ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 1

なるほど(納得、参考になった、ヘー)

この記事へのコメント

2020年03月05日 20:01
うん?

死ぬ主体がないけど^^
地球人
2020年03月05日 20:46
自我が死ぬと、本来の自己が顕現するのです。
2020年03月05日 20:51
照見五蘊皆空

だれが上手いこと言えと^_^
地球人
2020年03月05日 20:56
あるがままの自然(宇宙)が顕現する。
通行人
2020年03月05日 21:19
あるがままの自然て、コロナウィルスの猛威でしょ。^^
通行人
2020年03月05日 21:28
災難に遭う時節には災難に逢うがよく候?

ほんまかいな。^^
地球人
2020年03月05日 21:32
ジタバタ慌てるな、てことです。
通行人
2020年03月05日 21:49
それはそうだが、全体性に対峙してるのが自己でしょ。^^
2020年03月05日 21:52


>通行人さん
>
>あるがままの自然て、コロナウィルスの猛威でしょ。^^

コロナウィルスに明晰に対峙していくのが、あるがままの自然です
通行人
2020年03月05日 22:31
愚さん、

じゃあ、人間はあるがままの自然ではないの?
2020年03月05日 22:37


>通行人さん
>
>愚さん、
>
>じゃあ、人間はあるがままの自然ではないの?

なにもしないのは自然ですか?
通行人
2020年03月05日 23:15
>>愚さん、
>
>>じゃあ、人間はあるがままの自然ではないの?

>なにもしないのは自然ですか?

人間はコロナウィルスなんですか?
通行人
2020年03月05日 23:17
私はコロナウィルスなんですか?
地球人
2020年03月05日 23:38
違うよ。 自己はあるがままの自然現象、物質ではない、てことです。

相対する存在でなければ観察することはできない。
通行人
2020年03月05日 23:54
全く異質の自身と関係性がない物体がわかるわけないでしょ。

コロナウィルスは自身と関係があるから感染する。^^

地球人
2020年03月06日 00:03
まあ、人間の知能、意識は時系列の宇宙現象では最近、だからね。笑
Village beside a mountain stream
2020年03月06日 00:17
ライブを予定してくださり、ありがとうございます。
明日は都合上、リアルタイムで参加できるか分からないのですが、参加出来たらしたいと思います。

実は今夜、バカヤロー禅の効果がはじめて実感できました。その体験をここにお知らせします。
いつも、過去の嫌な体験を思い出して味わおうとすると、全く上手くいかないので困っていました。本当にバカヤロー禅なんて効果があるのか、と正直思っておりました。

併し、今夜、あることがきっかけで全身で泣いたのですが、すると身体の奥底からドッと自分の知らない悲しみが溢れ出してきて、自分でもこんなに悲しみがあったのか、と驚くほどのなんとも言えない悲しみが溢れ出してきました。その悲しみを制御することはできませんでした。それは特定の過去の悲しみというより、自分の知らない過去の悲しみの塊という感じでした。
暫くすると、悲しみは止みました。溜まっていた汚水がゴボッと堰を切って流れ、流れきったという感じです。この感じだとおそらくまだまだ溜まっています。が、取り敢えず、ひと塊りが流れきったという感じです。
驚いたのはその結果でした。身体が軽くなり、目がギラギラ冴え渡るといった感じになりました。景色はさっきまでと同じはずなのに、よく目が見えました。目の前のモヤが晴れ渡ったという表現がそのままでした。星がキラキラ輝いていました。嗚呼、これが渡辺さんが言っていたことか、と理屈なく分かりました。とにかく、驚きでした。

今は残念ながら、元の木阿弥です。目が濁っています。身体も重いです。


この体験の結果、次の2つに点が特に興味深かったです。
(1)自分で思い出そう、思い出そうとすると、私の場合は駄目でしたが、人に悲しみを吐露する時、それも心からの吐露する時、バカヤロー禅があちら側からやってきました。心から打ち明けられる人に悲しみを話すのも良いのかもしれません。

(2)私は、バカヤロー禅で克服される負の感情はもっと具体的な記憶に張り付いたものかと思っていましたが、今回の私の場合は具体的な記憶というよりも、私に見覚えがないような負の感情の塊でした。それ故、溢れ出る悲しみに我ながら驚きました。

以上長々とご報告致しました。読んでくださった方はどうもありがとうございます。
地球人
2020年03月06日 00:57
感情は動物の肉体ですよね。

2020年03月06日 07:44


>Village beside a mountain streamさん
>
> ライブを予定してくださり、ありがとうございます。
> 明日は都合上、リアルタイムで参加できるか分からないのですが、参加出来たらしたいと思います。
>
> 実は今夜、バカヤロー禅の効果がはじめて実感できました。その体験をここにお知らせします。
> いつも、過去の嫌な体験を思い出して味わおうとすると、全く上手くいかないので困っていました。本当にバカヤロー禅なんて効果があるのか、と正直思っておりました。
>
>併し、今夜、あることがきっかけで全身で泣いたのですが、すると身体の奥底からドッと自分の知らない悲しみが溢れ出してきて、自分でもこんなに悲しみがあったのか、と驚くほどのなんとも言えない悲しみが溢れ出してきました。その悲しみを制御することはできませんでした。それは特定の過去の悲しみというより、自分の知らない過去の悲しみの塊という感じでした。
> 暫くすると、悲しみは止みました。溜まっていた汚水がゴボッと堰を切って流れ、流れきったという感じです。この感じだとおそらくまだまだ溜まっています。が、取り敢えず、ひと塊りが流れきったという感じです。
> 驚いたのはその結果でした。身体が軽くなり、目がギラギラ冴え渡るといった感じになりました。景色はさっきまでと同じはずなのに、よく目が見えました。目の前のモヤが晴れ渡ったという表現がそのままでした。星がキラキラ輝いていました。嗚呼、これが渡辺さんが言っていたことか、と理屈なく分かりました。とにかく、驚きでした。
>
> 今は残念ながら、元の木阿弥です。目が濁っています。身体も重いです。
>
>
> この体験の結果、次の2つに点が特に興味深かったです。
>(1)自分で思い出そう、思い出そうとすると、私の場合は駄目でしたが、人に悲しみを吐露する時、それも心からの吐露する時、バカヤロー禅があちら側からやってきました。心から打ち明けられる人に悲しみを話すのも良いのかもしれません。
>
>(2)私は、バカヤロー禅で克服される負の感情はもっと具体的な記憶に張り付いたものかと思っていましたが、今回の私の場合は具体的な記憶というよりも、私に見覚えがないような負の感情の塊でした。それ故、溢れ出る悲しみに我ながら驚きました。
>
> 以上長々とご報告致しました。読んでくださった方はどうもありがとうございます。

ご報告、ありがとうございます。参考になります。

問題として、1、自分の抑圧している感情がわからない、2、わかっても、うまく接触できない
これをどうしたらいいかわからないんです。

いまのところ、それぞれが意識的にトライするしかないです。

サッパリしても、またもとに戻りますが、無意識は浄化されているはずです。これを繰り返していくうちに、きれいになっていきます。
cheaptrick
2020年03月06日 12:10
>愚さん

>サッパリしても、またもとに戻りますが、無意識は浄化されているはずです。これを繰り返していくうちに、きれいになっていきます。

逆に、「どこからか光が差し込んで、悩みや苦しみが一瞬にして消えた」みたいなヘンな成功体験を持つと、それに捕らわれてしまうのでは?

それをもう一度起こしたい、それがもう一度起こってほしい、というように。ギャンブルでビギナーズラックから依存症に進む、よくあるパターンです。

何だかよく分からないが、前よりもラクになったなー、よし、この調子で続けよう・・・という方が良いのではないでしょうか?



心に苦痛がある。それを早く解消しなければならない。余計な手間をかけてはいられない。哲学や心理学や宗教に救いを求めるのは回り道である。そのようなアプローチは、決して世間で思われているような「知的」なものではない。それは最短ではないし、非効率的である。

苦痛に直面して、それを味わいつくして超えてゆく。それこそ最も効率的であり、心のプロセスを深く理解した、真に「知的」なアプローチであり、「スマート」な方法である。

ということでしょうか。


『アシュターヴァクラ・ギーター』(18-50)に

自分の足で立つことで、人は幸福を見いだす
自分の足で立つことで、人は自由を見いだす
自分の足で立つことで、彼は世界を超える
自分の足で立つことで、彼は究極にたどりつく

というのがあります。
結局、渡辺さんが目指すのは、この「自分の足で立つこと」ではないでしょうか?
地球人
2020年03月06日 12:30
いや、意識は人もゴキブリも同じだね。






お節介な見物人
2020年03月06日 12:53
--「概念」を見抜く--

 私たち人間は理性脳を手にしていることで、火と道具と言葉を手に入れたようです。火によって消化時間を短縮し消化にかかるエネルギーを節約し脳の活動に必要なエネルギーを消費できるようです。「言葉」を使いコミュニケーションをとることで秩序ある集団を形成できた。集団では、狩猟の為の情報を共有し確実に生き延びる方法を獲得していったかも知れません。安全な場所から飛び道具を使い効率的に狩猟することができたかもしれません。さらに、食糧を貯蔵する技術を手に入れたかもしれません。
 最初は絵によって伝えていたものが、だんだんと抽象的な表象文字へと変化して行ったことは想像に難しくはありません。

 情報を持ったもの(=知識、場所の位置=地図)がリーダーとなり集団を統率していったと推測されます。
 現実にはない「概念」から新たな「言葉・文字」を作り出したかもしれません。われわれは「知っておきたい」という欲望があります。説明できない事象に対してはどうしても知りたいという渇望があります。説明できない超自然現象に対して「神」という「概念」を使って解決するしかなかったかもしれません。
 「神」を持ち出し、人間では解決できない諸問題を「神」に委ねることができます。「神」は人間の創り出した最上位の「スーパー概念」かもしれません。なにせ全知全能であるのです。悪いことが起こればすべて「神」の祟りということで誰もが納得するという概念です。ただの「神」という「概念」でしかないのに何故ひれ伏したり従わなければならないのかさっぱり理解できません。
 どこかの国では洗脳が行き届いており国民から崇拝されているようです。人類はこれからも、単なる「概念」に振り回されて生きていかなければならないかと心配でなりません。 

 人間は自分たちが作った「概念」の方を優先させていることに気づかないのでしょうか。極端に言えば「概念」に恐れおののきひれ伏して生きている。

 社会的な集団の一員として生きていて、暗黙のルールの中で洗脳されているのかもしれません。親や教育によって全ての存在に「概念」があってあらかじめ「名前」がつけられている。「梅干し」と聞けば唾液が分泌するように「言葉」から多大な影響をうけるまでになってしまっています。
 経典や聖典と言われているものは単なる紙に書かれた表象でしかありません。古代文字で書かれたものに何の力があるのかサッパリ分かりません。チベット語が読めないチベット語の経典の価値があるでしょうか。梵字でかかれた紙に何か神秘的な力があるのでしょうか?まったく理解に苦しみます。
 我々は自らが「概念」を作ってその「概念」で自らを束縛しているだけかもしれません。社会制度を守るために法律を作り、法律を作る政治家が偉いという構図です。要は「言葉」を操ってハッタリを効かせることで操られているいるのが人間であるといえるかもしれません。

 「死」という「概念」を教え込まれる前は生きていることすら知らず、ただ日がな好き勝手に遊び回っていた。夕御飯の匂いがすると家に帰って食べて風呂に入って寝る。「自由」ということも知らずにただ疲れるまで動き回っていたようでした。
 「死」という「概念」によって恐怖を覚えるのは本能的なことであって避けることはできません。そもそも自身が選んで生まれたというわけでもなく、生まれたということさえ実感としてありません。日々目覚めれば生まれたようであり眠りにつけば目が覚めるという保証がなければ死んでいるといってもいいかもしれません。
 「死」と「老い」によって時間という「概念」で生きるようになったように感じます。モノに対しては「基準」となる長さや重さや数によって計測できますが、時間を計るのは振動であってメジャーのように計測機器はありません。時間は何処にも存在しておらず、時間を掴んだり時間を得たりすることなどできません。
 言いたいことは、どんな立派な「概念」であろが所詮は人間がつくったものであってその「概念」に服従していることを見抜く。「概念」が役立てば役立てればいいし、「概念」が架空のものだと分かれば架空として扱う。眼前の事実が最優先であり「概念」は二の次でしかない。

 今般のコロナウィルスによって、こうありたいこうしたいというのが「夢」であった。目に見えないもののほうが事実であり現実だと痛感させられました。大気汚染も大分おさまり、温暖化にブレーキがかかるという一面も忘れてはいけないかもしれません。

 バカなお節介者ですので目一杯愚弄して結構です。
地球人
2020年03月06日 13:00
理性とは何ですか?

知性は知能で知識です。

ぴえん
2020年03月06日 13:17
YouTube、感慨深くいつも拝見しています。
質問があります。
自分の勘違いかもしれませんが、無我に近ずくと、夢を抱く事、成し遂げたい、もっとのめり込んでやって行きたい感覚が薄れていきました。
諸行無常感が強くなり、ガッツク感覚がなくなり、牙を抜かれたような感覚が浮遊しています。

時折、若気の至りのような疾走感が恋しくなります。
今はモチベーションの軸を瞬間の発露に身を任せ生きているのですが、
人生に対して
どこか儚いと言いますか、何者でもない感覚とそのまま感があります。

愚さんは人の生きる動力源みたいなものは、自然に寄り添うだけで良いとお考えでしょうか。前向きな心もマヤカシだと思っておりますが、何か腑に落ちなくてご質問させていただきました。

乱筆で申し訳ありません。


通行人
2020年03月06日 13:17
そうだね・・・知識とは、この身体は私の身体であって地球人の身体ではない。
地球人
2020年03月06日 13:46
意識は地球人と通行人の識別知識が働いてるのだろ。
2020年03月06日 15:54


>cheaptrickさん
>
>>愚さん
>
>>サッパリしても、またもとに戻りますが、無意識は浄化されているはずです。これを繰り返していくうちに、きれいになっていきます。
>
>逆に、「どこからか光が差し込んで、悩みや苦しみが一瞬にして消えた」みたいなヘンな成功体験を持つと、それに捕らわれてしまうのでは?
>
>それをもう一度起こしたい、それがもう一度起こってほしい、というように。ギャンブルでビギナーズラックから依存症に進む、よくあるパターンです。
>
ある程度執着する場合もあるでしょうね・・・・それはマズいのですが、しょうがないかもしれません

>何だかよく分からないが、前よりもラクになったなー、よし、この調子で続けよう・・・という方が良いのではないでしょうか?
>
そうですね
>
>心に苦痛がある。それを早く解消しなければならない。余計な手間をかけてはいられない。哲学や心理学や宗教に救いを求めるのは回り道である。そのようなアプローチは、決して世間で思われているような「知的」なものではない。それは最短ではないし、非効率的である。
>
>苦痛に直面して、それを味わいつくして超えてゆく。それこそ最も効率的であり、心のプロセス、「スマート」な方法である。
>
>ということでしょうか。
>
知的のイメージとしては、構造を理解して、実践するという感じです。仏教は、おそらくキリスト教も、そういうシステムを持っていますが、難しいし、直接的ではないように感じます。

>『アシュターヴァクラ・ギーター』(18-50)に
>
>自分の足で立つことで、人は幸福を見いだす
>自分の足で立つことで、人は自由を見いだす
>自分の足で立つことで、彼は世界を超える
>自分の足で立つことで、彼は究極にたどりつく
>
>というのがあります。
>結局、渡辺さんが目指すのは、この「自分の足で立つこと」ではないでしょうか?
>
そうです、わたしの主張も含めて、ひとのいうことを信用せずに、実践することだと思っています。そうすれば、既存宗教のシステムの意味もわかってくるので、自由に選択できるでしょう
2020年03月06日 16:43


>ぴえんさん
>
>YouTube、感慨深くいつも拝見しています。
>質問があります。
>自分の勘違いかもしれませんが、無我に近ずくと、夢を抱く事、成し遂げたい、もっとのめり込んでやって行きたい感覚が薄れていきました。
>諸行無常感が強くなり、ガッツク感覚がなくなり、牙を抜かれたような感覚が浮遊しています。
>
>時折、若気の至りのような疾走感が恋しくなります。
>今はモチベーションの軸を瞬間の発露に身を任せ生きているのですが、
>人生に対して
>どこか儚いと言いますか、何者でもない感覚とそのまま感があります。
>
>愚さんは人の生きる動力源みたいなものは、自然に寄り添うだけで良いとお考えでしょうか。前向きな心もマヤカシだと思っておりますが、何か腑に落ちなくてご質問させていただきました。
>
>乱筆で申し訳ありません。
>
>
おっしゃっている意味はわかるつもりです。鉄則は、そのままでいる、成り行きに任せる、ということだと思います。
若い時は・・・・わたしもそうでしたが、いまもそういうところがあるかもしれないので、気をつけねばならないのですが・・・・世俗的なことに興味を持ち、社会のなかでなにがしかになろうとし、熱狂したりします。

一般的に、世俗的なことに価値がないことに、気が付かないままに、一生を終えます。また、気が付いたとしても、手遅れだったりします。

また、気づいたところで、既存宗教とかのパターンに入ってしまう。社会全体が罠でできています。

葛藤のエネルギーがあったわけで、それはある種、力の感覚があります。熱狂することは一種の快感です。

それらがバカバカしく見えてきたとき、そのエネルギーは消えていきます。頼りない感じです。

そこで、余計なことをしないで、じっとしています。

そうすると、別種のエネルギーがやってきます。このエネルギーは葛藤をもたらしません。そして、意図することもなく、努力もなく、勝手に臨機応変に状況に対応していきます。

だから、ゆっくり、どうなるか、待っていればいいわけです。

そうはいっても、なにもかもうまくいっているわけでは、ありませんが、これがわたしの感じていることです。






Village beside a mountain stream
2020年03月06日 18:36
愚さん

己を守るため、身体が悲しみといった負の感情を意識の知らないところで抑圧していることが厄介です。

取り敢えず、意識化できる範囲の感情から対象にして、それをもとに無意識化されている感情に近づいていくしかないのかもしれません。

まだ自分なりのやり方が分からないので、意識的に色々試してみたいと思います。

今回は私が全身で泣いたというより、この身体全身が泣いたということ感じだったのでスッキリしたのだと思います。

今回の場合、神秘体験したというより、泣いてスッキリしたという感じだったのでこれに関しては執着はありません。
いわゆる、悟り体験をしたら、執着するのかもしれませんが……。

ライブ参加したいと思います。

地球人
2020年03月06日 19:34
>いわゆる、悟り体験をしたら、執着するのかもしれませんが……。

悟り体験をすると、執着する自我が消滅するのです。
宮啓
2020年03月06日 21:23
 ライブ、視聴しました。

 「感覚だけがある。」という言葉が印象に残りました。

 「自動車」の言葉の感覚は、ドライブ中の流れるような感覚。。

 しかし、「道路」無しに「自動車」は無いに等しいですね。。

 未開のジャングルの中に置かれた自動車は、雨つゆをしのぐ隠れ家の意味にしかなりません。

 「生きる」の言葉の感覚は、目の前の環境の中を肉体が流れゆくような感覚。

 しかし、「環境」無しに「肉体」は無いに等しいですね。。

 クルーズ船の一室に閉じ込められた肉体は、地獄の意味にしかなりません。

 「生きる」とは「肉体」と「環境」の相互作用の感覚。。

 「生きている」とは「肉体」と「環境」の相互作用の感覚であり、それは天然の作用であり、「私」の出る幕はないのですね。。
2020年03月06日 21:36


>Village beside a mountain streamさん
>
> 愚さん
>
> 己を守るため、身体が悲しみといった負の感情を意識の知らないところで抑圧していることが厄介です。
>
> 取り敢えず、意識化できる範囲の感情から対象にして、それをもとに無意識化されている感情に近づいていくしかないのかもしれません。
>
> まだ自分なりのやり方が分からないので、意識的に色々試してみたいと思います。
>
>今回は私が全身で泣いたというより、この身体全身が泣いたということ感じだったのでスッキリしたのだと思います。
>
>今回の場合、神秘体験したというより、泣いてスッキリしたという感じだったのでこれに関しては執着はありません。
>いわゆる、悟り体験をしたら、執着するのかもしれませんが……。
>
>ライブ参加したいと思います。
>
負の感情を意識化するのは、結構、難しいですね・・・・
これが課題です
2020年03月06日 21:37


>宮啓さん
>
> ライブ、視聴しました。
>
> 「感覚だけがある。」という言葉が印象に残りました。
>
> 「自動車」の言葉の感覚は、ドライブ中の流れるような感覚。。
>
> しかし、「道路」無しに「自動車」は無いに等しいですね。。
>
> 未開のジャングルの中に置かれた自動車は、雨つゆをしのぐ隠れ家の意味にしかなりません。
>
> 「生きる」の言葉の感覚は、目の前の環境の中を肉体が流れゆくような感覚。
>
> しかし、「環境」無しに「肉体」は無いに等しいですね。。
>
> クルーズ船の一室に閉じ込められた肉体は、地獄の意味にしかなりません。
>
> 「生きる」とは「肉体」と「環境」の相互作用の感覚。。
>
> 「生きている」とは「肉体」と「環境」の相互作用の感覚であり、それは天然の作用であり、「私」の出る幕はないのですね。。

あれば、苦痛が約束されていますね
地球人
2020年03月07日 14:19
まだ、視聴してないのですが、「感覚だけがある」ですか・・・

後はすべて思考の妄想だということですね。

「死、死の恐怖、死んでどこへ行くか?」 
2020年03月07日 15:36
「感覚だけがある」・・^^


愚菩薩  ライブ配信時  照見五蘊皆空 度一切苦厄

衆生  色不異空  空不異色  色即是空  空即是色

受想行識亦復如是

衆生  是諸法空相  不生不滅  不垢不浄  不増不減・・

2020年03月07日 18:10
五蘊皆空・・五蘊は私ではない^^

本当に〈この体〉が〈私〉なのでしょうか。
手足や髪の毛が〈私〉なのでしょうか。
この考えは少しよく考えてみれば、
おかしいということに気づくはずです。
ふつう「私には髪の毛がある」と言って、
「私は髪の毛である」とは言いません。

体のどの部分をとっても、また全体としてみても、
それはあくまでも「私の体」にすぎません。
体は〈私〉のいわば所有物なのです。
体は〈私〉を〈私〉たらしめている根拠には違いありませんが、
どうやら〈私〉そのものと考えるのは無理のようです。

感覚も同様です。「私は痛い」という時、
それは「私に痛みがある」ということであって、
痛みそのものは〈私〉ではありません。「
私は痛みである」とは誰も言わないでしょう。
表層意識としてのイメージや深層意識や判断もまた同様です。
これらは「私のもの」ということはできても、
それじたいは〈私〉ではありません。

そうすると、五蘊は〈私〉の根拠だとは言えても、
五蘊そのものは〈私〉ではない。つまり、〈私〉は五蘊ではない
、ということになりはしませんか
。では五蘊以外の〈私〉がどこかにいるでしょうか。
体もない、感覚もない、表層意識も潜在意識もなく、
判断もしない〈私〉という存在がどこか別にあるのでしょうか。
五蘊とは別に〈私〉は、やはりどこにもいそうはありません。
でも、五蘊は〈私〉ではない。すると〈私〉は一体どこにいるのでしょう。
〈私〉とは何でしょう。

ふしぎなことに、〈私〉はどこにも見当たらないのです。
これは一見とても奇妙な結論です。
〈私〉を探究していくと〈私〉はいなくなった!

でも、現に〈私〉はここにいるではありませんか。
議論の進め方が間違っていたのでしょうか。
それとも現にここにいると思いこんでいる〈私〉は幻なのでしょうか。

ふむふむ^^

五蘊は私ではない^^

空であると^^
カルマ、業、輪廻転生
2020年03月07日 18:54
「感覚だけがある」というのはそのとおりで、仏教の第一歩というか、これがわかって初めて仏教の醍醐味がわかるのだと思います。

物質であるルーパと心であるナーマが接触するのは、感覚をおいて他には何もないわけです。仏教で身体行法が重視されるのは、身体以外に、ルーパとナーマの接触面である感覚を体感する方法はないかですね。

単に概念的に理屈として、感覚の重視性を理解するだけでは手も足も出ない。
カルマ、業、輪廻転生
2020年03月07日 18:58
人間が接触できるのは感覚だけであって、感覚の向こう側にある「事実」は精神による構成体です。
地球人
2020年03月07日 20:42
「私は痛い」とは言わない。 

 肉体を抓ると「痛い」

 え? 肉体は「私」?
地球人
2020年03月07日 21:08
麻酔すれば、肉体を抓っても「痛くない」

え? 肉体は私?
Bananafish
2020年03月07日 21:13
愚さん

>問題として、1、自分の抑圧している感情がわからない、2、わかっても、うまく接触できない
これをどうしたらいいかわからないんです。


私も実験しながらここを壁に感じていました。

今試しているのは、とにかく丁寧に体を探ってみるということです。
体をサーチライトで照らして、注意を欲しがっている感覚を
探してみると、奥の方に何かが見つかることがあって。その感覚に名前を
つけたり、どんな感じか、形・色で表すとしたら ... とか、
ぴったり合うように言語化してみるんです。あと、その
感覚に話しかけてみたり、その場所にそっと手を置いてみたり ...

そうすると、その感覚が少しだけ
変化したりして ... まだ効果のほどはわかりませんが、
何かが分かったらレポートします。

通行人
2020年03月07日 21:24
愚さんの説明では「肉体は私」となるね。^^
Bananafish
2020年03月07日 21:30
すみません、追記です。

この実験をして一つ分かったのは、体の感覚を探る中で、
体「全体」に注意を向けると、それが思っていた以上に
ゆったりと、広々としていたということです。
これは、実際に世界に分離のない感覚、その見え方を応用して
体を見てみた結果です。

この体の感覚は、見性したときの自分がぐんっと全部になってしまう
感じと同じ性質のものでした。

逆から見ると、自我がひょいと出るときは体がギュギュッっと
型にはめられるというか、そういう感覚が強い。すると、
このギュギュッとした感覚に馴染み、(これを消そうとするのではなく)
親しみ、敏感になれれば、自我を楽に、というかナチュラルに落として
いけるのかな、なんて考えたりしていました。

愚さんはもう当然のものとして気づかれているかもしれませんが ...
地球人
2020年03月07日 21:44
坐禅をすると心の痛みは消えます。

心の痛みは幻覚です。
2020年03月07日 22:03
「肉体は万物と結合している我々の意識から分離と言う幻想を生む。」
地球人
2020年03月07日 22:17
鉱物に痛みは無い。

生物と物質の違い。
地球人
2020年03月07日 22:29
肉体がわたしであれば、あなたとわたしは同一です。
みゅう
2020年03月08日 06:58
あ さん
 
おひさしぶりです。

>でも、現に〈私〉はここにいるではありませんか。
議論の進め方が間違っていたのでしょうか。
それとも現にここにいると思いこんでいる〈私〉は幻なのでしょうか。

 それをここで議論しようとするから、ここに出現させざるを得ない!?

 リベット、もうすぐ読み終わります(なんとか、やっとです)大いに気づかされるところがありました。ありがとう。

2020年03月08日 08:26
みゅうさん
 
おひさしぶりです。

新規のお客さんのために書きこみを控えていたので^^

『無我相経』 

1.私はこのように聞きました。     
2.「色」は我ではない。          
3.「受」は我ではない。          
4.「想」は我ではない。          
5.「行」は我ではない。    
6.「識」は我ではない。
7.「五蘊」無常であり、苦であり、・・・・
8.「五蘊」は私の我ではない。
9.「五蘊」を厭離する。
10.五比丘の悟り。

「我ではない」だと・・^^

では・・極楽浄土へいく^^

最近コロナのために露天風呂しかはいらんが^^
    


T.S
2020年03月08日 09:49
>でも、現に〈私〉はここにいるではありませんか。
議論の進め方が間違っていたのでしょうか。
それとも現にここにいると思いこんでいる〈私〉は幻なのでしょうか。

「〈私〉がここにいる」というのは「感覚」なんでしょうか? 
もしそうなら、五感のうちの何でしょうか?
それとも「知性」の働きなんでしょうか?
感覚とも知性とも異なる何か、なんでしょうか?
起源がよくわからない。
cheaptrick
2020年03月08日 10:57
本式の禅はF1カーのようなもの。特別に設計されたコースを走るときには素晴らしい性能を発揮するが、近所のコンビニに買い物に行くには不便。軽四のほうが小回りがきいて便利である。

スマート禅は、いわば軽四タイプの禅なんですね。
地球人
2020年03月08日 14:25
悟った人は自我が無いのだから死の恐怖はない。
地球人
2020年03月08日 14:29
死の恐怖とは他人の死体です。
地球人
2020年03月08日 14:32
死を体験できない?

他者の死体を見れば体験できます。
地球人
2020年03月08日 14:45
死の恐怖とは自意識が消えることです。

自我に囚われている限り死の恐怖は消えない。
地球人
2020年03月08日 14:58
死の恐怖は若い時です。

愚さんの年齢になると死の恐怖は薄れます。
地球人
2020年03月08日 15:03
愚さんが死の恐怖がないのは「宇宙のわたし、永遠のわたし、輪廻転生のわたし」の認識があるからでしょう。
地球人
2020年03月08日 15:23
自我が無い?

意志は?
地球人
2020年03月08日 15:44
意志は感覚ではない。
通行人
2020年03月08日 17:52
意識が無い?

そんなこと言っても意味ない。有るのだから^^
通行人
2020年03月08日 17:55
肉体は私です。 それでいいじゃん。^^
通行人
2020年03月08日 18:15
死は無いと言っても、生体の脳が無ければ私が有る意識が生じないのだから意味ない。^^
地球人
2020年03月08日 18:47
君のように割り切れる人は問題ないのだ。笑
2020年03月08日 18:53
生体の脳があれば私が有る意識が生じる・・^^

ほんま・・色即是空  空即是色やな・・^^

2020年03月08日 19:14
感覚だけがある^_^

色即是空 空即是色^_^
地球人
2020年03月08日 19:24
愚さんは動画で色即是空と言っても解消しないと言ってるよ。

確かにそうだ。^^
2020年03月08日 19:25
肉体不異空  空不異肉体 肉体即是空  空即是肉体

受想行識亦復如是^_^

2020年03月08日 19:26
何が解消しないの?
地球人
2020年03月08日 19:28
悟りだから、一般人にはリアルではないのよ。
地球人
2020年03月08日 19:31
感覚だけ?

あさんは意思と意志はないのか?
2020年03月08日 19:33
意志も感覚^_^
2020年03月08日 19:34
感覚だけだから空なのか^_^
地球人
2020年03月08日 19:36
意志も感覚?

意志は欲望だろう。笑
地球人
2020年03月08日 19:41
肉体の生死は感覚か?
地球人
2020年03月08日 19:44
意志が無い?

此処にレスしてる「あさん」は何者か?
2020年03月08日 19:46
6処は眼、耳、鼻、舌、身、意(脳)の6感覚器官

意識は感覚^_^

どうでもいいか^_^
2020年03月08日 19:47
寝るで^_^
地球人
2020年03月08日 19:52
でも、意志は感覚ではない。
通行人
2020年03月08日 19:55
いずれにせよ、、、生体の脳がないと感覚意識は生じない。^^
地球人
2020年03月08日 20:03
梵我一如を悟るしかないな。笑
通行人
2020年03月08日 20:19
ふ~ん、 愚さんは其処まで話を繋げるつもりなのかな?^^
地球人
2020年03月08日 20:26
自我は無い。「あなたはわたしです。」だろう。
通行人
2020年03月08日 20:33
その「あなた」とは何者や?^^
通行人
2020年03月08日 20:39
もし、永遠の生命だったら、何もすることがなくなるよ。^^
地球人
2020年03月08日 20:51
永遠はわからない。

太陽系の環境が崩壊すれば絶滅することも有り得る。
地球人
2020年03月08日 21:00
生き物に生死は無い、感覚は色即是空と言っても意味がない。
地球人
2020年03月08日 21:13
有限の生命だから意味が有り価値が有る。
地球人
2020年03月09日 01:51
しかし、生体はいずれ病気になって苦しんで死を迎えるのだね。

ぽっくり死にたいな。
2020年03月09日 03:32
あるがまま^_^
つまり^_^
法に従う^_^

生きてよし^_^
死んでよし^_^
2020年03月09日 03:36
うーん^_^

寂滅為楽やな^_^
2020年03月09日 10:06
うーん^_^

くだらんこと書いているから^_^
新規のお客さんこんが^_^
地球人
2020年03月09日 10:36
あさんの言葉は単なる知識だからつまらん。^^

愚さんは身体で表現してるからおもしろい。

今朝、坐禅をしてあらためて気づいた。
五蘊が消えて最後に残るのは普段、意識してない吸って吐いて呼吸です。すウパニャシャッドのアートマンの意味は「呼吸」だそうだ。
要するに、当然だが生物である。


2020年03月09日 11:34
うん?

あと地球人と通行人で三馬鹿トリオだぞ^_^
地球人
2020年03月09日 11:53
他に誰もいないじゃないか?

コロナウィルス感染者が隔離されたようなものだ。
2020年03月09日 12:48
遠離一切顛倒夢想

9.「五蘊」を厭離する。

うーん^_^
2020年03月09日 12:51
軽いタッチでお願いします^_^
地球人
2020年03月09日 13:05
五蘊は何で働くのですか?

生き物には無くてはならない必要ではありませんか?
地球人
2020年03月09日 13:18
ブログに書いてるのは何ですか ^^?
地球人
2020年03月09日 14:30
諸行無常 一切皆苦 諸法無我 色即是空 五蘊皆空

生きてるものに、そんなこと言っても何の救いにもならない。
通行人
2020年03月09日 14:52
諦観!^^
通行人
2020年03月09日 14:58
「死にたくない!」と念じなさい。^^
2020年03月09日 15:04
わがまま言うな^_^
2020年03月09日 15:05
お仕置きやな^_^
通行人
2020年03月09日 15:12
あさんは動画見てないの?

「死にたくない!」は、愚さんに教わったのだけども ^^v
2020年03月09日 15:35
うん?

不生不滅やな^_^
2020年03月09日 15:37
目指すは即身成仏^_^

これしかない^_^
通行人
2020年03月09日 16:17
生体はいずれ、生老病死は避けられない。

渇望の欲念、情念は「死にたくない!と吐き出して解消せよ、でしょ。^^
通行人
2020年03月09日 16:22
>即身成仏

あさんが仏だと? ^^
2020年03月09日 19:27


>Bananafishさん
>
>愚さん
>
>>問題として、1、自分の抑圧している感情がわからない、2、わかっても、うまく接触できない
>これをどうしたらいいかわからないんです。
>
>
>私も実験しながらここを壁に感じていました。
>
>今試しているのは、とにかく丁寧に体を探ってみるということです。
>体をサーチライトで照らして、注意を欲しがっている感覚を
>探してみると、奥の方に何かが見つかることがあって。その感覚に名前を
>つけたり、どんな感じか、形・色で表すとしたら ... とか、
>ぴったり合うように言語化してみるんです。あと、その
>感覚に話しかけてみたり、その場所にそっと手を置いてみたり ...
>
>そうすると、その感覚が少しだけ
>変化したりして ... まだ効果のほどはわかりませんが、
>何かが分かったらレポートします。
>
身体が入り口のひとつであることは、そう思います。気の流れとも関係しているようなのですが、微妙なので、表現できません・・・・
2020年03月09日 19:30


>Bananafishさん
>
>すみません、追記です。
>
>この実験をして一つ分かったのは、体の感覚を探る中で、
>体「全体」に注意を向けると、それが思っていた以上に
>ゆったりと、広々としていたということです。
>これは、実際に世界に分離のない感覚、その見え方を応用して
>体を見てみた結果です。
>
>この体の感覚は、見性したときの自分がぐんっと全部になってしまう
>感じと同じ性質のものでした。
>
>逆から見ると、自我がひょいと出るときは体がギュギュッっと
>型にはめられるというか、そういう感覚が強い。すると、
>このギュギュッとした感覚に馴染み、(これを消そうとするのではなく)
>親しみ、敏感になれれば、自我を楽に、というかナチュラルに落として
>いけるのかな、なんて考えたりしていました。
>
>愚さんはもう当然のものとして気づかれているかもしれませんが ...

なるほど・・・・そういわれてみるまで、気が付きませんでした・・・・そうですね、自我が出てくると、ギュッと締まる感じがありますね・・・・これが筋肉と絡んで、しこりになるんですね
2020年03月09日 19:36


>T.Sさん
>
>>でも、現に〈私〉はここにいるではありませんか。
>議論の進め方が間違っていたのでしょうか。
>それとも現にここにいると思いこんでいる〈私〉は幻なのでしょうか。
>
>「〈私〉がここにいる」というのは「感覚」なんでしょうか? 
>もしそうなら、五感のうちの何でしょうか?
>それとも「知性」の働きなんでしょうか?
>感覚とも知性とも異なる何か、なんでしょうか?
>起源がよくわからない。
>
感覚だと思います。それも内側という感じの感覚です。実際は、感覚に内側も外側もないのですが、そう感じます。

そして、この感覚が滞っている感じが、自分の感覚だと思っています。つまり、気の流れが悪い時、なんか、カタマリのような感じがするわけです。

ここらへんは微妙なので、どうにも表現のしようがないのですが・・・・

いずれにせよ、(切り離された)わたしがいる、というのは、感覚です。

また、(切り離されていない)わたしがある、というのも感覚です。ただ、この場合は、ちょっと違った感覚ですが・・・・
2020年03月09日 19:41


>cheaptrickさん
>
>本式の禅はF1カーのようなもの。特別に設計されたコースを走るときには素晴らしい性能を発揮するが、近所のコンビニに買い物に行くには不便。軽四のほうが小回りがきいて便利である。
>
>スマート禅は、いわば軽四タイプの禅なんですね。

目論見としては、自転車からF35まで、網羅したいと思っています
2020年03月09日 19:44


>通行人さん
>
>生体はいずれ、生老病死は避けられない。
>
>渇望の欲念、情念は「死にたくない!と吐き出して解消せよ、でしょ。^^

目的は、情念の解消ではなく、死にたくないという思いに抵抗する自我の解消です。
2020年03月09日 20:24


>カルマ、業、輪廻転生さん
>
>「感覚だけがある」というのはそのとおりで、仏教の第一歩というか、これがわかって初めて仏教の醍醐味がわかるのだと思います。
>
>物質であるルーパと心であるナーマが接触するのは、感覚をおいて他には何もないわけです。仏教で身体行法が重視されるのは、身体以外に、ルーパとナーマの接触面である感覚を体感する方法はないかですね。
>
>単に概念的に理屈として、感覚の重視性を理解するだけでは手も足も出ない。

そうだと思います。そこで、自由意志は、感覚とどのような関係にありますか?
Bananafish
2020年03月09日 20:31
愚さん

ここ数日身体の感覚を観察してみたのですが、
どんな感覚にも共通して、小さな泡のようなものがプツプツと
消えたり現れている感じに還元されるような
雰囲気があります。

このプツプツが寄り集まると固まった感じに
なるのですが、どこからどこまでが塊なのか、「枠」は
やはり曖昧です。思考はこの「枠」を勝手に作るのが得意
ですから、感覚に対しても自動的にそれをやっているのですね。

なんとなく、自我が新しい形で見えてきた気がしました。

ついでに、この感覚を視覚や聴覚に応用すると、
やっぱり全部ぶつぶつや流れ?のようなものが現れたり
消えたり、形を変えたりしている印象を持ちました。

むかし国立新美術館で観た、アボリジニーアートを
思い出しました。
2020年03月09日 23:16


>Bananafishさん
>
>愚さん
>
>ここ数日身体の感覚を観察してみたのですが、
>どんな感覚にも共通して、小さな泡のようなものがプツプツと
>消えたり現れている感じに還元されるような
>雰囲気があります。
>
>このプツプツが寄り集まると固まった感じに
>なるのですが、どこからどこまでが塊なのか、「枠」は
>やはり曖昧です。思考はこの「枠」を勝手に作るのが得意
>ですから、感覚に対しても自動的にそれをやっているのですね。
>
>なんとなく、自我が新しい形で見えてきた気がしました。
>
>ついでに、この感覚を視覚や聴覚に応用すると、
>やっぱり全部ぶつぶつや流れ?のようなものが現れたり
>消えたり、形を変えたりしている印象を持ちました。
>
>むかし国立新美術館で観た、アボリジニーアートを
>思い出しました。
>
身体の感覚はわかりますが、視覚、聴覚は、ちょっとわかりませんでした・・・・もう少し、調べてみます
通行人
2020年03月10日 00:48
>愚さん

>>生体はいずれ、生老病死は避けられない。
>>
>>渇望の欲念、情念は「死にたくない!と吐き出して解消せよ、でしょ。^^

>目的は、情念の解消ではなく、死にたくないという思いに抵抗する自我の解消です。

え? 死にたくないという思いが自我では?

2020年03月10日 01:09


>通行人さん
>
>>愚さん
>
>>>生体はいずれ、生老病死は避けられない。
>>>
>>>渇望の欲念、情念は「死にたくない!と吐き出して解消せよ、でしょ。^^
>
>>目的は、情念の解消ではなく、死にたくないという思いに抵抗する自我の解消です。
>
>え? 死にたくないという思いが自我では?
>
それはそうなんですが、要点は、死にたくないという感情に抵抗する自我の働きなんです。これが恐怖を維持します。
この抵抗を止めると、自我が落ちます。ですから、恐怖が終わります。

一般的には、自我が恐怖の原因なので、自我の対処のしかたを考えて、恐怖を除こうとしたり、合理化したりしますが、うまくいきません。

もちろん、このスタイルでいこうと思えば、それも可能です。禅のスタイルがそれで、悟れば、恐怖はなくなります。

ただ、ただの見性程度では、原理的にはなくなっても、実際上は、なかなか、なくなりません。そして、そのうち、問題解決前に死んでしまいます・・・・それも悪くはないですが・・・・
通行人
2020年03月10日 02:10
>愚さん

>>>目的は、情念の解消ではなく、死にたくないという思いに抵抗する自我の解消です。
>
>>え? 死にたくないという思いが自我では?
>

>それはそうなんですが、要点は、死にたくないという感情に抵抗する自我の働きなんです。これが恐怖を維持します。
この抵抗を止めると、自我が落ちます。ですから、恐怖が終わります。

だから、死にたくないという恐怖の感情に抵抗しないで成りきって味わえばいいのでしょ。坐禅がそうですね。

>一般的には、自我が恐怖の原因なので、自我の対処のしかたを考えて、恐怖を除こうとしたり、合理化したりしますが、うまくいきません。

それはそうですね。

>もちろん、このスタイルでいこうと思えば、それも可能です。禅のスタイルがそれで、悟れば、恐怖はなくなります。

禅は詳しくないのでよくわかりません。

>ただ、ただの見性程度では、原理的にはなくなっても、実際上は、なかなか、なくなりません。そして、そのうち、問題解決前に死んでしまいます・・・・それも悪くはないですが・・・・

大方は自我のまま死ぬのですね。



2020年03月10日 04:47
生もなく死もなく^_^

ただあるがまま^_^
2020年03月10日 08:41


>通行人さん
>
>>愚さん
>
>>>>目的は、情念の解消ではなく、死にたくないという思いに抵抗する自我の解消です。
>>
>>>え? 死にたくないという思いが自我では?
>>
>
>>それはそうなんですが、要点は、死にたくないという感情に抵抗する自我の働きなんです。これが恐怖を維持します。
>この抵抗を止めると、自我が落ちます。ですから、恐怖が終わります。
>
>だから、死にたくないという恐怖の感情に抵抗しないで成りきって味わえばいいのでしょ。坐禅がそうですね。
>
>>一般的には、自我が恐怖の原因なので、自我の対処のしかたを考えて、恐怖を除こうとしたり、合理化したりしますが、うまくいきません。
>
>それはそうですね。
>
>>もちろん、このスタイルでいこうと思えば、それも可能です。禅のスタイルがそれで、悟れば、恐怖はなくなります。
>
>禅は詳しくないのでよくわかりません。
>
>>ただ、ただの見性程度では、原理的にはなくなっても、実際上は、なかなか、なくなりません。そして、そのうち、問題解決前に死んでしまいます・・・・それも悪くはないですが・・・・
>
>大方は自我のまま死ぬのですね。
>
残念ながら、そうでしょうね・・・・・そういう道を歩むか、歩まないかは、ご自分が決めることでしょうね
地球人
2020年03月10日 11:51
>だから、死にたくないという恐怖の感情に抵抗しないで成りきって味わえばいいのでしょ。坐禅がそうですね。

体験したのか?
その瞬間は身体の緊張が解けて脱力する。
自我の拘束力、自縛は凄いものだとおもった。
2020年03月11日 13:54
法律につよい何企んでるかわからん後輩に、刑務所入れるぞ.とかいわれて欝気味です。