23日ライブ・・・・・拈華微笑、非風非幡

みなさま
お世話になります

本日23日、19時よりライブやります。

https://youtu.be/ab2_by6yMCY

よろしかったら参加してください

http://www.jyofukuji.com/10zengo/2009/04.htm
拈華微笑《ねんげみしょう》  (無門関)

  「世尊、昔、霊山会上に在って、花を拈じて衆に示す。是の時、衆皆な黙然たり。
  惟(ただ)迦葉尊者のみ、破顔微笑(はがんみしょう)す。世尊云く、「吾に正法眼蔵
  (しょうぼうげんぞう) 涅槃妙心(ねはんみょうしん) 実相無相(じっそうむそう) 
  微妙法門(みみょうのほうもん)あり。不立文字(ふりゅうもんじ)教外別伝(きょうげ
  べつでん)摩訶迦葉(まかかしょう)に付嘱(ふしょく)す」と。


 ある日のこと世尊は霊鷲山での説法において大衆にむかって静かに金波羅華

〈こんぱらげ〉という花を高くかざして示された。このとき大衆はその意味が

分からず、ただ黙ったまま何の言葉も出せなかった。このとき一番弟子の迦葉

尊者だけが破顔し微笑したのである。この微笑に世尊は迦葉こそわが真意を解し

たると、これを受けがい「吾に、正しき智慧の眼(法眼)をおさめる蔵があり、

涅槃〈悟り〉に導く真実絶対なる法門がある。

 この法門は言葉によらず、文字によっても教えられない

微妙の法門である。この我が真実の法の一切を摩訶迦葉に

伝授する」と釈尊の悟りのすべてが伝授されたのだという

故事によって生まれた拈華微笑である。

非風非幡

六祖、因みに刹幡(せっぱん)を颺(あ)ぐ。二僧有り、対論す。一は云わく、

幡動く。一は云わく、風動くと。往復して曾て未だ理に契わず(かなわず)。

 祖云わく、是れ風の動くに非ず、是れ幡の動くに非ず、仁者の心動くのみと。

二僧悚然(しょうねん)たり。


渡辺 充

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この記事へのコメント

2020年04月23日 13:02
タパス(苦行)とは何のことでしよう? それは、妻子を捨てて森の中に逃げ込み、逆立ちの姿勢を続けることではありません。タパス(苦行)に関する私たちの認識は、すべてを捨てて森に入り、神を黙想するというようなものです。タパスとは、まず、心の中のあらゆる不純な想いを取り除くことを意味します。タパスとは、実際的には、想いと言葉と行動を一致させることです。――私たちの想いと言葉と行動を調和させることです。私たちの心に浮かんだ想いを、ありのままに言葉で表現し、それを忠実に行動に移すこと一一それがタパスの意味するところです。このような意味において、想いと言葉と行動が調和して、一致している人こそがマハートマ(偉大な魂)であるという諺があるのです。

「犠牲とは、心の中から、あらゆる悪い想いを追い払い、手放してしまうことである。
それによってあなたはヨーガへと導かれる。
財産を手放し、妻と別 れて森の中に逃げ込むことは、ヨーガではない。」

 一般的な認識として、犠牲とは、財産を手放し、妻のもとを出ていくことであると考えられています。これはまったくの誤りで、犠牲に関する間違った考え方です。心の中から、あらゆる悪い想いや、けがれた想いを追い払って、心を純枠にしなければなりません。苦行(タパス)をそれ以外の意味として理解すべきではありません。苦行とは、あなたの言葉を想いに一致させ、またあなたの行動を言葉に調和させることです。
カムイ
2020年04月23日 21:18
愚さん
ライブ楽し〜
ライブ見終わってスクーターでコンビニ向かってる時、風景がある、でもわたしがない。
風景だけがあると少し感じました。
ライブでいい刺激を受けたんだど思います。
カムイ
2020年04月23日 21:23
愚さんに反論
雨にも負けず
そう言う人になりたい

なればいいんだって言われましたけど、なったら自覚ないんであんな詩書けないですよ。
カムイ
2020年04月23日 21:51
この歌作った人は瞬間だけでも、一を自覚した人だと思います。

JUPITER 歌詞
歌:平原綾香
作詞:吉元由美
作曲:HOLST GUSTAV (NON PROTECTED SHARES)
Every day I listen to my heart
ひとりじゃない
深い胸の奥で つながってる
果てしない時を越えて 輝く星が
出会えた奇跡 教えてくれる

Every day I listen to my heart
ひとりじゃない
この宇宙の御胸に 抱かれて

私のこの両手で 何ができるの?
痛みに触れさせて そっと目を閉じて
夢を失うよりも 悲しいことは
自分を信じてあげられないこと

愛を学ぶために 孤独があるなら
意味のないことなど 起こりはしない

心の静寂に 耳を澄まして

私を呼んだなら どこへでも行くわ
あなたのその涙 私のものに

今は自分を 抱きしめて
命のぬくもり 感じて

私たちは誰も ひとりじゃない
ありのままでずっと 愛されてる
望むように生きて 輝く未来を
いつまでも歌うわ あなたのために
カムイ
2020年04月23日 23:32
悲しい音楽を聴いたら悲しい、次の曲がロックならノリノリ。
継続しない、今だけがある。
カムイ
2020年04月23日 23:53
あらゆる感情が継続しない。
今の感情があるだけ。
マイヤーマイヤー
2020年04月24日 01:29
マイヤーマイヤー
2020年04月24日 01:38
座禅は何故預流果の悟りから先に進まないのだろう?
部派は預流果からが始まるのに。
2020年04月24日 10:26
ホルストのメロディはすばらしいけど、あれにへんてこりんな歌詞付けた人が悟ってたとは考えにくい。

音楽でそれなりに悟った人って、モーツァルト バッハ ベートーヴェンくらいでしょ。
カムイ
2020年04月24日 12:12
ころころかわるからこころ

あらゆる感情が継続しない、今の感情があるだけ

これは瞬間に救われる事を意味する
地球人
2020年04月24日 13:04
禅は唯物論でしょ。
カムイ
2020年04月24日 14:46
愚さんと接触して自我が落ちてる。
わたしの場合自我が落ちると寂しさが伴うんです。

あ〜寂しいな
カムイ
2020年04月24日 14:54
愚さんの言葉をかき集めるんでなくて、愚さんの言う事を実践したり理解して落としたり、捨てて行く方向。
2020年04月24日 16:20
うわっ^_^

昨日ライブ見逃したので本日もライブお願いします^_^
2020年04月24日 17:37


>カムイさん
>
>愚さんの言葉をかき集めるんでなくて、愚さんの言う事を実践したり理解して落としたり、捨てて行く方向。

わたしの言っていることなど、どうでもいいことです。
いま、パソコンを見ているでしょ?
見ている自分という感覚があります。

この感覚をなんとしても取っ払うんです。
ガムシャラでいいんです。

坐禅しようが、念仏あげようが、叫ぼうが、なんでもいいです。うまくやろうと思わないことです。禅も仏教もそんなことどうでもいいです。

自分のあらゆるエネルギーをそこに集中します。それだけです。
2020年04月24日 17:38


>あさん
>
>うわっ^_^
>
>昨日ライブ見逃したので本日もライブお願いします^_^

また、近いうちにやります・・・・日曜日くらいに考えていますが・・・・・わかりません
カムイ
2020年04月24日 18:01
愚さん

いま、パソコンを見ているでしょ?
見ている自分という感覚があります。

この感覚をなんとしても取っ払うんです。
ガムシャラでいいんです。

坐禅しようが、念仏あげようが、叫ぼうが、なんでもいいです。うまくやろうと思わないことです。禅も仏教もそんなことどうでもいいです。

自分のあらゆるエネルギーをそこに集中します。それだけです。


励ましくれてありがとう
今、突破する勢い
2020年04月24日 19:05
え~~と^^

再放送2回再生終えました^^

ジァジァジァジァ~~ん^^

カムイ
2020年04月24日 22:40
普段は自分という感覚はない。
意識すると自分という感覚がある。
そしてこの感覚を無くそうとしてる。
変な作業です。
でも、自分で実験するしかない。
カムイ
2020年04月24日 22:57
スマホと睨めっこしながら自分がない
と五分くらいエネルギーを集中してたら
スマホと手の境、周りの風景が危うい。
この方向だね。
すごいエネルギーを使ってるのがわかる。
2020年04月25日 00:13


>カムイさん
>
>普段は自分という感覚はない。
>意識すると自分という感覚がある。
>そしてこの感覚を無くそうとしてる。
>変な作業です。
>でも、自分で実験するしかない。

理屈の上では、無駄な作業です。ですから、余計な作業だというひとが一般的です・・・・つまり、ないものを、一回、意識して、それを消そうというのですから・・・

しかし、今度、必要があれば、YOUTUBEで説明しますが、この作業は合理的なんです。

実際、やってみれば、消えます。

こういったことをしないで、只管打坐のように、なにもしないでいるというのでもいいのですが、こっちのほうが、直接的で、手っ取り早いと、わたしは思うのですが・・・・
カムイ
2020年04月25日 00:32
愚さん

気がついたらなるべく自分がない
をやってると、これいい!と感じました。
凄くエネルギーを使ってるのがわかります。
頭が熱くなる感じがしたり、自分の手足がうまく動かせない感じになったり、意識がうすれたり。
非常に良い感じです。
愚さん教えてくれてありがとう。
続けて見ます。
カムイ
2020年04月25日 00:47
これ多分積極的に思考停止させてる。
2020年04月25日 00:47


>愚さん
>
>
>>カムイさん
>>
>>普段は自分という感覚はない。
>>意識すると自分という感覚がある。
>>そしてこの感覚を無くそうとしてる。
>>変な作業です。
>>でも、自分で実験するしかない。
>
>理屈の上では、無駄な作業です。ですから、余計な作業だというひとが一般的です・・・・つまり、ないものを、一回、意識して、それを消そうというのですから・・・
>
>しかし、今度、必要があれば、YOUTUBEで説明しますが、この作業は合理的なんです。
>
>実際、やってみれば、消えます。
>
>こういったことをしないで、只管打坐のように、なにもしないでいるというのでもいいのですが、こっちのほうが、直接的で、手っ取り早いと、わたしは思うのですが・・・・

補足しなければなりません。整理します。

1、普段は、パソコンを見ている自分という感覚はないことを確認します。

2、だれが見ているのか?と問うと、自分という感覚が生まれる、ということを確認します。

3、ということは、自分という感覚は脳の作用であるということを推測します。

4、(ここで少し飛躍がありますが)自分という感覚は、脳の条件付けであると推測します。

5、この条件付けを突破しようとします。

6、そこで、(ここがちょっと変わったところですが)、この条件付けを強く意識します。つまり、「オレ」が見てる、の「オレ」の感覚を強めます。

7、そして、この「オレ」の感覚に、成り切ってしまいます。頭のてっぺんからつま先まで、強めた「オレ」の感覚で一杯にします。

8、これを徹底やります。すると、「オレ」という感覚が消えていきます。

9、このとき、パソコンと自分のギャップは消えます。

10、唯識的な理屈でいうと、潜在的に動いている末那識を意識化して、それを突破しているわけです。
2020年04月25日 00:50


>カムイさん
>
>愚さん
>
>気がついたらなるべく自分がない
>をやってると、これいい!と感じました。
>凄くエネルギーを使ってるのがわかります。
>頭が熱くなる感じがしたり、自分の手足がうまく動かせない感じになったり、意識がうすれたり。
>非常に良い感じです。
>愚さん教えてくれてありがとう。
>続けて見ます。

それでいいです。わたしが、いま書いたのは無視していいです。どちらも、同じことです。
カムイ
2020年04月25日 01:15
愚さん

これ枕叩きと同じ原理なんですね。

怒りそのものになって怒りを落とす。
オレそのものになってオレ落とす。
カムイ
2020年04月25日 01:38
凄いなこれ
すーって息を吐いたり吸ったりしてるけど、からだがない感じ。
みゅう
2020年04月25日 07:31
カムイさん

 走ってますなー 元気貰えます。

 Deep Purpleか? 知らないだろうけど
https://www.youtube.com/watch?v=7zKAS7XOWaQ

年寄りは火の粉を浴びないように遠くから声援を送ります。

有難う。
カムイ
2020年04月25日 08:00
みんなやれば良いのに
ここに書き込んでるのは自分の為でもあり、見てる人の為でもあるのに。

昨日寝る時、次の朝ちゃんといつも通り目が覚めるのかな、このままパックリいくんじゃないか?とか思いましたよ。
怒りは五分くらいでなくなるけど、自分となると結構しぶといね。
でも、なんか変化があるのは確か。
前より自分で自分が見えない。
swinganova
2020年04月25日 08:12
愚さん、カムイさん

今のお二方のやり取りと関係があるかもしれない「実験」に
ついて書きましたので、リンクを貼らせてください。
ちょっとくどいかもしれませんが、ご参考になれば嬉しいです ...

https://note.com/bananafish_6251/n/n56353deee061
カムイ
2020年04月25日 08:27
そんな事される為にここに書き込んでるんじゃないから。

そんな事されるんなら愚さんと直接メールでやり取りする方がいいかもな。
swinganova
2020年04月25日 08:34
>カムイさん

ご気分を害されてしまったようでしたら、申し訳ありません。


>愚さん

先ほどの私の書き込み、不適切であれば削除してください。よろしく
お願いします。
カムイ
2020年04月25日 08:40
あなたは無茶苦茶文書長く書く人ですよね。
それ、思考が連鎖してるんです。
なので、ぽっ、ぽって湧く思考だけを自覚して見たらいいかもです。
swinganova
2020年04月25日 09:05
カムイさん

人にそう思わせてしまうようでは、私もまだまだ修行不足のようです。
アドバイス、ありがとうございました。
カムイ
2020年04月25日 09:18
俺が言っても誰も信じないけどね。
地球人
2020年04月25日 09:19
>わたしの場合自我が落ちると寂しさが伴うんです。

>あ〜寂しいな

自我が落ちてない。笑
地球人
2020年04月25日 09:27
もっとも、バカヤロー禅は自我です。笑
地球人
2020年04月25日 10:03
坐禅も、観ている自我があります。笑
カムイ
2020年04月25日 10:13
みんな切羽詰まってないね
余裕ですね
2020年04月25日 10:17


>カムイさん
>
>愚さん
>
>これ枕叩きと同じ原理なんですね。
>
>怒りそのものになって怒りを落とす。
>オレそのものになってオレ落とす。

原理的には同じです。ただ、こっちのほうが、難しいですが・・・・
2020年04月25日 10:20


>swinganovaさん
>
>愚さん、カムイさん
>
>今のお二方のやり取りと関係があるかもしれない「実験」に
>ついて書きましたので、リンクを貼らせてください。
>ちょっとくどいかもしれませんが、ご参考になれば嬉しいです ...
>
>https://note.com/bananafish_6251/n/n56353deee061

これは面白いですね・・・・・「自分の顔を指差すと、その指が差す方向に顔はなく、何もない空間が広がっていることがわかる。その広がりこそが、本来の自分だ」という趣旨の「実験」が紹介されていた。ダグラス・ハーディングという人が考えた実験のようだ。

すごく面白いと思います。これ、使わさせてもらおう・・・・
カムイ
2020年04月25日 10:35
原理的には同じです。ただ、こっちのほうが、難しいですが・・・・

でもね、わかるんだよこの効果の凄さが。
坐禅なんてちんたらやってられねよ、くらい感じる。
地球人
2020年04月25日 10:49
自我が無いとは忘我ですかね。

怒り狂ってる時も忘我ですが 笑
カムイ
2020年04月25日 10:57
余裕ですね〜うらやましいですね〜


ちょっと外の景色見ながらやってみよう。
地球人
2020年04月25日 11:20
野生動物も唯観ている時は有ります。笑
地球人
2020年04月25日 11:24
野生動物は自我が無い。 
カムイ
2020年04月25日 11:49
外の風景でやる方が坐禅に近い。
カムイ
2020年04月25日 12:47
人と話してたら、自分の声がいつもと違う。
誰が喋ってるか自覚しても誰が喋ってるかわからない感じ。
勝手に喋ってる。
地球人
2020年04月25日 12:48
人は自我が善悪を知ってしまった不幸な動物です。
地球人
2020年04月25日 13:19
禅は問う。

怒りに成りきって、人を殺すことは悪いことなのか?
カムイ
2020年04月25日 13:30
感想ですが、室内でやった方が追い込めます、野外でやるといい感じにゆるみます。
2020年04月25日 13:51


>地球人さん
>
>禅は問う。
>
>怒りに成りきって、人を殺すことは悪いことなのか?

まず、怒りになり切ってみないと・・・成りきったところがどういうところか、わからないで、議論をしても無駄なような気がします
2020年04月25日 14:23
>>怒りに成りきって、人を殺すことは悪いことなのか?

>まず、怒りになり切ってみないと・・・成りきったところがどういうところか、わからないで、議論をしても無駄なような気がします

殺人は怒りの最中に起きるわけで、成りきった時には怒りの感情は収まってます。

現実では枕叩きは実行できない。








地球人
2020年04月25日 15:23
大事なことは、枕叩きをしてる自身の狂気に気づくことです。
地球人
2020年04月25日 15:33
殺人を肯定してることが問題です。
カムイ
2020年04月25日 16:45
自分とスマホのギャップが取れてくると、スマホが優しく感じる。
カムイ
2020年04月25日 16:51
スマホと自分とのギャップはいかに無意識にストレスを与えているかわかる。
カムイ
2020年04月25日 16:54
わたしたちはこのストレスに慣れっこになってしまって気づかないでいる。
カムイ
2020年04月25日 17:03
わたしたちは草花ペットなどだけに温かさを感じる。
そうではなく、スマホ、パソコン、道路などにも温かさを感じるようになればいい感じに進んでるのかもしれない。
カムイ
2020年04月25日 17:36
外で見ている自分の感覚を消すのに集中してると草木たちが助けてくれるね。
地球人
2020年04月25日 17:51
カムイさん・・・

人に対してはどうですか?
カムイ
2020年04月25日 17:53
人に対してどうなのか
自分で確かめて下さい
地球人
2020年04月25日 17:55
とくに違和感ありません。
カムイ
2020年04月25日 18:04
じゃわたしにいちいち聞かないで下さいな
地球人
2020年04月25日 18:10
カムイさんは草木の自然に対して温かみを感じるようなので、人に対しても同じか?聞いてみたのです。

カムイ
2020年04月25日 18:14
じゃ、俺からも聞いていい?
地球人さんてかなりトンチンカンなんだけど、なんで自覚できないの?
地球人
2020年04月25日 18:21
言ってる意味が理解できません。

何故ですか?
2020年04月25日 18:26
私は、地球人さん、結構、地に足の着いた鋭くておもしろい人だと思う。

阿頼耶識とか、草木に仏性を感じるとかいうきれいごとより、本当に日常でただしい人間関係ができてるかって大事だとおおもう。
カムイ
2020年04月25日 18:30
作曲したもの聞かしたいならそういうブログいけばいいのに。
変!

地球人
2020年04月25日 18:33
大平さん、そうなのです。

自然に対して葛藤がないけれども、人に対して葛藤があることが問題なのです。
2020年04月25日 18:36
スピ系の集まりによくいる人。

我が強くて、議論や自分の意見を認めさせることが価値があると思い込んでる人。たいていほかの人に自分の誤りを指摘されると素直になおさず、逆切れする。

何らかの霊的体験があったらえらいと思い込む人。



私の意見では、霊的な高さとは、他者への非暴力、無害さ、愛、至福の強さ、に出るのであり霊的体験とは関係ない。



法を説く人が、法を日常の人間関係でできてないのみるのはうんざりする。
地球人
2020年04月25日 18:44
クリシュナムルティが自ら組織する団体を解散したのは彼を支える人達を危惧したからです。
2020年04月25日 18:55
他人の不幸に罪悪感抱く人とか、自己犠牲をいとわない人とか、そういう実践ができてる人がえらいのであり、法をとくときだけいさましいちょっとした超常現象を体験してる人がえらいのではない。
カムイ
2020年04月25日 18:55
あれだね
愚さんと話してる時は和尚さん忘れて
和尚さんと話してる時は愚さん忘れて

これ結構大切
2020年04月25日 19:01
私の彼女は、まあまあ美人なほうなのだが、今日、わかい子に嫉妬を感じるといってた。
レストランとかで、大学生のカップルとか見るといらいらするらしい。
彼女くらいの容姿もってても、若者への嫉妬って起こるんだな。とおもって、かわいそうになった。

地球人
2020年04月25日 19:04
カムイさん、 
でも、地球人に対しては忘れることができないでしょ。

それが、大きな問題です。笑
2020年04月25日 19:11
単なる霊的体験と、ふかい霊的洞察は違う。


詩とは本来、霊視的なもので、その人の心の目を開かせるもの。

シェークスピアや、そのほかの詩聖の作品には、そういうふかい洞察みたいなものが垣間見られる。

地球人
2020年04月25日 19:15
良し悪しはおいといて、カムイさんは洗脳されています。
カムイ
2020年04月25日 19:23
みんな普通に大人になったら洗脳されてるんだよ。観念・思想みんな洗脳だ。
こいつをいったん元に戻すんだけどね。
地球人
2020年04月25日 19:26
だから、洗脳を止めるのが、唯一無二の自我意識なのです。
宇宙
2020年04月25日 23:27
愚さん、無字も同じですか。
ムーとやる
誰が無字してると問う
わたしがムーという感覚からどうしても逃げられない
で、
このわたしがムーを強める
ある極点に達すと
わたしがなくなる
ムーがムーしている。
ふと振り返ると
無我に気がつく
それを何度もやる
原理的には、この応用で良いですか。
2020年04月25日 23:46


>宇宙さん
>
>愚さん、無字も同じですか。
>ムーとやる
>誰が無字してると問う
>わたしがムーという感覚からどうしても逃げられない
>で、
>このわたしがムーを強める
>ある極点に達すと
>わたしがなくなる
>ムーがムーしている。
>ふと振り返ると
>無我に気がつく
>それを何度もやる
>原理的には、この応用で良いですか。

振り返ってみると、そういうことですが、実際に、無字をやるときは、振り返ることはせずに、ひたすらムー!とやっていくだけです。

そうしていくと、あるとき、ふっと気が付く、という段取りです。

困難は、どうしても無字にまかせきれないところにあります。つい、自分の状態を見ちゃう、点検しちゃうわけです。

「わたし」がなくなっているか、とか、点検するわけです。このとき、点検する「わたし」が生まれてしまいます。

ですから、ただ、無字に任せて、ムー、ムー、やっていくのがいいです。無字の公案はアッパーカットを狙っていますから・・・・

一方、日常で、しょっちゃう、自分を振り返るのはいいです。歩いているとき、「なに」が、歩いているんだろう?とかです。このスタイルは、上述したように、点検する「わたし」が残るので、スカッとはなかなかいきませんが、続けていくうちに、「わたし」の不在をなんども、知的に確かめるようになり、悟りの役にたちます。いわば、ボディブローのような感じです。

宇宙
2020年04月26日 06:46
ありがとうございます。

あとは。ムーへの疑団ですね。
犬にも仏性があるのか
ないのか
では疑の塊には、とうていならないで
工夫してみます。

地球人
2020年04月26日 06:54
私の場合は・・・

日常の全ての事がストレスになります。
原因を特定するのはできないし、原因が特定できても理屈で解消できない。
そのストレスを唯一、解消してくれるのが坐禅です。
唯、坐ってるだけなのですが、脳とか身体の緊張が解けていくのが体感としてわかります。
全てが解消されたわけではなくて、日常に戻ればまたストレスが貯まります。坐禅をしてストレスを解消します。その繰り返しです。

世俗社会に生きていては悟れないとはこんなことなのか?と実感するわけです。笑








みゅう
2020年04月26日 07:06
swinganova さん

 面白いですね。たしかに、目の前のパソコンや机を認識することができたゆび差しがこの自分に対して行われると自分に対する認識がゆらぎます。

 私なりに、さらに実験してみました。パソコンを指さしたまま自分をどんどん小さくして(パソコンにどんどん近づいて)みます。はじめはっきりしていたパソコンに対する認識もゆらぎます。

 ここから地球をゆびさしてみます。地球の写真をゆびさした時に得られる地球の認識ができません。

 これは何でしょうか。
 
 ゆびさされるものは、ものそのものではなく、ものの性質の一部にすぎないということではないでしょうか。

 だとしたら、状況は単純です。コロナウィルスを確認するために適しているのは電子顕微鏡、土星を確認するなら望遠鏡です。

 ゆび差しで自分を確認しようとするのは望遠鏡でウィルス、電子顕微鏡で土星を観測するようなもの。
 
 では、自分観測の最適のアイテムは?わからないけれど

 私は愚さんのおっしゃる”ボディーブロー”派で行ってみようかと。

 swinganova さん  ありがとうございます。 

(あ さん アッパーカット路線 精進進んでますか?)
 
地球人
2020年04月26日 07:37
みゅうさん、

その指差しを眼の前の他人に向けてやってみるといいです。

どんな事態になるか?



2020年04月26日 08:04


>宇宙さん
>
>ありがとうございます。
>
>あとは。ムーへの疑団ですね。
>犬にも仏性があるのか
>ないのか
>では疑の塊には、とうていならないで
>工夫してみます。
>
その要因は日常です。日常の自分を観察してください。心配、欲望、不安、恐怖、怒り、悲しみ、人間関係の問題、そういったもので、グチャグチャになっていませんか?

もし、日常になんの問題もなければ結構なことですが、脱出しようというモティベーションは湧きづらいでしょう。

もし、日常に問題があるのなら、それを受け入れないで、なんとか、一気に、すべて解決しようと思いませんか?

なんとかやってみよう!というそのガッツを、無字になり切っていくエネルギーにしていきます。

無字で突破するんです。やればできます。
swinganova
2020年04月26日 10:03
>みゅうさん

こんにちは。ご丁寧に、どうもありがとうございます。


>面白いですね。たしかに、目の前のパソコンや机を認識することができたゆび差しがこの自分に対して行われると自分に対する認識がゆらぎます。

限定的に「自分は〇〇だ」と言うことはできない、とわかりますよね。


>私なりに、さらに実験してみました。パソコンを指さしたまま自分をどんどん小さくして(パソコンにどんどん近づいて)みます。はじめはっきりしていたパソコンに対する認識もゆらぎます。

刻々と変わっているのがわかりますね。


>ここから地球をゆびさしてみます。地球の写真をゆびさした時に得られる地球の認識ができません。

>これは何でしょうか。

地球ではなく、地球の写真ですよね。 


>ゆびさされるものは、ものそのものではなく、ものの性質の一部にすぎないということではないでしょうか。

ものそのものというのも、ものの性質というのも、ない感じかな?
何かがあるという感じですよね。


>だとしたら、状況は単純です。コロナウィルスを確認するために適しているのは電子顕微鏡、土星を確認するなら望遠鏡です。
>ゆび差しで自分を確認しようとするのは望遠鏡でウィルス、電子顕微鏡で土星を観測するようなもの。
 
>では、自分観測の最適のアイテムは?わからないけれど

自分自身を観測はできないんですよね ... 余計なアイテムを
用いないのが最善かなぁ。ただ、逆に「これが自分」と自分が
思い込んでいるものを特定して、良く観察して、その思い込みが
単なる思い込みだったと気づくことはできますね。

この気づきは、個人的には、絶大なアドバンテージがあると
考えています。私はこういうのが好きなので、いろいろと関連する
実験を考えてりしています。


>私は愚さんのおっしゃる”ボディーブロー”派で行ってみようかと。

どうせだったら、アッパーカットと併用されてみてはいかがでしょうか。
無字でもいいし、感情を思考なしに観察する、でもいいし、愚さんの
おっしゃる枕たたきや、感情になりきるのも良さそうです。

あとは、おせっかいですが、何らかのボディワークにトライされること
をおすすめします。ヨガや、気功、フェルデンクライス(?)、あと武道
もそうかな?坐禅も、もちろん。

私は、有効そうなものは何でもやってみたらいい!派なので、
こういうのを総合的に組み合わせながらやって行かれたら
いいのではないかと感じます。


>swinganova さん  ありがとうございます。 

すみません、何だか押し付けがましい返信になってしまいましたが、
ご参考になれば。今後ともよろしくお願いします。
カムイ
2020年04月26日 10:22
swinganova さん

なんかみんなに評価されて良かったね。
てことは俺が間違っていたか。
ごめんなさいね。
swinganova
2020年04月26日 10:29
>カムイさん

どうか謝らないでくださいね。私も、自分のやっていることが
間違いかそうでないかは、人が試してみないとわからないと思っています。

ただ、悪意がないというのはお約束できます(笑)。
それと、まず自分で試してみて自分で納得できたものだけ
おすすめしています。

今後とも、どうぞよろしくお願いしますね。
色々とシェアしましょう!
カムイ
2020年04月26日 10:40
swinganova さん 

俺があなたにやってもらいたいんが思考と思考の間の沈黙の自覚。

思考はずーーっとダラダラ繋がっていない。
思考と思考の間の沈黙探してみて。
カムイ
2020年04月26日 10:48
お互い悪意なかったらこうやってまた縁が動く。

ここに何人か悪意もって書き込んでるやつおる。
そいつらとは何年経っても無理やなー
swinganova
2020年04月26日 10:49
>カムイさん

ありがとうございます!
クリシュナムルティですよね。

それ、実は以前2年間ぐらいの期間ホントにさんざんやって、
もう必要がなくなっちゃいました(笑)。

思考の間を意識的に見ようとすると、余計なものが
くっ付いちゃうし、なんか疲れるんで ...
地球人
2020年04月26日 11:11
>ここに何人か悪意もって書き込んでるやつおる。
そいつらとは何年経っても無理やなー

悪意を確認したんですか?

snow
2020年04月26日 11:14
>カムイさん

>ここに何人か悪意もって書き込んでるやつおる。
そいつらとは何年経っても無理やなー


嫌いな人はいない、んでしたよね?
その言葉との乖離があるように思えますが。
このあたり正直が一番かと。 形から入ろうとするのでなく。

悪意で訊いてると思われてもしかたないと思いながら訊いてみました。
ほんとごめんなさい。
カムイ
2020年04月26日 11:24
swinganova さん 

クリシュナムルティだけの特許やないよ。
禅でも念と念の間の静寂の自覚を言う
この間の場所が無心と呼ばれる所
ここを練っていくのが禅定
swinganova
2020年04月26日 11:25
>snowさん

こんにちは。

悪意・善意という言葉に引っかからないよう、お互い気をつけたいですね。
老婆心ながら ... ☺️
カムイ
2020年04月26日 11:30
スノウさんの悪さしてる部分は
言葉尻だけ受け取って自分の観念で判断して相手の真意わかってない所。
ここ直したら先に進める。
swinganova
2020年04月26日 11:35
>カムイさん

ありがとうございます。
「覚すればすなわち失す」でしたっけ。
禅で「念と念の間の静寂」と言っている人については、
知りませんでした。どなたがおっしゃっていますか?


無心は、体験上「考えたら考えたまま」と捉えています。
有心とか無心のないところです。思考とか隙間とかが
ないところです。つまり、ご飯食べたり昼寝したり私たちの日常。
こう言うと誤解を生んじゃうので、表現が難しいのですが。
snow
2020年04月26日 11:51
>swinganovaさん

こんにちは。 お声かけいただきありがとうございました。
snow
2020年04月26日 11:55
>カムイさん

言行は一致しているとラクはラクですね。

アドバイスありがとうございました。
swinganova
2020年04月26日 11:56
>snowさん

こちらこそ、わざわざお返事いただき、
ありがとうございます。

よろしくお願いします。
カムイ
2020年04月26日 12:27
swinganova さん 

わたしたちは普通、念が出た後を追いかけてます。
念が出る前の所がわかると感覚がガラッと変わります。
宇宙
2020年04月26日 13:06
>その要因は日常です。日常の自分を観察してください。心配、欲望、不安、恐怖、怒り、悲しみ、人間関係の問題、そういったもので、グチャグチャになっていませんか?

その通りです。グチャグチャです。
一気呵成に終わりにします。今終わりにします。
地球人
2020年04月26日 14:37
違うな・・・

実際、唯、日常に付き合うのが面倒くさい。
付き合わないと生活が成り立たないし生きていけない。

怠け者と言われたら、そうなんですが・・・笑





snow
2020年04月26日 16:47
>心配、欲望、不安、恐怖、人間関係の問題でぐちゃぐちゃ・・・

ぐちゃぐちゃってほどではないけど、苦痛はありますね。

思うのですが。苦痛を完全に取り除いたり、苦痛を感じることのない何があっても平然としている自分になろうともし思うとするなら、それって無理なんじゃないかと。
無理なことを成そうとするのがまた苦痛になるように思えます。

心配な時は心配で、怖い時は怖いで、嫌いな時は嫌いで。
そうなるしかないからそうなっている、んでしかたないんだな、と。
それらと共にいるしかない、いていいんだと思うと逆に開放された気持ちになります。

こうした考えは、愚さんとはもしかしたら逆かもしれないですね。

カムイ
2020年04月26日 17:34
スノウさん

こうした考えは、愚さんとはもしかしたら逆かもしれないですね。


いづれにせよどんな良い考えでも考えは絵に描いた餅なんで救われません。
2020年04月26日 17:52
>カムイさん

>いづれにせよどんな良い考えでも考えは絵に描いた餅なんで救われません。

ああ。 「考え」っていう単語に反応されたのかな。
言葉の表現上で「考え」と表現しましたが、そのような考えのもとに実際に生活しているんですよ。
強がらない、自然にいる、って感じかな。 そしてこれはラクです。

これで通じるかな。だといいんだけど。
カムイ
2020年04月26日 18:11
スノウさん

ここで自分を取り繕って正当化するか、相手の言葉を受け入れて自覚するか

ここが運命の分かれ道
snow
2020年04月26日 18:31
カムイさん。

ん? 正当化とか何言ってんの、って感じですよ。(笑)
普段してるまんまを書いたまでなので。

こないだも書いたんだけど。
隣家のおっちゃんの咳払いがうるさくてね~。
それを嫌だと思う自分はなっとらんのだろうな、と思い悩んだりもちょっとしたんだけど。。。
やはり、うるさいものはうるさいと感じるのはこれ、しかたないんだろうな、と。
その代わりまぁ、嫌だと感じる時があっても、普通に接してはいるんだしそれでいいだろう、と。
そんな感じですよ、例えるなら。
みゅう
2020年04月27日 07:36
swinganova さん

ご回答ありがとうございます。

>限定的に「自分は〇〇だ」と言うことはできない、とわかりますよね。

とりあえずはそう言ってあるいは信じて日常を送っています。わかってやっているのかなあ。自信ありません。

>ものそのものというのも、ものの性質というのも、ない感じかな?
何かがあるという感じですよね。

 私の場合は、ものそのものというのも、ものの性質というのも感じます。注意深くものの性質を一つずつ取っ払っても残る何かがあると確かに感じますが、それがものそのものの感じなのでしょうか。

 たたいていた枕をしっかり抱きしめてswinganovaさんの「自分を指差してみる 実験」の「枕を抱きしめてみる 実験」バージョンをしてみます。自分から始めても枕から始めてものこったものはやはり同じ「これ」でした。枕と自分は区別したいので「これ」がものそのものの感じというのは面白くありません。

 実験を検討してみると、ものから性質を一つずつはぎ取っていく過程でものを固定している一つの性質があるようです。枕と自分の場合、名づけるとしたら、それは「ここ」。場所の感覚でとらえられます。「ここ」で結びつけられた色々な感覚でとらえられた性質の集合がそれぞれ枕と自分を形作ります。

 以上、全く、私の世界です。  

「これはなんだ?」は「これ」というもののレベルのの問いかけ方で
スマートではないかなと思うのですが。




swinganova
2020年04月27日 11:00
みゅうさん

こんにちは。


>とりあえずはそう言ってあるいは信じて日常を送っています。わかってやっているのかなあ。自信ありません。

ぜひ、ご自身で確かめてみてください。自信はなくても大丈夫だと思います。
興味と熱意が大切かと。


>私の場合は、ものそのものというのも、ものの性質というのも感じます。注意深くものの性質を一つずつ取っ払っても残る何かがあると確かに感じますが、それがものそのものの感じなのでしょうか。

そんなに難しく考えなくても大丈夫ですよ。
今パソコンの画面を見られていますよね。
その見ていること、そのものは違うでしょうか。何か、それらを
二つに分ける境界線のようなものが見えますか?


>たたいていた枕をしっかり抱きしめてswinganovaさんの「自分を指差してみる 実験」の「枕を抱きしめてみる 実験」バージョンをしてみます。自分から始めても枕から始めてものこったものはやはり同じ「これ」でした。枕と自分は区別したいので「これ」がものそのものの感じというのは面白くありません。

>実験を検討してみると、ものから性質を一つずつはぎ取っていく過程でものを固定している一つの性質があるようです。枕と自分の場合、名づけるとしたら、それは「ここ」。場所の感覚でとらえられます。「ここ」で結びつけられた色々な感覚でとらえられた性質の集合がそれぞれ枕と自分を形作ります。

>以上、全く、私の世界です。  

詳しいレポート、ありがとうございました。
ここ、というのも剥ぎ取れませんか?


>「これはなんだ?」は「これ」というもののレベルのの問いかけ方で
スマートではないかなと思うのですが。

「あれ」と「これ」のこれではないですからね。
この質問自体にレベルとか大した意味があると言うよりも、この
疑問になりきってしまうと答えが出る、という感じでしょうか。
「これなんだ〜!!」って。


返信、ありがとうございました。
2020年04月27日 16:40


>snowさん
>
>>心配、欲望、不安、恐怖、人間関係の問題でぐちゃぐちゃ・・・
>
>ぐちゃぐちゃってほどではないけど、苦痛はありますね。
>
>思うのですが。苦痛を完全に取り除いたり、苦痛を感じることのない何があっても平然としている自分になろうともし思うとするなら、それって無理なんじゃないかと。
>無理なことを成そうとするのがまた苦痛になるように思えます。
>
>心配な時は心配で、怖い時は怖いで、嫌いな時は嫌いで。
>そうなるしかないからそうなっている、んでしかたないんだな、と。
>それらと共にいるしかない、いていいんだと思うと逆に開放された気持ちになります。
>
>こうした考えは、愚さんとはもしかしたら逆かもしれないですね。
>
こういうことだと思っています。

1、あらゆる心配、恐怖は、一切、片づけてしまうという決意

2、心配、恐怖を片づけることは無理だということ。

この矛盾から始めます。

これを調べると、心配、恐怖は自我から生まれることがわかり、それらを片づけようとするのも自我だとわかります。

そこで、心配するときは、徹底心配し・・・中途半端に心配しないんです。恐れるときには、徹底恐れます。頭のてっぺんからつま先まで、恐怖で満たします。

そうすると、心配や恐怖が消えていくことがわかります。

日常で、さまざまな問題が、現れてきます。それを、ひとつひとつ、丁寧に、消していきます。

すると、奥深い心配や恐怖が浮き上がってきます。

それもまた、直面して消していきます。

そうしているうちに、心配や恐怖が消えていきます。
snow
2020年04月27日 20:55
>愚さん

>1、あらゆる心配、恐怖は、一切、片づけてしまうという決意

>2、心配、恐怖を片づけることは無理だということ。

>この矛盾から始めます。

>これを調べると、心配、恐怖は自我から生まれることがわかり、それらを片づけようとするのも自我だとわかります。

>そこで、心配するときは、徹底心配し・・・中途半端に心配しないんです。恐れるときには、徹底恐れます。頭のてっぺんからつま先まで、恐怖で満たします。

>そうすると、心配や恐怖が消えていくことがわかります。

>日常で、さまざまな問題が、現れてきます。それを、ひとつひとつ、丁寧に、消していきます。

>すると、奥深い心配や恐怖が浮き上がってきます。

>それもまた、直面して消していきます。

>そうしているうちに、心配や恐怖が消えていきます。


一般にネガティブだとされている感情、それが浮かび上がってきた際に、それを無理に抑え込もうとせず、相手にしていく(無視しない)というところでは、愚さんの方法と私の方法の共通点があるように思いました。

愚さんの言われる方法は、格闘していく感じがします。
それは私の観方なだけで実際は違うのかもしれませんが。
私には合わないみたいですが、合う方も多くいらっしゃるのでしょうね。


 コロナの影響で、ご病気の治療が進められないとのお話でしたよね。
どうぞお大事になさってください。
2020年04月27日 21:04


>snowさん
>
>>愚さん
>
>>1、あらゆる心配、恐怖は、一切、片づけてしまうという決意
>
>>2、心配、恐怖を片づけることは無理だということ。
>
>>この矛盾から始めます。
>
>>これを調べると、心配、恐怖は自我から生まれることがわかり、それらを片づけようとするのも自我だとわかります。
>
>>そこで、心配するときは、徹底心配し・・・中途半端に心配しないんです。恐れるときには、徹底恐れます。頭のてっぺんからつま先まで、恐怖で満たします。
>
>>そうすると、心配や恐怖が消えていくことがわかります。
>
>>日常で、さまざまな問題が、現れてきます。それを、ひとつひとつ、丁寧に、消していきます。
>
>>すると、奥深い心配や恐怖が浮き上がってきます。
>
>>それもまた、直面して消していきます。
>
>>そうしているうちに、心配や恐怖が消えていきます。
>
>
>一般にネガティブだとされている感情、それが浮かび上がってきた際に、それを無理に抑え込もうとせず、相手にしていく(無視しない)というところでは、愚さんの方法と私の方法の共通点があるように思いました。
>
>愚さんの言われる方法は、格闘していく感じがします。
>それは私の観方なだけで実際は違うのかもしれませんが。
>私には合わないみたいですが、合う方も多くいらっしゃるのでしょうね。
>
>
> コロナの影響で、ご病気の治療が進められないとのお話でしたよね。
>どうぞお大事になさってください。
>
ありがとうございます・・・・ホント迷惑しています
みゅう
2020年04月28日 06:47
swinganova さん

ご指導ありがとうございます。

>今パソコンの画面を見られていますよね。
その見ていること、そのものは違うでしょうか。何か、それらを
二つに分ける境界線のようなものが見えますか?

 境界は見えませんが、違いは、見ているのはこっちで、パソコンはあっちだという感じがあります。境界線ですか、、、私にはムリそう

>ここ、というのも剥ぎ取れませんか?

 見ながら、あるいは触りながら対象に注意しつつ実験を進める場合最後にやはり「ここ」が残ります。目をつぶって、あるいは枕を手離して実験をすると「ここ」をはぎ取った瞬間、実験が終わります。

 しかしこれ、実験といえるんでしょうかね。やっぱり自信ないなあ。結果は人それぞれじゃあないでしょうか。

>「あれ」と「これ」のこれではないですからね。
この質問自体にレベルとか大した意味があると言うよりも、この
疑問になりきってしまうと答えが出る、という感じでしょうか。

 この質問には大いに意味があると思っています。 

 ただ、文章の流れから「もの」の認識のレベルの「あれ」と「これ」のこれと私はとってしまったわけです。失礼しました。

>「これなんだ〜!!」って。

 でもやっぱり、”これ”(面白い)しっくりしません。「感じる」と「感覚がある」のすきまを見ることのできる実験というか試みにぴったりこない表現だと。

 じゃあどうすれば?

 どうしましょう

swinganova
2020年04月28日 12:27
>みゅうさん

こんにちは!
いえいえ、指導をしているつもりはありませんので、悪しからず ...


>境界は見えませんが、違いは、見ているのはこっちで、パソコンはあっちだという感じがあります。境界線ですか、、、私にはムリそう

「こっち」を指差していただけますか?指の指している方向には、
何がありますか?というより、何かがありますか?それは何ですか?


>見ながら、あるいは触りながら対象に注意しつつ実験を進める場合最後にやはり「ここ」が残ります。目をつぶって、あるいは枕を手離して実験をすると「ここ」をはぎ取った瞬間、実験が終わります。

>しかしこれ、実験といえるんでしょうかね。やっぱり自信ないなあ。結果は人それぞれじゃあないでしょうか。

実際にやってみて直感で役に立たないと思われたら、捨ててしまってください。


>文章の流れから「もの」の認識のレベルの「あれ」と「これ」のこれと私はとってしまったわけです。

いえ、別に気にされる必要はありません。


>でもやっぱり、”これ”(面白い)しっくりしません。「感じる」と「感覚がある」のすきまを見ることのできる実験というか試みにぴったりこない表現だと。

それでしたら、実験終了でも良いのではないかと思います。


>じゃあどうすれば?どうしましょう

みゅうさんは、何をされたいと思われているのですか?
そこへ至るまでの方法ではなくて、ゴールは何でしょうか。

そこがはっきりするといいと思います。
地球人
2020年04月28日 15:22
パソコンと自我は葛藤が無いのです。パソコンは無機物ですから・・・

電車で他人に触れることはできますか? 気軽に「こんにんわ」と声を掛けることはできますか?
地球人
2020年04月28日 15:36
地上から観る太陽が一体とおもうのは、太陽が灼熱であることを感知してないからです。
通行人
2020年04月28日 15:56
そういうことではなくて、、人は感覚器官と抽象の概念があるだけで実体が無い。
通行人
2020年04月28日 16:15
人は太陽であり、月あり、空であり雲であり、朝昼晩であり、牛、馬、犬、猫、魚、花であり、男、女、老人、青年、子供であり、愛、憎しみであり、神であり仏であり・・・・概念、言葉である。

人が言葉を作ったのだから、一体なのは当然の理屈です。^^
地球人
2020年04月28日 16:26
キリスト教の聖書に、「神はロゴス(ことば)であった・・・」 笑
通行人
2020年04月28日 16:46
氏名がなければ、個人は存在しない。^^
みゅう
2020年04月29日 07:47
swinganova さん

>指導をしているつもりはありませんので、悪しからず ...

ありがたいと思います。


>それでしたら、実験終了でも良いのではないかと思います。

 怒られそうだけれど、こんなバージョンを試みました。再現性を高めてもう少し実験らしくするために空間に固定した向きのついた線分として指の代わりに手から離れた色々なものを使ってそれが指し示す”もの”を観察しました。ディスプレーに現れるマウスのポインター、シャープペンシル、矢根の棟、空の二つの星できまる矢印。

 一つのの矢印が指し示せるのは指し示したものだけではなく、延長線上の無数の点にかさなるものすべてです。その中から一つを選んで指し示されたものと認識しています。例えば、机の上に積み上げた本の上に固定されたシャープペンシルの指し示すのが壁の絵葉書であるためにはそのまえからその絵葉書が準備されています。

 ちなみに、シャープペンシルが指し示すものを絵葉書一つだけにしようとすると私はそのキャップのほうにいかなければなりませんが、そのとき、シャープペンシルはもはや矢印でなく点です。この状態、私の目とシャープペンシルの胴体が直線状にあって矢印が点になる状態では向きがないのでシャープペンシルで自分を指し示す時とある意味同じになります。自分は絵葉書!

 自分は「くだらのうみごう(さとうのりこ)」の絵葉書、自分は山、山は絵葉書、、、、富士山はエベレスト  愚さんからよく聞く言葉
 
 またよろしく 
 



swinganova
2020年04月29日 08:26
>みゅうさん

報告、ありがとうございます。
色々と試してみてくださいね!
また、よろしくお願いします。

ありがとうございました。
通行人
2020年04月29日 10:41
絵葉書は概念、 色即是空である。

空っぽ!^^
通行人
2020年04月29日 10:51
とうとう、 わたしが消えた  空っぽ
地球人
2020年04月29日 11:04
「絵葉書は無い」と人に言ってはいけない。

認知症と思われるぞ!
地球人
2020年04月29日 12:27
綺麗な満月だ。

しかし、ロケットで月に行ってみれば、無味乾燥な大地があって月は無し。

色即是空。
地球人
2020年04月29日 12:40
地球は生物にとって本来、浄土です。

仏教では衆生本来仏を言ったり。
キリスト教では、神の国は、「見よ、ここにある、あそこにあると言えず、実にあなた方のただ中にあるのだ。」と言ったりする。
2020年05月02日 18:33
基本これと同じ^^

12.
それでは、比丘たちよ、考えてみるがよい、色は、恒常だろうか、それとも、無常だろうか。」
「無常です、尊師よ」
「では、無常なるものは、苦だろうか、それとも、楽だろうか」
「苦です、尊師よ」
「無常であり、苦である変化するもの(法)について、
<これは、わたしのものである>
<これは、わたしである(わたしは、これである)>
<これは、わたしの本体(自己、attan)である>
と見ることは、適当だろうか」
「適当ではありません、尊師よ」

13.
それでは、比丘たちよ、考えてみるがよい、感受は、恒常だろうか、それとも、無常だろうか。」
「無常です、尊師よ」
「では、無常なるものは、苦だろうか、それとも、楽だろうか」
「苦です、尊師よ」
「無常であり、苦である変化するもの(法)について、
<これは、わたしのものである>
<これは、わたしである(わたしは、これである)>
<これは、わたしの本体(自己、attan)である>
と見ることは、適当だろうか」
「適当ではありません、尊師よ」

14.
それでは、比丘たちよ、考えてみるがよい、表象は、恒常だろうか、それとも、無常だろうか。」
「無常です、尊師よ」
「では、無常なるものは、苦だろうか、それとも、楽だろうか」
「苦です、尊師よ」
「無常であり、苦である変化するもの(法)について、
<これは、わたしのものである>
<これは、わたしである(わたしは、これである)>
<これは、わたしの本体(自己、attan)である>
と見ることは、適当だろうか」
「適当ではありません、尊師よ」

15.
それでは、比丘たちよ、考えてみるがよい、志向作用は、恒常だろうか、それとも、無常だろうか。」
「無常です、尊師よ」
「では、無常なるものは、苦だろうか、それとも、楽だろうか」
「苦です、尊師よ」
「無常であり、苦である変化するもの(法)について、
<これは、わたしのものである>
<これは、わたしである(わたしは、これである)>
<これは、わたしの本体(自己、attan)である>
と見ることは、適当だろうか」
「適当ではありません、尊師よ」

16.
それでは、比丘たちよ、考えてみるがよい、識別作用は、恒常だろうか、それとも、無常だろうか。」
「無常です、尊師よ」
「では、無常なるものは、苦だろうか、それとも、楽だろうか」
「苦です、尊師よ」
「無常であり、苦である変化するもの(法)について、
<これは、わたしのものである>
<これは、わたしである(わたしは、これである)>
<これは、わたしの本体(自己、attan)である>
と見ることは、適当だろうか」
「適当ではありません、尊師よ」

17.
「それだからこそ、比丘たちよ、過去・未来・現在のいずれであれ、内であれ外であれ、粗いものであれ細かいものであれ、劣ったものであれ優れたものであれ、遠くであれ近くであれ、一切の色は、
<これはわたしのものではない>
<これはわたしではない(わたしはこれではない)>
<(これは)わたしの本体(attan)ではない>
と、このように、あるがままに、正しい智慧をもって見られねばならない。

18.
それだからこそ、比丘たちよ、過去・未来・現在のいずれであれ、内であれ外であれ、粗いものであれ細かいものであれ、劣ったものであれ優れたものであれ、遠くであれ近くであれ、一切の感受は、
<これはわたしのものではない>
<これはわたしではない(わたしはこれではない)>
<(これは)わたしの本体(attan)ではない>
と、このように、あるがままに、正しい智慧をもって見られねばならない。

19.
それだからこそ、比丘たちよ、過去・未来・現在のいずれであれ、内であれ外であれ、粗いものであれ細かいものであれ、劣ったものであれ優れたものであれ、遠くであれ近くであれ、一切の表象は、
<これはわたしのものではない>
<これはわたしではない(わたしはこれではない)>
<(これは)わたしの本体(attan)ではない>
と、このように、あるがままに、正しい智慧をもって見られねばならない。

20.
それだからこそ、比丘たちよ、過去・未来・現在のいずれであれ、内であれ外であれ、粗いものであれ細かいものであれ、劣ったものであれ優れたものであれ、遠くであれ近くであれ、一切の志向作用は、
<これはわたしのものではない>
<これはわたしではない(わたしはこれではない)>
<(これは)わたしの本体(attan)ではない>
と、このように、あるがままに、正しい智慧をもって見られねばならない。

21.
それだからこそ、比丘たちよ、過去・未来・現在のいずれであれ、内であれ外であれ、粗いものであれ細かいものであれ、劣ったものであれ優れたものであれ、遠くであれ近くであれ、一切の識別作用は、
<これはわたしのものではない>
<これはわたしではない(わたしはこれではない)>
<(これは)わたしの本体(attan)ではない>
と、このように、あるがままに、正しい智慧をもって見られねばならない。

22.
比丘たちよ、このように見て、(教えを)聞いている聖なる弟子は、色において厭離する。感受において厭離する。表象において厭離する。志向作用において厭離する。識別作用において厭離する。厭離するものは、貪欲から離れ、解脱する。解脱したとき、「解脱した」という知識がある。
滅尽したのは、生まれることである。完成したのは、清浄行である。為したのは、為すべきことであり、さらに、この(輪廻の)状態にいたることはない、と知るのである。」
2020年05月08日 18:34
K:真実と現実の違いを見つけたいです。
考えていることは何でも言った
または合理的には、現実です。ゆがんでいるか、明確に推論されている可能性があります。
まだ現実です。その現実は、真実とは何の関係もありません。
B博士:ええ、でも私達は他のことを言わなければなりません
単なる考え以上のものです。の問題もあります
実際。実際のものですか?その存在は実際の事実ですか?
辞書によると、事実は実際に行われることを意味し、
実際に何が起こり、実際に何が認識されるか。
K:はい、私たちは事実によって私たちが何を意味するのかを理解しなければなりません。
B博士:実際は実際に起こっている行動です。
たとえば、あなたが暗い道を歩いていて、
あなたは何かを見ていると思います。それは本当かもしれないし、本当ではないかもしれません。
あなたがそれが現実だと感じる瞬間とそれが現実ではない次の瞬間
リアル。しかし、その後、突然それに触れると、動きに抵抗します。
この行動から、本物があることがすぐにわかります
あなたが連絡した。しかし、そのような連絡先がない場合、あなたは言う
それは現実ではない、それはおそらく幻想だった、または少なくとも
誤って本物と見なされたもの。
K:しかし、もちろん、そのことはまだ考えられている現実です
約。そして現実は真実とは何の関係もありません。
B博士:しかし、今、「
英語の単語「もの」の語源は
基本的には、ドイツ語の "bedingen"と同じです。
https://www.holybooks.comからダウンロード
条件を設定するか、決定します。そして実際、私たちは
事は必ずしも条件付けられています。
K:条件付きです。それを受け入れましょう。
B博士:これは重要なポイントです。どんな形の現実も条件付けられます。
したがって、幻想は条件付けされた現実の一形態です。ために
たとえば、男性の血液は、体質が異なる場合があります。
彼はバランスの取れた状態ではありません。彼は歪んでいて、興奮しすぎているかもしれませんが、
そして、それが彼が幻想にとらわれている理由かもしれません。だからすべては
条件によって決定され、それは他のすべてのものを条件付けます。
K:はい、結構です。
B博士:すべてのものは相互に関連している
影響力と呼ぶ条件付け。非常に明確な物理学では、
惑星はすべて互いに影響し合い、原子は互いに影響し合い、
そして私は多分私達が考えを考慮し、
この影響の連鎖全体の一部としての意識。
K:結構です。
B博士:すべてのものが意識とそれに影響を与えることができるように
私たちが作るように、ターンが戻って物事の形に影響を与えることができます
オブジェクト。そして、あなたはこれがすべて現実であると言えるでしょう、その考え
したがって、本物でもあります。
K:考えは本物です。
B博士:そして現実のある部分が別の部分に影響を与えている
現実。
K:また、錯覚の一部は錯覚の別の部分に影響を与えます。
B博士:ええ、でも私たちは言うことができるので注意する必要があります
人によって、人によって作られたのではないその現実があります。だが
それはまだ限られています。たとえば、私たちが見る宇宙は
私たち自身の経験に影響され、したがって制限されています。
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K:かなり。
B博士:私たちが見るものは何でも、私たち自身のものを通して見る
経験、私たち自身の背景。だから現実はおそらく
人から完全に独立しています。
K:いいえ。
B博士:それは比較的独立しているかもしれません。木は現実です
比較的独立していますが、抽象化するのは私たちの意識です
木。
K:人間の現実は影響力の産物だと言っていますか
と調整?
B博士:はい、相互の相互作用と反応。
K:そして彼のすべての幻想も彼の産物です。
B博士:はい、それらはすべて一緒に混合されています。
K:そして、正気で、合理的で、健康で、
人全体、現実に、そして真実に?
B博士:はい、考慮しなければなりませんが、最初にこれを見てみましょう
真実の質問。単語の派生は非常に多いと思います
有用。ラテン語で「真実」という言葉は「対」であり、「それは
英語の「だった」と「あった」、またはドイツ語と同じ
「ワール」。今英語で「本当」という言葉の根本的な意味は
正直で忠実な。ご存知のように、私たちはしばしば線が真であると言うことができます、または
機械は本当です。私がかつて読んだスレッドについての話がありました
とても真実でした。それはとのスピニングホイールの画像を使用していた
まっすぐ走る糸