本日ライブやります

みなさま
お世話になります

本日21日、19時よりライブやります。
https://youtu.be/ZPXFE5qu1WA

公案:拈華微笑

禅の用語解説:
無功徳、両忘、露堂々

http://www.jyofukuji.com/10zengo/2009/04.htm
拈華微笑《ねんげみしょう》  (無門関)

  「世尊、昔、霊山会上に在って、花を拈じて衆に示す。是の時、衆皆な黙然たり。
  惟(ただ)迦葉尊者のみ、破顔微笑(はがんみしょう)す。世尊云く、「吾に正法眼蔵
  (しょうぼうげんぞう) 涅槃妙心(ねはんみょうしん) 実相無相(じっそうむそう) 
  微妙法門(みみょうのほうもん)あり。不立文字(ふりゅうもんじ)教外別伝(きょうげ
  べつでん)摩訶迦葉(まかかしょう)に付嘱(ふしょく)す」と。

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この記事へのコメント

カムイ
2020年04月21日 21:03
ライブ参加出来て楽しかったです。
ありがとうございました。
カムイ
2020年04月21日 22:52
思考の連鎖が時間の感覚を作るんですね。
これをぶつ切りにしたり、ゆっくりにしたり、一瞬停止させたりする工夫が禅なんでしょうね。
熟して来ればいつか大いなる沈黙になるんでしょうね。
地球人
2020年04月22日 01:05
若い頃の写真を見たら、老けたなと思いまっせ。苦笑
カムイ
2020年04月22日 05:56
思考の連鎖が自我を作ると言い換えてもいいですね。
わたしと世界を分離するから外が実体があるように思える。
見性体験中は実体がないものを見てると言っていいですね。
2020年04月22日 09:50


>カムイさん
>
>思考の連鎖が自我を作ると言い換えてもいいですね。
>わたしと世界を分離するから外が実体があるように思える。
>見性体験中は実体がないものを見てると言っていいですね。

理屈でいえば、そうですね。つまり、わたしと世界の分離は、わたしの脳のなかの出来事です。その脳の中で、二つに分かれているわけです。

そこで、そこには葛藤が生まれます。摩擦がうまれます。この摩擦感が自意識です。これが、わたしと世界を実体化させている正体です。

ただまあ、あまりひとのことはいえないんですが、状態を分析してばかりいても、しょうがないんで・・・・・頑張ってください
カムイ
2020年04月22日 10:49
愚さん
わかりやすい説明ありがとうございます。
そうなんですよ、わたしはこうなんですよね?そうなんでよね?といちいち老師に確認したくなるんで報告すると、法を口にするなと叱られます。なのでここの書き読みも控えてる所なんです。
みんなのおかげでここまで来れました。みんなありがとう。
地球人
2020年04月22日 12:24
自我は肉体の誕生によって発現します。
自我は喜怒哀楽の体験をします。
物理的な肉体の死で自我は消滅します。
自我に実体は無いので二度と復活しません。


2020年04月22日 19:49
今日は私たちの前で自作の詩を詠んでいる少数の詩人がいるので、私は彼らの芸術について語ろうという気になりました。現代の詩人は、神を邪魔ものや厄介ものとまではいかなくとも死んだものや装飾的なものと見なしている人々の筆頭にいます! 現代の詩人は、流行り文句と人の気を引く言い回しでコーティングしたお菓子を自分のファンたちに提供しています。現代の詩人は、人生の高等な価値や、生きる上での永遠の理想をまったく気にかけていません。彼らの詩は、外界の物事、五感にかき立てられた感情、取るに足りない表面的な飾りを扱っています。すべてにおいて非常に浅く、不毛です。

本物の詩歌は、内なる神の呼び声から生まれ、崇高な語彙で表現されます。それは詩人にも読者にも永続する喜びを与えます。それは世界とその創造主の評価を下げません。それは、読者がその詩に引かれて何度もその詩を読みたいと思い、その詩を見て読み返すたびに心の目の前に新しい意味を持つ景色が現れる、というものでなければなりません。そうであって初めて、詩はすべての時とすべての人のために存在することができるのです。

詩人はまず神を発見し、それから、その至福を渇望している人々に自らの法悦を広めなければなりません。なのに、その渇きをまだ心の奥深くに抱いていないというのは、どういう人なのでしょう? 誰もが追放者であり、神の内に存在する自分の家を恋しがっているのです。神へと向かう巡礼は、正しい類の詩人たちによって、滑らかに、速く、安全なものになることができます。目の不自由な人や足の不自由な人は、川を浅瀬づたいに渡ることができません。足の不自由な人は、盲人の肩に乗って、盲人を安全に対岸へと導いていくことができます。なぜなら、彼には目があり、盲人には意志と強さがあるからです。詩人は経験豊富な目を持っています。詩人は道を知っていて、落とし穴を避けることができます。そして、人にも自分と同じように落とし穴を避けさせることで、人を助けることができます。詩人には、励ますこと、熱中させることもできます。