが以前言われてた
師匠が弟子に「これなんぞ!」って何年もやり続けたって話のを自分だけでやってるんですよね。
2020年04月27日 07:42


>カムイさん
>
>愚さん
>
>自分が見てる感覚をあえて自覚して、それを落とすボディブロー戦法。
>これ、愚さんが以前言われてた
>師匠が弟子に「これなんぞ!」って何年もやり続けたって話のを自分だけでやってるんですよね。

その通りです。
カムイ
2020年04月27日 09:11
〜昨日のライブの収穫〜

欲望と快楽は苦しみであると理解する。
また、これらに引っかかっているうちは至福の快楽に到達出来ない。

わたしはなんとしても悟りたいので、今つまらない欲望と快楽を捨てます。

カムイ
2020年04月27日 12:43
最近思ったのは、渡辺さんの話聞いてる時は和尚さんが邪魔なんで一旦捨てる。
和尚さんと話してる時は渡辺さんが邪魔なんで一旦捨てる。こんな工夫してる。
そうしないと丸ごと入ってこない。
地球人
2020年04月27日 13:32
>わたしはなんとしても悟りたいので、今つまらない欲望と快楽を捨てます。

悟り願望を捨てるのが賢明です。
カムイ
2020年04月27日 15:00
今を自覚し続ける事は同時に自我を監視してるのかもしれない。
逆も言える、自我の自覚は今の自我かもしれない。
カムイ
2020年04月27日 15:01
訂正

今を自覚し続ける事は同時に自我を監視してるのかもしれない。
逆も言える、自我の自覚は今の自覚かもしれない。
2020年04月27日 16:46


>カムイさん
>
>わたしたちは時間のない今の空間で生活してるイメージですかね。
>

イメージではないです。現実です。時間のない生活が現実であり、時間の中の生活はイメージです。運動があるだけです。
2020年04月27日 16:56


>カムイさん
>
>〜昨日のライブの収穫〜
>
>欲望と快楽は苦しみであると理解する。
>また、これらに引っかかっているうちは至福の快楽に到達出来ない。
>
>わたしはなんとしても悟りたいので、今つまらない欲望と快楽を捨てます。
>
困ったことなんですが、悟りたいのも欲望のひとつです。それは苦しみです。

悟りたいという欲望を捨てようとするのも欲望です。

しょうがないんで、朝から晩まで、晩から朝まで、ひたすら、「悟りたい」「悟りたい」と念仏のように、悟ろうとする欲望とひとつになっていくしかありません。

ガムシャラにやっていけば、なんとかなります。
2020年04月27日 17:07


>カムイさん
>
>最近思ったのは、渡辺さんの話聞いてる時は和尚さんが邪魔なんで一旦捨てる。
>和尚さんと話してる時は渡辺さんが邪魔なんで一旦捨てる。こんな工夫してる。
>そうしないと丸ごと入ってこない。

和尚さんだろうが、わたしだろうが、忘れてしまうことです。この二人に限らず、だれと話すときも、空っぽにしてればいいです。

スタンスをとらないんです。楽ちんです。そして、空っぽにしていれば、無意識が聴きます。

なぜか、無意識は、どうすべきか、知っているようなのです・・・・・わたしにも理由は分かりません。

あとは無意識に任せておけばいいわけです。
カムイ
2020年04月27日 17:50
和尚さんだろうが、わたしだろうが、忘れてしまうことです。この二人に限らず、だれと話すときも、空っぽにしてればいいです。

スタンスをとらないんです。楽ちんです。そして、空っぽにしていれば、無意識が聴きます。

なぜか、無意識は、どうすべきか、知っているようなのです・・・・・わたしにも理由は分かりません。

あとは無意識に任せておけばいいわけです。


それわかりますー
参禅中とかなれたりしますね。
カムイ
2020年04月27日 17:53
愚さん

困ったことなんですが、悟りたいのも欲望のひとつです。それは苦しみです。

悟りたいという欲望を捨てようとするのも欲望です。

しょうがないんで、朝から晩まで、晩から朝まで、ひたすら、「悟りたい」「悟りたい」と念仏のように、悟ろうとする欲望とひとつになっていくしかありません。

ガムシャラにやっていけば、なんとかなります。

悟ろうとする欲望を菩提心ていうのかな。
カムイ
2020年04月27日 18:30
ガムシャラに行くで〜
地球人
2020年04月27日 19:33
私にとって坐禅とは、鏡に映る顔をチェックするのと同じです。

人間には自分自身、自我を客観する知能があります。

2020年04月27日 19:59


>カムイさん
>
>愚さん
>
>困ったことなんですが、悟りたいのも欲望のひとつです。それは苦しみです。
>
>悟りたいという欲望を捨てようとするのも欲望です。
>
>しょうがないんで、朝から晩まで、晩から朝まで、ひたすら、「悟りたい」「悟りたい」と念仏のように、悟ろうとする欲望とひとつになっていくしかありません。
>
>ガムシャラにやっていけば、なんとかなります。
>
>悟ろうとする欲望を菩提心ていうのかな。

わたしにとって菩提心とは、なんとしても、自我を捨てきっていく決意だと思っています。これが天国への道なき道だからです。
カムイ
2020年04月27日 22:21
愚さん

わたしにとって菩提心とは、なんとしても、自我を捨てきっていく決意だと思っています。これが天国への道なき道だからです。

なんか大切に取っておきたい自我もありますよね。
ちょっと前、いい思い、悪い思い、取っておきたい思いまで勝手に落ちてビックリしました。
捨てる意思なく、うんも言わさず落ちるケースもあるんですね。
地球人
2020年04月28日 02:22
>わたしにとって菩提心とは、なんとしても、自我を捨てきっていく決意だと思っています。これが天国への道なき道だからです。

一般人は自我が菩提心を求めてるわけです。
KB会に完全に自我を消滅させる決意の人はいますか?
むしろ、自我を大事にしたい人達ではないですか?

どうも、主催者の愚さんとKB会の聴衆、参加者と齟齬があるように思います。

カムイ
2020年04月28日 02:40
一般人は自我が菩提心を求めてるわけです。
KB会に完全に自我を消滅させる決意の人はいますか?
むしろ、自我を大事にしたい人達ではないですか?

どうも、主催者の愚さんとKB会の聴衆、参加者と齟齬があるように思います。


あのね、自我の消滅は愚さんだけの主張でないの、禅としての主張でありクリシュナムルティも主張してる。
なんであんた禅とかクリシュナムルティの主張に反論してる訳
でも、そうそう人生が一般的だね。
なんで、あんた禅とかクリシュナムルティにあってないんだよ。
なんか違う宗教なりさがしたらいいよ。
地球人
2020年04月28日 03:14
愚さん、クリシュナムルテ、宗教等々が自我を捨てる、滅するのが間違ってると言ってるのではなくて、一大決心が必要だということです。

KB会の人達にそこまでの思いつめた意思があるのか? てことです。
地球人
2020年04月28日 03:21
クリシュナムルティは支持者とズレてきたので自ら組織を解散した。
カムイ
2020年04月28日 06:04
KB会の人達にそこまでの思いつめた意思があるのか? てことです。

人のことなんかどうでもいい
自分の事だけしとけ
カムイ
2020年04月28日 06:49
風景見ている私を自覚したらあるんだけど、前みたいに肉体の塊としてあるって感覚は無くなってきた。
地球人
2020年04月28日 11:29
>KB会の人達にそこまでの思いつめた意思があるのか? てことです。

無いよ^^

愚さんの渾身の説法が気の毒です。

>人のことなんかどうでもいい
自分の事だけしとけ

真夜中に出て来て、「あんた、何言ってんだ!」食ってかかるのはカムイさんの自我ぐらいだ。悟りに真剣なんだね。




カムイ
2020年04月28日 11:58
雑談になります
禅はうちが釈迦直伝だと主張しました。
確かにそれだけのものは禅にはあると思いますが、専売特許的なずるい部分もあるのかな?
地球人
2020年04月28日 13:57
分別、自我は悪いことなのか?

分別しないとコロナウィルスに感染します。

一体だから感染するのだろうが。
地球人
2020年04月28日 14:09
たとえば、電車の中で隣に立っていた見知らぬ人が、突然、肩をポンポンと叩いて「コロナウィルスには参ったね、」と話かけられたら引くでしょう。

唯一無二の自我は大事なものです。ですから、他者の自我も損じてはならない。
カムイ
2020年04月28日 14:37
精神的コロナ感染のほうがやっかいかもな。
地球人
2020年04月28日 15:28
コロナウィルスを恐れない無防備な人が感染させるのです。
カムイ
2020年04月28日 18:11
気づかない時と自分に気づいた時とのギャップがあまりない。
カムイ
2020年04月28日 22:31
なんか老師に怒られてる時とか真面目な説法受けてるときにやけて笑いそうになった事あってここで笑ったらなにされるかわからないってことで下うつむいて笑いを噛み殺してたんだけど、これ空っぽになったら起こる現象らしいです。
地球人
2020年04月29日 01:16
あまりない、その差が気になる。笑
地球人
2020年04月29日 01:21
坐禅してもしなくても同じ時があります。

空っぽ!
2020年04月29日 05:31
う~~ん^^

温泉がどこも休館^^

温泉瞑想ができない^^

8日連休・・^^

困った^^
snow
2020年04月29日 08:31
車を運転している時。車と道路、運転している人は完全に一体になっていて、運転している私という意識などない。
包丁、まな板で肉を切っている時も。肉を切っている私という意識などない。

私というものが特に意識されない時って、普通にいくらでもありますね。
私という意識などなくても、自動で物事は進んでいってる。
実は、能動態ではなく受動態で皆、動いているのだけれど、能動態で動いていると思っているだけなのではないか。
2020年04月29日 10:07
とりあえず温泉きた^_^

ホテルやが^_^
2020年04月29日 11:34
うん?

最上階の露天風呂瞑想最高やが^_^

明日もこよっと^_^
地球人
2020年04月29日 13:30
世界の脅威であるコロナウィルスは仏性です。
通行人
2020年04月29日 13:55
そうかな?

金持ちがコロナウィルスに感染する確率が低いよね。
2020年04月29日 19:33
最上階から衆生たちを眺めると・・^^

何にやってんだ^^

となる^^

つまり・・^^
2020年04月29日 21:13
視野を宇宙に広げると・・^^

自分という観念がなくなるんだな・・^^

これが^^
2020年04月29日 21:16
自分という観念がなくなると・・^^

自然に身を任せるようになる^^

無為自然やな・・^^
2020年04月29日 22:09
「悟ったら何を得るのか、知りたいですか?」ラメッシ・バルセカール

私はこれではない、私はあれではない、それで私は何を得るのか?「それでも私は悟りを得たいのです」と彼は言います。「あなたは悟って何を得られるのか知りたいのですね?」-「はい、教えてください」

「あなたが得られるものは、心の平安、ただそれだけです」と私は答えました。至福ではありません。心の平安だけです。

https://vaststillness.com/would-you-like-to-know-what-you-get-after-enlightenment/
2020年04月29日 22:33
さてっと^^

聞いてみるかなっと^^
2020年04月30日 06:44
悟りの本当の意味は、個人が行為しているという感覚が消える事です。

全体の要点は、現象を個人の観点で捉えると常に問題が発生します。一方、現象を全体の現れとして機能しているという観点で捉えると絶対に問題は発生しません。いずれにしろ、個人は全体の現れの中の小さな一部分でしかありません。そのため、必然的に個人の観点から見るものは何であっても非常に限定された枠組みになります。一般的に悟りという問題は個人の観点から見ているものです。しかしながら、事実は『 全体の現象から独立/自律している個人は存在しない 』という事です。意識という現象の中の他のどんな現れとも同じように、個人も単なる現象の中の現れです。単なる現れが、一体どうやって悟る事が出来るというのでしょうか?

現象にラベルをはって見た場合、もし、悟りという事象が、全体の働き、全体の現象の中で正常な釣り合いを維持するためへの出来事/結果と見なすなら、悟りという事象は全体/客観的な見方の中で見られます。

悟りが起こる可能性がある場合には、個人の実体として構築されていた個人に関連した観念が消えます。はっきり言えば、分離した実体として特定の名前/形と少しでも同一視がある場合には悟りが起こる事はありません。


ラメッシ・バルセカール

う~~ん^^

昨日の最上階からの景色と重なるな^^

つまり。。^^

今日も最上階の露天風呂に行きなさいと^^

う~~~~ん^^

OK牧場^^
2020年04月30日 09:20
断捨離おわた^^

きれいになった^^

ついでに頭の中も断捨離や^^

ではいって来る^^
地球人
2020年04月30日 21:52
違います。^^

行為に集中することが大事です。
2020年04月30日 22:33
悟り^^

個人が行為しているという感覚が消える・・^^

つまり・・^^

個人があるかぎり悟えない^^

ゆえに・・^^

無為自然^^

つまり・・^^

なにもしない^^
2020年04月30日 22:37
最終的には心の平安が得られると・・^^

こうなる^^
2020年04月30日 22:51
かまうべき「私(行為者)」は存在しない!

ただ「神(現象の源泉にある意識)」の意思だけが起こっている。


現象の源泉にある意識だけが起こっている・・^^
2020年04月30日 22:55
つまりや・・・^^

源泉かけ流し温泉や^^

う~~ん^^

こういうことだったのか・・^^
2020年04月30日 22:59
100%源泉かけ流しかつ自家源泉の宿をご紹介します。内から湧き出る、まじり気のない天然温泉。身体だけでなく、心も一緒に解れるのを感じられることでしょう。上質なお湯に心身を癒され、解放感に浸るひとときをお過ごしください。

これやな・・^^
2020年04月30日 23:02
う~~ん^^

なんか・・横道に入った感がある^^

寝る^^
地球人
2020年04月30日 23:58
行為に集中することを理解してないようだね。
2020年05月01日 06:48
現象の源泉にある意識・・^^

源泉かけ流し温泉・・^^

これらの共通点が問題となる^^

そうなると・・^^

うわっ^^

今日も最上階の露天風呂で日光浴しなければならなということか・・^^

ちなみに・・^^

新型コロナは太陽光に弱いらしい^^

うん?

一石二鳥やが・・^^
2020年05月01日 07:49
行為者という観念が束縛だーマハラジ

2020年05月01日 07:51
うん?

こんなことやってると・・^^

おまえらが悟ってしまう^^

困った^^
2020年05月01日 08:00
さてっと・・^^

マイナンバーカード更新しに行くかなっと^^

うん?

私は在るっと^^
2020年05月01日 08:50
マイナンバーのところだけ混んでおる^_^

10万目当てやな^_^

どないなっとんねん^_^
2020年05月01日 09:33
おわた^_^

温泉瞑想や^_^
2020年05月01日 09:58
着いた^_^

うーん^_^

覚者に共通してるのは^_^

むけげむけげの境地やな^_^
2020年05月01日 10:00
心無罫礙 無罫礙故 無有恐怖

これや^_^
2020年05月01日 16:20
世界中で想念垂れ流しをやっておる^^

負けてはいられん^^
2020年05月01日 17:38
意識に先立って20 絶対であるあなたはこの「私は在るという性質」ではない
https://www.youtube.com/watch?v=0w7akIcXRCY

源泉かけながし温泉にいくしかないな・・^^
2020年05月02日 08:56
ラメッシは次のように言っています。  p170      抜粋

シェン:

あなたは、私たちは考える心を取り除くべきだと言っているのですか?

ラメッシ:

いいえ、違います。

「誰」が考える心を取り除くのでしょうか?

考える心を取り除くべきだとされている「人」は、エゴです。

ですから、もしそれが神の意思とその肉体精神機構の運命であれば、考える心は取り除かれることでしょう!

「あなた」は、考える心を取り除くことはできません。

「あなた」が考える心です。

そして、もしあなたが自分の行為を分析して、「自分」は実際に何もしていないという結論に至れば、そのときに、考える心は消えるのです。
2020年05月02日 08:57
自分」は実際に何もしていないという結論に至れば、そのときに、考える心は消えるのです。
2020年05月02日 09:56
行為者はいない^_^

しかし^_^

ホテルの前にいる^_^

最上階の露天風呂が待っている^_^

源泉の意志が黙っていられない^_^
2020年05月02日 12:46
そういえば・・^^

愚さんが手を振って^^

「宇宙が手を振っている」とか言ってた・・^^

言い方は違うけど・・ラメッシに言わせると

「現象の源泉にある意識」が手を振っているとなる^^

つまり・・^^

そこ同じことやな・・^^

2020年05月02日 12:57
P72
意識が存在するすべてです。意識は、それ自身の中に映像を創造するのです。映画はスクリーンがなければ、そこにあることはできません。ですから、スクリーンが現実で映画は現実ではありません。意識が現実です。あらゆるものは現象で、人間はその現象の一部です。現象の機能とは、夢のようなものです。


P98
目的は何もありません。それは娯楽です。もし映画がすべて善人の登場人物だけでできているとしたら、誰が観に行くでしょう? あなたが映画を観に行くのは、それが面白いからです。英雄がいて、悪漢がいます。ですから、神の映画においても、彼は英雄と悪漢を創造し、恋愛物語、悲劇、喜劇を創造します。神、つまり意識は、映画のために脚本を書き、映画を製作し、映画を演出し、映画の中のすべての登場人物を演じています。そして、彼は一人一人の登場人物に起こることを苦しみ、そして楽しんでいるということです。意識が映画を作り、意識が映画を観ています。登場人物は映画の終わりに何が起こるか知りません。ただ、自分は登場人物にすぎないと理解した登場人物は、もう何も気にしないということです。


P195
賢者は、自分が行為の結果をコントロールできないことを確信しています。人にできることは、自分の注意を手元の仕事に集中することだけです。その結果、考えることや心配に邪魔されることなく、自分の能力の最善を尽くしておこなわれる仕事は、肉体的疲労も少なく、ほとんど精神的ストレスもなく、自然にいちばんいい状態で遂行されるのです。


P204
一日の終わりに、行為が起こったままにすべての行為を分析してみると、いくつかの思考がやってきて、あなたはそれに何のコントロールもできなかったことに気づくでしょう。そこには思考の連続がありました。脳は、あなたがコントロールできないさまざまな状況に従って、これらの思考に反応しました。

一日の終わりに分析して、自分はコントロールできなかったという結論に達するのです。思考が起こった、あるいは、あなたは提案とか何かを聞いた、何かを見た。脳は、見られたり、聞かれたり、考えられたりしたことに反応したのです。あなたはこの分析を自分のどんな行為にも使うことができます。そして、一日の終わりに、自分の個人的な体験から、それは「自分の」行為ではなかったことを見いだすのです。行為を分析することが、あなたがする必要のある唯一のサーダナ、すなわち修行です。

あらゆる人間は、源泉が使うプログラムされた道具やコンピュータです。遺伝子と条件づけが、私がプログラミングと呼んでいるものです。源泉が望む行為をもたらすために、源泉があなたに思考を送ると、脳はその思考に反応し、プログラミングに従ってアウトプット(出力)します。あなたは、この出力は「自分の」行為だと言います。でも、一つ一つの行為を分析すると、あなたはどんな行為も「自分の」行為ではないという結論に至ります。
2020年05月02日 12:57
P213
一日の終わりごとに自分の行為を分析するにつれ、行為が起こっているときに、それらがただ起こっていることを観照しているのを、あなたは見いだすでしょう。しばらくすると、何かをしている最中に、何であれ何もやっていないということに、あなたは たまたま気づくでしょう。というのは、あれこれのものごとはただ起こるからです。


P268
機能する心は、現在の瞬間に働く心です。瞬間にいる機能する心は、ただ仕事をすることだけに関心があります。機能する心は、結果に関心がありません。成功するかどうか、期待したお金が儲かるかどうかを心配するのは、考える心です。考える心はエゴであり、期待です。ですから、考える心はいつも過去か未来に生きて、決して現在の瞬間にいることはありません。


P269
この理解が何を生み出すのかといえば、結果が自分にコントロールできないとわかって、考える心が機能する心を妨害することがますます少なくなる、ということです。そして、もし考える心が機能する心を妨害することが少なくなれば、そのときには機能する心は明らかにもっと能率的になります。そして、もし機能する心が能率的になれば、あなたの仕事ももっと能率的になります。そして、あなたの仕事がもっと能率的になれば、あなたの報酬ももっと増える傾向になるのです。


P278
心の平和は、それを求めるのをやめて、ものごとを起こるがままにするときにのみ生じるのです。

何かをしなさい。自分の生活費を稼ぐ目的で何かに従事しなさい。何かをして、考える心よりも機能する心に機会を与えなさい。


P298
行為者という感覚なしに続けられる普通の日常生活が、突然の悟りが起こるための、可能なかぎりいちばんよい下準備です。


P324
存在するすべては意識である。
起こることはすべて神の意志である。
行為は起こるが、個々の行為者はいない。
人は自由意志をもっていない。

2020年05月02日 12:58
P339
霊的探求とは、個人的行為者という感覚を取り除くプロセスである。

サーダナ(霊的修行)。それは悟りという目標を先導するかもしれないし、しないかもしれない。その目標が起こるかどうかは、その探求者の運命による。もしサーダナが起こるなら、起こるままにしておきなさい。伝統的サーダナは、瞑想、ヨーガ、無私の奉仕である。ある肉体精神機構は、あるタイプのサーダナをやるようにプログラムされているが、別のタイプのサーダナをやるようにプログラムされていないかもしれない。ラメッシが勧める唯一のサーダナは、行為の分析、または調査である。



「意識は語る ラメッシ・バルセカールとの対話」

P111
悟りが意味することはただ、個人的行為者という感覚が消えることだけです。すべての行為は全体性の行為として見なされます。


P136
脳は自力のない物質です。脳はどんな思考も作り出すことはできません。脳は外から来る思考に反応して、巻き込まれるだけです。


P156
私たちは不安定さといっしょに生きなければなりません。私たちは変化といっしょに生きなければなりません。人生は変化にもとづいていることを受容することが、前進するための大きな一歩です。


P285
怒りがわき起こるのは垂直的出来事です。あなたはそれをコントロールできません。思考や感情がわき起こることは、あなたのコントロールを超えています。それは外側からの出来事です。その思考、あるいは怒りの感情はわき起こる何かであり、悟っていようとそうでなかろうと、それに対してあなたは何のコントロールもできないのです。

悟りのあとも、その肉体精神機構は肉体精神機構であり続け、それは自分自身の自然の特徴に従って、外側の思考や出来事に反応します。でも、その反応がわき起こる瞬間に、それは観照され、切り離されます。水平的に巻き込まれることがないのです。

欲望は消えません。思考、感情、欲望、それらはただ起こります。でも、それらは受け取られません。何が起こっても、それが観照されるとき、それはただ消えます。でもその思考、感情、欲望が起こることは、その肉体精神機構のコントロールを越えた何かです。心の性質はそれを「受け取る」か、それに巻き込まれるかのどちらかです。でも、「自分」がそこにいないときは、それが起こることが観照され、そしてそれが消えていきます。


P341
何十億というすべての人間機構は単なる道具であり、それを通じて神、全体性、意識が機能しているのです。何であれやっていることを、自分がやっていると思うことが幻想です。
2020年05月02日 12:58
P475
人が一番安定するのは、ストレスなく流れることによってであり、それはイエスの教義、「明日のことを思いわずらうな」、「額に汗して働け」と同じです。

心配を止める唯一の方法は、変化は人生の基本で、私たちは常に自分が好きな何かをもち続けることはできないという、正しい理解を通じてです。私たちは人生の中の受け入れ難いかもしれない物事を、受け入れる覚悟をする必要があります。


P560
思考は外側からあなたの脳に入って来るのです。あなたはあるときはAの道を選び、あるときはBの道を選ぶのです。なぜなら、そのとき思考がやって来て、その選択をするからです。あなたは思考を意図することはできません。何であれ起こることになっていることが、起こるのです。


P564
ただこう言うほうがいいのです。「待って、何が起こるか見てみよう」。


P571
もしこれがただすべて起こっているなら、そして私にできることは何もないなら、どうして私が心配すべきなのでしょうか? どうしてただ落ち着いて、物事が起こるままに、ただそれを観照していないのでしょうか?


P620
最終的な悟りとは、どんな個人の変容でもなく、意識が非個人性に変わる変容です。悟りに到達する個人はいないという理解が訪れるのです。それゆえ、人ができることは、ただ自分のやるべきことをやり、何であれ起こるがままにすることです。
2020年05月02日 13:01
さてっと^^

読んでみるかなっと^^

くれぐれも悟らないようにお願いします^^

おまいらが悟ってどおすんねん^^

ということやな^^
地球人
2020年05月02日 13:36
あさん、炸裂!

自我の自覚が無いとまずいんじゃないかな。^^
2020年05月02日 13:47
snowさんのレスを考えてたら炸裂した^^

snow
2020年04月29日 08:31
車を運転している時。車と道路、運転している人は完全に一体になっていて、運転している私という意識などない。
包丁、まな板で肉を切っている時も。肉を切っている私という意識などない。

私というものが特に意識されない時って、普通にいくらでもありますね。
私という意識などなくても、自動で物事は進んでいってる。
実は、能動態ではなく受動態で皆、動いているのだけれど、能動態で動いていると思っているだけなのではないか。


この気づきはなかなか気づけない^^

普通の人では気づけない^^

そこが盲点なんだよな^^
地球人
2020年05月02日 14:08
あさんの自我を止めようとした。

受動の行為です。^^
地球人
2020年05月02日 14:16
太陽系の歴史でも自我は最後に現れた。
2020年05月02日 15:18
P278
心の平和は、それを求めるのをやめて、ものごとを起こるがままにするときにのみ生じるのです
2020年05月02日 16:08
『…生命には本当に意味があるのか、それは本当に貴重なものか、
調べてみて下さい。それは、ただ起こるだけです。
それは、ただ起こるだけなのです。
知的思考はそれに意味を与え、それからその意味を知りたがります。
生命には意味などありません。
生命の本当の意味は、生命には意味がないことにあります。
それは、ただ起こるだけです。』
2020年05月02日 16:08
「ラメッシ」

わたしには教えの基本があるのでしょうか? はい、あるんですよ。私の教えの基本は、

「意識が存在するすべてである・

つまり、「誰」もどんな行為もしていない。

神の意志がなければ、何ごとも起こらない」というものです。

そして、わたしが「神」と言うとき、

この現象界の内側や外側にいる、全能なる存在のことを言っているのではありません。

私が「神」と言うとき、それは、源泉、意識、つまり二番目のない一なるものを意味し、

その中で、現象化が起こっています。

仏陀は次のように言っています。

「出来事は起こり、行為は為されるが、そこに個々の行為者はいない」。

 これが基本です。

 これ以上短くシンプルな言葉でこのことを表現できた人はいないと思います。

出来事は起こり、行為は為されるが、そこに個々の行為者はいない。

ですから、個々の行為者がいないのであれば、「誰」がそれをするのか、という質問は不適切です。

けれども、知性が質問して、答えを得なければならないというなら、知性は、「誰の行為か?--神の行為です」と教えられるのです。
2020年05月02日 16:17
う~~ん^^

ここにコピペ張ってる行為は私の行為ではない^^

源泉なる意識が行なっている行為である^^

私はなにもしていない^^

ただ眺めているだけである^^

う~~ん^^

確かに^^
地球人
2020年05月02日 17:24
手を振ってください。

それを眺めてみてください。

手を振ってる自覚がないですか?^^


2020年05月02日 17:28
意識が存在するすべてです。意識は、それ自身の中に映像を創造するのです。映画はスクリーンがなければ、そこにあることはできません。ですから、スクリーンが現実で映画は現実ではありません。意識が現実です。あらゆるものは現象で、人間はその現象の一部です。現象の機能とは、夢のようなものです。

確か愚さんもおなじようなこと言ってたな・・^^

スクリーンは空だと・・^^

ここでは意識になってるが言い方がちがうだけか・・^^
2020年05月02日 17:34
悟りが意味することはただ、個人的行為者という感覚が消えることだけです。すべての行為は全体性の行為として見なされます。
地球人
2020年05月02日 17:38
鶏卵を冷蔵庫から一個、取り出してテーブルに置いてください。

それは夢の現象ですか? 現実ですか?
2020年05月02日 18:36
うん?

基本これと同じ^^

12.
それでは、比丘たちよ、考えてみるがよい、色は、恒常だろうか、それとも、無常だろうか。」
「無常です、尊師よ」
「では、無常なるものは、苦だろうか、それとも、楽だろうか」
「苦です、尊師よ」
「無常であり、苦である変化するもの(法)について、
<これは、わたしのものである>
<これは、わたしである(わたしは、これである)>
<これは、わたしの本体(自己、attan)である>
と見ることは、適当だろうか」
「適当ではありません、尊師よ」

13.
それでは、比丘たちよ、考えてみるがよい、感受は、恒常だろうか、それとも、無常だろうか。」
「無常です、尊師よ」
「では、無常なるものは、苦だろうか、それとも、楽だろうか」
「苦です、尊師よ」
「無常であり、苦である変化するもの(法)について、
<これは、わたしのものである>
<これは、わたしである(わたしは、これである)>
<これは、わたしの本体(自己、attan)である>
と見ることは、適当だろうか」
「適当ではありません、尊師よ」

14.
それでは、比丘たちよ、考えてみるがよい、表象は、恒常だろうか、それとも、無常だろうか。」
「無常です、尊師よ」
「では、無常なるものは、苦だろうか、それとも、楽だろうか」
「苦です、尊師よ」
「無常であり、苦である変化するもの(法)について、
<これは、わたしのものである>
<これは、わたしである(わたしは、これである)>
<これは、わたしの本体(自己、attan)である>
と見ることは、適当だろうか」
「適当ではありません、尊師よ」

15.
それでは、比丘たちよ、考えてみるがよい、志向作用は、恒常だろうか、それとも、無常だろうか。」
「無常です、尊師よ」
「では、無常なるものは、苦だろうか、それとも、楽だろうか」
「苦です、尊師よ」
「無常であり、苦である変化するもの(法)について、
<これは、わたしのものである>
<これは、わたしである(わたしは、これである)>
<これは、わたしの本体(自己、attan)である>
と見ることは、適当だろうか」
「適当ではありません、尊師よ」

16.
それでは、比丘たちよ、考えてみるがよい、識別作用は、恒常だろうか、それとも、無常だろうか。」
「無常です、尊師よ」
「では、無常なるものは、苦だろうか、それとも、楽だろうか」
「苦です、尊師よ」
「無常であり、苦である変化するもの(法)について、
<これは、わたしのものである>
<これは、わたしである(わたしは、これである)>
<これは、わたしの本体(自己、attan)である>
と見ることは、適当だろうか」
「適当ではありません、尊師よ」

17.
「それだからこそ、比丘たちよ、過去・未来・現在のいずれであれ、内であれ外であれ、粗いものであれ細かいものであれ、劣ったものであれ優れたものであれ、遠くであれ近くであれ、一切の色は、
<これはわたしのものではない>
<これはわたしではない(わたしはこれではない)>
<(これは)わたしの本体(attan)ではない>
と、このように、あるがままに、正しい智慧をもって見られねばならない。

18.
それだからこそ、比丘たちよ、過去・未来・現在のいずれであれ、内であれ外であれ、粗いものであれ細かいものであれ、劣ったものであれ優れたものであれ、遠くであれ近くであれ、一切の感受は、
<これはわたしのものではない>
<これはわたしではない(わたしはこれではない)>
<(これは)わたしの本体(attan)ではない>
と、このように、あるがままに、正しい智慧をもって見られねばならない。

19.
それだからこそ、比丘たちよ、過去・未来・現在のいずれであれ、内であれ外であれ、粗いものであれ細かいものであれ、劣ったものであれ優れたものであれ、遠くであれ近くであれ、一切の表象は、
<これはわたしのものではない>
<これはわたしではない(わたしはこれではない)>
<(これは)わたしの本体(attan)ではない>
と、このように、あるがままに、正しい智慧をもって見られねばならない。

20.
それだからこそ、比丘たちよ、過去・未来・現在のいずれであれ、内であれ外であれ、粗いものであれ細かいものであれ、劣ったものであれ優れたものであれ、遠くであれ近くであれ、一切の志向作用は、
<これはわたしのものではない>
<これはわたしではない(わたしはこれではない)>
<(これは)わたしの本体(attan)ではない>
と、このように、あるがままに、正しい智慧をもって見られねばならない。

21.
それだからこそ、比丘たちよ、過去・未来・現在のいずれであれ、内であれ外であれ、粗いものであれ細かいものであれ、劣ったものであれ優れたものであれ、遠くであれ近くであれ、一切の識別作用は、
<これはわたしのものではない>
<これはわたしではない(わたしはこれではない)>
<(これは)わたしの本体(attan)ではない>
と、このように、あるがままに、正しい智慧をもって見られねばならない。

22.
比丘たちよ、このように見て、(教えを)聞いている聖なる弟子は、色において厭離する。感受において厭離する。表象において厭離する。志向作用において厭離する。識別作用において厭離する。厭離するものは、貪欲から離れ、解脱する。解脱したとき、「解脱した」という知識がある。
滅尽したのは、生まれることである。完成したのは、清浄行である。為したのは、為すべきことであり、さらに、この(輪廻の)状態にいたることはない、と知るのである。」
地球人
2020年05月02日 19:33
自我の意識と無常は何の関係があるの?^^
2020年05月02日 19:35
うん?

意識の研究は1990年代から盛んになり、私たちの「脳」と「心」の関係についての理解が進んでいきましたが、「意識」の正体は未だ判然としません。とはいえ、諸説ある「意識」における代表的な説では、それが「脳の情報処理の結果」によって生じるものであるといった主張は一致していました。

しかし、新たな研究はこの見解に懐疑的です。そこでは、脳はデジタルコンピューターとは異なることが主張されています。つまり、ニューロンの中に「情報」は存在しておらず、脳はエネルギーの形を変換させるための繊細な器官であり、処理するのは「情報」ではなく「エネルギー」であるというのです。
2020年05月02日 19:38
脳はエネルギーの形を変換させるための繊細な器官であり、処理するのは「情報」ではなく「エネルギー」であるというのです。

う~~ん^^

う~~~~~~~~~~ん^^

う~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ん^^




地球人
2020年05月02日 19:41
意識は知能です。
地球人
2020年05月02日 19:45
生体でない情報処理はできない。^^
2020年05月02日 21:24
あらゆる人間は、源泉が使うプログラムされた道具やコンピュータです。遺伝子と条件づけが、私がプログラミングと呼んでいるものです。源泉が望む行為をもたらすために、源泉があなたに思考を送ると、脳はその思考に反応し、プログラミングに従ってアウトプット(出力)します。あなたは、この出力は「自分の」行為だと言います。でも、一つ一つの行為を分析すると、あなたはどんな行為も「自分の」行為ではないという結論に至ります。

一日の終わりごとに自分の行為を分析するにつれ、行為が起こっているときに、それらがただ起こっていることを観照しているのを、あなたは見いだすでしょう。しばらくすると、何かをしている最中に、何であれ何もやっていないということに、あなたは たまたま気づくでしょう。というのは、あれこれのものごとはただ起こるからです。
地球人
2020年05月02日 21:37
個人のの欲望を忘れてないか?
地球人
2020年05月02日 21:43
また、個人の過去の体験がに知能に大きく関与する。
2020年05月02日 22:52
アメリカの心理学の研究によると、人間は1日におよそ6万個の物事を考えると言われています。睡眠を除くとほぼ毎秒、何かを考えているのです。そしてほとんどの人間がその6万回のうち、95%昨日と同じことを考えていて、80%はネガティブなことを考えているとのこと。これは人間が「記憶力」の優れた生き物であることが原因。ポジティブな生き方に必要なのは、「忘却力」であると言われています。
2020年05月02日 23:02
2005年アメリカ国立科学財団が発表した記事によると、平均的な人で通常1日に1万2千~6万回もの思考を巡らせているそうです。

その内の80%がネガティブ(マイナス)思考で、また95%は前日と全く同じ思考をただ繰り返しているということが報告されています。



1日8時間睡眠として考えると、起床している間に人間は多い時で1時間に3,000回ものネガティブ思考をしている計算になります

それも昨日とほとんど同じことを繰り返して…

世間ではポジティブ(プラス)思考の大切さが叫ばれながらも、現実には多くの人がネガティブ思考に囚われていることが分かります。

しかし、ネガティブ思考自体が悪いという訳ではありません、人間がネガティブなことに敏感なのは、危険から身の安全・安心を守るために備わった本能や潜在意識でもあります。

問題なのは、ネガティブ思考の連鎖を放置することで脳がそれに慣れてしまい、ネガティブ思考の癖が定着した慢性のストレス気質・体質になってしまうことです。
2020年05月02日 23:10
人間は考えないでいることが出来ない


人は考える生き物である。どのくらい考えているのかというと、よく1日に6万回とか言われたりしている。そんな数字で言われてもピンと来ないという人は、一度ざっくりでいいので計算してみて欲しい。私の睡眠時間を引いて計算すると、1秒に1回以上となる。つまり、人間は生きている間ずっと考えているのだ。別の言い方をするなら、人間は「考えない」ということが出来ない生き物なのだ。

それを聞いただけで何だか疲れてくるのだが、残念なことにもっと疲れてしまう事実をお伝えすると、6万回のうち2〜3割は意思とは無関係に頭に浮かんできてしまう思考で、さらにその8割はネガティブな思考なのだという。

ただ、それは人間が生きていくために常にまわりに危険がないかと注意を払う、いわば危険回避プログラムであり、この世の中のすべての人の遺伝子に深く刻み込まれている。だから、何も考えないで過ごしたいと思っても考えることは止められないし、自然とネガティブな思考が頭に浮かんで来ることも止められないのだ。
2020年05月02日 23:13
源泉が望む行為をもたらすために、源泉があなたに思考を送ると、脳はその思考に反応し、プログラミングに従ってアウトプット(出力)します。あなたは、この出力は「自分の」行為だと言います
2020年05月02日 23:14
う~~~ん^^

寝る^^
地球人
2020年05月03日 00:16
人間は考える葦である。^^

身体能力の乏しい人間は考えることで野生の自然界を生き延びたのです。

考えることでコロナウィルス感染から防御しようとしてるのです。





2020年05月03日 08:07
意識の本質について何も語っていないように聞こえるんだが^^
2020年05月03日 08:30
意識が存在するすべてです。意識は、それ自身の中に映像を創造するのです。映画はスクリーンがなければ、そこにあることはできません。ですから、スクリーンが現実で映画は現実ではありません。意識が現実です。あらゆるものは現象で、人間はその現象の一部です。現象の機能とは、夢のようなものです。
2020年05月03日 08:50
つまり・・^^

「三界は虚妄にして、ただこれ心の作なり」

となる^^
2020年05月03日 08:53
2005年アメリカ国立科学財団が発表した記事によると、平均的な人で通常1日に1万2千~6万回もの思考を巡らせているそうです。

その内の80%がネガティブ(マイナス)思考で、また95%は前日と全く同じ思考をただ繰り返しているということが報告されています。



1日8時間睡眠として考えると、起床している間に人間は多い時で1時間に3,000回ものネガティブ思考をしている計算になります

それも昨日とほとんど同じことを繰り返して…


おまいら・・^^

今日もお疲れ^^

しかしおまえらすごいな^^

1時間に3,000回ものネガティブ思考なんて^^
みゅう
2020年05月04日 07:16
あ さん

お元気そうで何よりです。またしばらく修行のお付き合いをお願いします。


>意識が存在するすべてです。


「すべて」と言われるからには少なくともいくつかで確認されたはずです。いくつか、実例をお願いします。


>意識は、それ自身の中に映像を創造するのです。


ほう


>映画はスクリーンがなければ、そこにあることはできません。
ですから、スクリーンが現実で映画は現実ではありません。
意識が現実です。


意識は現実だけれどそれが創造した映像は現実ではないと。


>あらゆるものは現象で、


ここでわからなくなりました。始めの「存在するすべて」と、「あらゆるもの」の関係について教えていただければ嬉しいです。
 
2020年05月04日 07:33
う~~ん^^

個人的考えだと・・^^

スクリーン=意識=即今=現実

映像=意識が創造=過去・未来=非現実

つまり・・^^

即今=ある^^

過去・未来=ない^^

ないものをあるものとして見ている^^

ないものをどうにかしようとしてもむり^^

できないことをしようとするから・・^^

そこに苦が生じるということやな・・^^

つまり・・ありのままでいいんや・・^^

無為自然^^

これやな^^
2020年05月04日 07:44
う~~ん^^

愚さんにも聞いてみたい^^

前に似たようなこと動画で言ってた^^
2020年05月04日 07:49
2005年アメリカ国立科学財団が発表した記事によると、平均的な人で通常1日に1万2千~6万回もの思考を巡らせているそうです。

その内の80%がネガティブ(マイナス)思考で、また95%は前日と全く同じ思考をただ繰り返しているということが報告されています。


これ^^

映像=意識が創造=過去・未来=非現実
2020年05月04日 07:52
意識が存在するすべてです。意識は、それ自身の中に映像を創造するのです。映画はスクリーンがなければ、そこにあることはできません。ですから、スクリーンが現実で映画は現実ではありません。意識が現実です。あらゆるものは現象で、人間はその現象の一部です。現象の機能とは、夢のようなものです。
地球人
2020年05月04日 09:38
意識なんて無い。錯覚です。
知能・脳の働きがあるだけです。笑
2020年05月04日 10:21
うーん^_^

いい風呂や^_^

おまけに前を見ると鳩がいた^_^

映画を鑑賞してる^_^

鑑賞してる自分が消えれば悟りや^_^

つまり^_^

自分は悟りを知り得ないと^_^
みゅう
2020年05月05日 07:05
あ さん

>スクリーン=意識=即今=現実
映像=意識が創造=過去・未来=非現実
つまり・・^^
即今=ある^^
過去・未来=ない^^

>意識が存在するすべてです。意識は、それ自身の中に映像を創造するのです。映画はスクリーンがなければ、そこにあることはできません。ですから、スクリーンが現実で映画は現実ではありません。意識が現実です。あらゆるものは現象で、人間はその現象の一部です。現象の機能とは、夢のようなものです。


 存在する、すなわち、あるのはいまだけでこれを現実という。
あらゆるもの、すなわちあるものもないものも、現実である意識の中のスクリーンに映し出される映像でこれを現象という。
 憂いの元である思考の作った未来も、悔いの元である記憶に基づく過去も現象ではあるが、現実ではない、すなわち、ないのだ。

  これでよいでしょうか。

2020年05月05日 07:31
う~~ん^^

理解するのに3年はかかりそうだ^^

愚さんに聞いたほうがはやいかも^^
2020年05月05日 07:45
唯識三年倶舎八年^^

最も肝要なことは、「なりきり、なりきって」生活することです。現にあるのは、各人のこの一人一宇宙の中の「いま」というこの一刹那の時間、そして「ここ」という空間です。「いま」「ここ」になりきり、なりきっていく、これが広く仏道修行の肝要事であるといっても過言ではありません。

「そう簡単にいわれてもな~~」という感がある^^
2020年05月05日 08:40
今ここになりきる^_^

うん?

どうすればええんや^_^
2020年05月05日 18:39
自他を分別しない心で「今 ここ」になりきって生きる
「becoming one with」(なりきる 一つになる)

なにもしない^^

やな・・^^
2020年05月05日 21:09
「無為」=なにもしないこと、と捉えがちですが、
老子の言う「無為」とは、「何もしない」ではなく、
「作為的なことをしない」ということです。


同時に、「自然」=自ずから然り。
つまり、「作為をせず、あるがままの状態」

無為^^
みゅう
2020年05月06日 07:16
みゅう
2020年05月06日 07:32
あ さん

>理解するのに3年はかかりそうだ^^


三年ですか~?

お待ちします!
2020年05月06日 08:37
う~~ん^^

今ここになりきるを実践してるんだが^^

即今=ある^^
過去・未来=ない^^

ないものを考えてもしょうがないということを心解すれば・・^^

過去未来を思考するときに「あー無駄だ^^やめよう^^」とこうなる^^

そうなると目の前のものが見えてくる^^

前より楽になったな^^

こんな感じ^^
2020年05月06日 10:29
新型コロナウイルスの感染拡大に伴う外出自粛が大事や^^

今日は家にいて5年ぶりに自宅風呂にはいるか^^

掃除をしたが排水溝までしたら腰が痛くなった^^

つまりや・・^^

即今=ある^^
過去・未来=ない^^

これのおかげで・・^^

今ここになりきるを実践していることになる^^

現実を見る割合がふえてきたか^^
2020年05月06日 10:31
ないものをいじると苦が生じる^^
2020年05月06日 10:47
ないものをいじると苦が生じる^^

つまり・・これ↓



2005年アメリカ国立科学財団が発表した記事によると、平均的な人で通常1日に1万2千~6万回もの思考を巡らせているそうです。

その内の80%がネガティブ(マイナス)思考で、また95%は前日と全く同じ思考をただ繰り返しているということが報告されています。



1日8時間睡眠として考えると、起床している間に人間は多い時で1時間に3,000回ものネガティブ思考をしている計算になります

それも昨日とほとんど同じことを繰り返して…
2020年05月06日 10:50
平均的な人で通常1日に1万2千~6万回・・^^

即今に住んでいる人はすくないだろうな。。^^

ないものを見てる人は6万回か・・^^

エネルギーの浪費やな・・^^
2020年05月06日 12:42
入浴剤買ってきましたが・・^^

なにか・・^^
2020年05月06日 12:46
うん?

風呂沸いた^^
2020年05月06日 13:29
入浴剤なめてた^^

ぽかぽかや^^

きき湯10粒+10粒^^

すごいききめや^^

下手すると温泉よりきくかも^^
2020年05月06日 14:09
即今=ある^^
過去・未来=ない^^

ないものを考えてもしょうがない

これだけでかなり変ってくるな^^
みゅう
2020年05月07日 06:37
あ さん

3年我慢できず、一日で戻って来てしまいました。

 屋上天然温泉極楽を見なおし
腰痛をおして家風呂の五年分の汚れを落とし
20タブレット、泡玉マシマシのきき湯を準備して

>これや・・^^
まだぽかぽかや^^
爽快リフレッシュや^^

の境地に至る過程で、何回ほどの思考、何回ほどのネガティブ思考をしたと、あさんはとらえていますか?
2020年05月07日 16:15
うん?


「家風呂の五年分の汚れを落とし」

温泉瞑想ばかりしてたので^^

自宅風呂はいるの5年ぶりや^^

きょうも・・・^^

きき湯10粒+10粒や^^

うわぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ^^

さてっと^^

入る^^
2020年05月07日 16:20
きき湯よりきくのは・・^^

即今=ある^^
過去・未来=ない^^

ないものを考えても無駄^^

これが心解できれば即今に居いられる^^
2020年05月07日 16:26
それより・・^^

昨日の愚さんの動画見るほうが大事や^^

風呂入ったらみるで^^
2020年05月07日 17:56
見た^^

勉強になった^^

Billy Joel - Honesty
https://www.youtube.com/watch?v=SuFScoO4tb0

この曲毎朝目覚ましで聴いている^^

朝3時にiPhoneから流れてくる^^

偶然や^^

2020年05月07日 21:47
真理といえば無為^_^

うん^_^

無為^_^

どこかに書いた感がある^_^
2020年05月07日 21:49
「無為」=なにもしないこと、と捉えがちですが、
老子の言う「無為」とは、「何もしない」ではなく、
「作為的なことをしない」ということです。


同時に、「自然」=自ずから然り。
つまり、「作為をせず、あるがままの状態」

無為^^

となると^_^

あるがままの状態が真理となる^_^

うーん^_^

どないなっとんねん^_^
2020年05月07日 21:57
宮本・伸子〉

3 《(梵)asaṃskṛtaの訳》仏語。人為的につくられたものでないもの。因果の関係を離れ、生滅変化しない永遠絶対の真実。真理。⇔有為 (うい) 。

むむ^_^

無為^_^
2020年05月07日 21:58
うん?

宮本・伸子〉ってだれや^_^
2020年05月07日 23:12
よくよく考えたら^_^

あるがままの状態は真理やな^_^
2020年05月08日 03:11
過去の動画で愚さんは人はそのままで完全だ^_^とそのようなことを言っていた^_^
とするならば^_^

人はそのままで真理だと言っても過言ではない^_^
2020年05月08日 03:19
となると^_^

山川草木悉有仏性^_^

山川草木全てが真理の現れであると^_^

こうなる^_^

うーん^_^
2020年05月08日 03:27
うん?

人為的につくられたものでないもの。因果の関係を離れ

これが大事や^_^

自然のままあるがままが真理の現れであると^_^
2020年05月08日 03:30
変化生滅も真理の現れだからなー^_^
2020年05月08日 03:37
うーん^_^

真理が現成しておる^_^
2020年05月08日 03:42
現成

仏語。眼前に隠れることなく、ありのまま現れていること。自然にできあがっていること。禅宗で用いる。
2020年05月08日 03:48
そうなると^_^

自分というものがあると真理は見えてこないな^_^

2020年05月08日 18:57
真理が現成されたもの現実^^
2020年05月08日 19:01
K:真実と現実の違いはなんですか?

あ:真実が現成されたものが現実です^^

う~~ん^^

いまいち^^

2020年05月08日 19:04
K:真実と現実の違いはなんですか?

あ:真実がありのまま現れたものが現実です^^



2020年05月08日 19:11
・・・ということは・・^^

K:真実と現実の違いはなんですか?

あ:非真実がありのまま現れたものが非現実です^^

う~~ん^^

真理にするか・・^^

K:真理と現実の違いはなんですか?

あ:真理がありのまま現れたものが現実です^^

となると・・^^

あ:非真理がありのまま現れたものが非現実です^^

ということは・・^^

非真理のものは現実化されないと^^

う~~ん^^

混沌と秩序やな・・^^
2020年05月08日 19:19
「現存在は真理の内にある」

うん?

う~~~~ん^^
2020年05月08日 19:26
秩序=真理

混沌=非真理


混沌から秩序そして現実^^

う~~ん^^

コンビニ行って来るやな^^
2020年05月09日 01:37
わたしはその力の全体性が一瞬の今結んでいる「渦」であり、
全体がその一部を露にしている(顕れている)場所である。
すべてのわたしたち、すべての生あるもの、
そしてすべての生なき事物は、そこにおいて顕前する全体性の
現在である。

存在するのは分割できぬ全体性なのである。

だがその全体性はあらゆる「渦」であるわたしを、
わたしたちを、すべての生あるものを、生なき事物を
現象させている。
わたしにおいて、そしてすべての事物において、
内蔵された全体が、内蔵されたものとして顕われている
この一瞬のあらゆるわれわれである顕前するものにおいて
内蔵された全体性が生起しているのである。
われわれは一つの全体の生の場所である。
2020年05月09日 01:51
古典物理学から量子論を通して物理学は、
顕前する現象とその現象を生起させている
力を解明してきた。
その結果、物理学は個物の存在の実体性から退いていく。
個物が実在するのではなく個物と認識されるものは
現象でしかないこと、その個物の現象とは
それを生起させる力の現れであること、
むしろわれわれに顕前する現象とその現象を
生起させる力は不可分であること、
したがってすべての個物はそれを生起させる力
の一元性に還元されることが物理学がたどり着いた
地点である。
一つの顕前する粒子は一つの個物ではなく、
そこにおいてあらゆる現象を生起させる力の
全体性が顕前する場所なのである。
だとすればわたしも個物ではない。
「わたしが生きている」というのは
そもそも仮象なのである。
2020年05月09日 01:57
う~~ん^^

わかりやすい^^

ボームちゃんの言わんとしいぇいることは
こういうことか・・^^

なんか愚さんの言ってることとおなじような・・^^?
2020年05月09日 02:00
わたしが生きているというのは
そもそも仮象なのである。

そうやな・・^^

内蔵された全体が、内蔵されたものとして顕われている
この一瞬のあらゆるわれわれである顕前するものにおいて
内蔵された全体性が生起しているのである。

確かに^^
2020年05月09日 02:15
こうしてボームの物理学の探究は、「内蔵された全体性」に向かうことになる。
われわれの感覚に顕前する秩序をボームは顕前秩序と呼び、
内蔵されている全体の秩序を内蔵秩序と呼ぶ。
実在にアプローチするわれわれの努力は顕前秩序から内蔵秩序へ、
部分的にしか解明されていないことを全体へと深化していく作業である

われわれの感覚に顕前する秩序=顕前秩序

内蔵されている全体の秩序=内蔵秩序


やはり・・秩序やな・・^^
2020年05月09日 02:30
一つの顕前する粒子は一つの個物ではなく、
そこにおいて全体が顕前する場所である。
全体がその一部を露にしている(顕われている)場所なのである。
「全体」は「顕前するもの」の補集合なのではない。
「顕前するもの」の補集合として「内蔵された全体性」があるのではなく、
「顕前するもの」を包括したその全体集合が「内蔵された全体性」なのである。
だから「内蔵された全体性」は顕前しない。
にもかかわらず全体集合はその部分である顕前する
片鱗においてまさに自らを現在してしている


「内蔵された全体性」は顕前しない^^

こうなると・・・^^

温かいコーヒーやな^^

コンビニや^^
2020年05月09日 04:40
個物が実在するのではなく個物と認識されるものは
現象でしかないこと、その個物の現象とは
それを生起させる力の現れ^^

生起させる力^^

エネルギーかな^^

2020年05月09日 05:06
 相対性理論と量子力学は世界に対する接近方法は
異なるが、世界を分割不可能な全体として見ようと
していることでは一致している。
物質と時間と空間が分かちがたいだけでなく、
その光景を見ている観測者も世界の一部に
くみこまれていると見る。
ボームはこのことを「流動運動する分割不可能な全体性
」とよんだ。
 ボームは部分と全体を分けたくない
断片的記述と世界的記述を分けたくないのだ。
ボームにとっては断片化は世界観を中断し、
ときには固定化するものなのである。
だから部分と全体を分けたくない。
分けたくないだけではなくて、
そのあいだに間断なき「流動」(flowing)が
あると見たい。
この流動は物質の運動であって、時間の流れであって、
空間の継続でもあるが、
ボームにとっては思考そのものの様式の問題で、
かつまた言語の様式の問題でもあった。


パソコンと私を分けたくない^^キリッ

https://www.youtube.com/watch?v=qdLPI6XhEN8

2020年05月09日 05:12
物質と時間と空間が分かちがたいだけでなく、
その光景を見ている観測者も世界の一部に
くみこまれていると見る。

量子力学の観測問題きたな・・^^
2020年05月09日 05:14
うん?

もう朝か・・^^

寝る^^
2020年05月09日 08:08
おきた^^

ボームの新しい世界観においては、「運動が本質的な役割を果たす。
運動している何かを想定する必要はない。」、
「最終的に運動に還元されないような存在は何もない。
......全体的運動の中には事物..はない。」と考えられている。
電子や陽子などのさまざまな事物は、全体的運動からの抽象にすぎない。
実在するのは、全体的な運動だけである。

すべてを運動として捉えるこうした「運動一元論」^^


そういえば・・^^

愚さんが・・「何もない・・何もないんだよ」と言っていた^^

つまり・・^^

「全体的運動の中には事物..はない。」

「電子や陽子などのさまざまな事物は、全体的運動からの抽象にすぎない。
実在するのは、全体的な運動だけである。」


このことやな・・^^



2020年05月09日 08:08


>あさん
>
>古典物理学から量子論を通して物理学は、
>顕前する現象とその現象を生起させている
>力を解明してきた。
>その結果、物理学は個物の存在の実体性から退いていく。
>個物が実在するのではなく個物と認識されるものは
>現象でしかないこと、その個物の現象とは
>それを生起させる力の現れであること、
>むしろわれわれに顕前する現象とその現象を
>生起させる力は不可分であること、
>したがってすべての個物はそれを生起させる力
>の一元性に還元されることが物理学がたどり着いた
>地点である。
>一つの顕前する粒子は一つの個物ではなく、
>そこにおいてあらゆる現象を生起させる力の
>全体性が顕前する場所なのである。
>だとすればわたしも個物ではない。
>「わたしが生きている」というのは
>そもそも仮象なのである。

その通りですね
2020年05月09日 08:20
愚さん^^
どうもすみません^^

びっくりしましたです^^
ではおやすみなさいです^^

最後にこれでおわります^^

ボームによれは、「分割不可能な全体性」とは「分割不可能な全体的運動..」である。分割不可能な全体性の一次性は、運動の一次性として展開される。ボームにおいては、世界が一つの全体的運動として捉えられる。それゆえ、「万物は...、分割不可能な全体的運動..である。一見分離した事物と見えるものは、全体的運動の相対的に安定な側面の抽象である」と主張されることになる。全体的運動が「流れ運動」であったことを考慮にいれると、ボームの考え方はつぎのように表わされよう。「川が流れているのではない。相対的に安定した流れが川である。」
2020年05月09日 09:50
温泉きた♨️^_^

再会した^_^

しかしサウナは使用禁止^_^

仕方ない^_^

さてっと^_^

温泉瞑想や^_^

2020年05月09日 12:51
四次元時空では直接観測できない「内蔵された秩序」が実在する

「暗在系」の中の膨大なエネルギーが物質だけではなく
「精神」をも生み出している

うん?
2020年05月09日 12:54
・・ということは・・^^

また・・コンビニでコーヒーなのか^^?

いくか・・^^
2020年05月09日 12:59
「内蔵された秩序」なんてないぞ~~~^^

って何人も言ってる感がする^^
2020年05月09日 13:09
「流動運動する分割不可能な全体性」

「物質、空間、時間も、そして意識も、全ては、全体性の内臓秩序から生み出されるホログラムのような幻覚であり、高次の全体なるものからの投射である」



「空」なのか・・^^

「空」でいいのか^^

ではコンビニヘ^^
2020年05月09日 13:27
かぁ~~~~~つ^^

うまい^^

やはり・・これや・^^

寝る^^
2020年05月09日 19:19


>あさん
>
>「流動運動する分割不可能な全体性」
>
> 「物質、空間、時間も、そして意識も、全ては、全体性の内臓秩序から生み出されるホログラムのような幻覚であり、高次の全体なるものからの投射である」
>
>
>
>「空」なのか・・^^
>
>「空」でいいのか^^
>
>ではコンビニヘ^^

高次といえるのかどうかはわかりませんが、かれの言う通りだと思います。通常の、「空」とは違います。「空」の根源みたいな感じです。触ることも、想像することもできません。
2020年05月09日 20:12
あっ^^

レスありがとうございます^^

ネットでいろいろボームちゃんのこと調べているんですが^^

やはりおもしろいです^^

ちょっと世界観が変ってきた感じです^^

まわりの景色もこれから変ってくると思われます^^

これを知っていると思わぬきずきが現成するかもしれません^^

2020年05月09日 20:19
「運動一元論」^^

これは特に興味深いですね^^
2020年05月09日 20:41
 ボームは、分割不可能な全体性ということから出発して、運動一元論的な世界観へたどりついた。
ボームによれば、「物体が運動する」という語り方は、物体と運動を切り離すものであり、誤りである。実在とは運動であり、運動が実在である。「最終的に運動に還元されないようなものは何もない」。原子とか電子とかすべてのものは、世界そのものである全体的運動の相対的に安定な側面の抽象に過ぎないのである。
 ボームによれば、原子論的世界観や粒子論的世界観における基本的実体である原子や粒子などの自立的要素は、単に相対的にのみ自立的で安定なのである。言わば、「万物は流転する」のであり、生成変化という運動こそが実在なのである。


「万物は流転する」のであり、生成変化という運動こそが実在なのである。

仏教でいうところの刹那生滅という運動こそが実在^^

あっ^^

生住異滅という運動こそが実在か・・^^

うん?

実在ってなんや^^

とこうなる^^

永遠に続くやないかい^^
2020年05月09日 20:57
徒然草「生・住・異・滅の移り変はるまことの大事は、たけき河のみなぎり流るるが如し」

うん?

実在とは・・^^


世に従はん人は、まづ機嫌を知るべし。ついで悪しき事は、人の耳にも逆ひ、心にも違ひて、その事ならず。さやうの折節を心得べきなり。ただし、病をうけ、子産み、死ぬる事のみ、機嫌をはからず、ついで悪しとて止むことなし。生住異滅の移り変はる、まことの大事は、猛き河のみなぎり流るるがごとし。しばしも滞らず、直ちに行ひゆくものなり。されば、真俗につけて、必ず果たし遂げんと思はん事は、機嫌を言ふべからず。とかくのもよひなく、足を踏みとどむまじきなり。

世間に順応しようとする人は、まず(物事の)しおどきを知らなくてはなりません。物事の順序がよくないことは、人の耳にも不愉快に聞こえ、心にも背いて、(とりかかろうとした)その事が成就しません。そのような時節を理解しなければなりません。しかしながら、病気にかかる、子どもを産む、死ぬことだけは、時機を予測せずに(やってきて)、物事の順序がよくないからといって(それらが)治まることはありません。生住異滅が次第に変化することの、本当の重要なことは、勢いが激しい川が満ちあふれて流れるようなものです。(重要なことは、その場に)少しの間も停滞することなく、すぐに進行するものなのです。それゆえ、仏道のことであれ世俗のことであれ、必ず最後までやり遂げようと思うようなことは、時機(が良いか悪いかなどと)言ってはなりません。(やり遂げようと思うようなことには)あれこれと準備することなく、足を踏みとどめてはならないのです。
2020年05月09日 21:04
うん?

世間に順応しようとする人は、まず(物事の)しおどきを知らなくてはなりません。物事の順序がよくないことは、人の耳にも不愉快に聞こえ、心にも背いて、(とりかかろうとした)その事が成就しません。そのような時節を理解しなければなりません。

(物事の)しおどきを知らなくてはなりません。か・・^^

この文がでてきたことは必然や^^

しおどきが大事や・・^^

物事の順序がよくないことは、人の耳にも不愉快に聞こえ、心にも背いて、(とりかかろうとした)その事が成就しません。そのような時節を理解しなければなりません。

うわっ^^

突っ込まれた^^

これは確実に天からの声や・・^^

偶然ではない^^

・・てなことで^^ここらへんでやめときます^^
2020年05月09日 21:31
【実在】

哲学で、

㋐意識から独立に客観的に存在するもの。

㋑生滅変転する現象の背後にあるとされる常住不変の実体。本体。
2020年05月10日 04:51


>あさん
>
> ボームは、分割不可能な全体性ということから出発して、運動一元論的な世界観へたどりついた。
>ボームによれば、「物体が運動する」という語り方は、物体と運動を切り離すものであり、誤りである。実在とは運動であり、運動が実在である。「最終的に運動に還元されないようなものは何もない」。原子とか電子とかすべてのものは、世界そのものである全体的運動の相対的に安定な側面の抽象に過ぎないのである。
> ボームによれば、原子論的世界観や粒子論的世界観における基本的実体である原子や粒子などの自立的要素は、単に相対的にのみ自立的で安定なのである。言わば、「万物は流転する」のであり、生成変化という運動こそが実在なのである。
>
>
>「万物は流転する」のであり、生成変化という運動こそが実在なのである。
>
>仏教でいうところの刹那生滅という運動こそが実在^^
>
>あっ^^
>
>生住異滅という運動こそが実在か・・^^
>
>うん?
>
>実在ってなんや^^
>
>とこうなる^^
>
>永遠に続くやないかい^^

現象世界というものは、「あるもの」の千変万化だといってもいいわけです。この「あるもの」は永遠です。
2020年05月10日 04:55


>あさん
>
> ボームは、分割不可能な全体性ということから出発して、運動一元論的な世界観へたどりついた。
>ボームによれば、「物体が運動する」という語り方は、物体と運動を切り離すものであり、誤りである。実在とは運動であり、運動が実在である。「最終的に運動に還元されないようなものは何もない」。原子とか電子とかすべてのものは、世界そのものである全体的運動の相対的に安定な側面の抽象に過ぎないのである。
> ボームによれば、原子論的世界観や粒子論的世界観における基本的実体である原子や粒子などの自立的要素は、単に相対的にのみ自立的で安定なのである。言わば、「万物は流転する」のであり、生成変化という運動こそが実在なのである。
>
>
>「万物は流転する」のであり、生成変化という運動こそが実在なのである。
>
>仏教でいうところの刹那生滅という運動こそが実在^^
>
>あっ^^
>
>生住異滅という運動こそが実在か・・^^
>
>うん?
>
>実在ってなんや^^
>
>とこうなる^^
>
>永遠に続くやないかい^^

ボームの関連では、昔、こんな本の監修しました。読みにくい本ですが、よろしかったら読んでください。いい本です。

https://www.amazon.co.jp/%E5%89%B5%E9%80%A0%E6%80%A7%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6%E2%80%95%E6%96%B0%E3%81%97%E3%81%84%E7%9F%A5%E8%A6%9A%E8%A1%93%E3%82%92%E6%B1%82%E3%82%81%E3%81%A6-%E3%83%87%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%83%E3%83%89-%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%A0/dp/4434181297
2020年05月10日 05:26
あっ^^

レスありがとうございます^^

【千変万化】
さまざまに移り変わって、目くるめく変化をし続けていること。

 仏教の場合、いかなる場面においても創造神を立てません。従って、人間および人間と関わるこの世界は、諸条件による関係性によって生起し、成り立っている(縁起の思想)と受け止めます。それゆえ一切は無常(生滅変化してとどまることなく移り変わること)であり、無我(不変の本質を有しないこと)であるのです。さらに、縁起説は、私たち人間の迷いの生存・苦しみの生存は如何にして(何にもとづいて)このように成立しているのであるか、というその所以を考察して明らかにし、同時に、その根本の条件を滅することによって、私たちの迷いの生存・苦しみの生存も滅ぼしうることを教えています。
 このような、有神論的な宗教と無神論的な宗教としての仏教に関し、特に科学との関係から注目すべき主張をされているのは、約100年前に相対性理論を発見し、20世紀最大の物理学者と称讃されているアインシュタイン博士です。

う~~ん^^

あるものが変化し続けている^^

あるものとは何か・・^^

ボームの新しい世界観においては、「運動が本質的な役割を果たす。
運動している何かを想定する必要はない。」

ボームに言わせると「運動している何かを想定する必要はない。」

とこうなる^^

う~~ん^^

この「あるもの」を軽いタッチで考えてみたいと思います^^
2020年05月10日 05:33
うわっ^^


創造性について―新しい知覚術を求めて (日本語) 単行本
デヴィッド ボーム (著), 渡辺 充 (監修)

うわっ^^うわっうわっ^^

さすが愚さんや・・^^

神に近い人や・・^^

うわぁああああああああああああああああああああああああ^^

早速購入して読んでみたいと思いますです^^

2020年05月10日 05:35
うん?

またまたごまをすった感があるです^^
2020年05月10日 06:04
運動が実在であるとすると・・^^


277 、「一切の形成されたものは無常である」(諸行無常)と明らかな知慧をもって観(み)るときに、ひとは苦しみから遠ざかり離れる。これこそ人が清らかになる道である。

279 、「一切の事物は我ならざるものである」(諸法非我)と明らかな知慧をもって観るときに、ひとは苦しみから遠ざかり離れる。これこそ人が清らかになる道である。

三法印 (四法印)

法印とは仏教の旗印の意で、仏教の根本真理を三つにまとめたもの。 諸行無常・諸法無我・涅槃寂静の三。これに一切皆苦(一切行苦)を加えたものを四法印と呼ぶ。

う~~ん^^

諸行無常・諸法無我・・^^

真理やな・・^^
2020年05月10日 06:07
「徒然草」に突っ込みを入れられたのでこの辺で終わりにしたいと
思います^^

コンビニでコーヒーです^^
みゅう
2020年05月11日 07:41
あ さん

お疲れ様でした。
投了します。
何が投げられたって?んー、とにかく降参。
有難うございました。またよろしく。

今、「現象学入門」竹田青嗣 読んでます。
内容とは関係ないですが、現 と 象 を組み合わせて”現象”をあらわす。
便利だけど、不正確。
ここいらへんの概念を表すために必要な数十個の漢字、
事、実、真、理、表、在、、、、
おさらいする必要を感じています。



2020年05月11日 08:20
うーん^_^

困った^_^

頭が空っぽにならん^_^

みんな捨てよっと^_^
2020年05月11日 18:00
「現象世界というものは、「あるもの」の千変万化だといってもいいわけです。この「あるもの」は永遠です。」

愚さんのこの言葉を読んで^^


2009/9/12 シュレーディンガーの遺言
数理科学の9月号 特集/シュレーディンガーを読んでいましたところ、以下のような文章がありました。


~~~シュレーディンガーが日記に書いた、遺言とも言えるものは下記のとおりである。

なぜなら、あるものはわれわれがそのものを感じるが故にあるのではない。
そして、そのものがないのはわれわれがそのものを感じないが故ではない。
そのものが存在するがゆえにわれわれはある。しかも持続的にである。
それゆえ、あらゆる存在は、すべて唯一なる存在である。
そしてある人が死んでも、唯一なる存在があり続けるということは、
その人が存在をやめたのではないということを君に告げているのだ。

私の墓に簡単な木片(たとえば箱のふた)にペンキでこれを書いて下さい。
けれども、木片があまりにすぐ腐朽しても困るので、少しばかりモルタルを
塗ってください。あとは思い残すことはありません。~~~


これは、シュレーディンガーの死の20年ほど前に書かれた詩ですが、この詩が発見されたのは没後40年が経った後のことで、娘さんたちによって望みが叶えられたそうです。


このシュレーディンガーの遺言が出てきたことは^^

偶然か・・またまた必然か^^

必然だろうな・・^^

どっからどう見ても^^
2020年05月11日 18:12
エルヴィン・シュレーディンガー

生涯ヒンドゥー教のヴェーダーンタ哲学に興味を有した(若き日にショーペンハウアーを読み耽った影響)。著書の中で、「量子力学」の基礎になった波動方程式が、東洋の哲学の諸原理を記述している、と語り、『精神と物質』には、次のように記している。「西洋科学の構造に東洋の同一化の教理を同化させることによって解き明かされるだろう。一切の精神は一つだと言うべきでしょう。私はあえて、それは不滅だと言いたいのです。私は西洋の言葉でこれを表現するのは適さないということを認めるものです。」

「一切の精神は一つだと言うべきでしょう。私はあえて、それは不滅だと言いたいのです。」



う~~ん^^

やはりこうなると・・^^

コンビニへこーひーやな^^
2020年05月11日 22:02


>あさん
>
>「現象世界というものは、「あるもの」の千変万化だといってもいいわけです。この「あるもの」は永遠です。」
>
>愚さんのこの言葉を読んで^^
>
>
>2009/9/12 シュレーディンガーの遺言
>数理科学の9月号 特集/シュレーディンガーを読んでいましたところ、以下のような文章がありました。
>
>
>~~~シュレーディンガーが日記に書いた、遺言とも言えるものは下記のとおりである。
>
>なぜなら、あるものはわれわれがそのものを感じるが故にあるのではない。
>そして、そのものがないのはわれわれがそのものを感じないが故ではない。
>そのものが存在するがゆえにわれわれはある。しかも持続的にである。
>それゆえ、あらゆる存在は、すべて唯一なる存在である。
>そしてある人が死んでも、唯一なる存在があり続けるということは、
>その人が存在をやめたのではないということを君に告げているのだ。
>
>私の墓に簡単な木片(たとえば箱のふた)にペンキでこれを書いて下さい。
>けれども、木片があまりにすぐ腐朽しても困るので、少しばかりモルタルを
>塗ってください。あとは思い残すことはありません。~~~
>
>
>これは、シュレーディンガーの死の20年ほど前に書かれた詩ですが、この詩が発見されたのは没後40年が経った後のことで、娘さんたちによって望みが叶えられたそうです。
>
>
>このシュレーディンガーの遺言が出てきたことは^^
>
>偶然か・・またまた必然か^^
>
>必然だろうな・・^^
>
>どっからどう見ても^^

いいこと書くね・・・・・シュレディンガーは好きだな・・・・女癖が悪かったみたい

こんど、この言葉、ライブで、みなに紹介しようかな

わたしもこんな言葉を死ぬときに書こうかな