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この記事へのコメント

地球人
2020年01月31日 07:27
煩悩は煩悩のまま。因果は因果のまま、とのことですか?
地球人
2020年01月31日 07:41
つまり、ありのまま。
snow
2020年01月31日 07:56
動画を拝見しました。 ありがとうございます。

不落因果を悟り、不昧因果をその働き、というふうに捉えていらっしゃる、ということですね。

あの、狐に変化した僧は、「不落因果」と言ったのは実は口先だけだったのだ、ということになるのでしょうね。
もし「不落因果」=悟り が口先だけのものでなかったら、狐になろうとそれを普通に生きられただろう、ということなのかな。




蓮風
2020年01月31日 12:58
> snow さん

『百丈野狐』の原文を参照なさるべきかと。
曰く “遂に問う。大修行底の人、還って因果に落つる也復た無し也。”
蓮風
2020年01月31日 13:18
> 愚さん

よいヴィデオ・レクチャーでした。
snow
2020年01月31日 16:43
蓮風さん。

原文を読んでの理解なんて無理です~。
黄檗宗のサイトのは読んでたのですが、もうひとつピンとこなかったんですよね。
蓮風
2020年01月31日 16:58
> snow さん

そうですか。
一言云えるのは、同じ公案でも読む人自身の境涯や状況、環境が解釈を変えていく、ということです。
いま、snow さんにとって「そのように読める」ということは、snow さんにとって、そういう解釈が現状の必然、ということかも知れません。
地球人
2020年01月31日 18:27
>つまり、ありのまま。

あるがままでした。
カルマ、業、輪廻転生
2020年01月31日 19:08
不落因果というのが、あえていえば、自由意志の境涯に当たるんじゃないですか。因果に落ちるというのが、因果だけで自由意志が生じる余地のない境涯。

その不落因果は、凡夫に手の届かない別世界ではなく、元々人間は不落因果に住しているのであれば、自由意志の仄かな記憶は残っているのではないかな。
2020年02月01日 01:50


>カルマ、業、輪廻転生さん
>
>不落因果というのが、あえていえば、自由意志の境涯に当たるんじゃないですか。因果に落ちるというのが、因果だけで自由意志が生じる余地のない境涯。
>
>その不落因果は、凡夫に手の届かない別世界ではなく、元々人間は不落因果に住しているのであれば、自由意志の仄かな記憶は残っているのではないかな。

不落因果=フマイ因果です。両者に寸分の違いもないのですが、ふたつ一遍に表現できないので、こうなるわけです。色即是空、空即是色と同じです。不落因果が空で、フマイ因果が色です。差別=平等、平等=差別です。
カルマ、業、輪廻転生
2020年02月01日 21:18
>愚さん
>色即是空、空即是色と同じです。不落因果が空で、フマイ因果が色です。差別=平等、平等=差別です。

自由意志が本当にゼロでしかありえなくて、因果のみ100パーセントなら、
色だけでいいと思いませんか。空なんかいらないでしょう?
色一元論。

そうではなくて、色即是空、空即是色なわけです。

そして、色ファーストではなく、空ファーストです。
2020年02月01日 21:26


>カルマ、業、輪廻転生さん
>
>>愚さん
>>色即是空、空即是色と同じです。不落因果が空で、フマイ因果が色です。差別=平等、平等=差別です。
>
>自由意志が本当にゼロでしかありえなくて、因果のみ100パーセントなら、
>色だけでいいと思いませんか。空なんかいらないでしょう?
>色一元論。

それでもいいです。そのほうがスッキリしているかもしれませんね。色!!!
>
>そうではなくて、色即是空、空即是色なわけです。
>
>そして、色ファーストではなく、空ファーストです。

仏教も理屈だから、そんなにこだわることもないですよ
カルマ、業、輪廻転生
2020年02月02日 14:10
不昧因果も、因果にくらまされないという意味だから、因果がすべて、因果に従うだけというのとも違うでしょう。

不落因果と不昧因果の二つをもってきて、橋渡しをするという時点で、単なる因果律、因果則を超える何かを前提にしているのではないでしょうか。

空でも、悟りでも、条件づけを超えた真の自由でも、命名は何でもいいですが。
2020年02月02日 14:34


>カルマ、業、輪廻転生さん
>
>不昧因果も、因果にくらまされないという意味だから、因果がすべて、因果に従うだけというのとも違うでしょう。
>
>不落因果と不昧因果の二つをもってきて、橋渡しをするという時点で、単なる因果律、因果則を超える何かを前提にしているのではないでしょうか。
>
>空でも、悟りでも、条件づけを超えた真の自由でも、命名は何でもいいですが。

細かい話ですが、因果にくらませられない、じゃなくて、因果をくらまさない、です。因果に落ちるという意味です。

いま、パソコンをご覧になっていますよね。これ、不落因果ですか、フマイ因果ですか?

まあ、それは置いておいて、とにかく、思われるところに向かって、突っ込んでいくのがいいんでしょう。納得できない他人の話に従うのは最悪です。
カルマ、業、輪廻転生
2020年02月02日 19:52
因果にくらまさないと因果に落ちるは、同じとはいえないのではないですか?

「大修行底の人、還って因果に落つるや也た無や」への返答として
「不昧因果」です。因果不落でもその否定語でもない、不昧です。
2020年02月02日 20:12


>カルマ、業、輪廻転生さん
>
>因果にくらまさないと因果に落ちるは、同じとはいえないのではないですか?
>
>「大修行底の人、還って因果に落つるや也た無や」への返答として
>「不昧因果」です。因果不落でもその否定語でもない、不昧です。

一般的な禅の解釈をいいました。もちろん、それは間違いで、あなたが正しいのかもしれません。また、無門禅師・・・・この本の著者は・・・不落フマイリョウサイイッサイ、と書いています。
不落もフマイも一緒だということです。
たーぼー
2020年02月02日 22:11
不落因果と不昧因果の二つをもってきて、橋渡しをするという時点で、単なる因果律、因果則を超える何かを前提にしているのではないでしょうか。
>
>空でも、悟りでも、条件づけを超えた真の自由でも、命名は何でもいいですが。


カルマさんこんばんは。
ですから私は仏陀の原始仏教は自己の確立を目指していると書いたのは、これなんですよ。
過去世も含めて全ての条件ずけ(因縁)から自由になるというのが仏陀の原始仏教の主題だと思います。
自由意思はカルマさんが書いている因果をくらませない(因果に落ちない)が正しいと思います。
だからショーシャンクさんが書いていた外部の環境とは無縁の意思という解釈で正しいと思います。環境より想念の方が上位にあるという外部の環境を無視した意思なら因果に落ちないと思います。
たーぼー
2020年02月03日 00:37
ちょっと修正すると、表面上の想念ではなく、もっと深い意識の想念で意思を出すと因果を超える(因果が関係なくなる)と思います。
2020年02月03日 07:19
物資は因果に落ちるが素粒子は因果に落ちない^_^
摩訶不思議^_^
たーぼー
2020年02月03日 11:58
物資は因果に落ちるが素粒子は因果に落ちない^_^
摩訶不思議^_^


だから因果が関係するのは、この物質現象世界=色だけなんですよ
2020年02月03日 12:06
>たーぼーさん

>だから因果が関係するのは、この物質現象世界=色だけなんですよ


では、因果が関係しないものって、どこにあるんですか?
あるというなら、提示できますよね。 ここに、あそこにありますと。
具体的に教えてください。
雲を掴むような観念論ではなく、具体的に。
2020年02月03日 12:08
有為の世界は因果に落ち^_^
無為の世界は因果に落ちず^_^
これいかに^_^
snow
2020年02月03日 12:08
すみません。 snowです。

それは「神」です。は、雲を掴むような話なので具体性がないですよ。
snow
2020年02月03日 12:12
因果が関係しないもの、あえて言うなら「気づき」「意識」というのは、それに当たるとは思います。

「気づき」「意識」は、即今と言ってもいいかもしれないです。
これに人はなれません。
2020年02月03日 12:48
愚さん^_^

周りが火事なんだけど^_^
snow
2020年02月03日 12:54
この世界には、AとBの二人しかいません。
A,Bはそれぞれバラバラに、離れた場所で野生の果物を食べ生きてきて、人間はもちろん動物も見たことはありません。

たまたまある日、崖から落ちて苦しんでいるBをAは見かけました。
AはBを助けました。
仮にこのようなことが起きたとしたなら、それを自由意志によるものと呼んでもいいかもしれません。

因果因縁から完全にフリーな自由意志は、ありえないです。
2020年02月03日 12:55
因果のない世界へ行ったら^_^

すごいことになりそうやな^_^
カルマ、業、輪廻転生
2020年02月03日 16:32
>愚さん
>因果にくらまさないと因果に落ちるは、同じとはいえないのではないですか?
>
>「大修行底の人、還って因果に落つるや也た無や」への返答として
>「不昧因果」です。因果不落でもその否定語でもない、不昧です。

>一般的な禅の解釈をいいました。もちろん、それは間違いで、あなたが正しいのかもしれません。また、無門禅師・・・・この本の著者は・・・不落フマイリョウサイイッサイ、と書いています。
不落もフマイも一緒だということです。

リョウサイイッサイを意訳すると、「二つの皿にのっている料理、サイコロの裏表」ですか?

ということは、不落が間違いで不昧が正解ではなく、どちらも真理でそれを裏からみるか表からみるかだけ、となる。

因果がすべて、因果からの自由はないという見解とは違うのではないですか。

因果がすべてであると同時に因果から自由である。これが真理でしょう。
カルマ、業、輪廻転生
2020年02月03日 16:35
>たーぼーさん
>カルマさんこんばんは。
ですから私は仏陀の原始仏教は自己の確立を目指していると書いたのは、これなんですよ。
過去世も含めて全ての条件ずけ(因縁)から自由になるというのが仏陀の原始仏教の主題だと思います。

まったくおっしゃるとおりだと思います。



2020年02月03日 17:01
2020年02月03日 17:02
因縁解脱の2代目教祖きたぁああああああああああああああ^^

うわぁあああああああああああああああああああああああ^^

おらしらね^^
2020年02月03日 19:19
「過去世も含めて全ての条件ずけ(因縁)から自由になる」

因縁解脱ではないとしても・・^^

仏陀の原始仏教の主題「因縁から自由になる」のはまじですか?
2020年02月03日 19:32
十二因縁・・無明、行、識、名色、六処、触、受、愛、取、有、生、老死

十二因縁から自由になるということは・・^^

う~~ん^^

う~~ん^^

自由とは混沌・・^^

混沌と秩序の問題かな^^

因果が秩序だとしたら自由は混沌となる^^

混沌の中から秩序が生じた^^

混沌の中から因果が生じた^^

おまえらのだらしのない生活(混沌すなわち自由)

おいらの規則正しい生活(秩序すなわち・・・)

うん?

わけわからんくなってきたので寝る^^

2020年02月03日 19:50
ちなみに・・^^

自由意志とは十二因縁のどこから生じるのかな^^

十二因縁・・無明、行、識、名色、六処、触、受、愛、取、有、生、老死

けど・・無明からはじまっているからな・・^^

たいしたことないか^^
カルマ、業、輪廻転生
2020年02月03日 20:05
仏教とは、十二因縁のカラクリを見破ってその外に出ることをゴールにすることでしょう。

何にも知らずに十二因縁の中で洗脳されてろ、外に出るなという教えではない。

2020年02月03日 21:30
うん?

なんぞ^_^
たーぼー
2020年02月04日 00:03
>だから因果が関係するのは、この物質現象世界=色だけなんですよ


では、因果が関係しないものって、どこにあるんですか?
あるというなら、提示できますよね。 ここに、あそこにありますと。
具体的に教えてください。
雲を掴むような観念論ではなく、具体的に。


赤い実さんかな?こんばんは^_^
赤い実さんは真面目ですね。
因果に関係しないものを観念論ではなく具体的に提示して下さいというのは、物理的にという意味で取ると、私は素粒子だと思ってます。素粒子だと雲を掴む様な話になってしまう?(笑 。今朝のあさんの書き込みが私の中ではヒットで、いいところ突いてるなと思いました。
これは以前からの私の持論で何処かの本に書いてあったわけでもないから間違いかもしれないし、仮説として聞いて下さい。
私は意識の最深部での思いは物質的に言えば素粒子だと思っているんです。素粒子って物質の最小単位で尚且つ核がないでしょう?意識の最深部は因果を受けるべき中心がないんですよ。因果を受ける為には因果を受ける中心(核)がないと因果を受けられないです。だから意識の最深部からの意思は因果に関わらないのだと思う。これは理屈というより感覚的に分かるんですよ。物質現象世界(色界)にしか因果は適用されないのだと思ってます。これは感覚的なものなんですよ。カルマさんが「因果がすべてであると同時に因果から自由である。これが真理でしょう。」と書いた感覚は私は凄く共感出来るんです。因果が全ての方は、無為なんです。無為とは因果に落ちないではなくて、因果に落ちて因果を消化しているという忘我の感覚だと思う。因果から自由であるという自由意思の方は感覚的に因果から自由だなと分かるんですよ。と勝手に推測したけど、カルマさん違う?(笑
だから仏陀が空即是色を世界を空と観ぜよと説いたのは現代風に言うと、世界=自分を素粒子と観ぜよってことやね。
かなり自分勝手に暴走して書いてますから、仮説として受け取って下さい。
たーぼー
2020年02月04日 00:34
だから公案禅の悟りとは原子の悟りだと思うんです。
独覚の悟りは素粒子の悟りだと思います。
これがどうもしっくりこないタイプの違いになっているように思います
2020年02月04日 01:03
不確定性原理から因果はないと思っただけ^_^

またまたねる^_^
2020年02月04日 01:33


>カルマ、業、輪廻転生さん
>
>>愚さん
>>因果にくらまさないと因果に落ちるは、同じとはいえないのではないですか?
>>
>>「大修行底の人、還って因果に落つるや也た無や」への返答として
>>「不昧因果」です。因果不落でもその否定語でもない、不昧です。
>
>>一般的な禅の解釈をいいました。もちろん、それは間違いで、あなたが正しいのかもしれません。また、無門禅師・・・・この本の著者は・・・不落フマイリョウサイイッサイ、と書いています。
>不落もフマイも一緒だということです。
>
>リョウサイイッサイを意訳すると、「二つの皿にのっている料理、サイコロの裏表」ですか?
>
>ということは、不落が間違いで不昧が正解ではなく、どちらも真理でそれを裏からみるか表からみるかだけ、となる。
>
>因果がすべて、因果からの自由はないという見解とは違うのではないですか。
>
>因果がすべてであると同時に因果から自由である。これが真理でしょう。

それはどういうことか、ということが、この公案の眼目です。それを具体的に示すわけです。

カルマさんは、どうも公案禅に向いていそうですね。もし、そうであれば、公案禅に参禅してみたらどうですかね?

2020年02月04日 02:01


>あさん
>
>素粒子が因果を持たないというのは
>おいらの考えで正確には分からん^_^
>
>自分で調べてね^_^
>
>http://www-utap.phys.s.u-tokyo.ac.jp/~suto/myresearch/suto_fukan2010-6.pdf

素粒子にも因果はあります。ただ、マクロな世界と違うのは、マクロの世界では、あるひとつの因に対して、果が一通りに決まるのですが、ミクロの世界では、複数になるということです。

つまり、確率的にしか、決められないということです。

ですから、果の方から見れば、因果は一通りに見えますが、因の方から見れば、複数の果があるということです。

この確率性がパラドックスを生むわけです。それがシュレディンガーの猫とかです。
2020年02月04日 03:21
愚さん^_^

ありがとうございました^_^
snow
2020年02月04日 07:59
>私は意識の最深部での思いは物質的に言えば素粒子だと思っているんです。素粒子って物質の最小単位で尚且つ核がないでしょう?意識の最深部は因果を受けるべき中心がないんですよ。因果を受ける為には因果を受ける中心(核)がないと因果を受けられないです。だから意識の最深部からの意思は因果に関わらないのだと思う。これは理屈というより感覚的に分かるんですよ。


「意識の最深部からの意思は因果に関わらない。」
ということですか。
う~ん。。よくわかりません。(ごめんなさい。)

意識の最深部というのは、潜在意識とは違うものをおっしゃっているのかな。
潜在意識というのは、記憶や条件付けの宝庫だとされていますからね。

私が、「自由意志はない。」というのをなぜ言うかというと。
それが事実だと感じるから、というのが一つ。
もう一つとしては。誰かが「これは私の自由意志だ。」と言うものであっても、実は、それは独断だったり先入観に基づくものだったりする場合もあるわけてすよね。
そのあたりが気にはなります。
「自由意志を人は持てる。」ということで、モチベーションを保っていきたい、というのは理解できるのですが。
たーぼー
2020年02月04日 10:16
私が、「自由意志はない。」というのをなぜ言うかというと。
それが事実だと感じるから、というのが一つ。
もう一つとしては。誰かが「これは私の自由意志だ。」と言うものであっても、実は、それは独断だったり先入観に基づくものだったりする場合もあるわけてすよね。
そのあたりが気にはなります。
「自由意志を人は持てる。」ということで、モチベーションを保っていきたい、というのは理解できるのですが。


snowさん、おはようございます。
自由意思の問題は物凄い難しい難問だと思います。
結局最後まで極め尽くしたと言える人しか、絶対的に正しいと言える答えは出せない難問だと思います。
私は因果が全てであり、因果から自由であるのが真理という答えも途中の通過点だと思います。
過去世の全ての条件ずけから自由になった人しか絶対的な答えは出せないと思う。
という事は人の数だけ真理というのはあるのであってsnowさんがそのように感じるならそれでいいのではないのでしょうか。
ただ因果だけあって自由意思はないのが真理だというのは、現時点での自分の真理だと思った方がいいと思います。
snow
2020年02月04日 10:25
自由意志というのは、「記憶や条件付けから自由な意志」だということを「自由意志はある。」という方はおっしゃいますよね。
それであれば、先入観なしで読んでいただきたいのですが。(笑)

>>私が、「自由意志はない。」というのをなぜ言うかというと。
>>それが事実だと感じるから、というのが一つ。

個別のものがある、というのは、見かけ上であって実はこの世界のどこにも分離はないのだ、ということです。
(分離はない、ということを、すべては因果因縁に拠る、と言っています。)
分離がないものがどうやって、条件付けから完全にフリーな意志を持てるのか、ということです。

前に、アル中の人の話を載せたんですが。
アル中の人が、「よし、絶対に飲まない。」と決めるのも、「飲むと苦しみを呼ぶ。」というのがわかるからですよね。
そこには因果があります。

アル中の人っていうのも、ぽっと突然にそうなったのではなく、全体性の中でそのようになっているということ。
これは、何も、自分には何の責任もない、悪いのはすべて環境なんだ、という話ではありません。
自分がアル中である理由を客観的に観る、ということです。

意志の力でなんとかする、ということもある局面では大切です。
(手を伸ばしそうになったら、やめる意志。)
しかし。それだけではなかなか難しいですよ。
自分がどうしてそうなのか、という「理解」それも客観的な「理解」があるといい、ということです。
snow
2020年02月04日 10:30
>ただ因果だけあって自由意思はないのが真理だというのは、現時点での自分の真理だと思った方がいいと思います。


もちろん、強要するものではなく、たーぼーさんたちのように違う考えの方たちがいることは当然だと思っていますよ。

たーぼーさんが書かれている間に、私も別の投稿をもう一つしていました。
よかったら見てください。 返信についてはおまかせします。
地球人
2020年02月04日 13:43
>愚さん^_^

>ありがとうございました^_^

要するに、あさんが3時間後に生きてるか?死んでるか?分からない。^^

2020年02月04日 16:26
うん?

人も生と死が重なり合ってるんだよな^_^

2020年02月04日 16:29
生と死が重なり合ってるということは^_^

地球人さんがこの答えを出してくれると思います^_^
たーぼー
2020年02月04日 17:09
意志の力でなんとかする、ということもある局面では大切です。
(手を伸ばしそうになったら、やめる意志。)


ほぉーじゃ自由意思を認めるわけですね?
ここは誤魔化さないではっきりさせるべきです。
因果だけあって自由意思がないなどというのは不自然で人工的な考えです。
ついこのように書いてしまうということはsnowさんの中でも自由意思を認めているのです。その心に正直であればいいだけです。
snow
2020年02月04日 17:59
>>意志の力でなんとかする、ということもある局面では大切です。
>>(手を伸ばしそうになったら、やめる意志。)


>ほぉーじゃ自由意思を認めるわけですね?
>ここは誤魔化さないではっきりさせるべきです。
>因果だけあって自由意思がないなどというのは不自然で人工的な考えです。
>ついこのように書いてしまうということはsnowさんの中でも自由意思を認めているのです。その心に正直であればいいだけです。


いえ、つい書いた、のではないですよ。

私も普段、「よし、気合入れてがんばろう~。」みたいなことが浮かんできて、それによって動いたりというのは普通にしています。
アル中の人がお酒に手を伸ばさないようにしようと思う、私が気合入れてがんばろう~、と思う。
このようなことというのは、全体の中から出ているということです。
個別に見えている(例えば、アル中の人がいる、私がいる、たーぼーさんがいる)けれど、実はどこにも分離はなく全体があるだけです。

なので、自由意志というものは、原理的にありえないのだ、ということに私の考えとしては変わりありません。

前にも書きましたが。 海と波の譬えです。
私たちは一回ずつこちらに向かってくる波であり、同時に海でもある。
波の動きは、様々な条件に左右されてそのようになっています。
波は海から離れては波でありえません。

私が言っている全体 = 海。
個別のもの(例えば個人) = 波。 
snow
2020年02月04日 18:05
この世界には、AとBの二人しかいません。
A,Bはそれぞれバラバラに、離れた場所で野生の果物を食べ生きてきて、人間はもちろん動物も見たことはありません。

たまたまある日、崖から落ちて苦しんでいるBをAは見かけました。
AはBを助けました。
仮にこのようなことが起きたとしたなら、それを自由意志によるものと呼んでもいいかもしれません。

因果因縁から完全にフリーな自由意志は、ありえないです。

・・・・・・
↑ これ。昨日も載せた文章なのですが。再度。
カルマ、業、輪廻転生
2020年02月04日 19:26
>愚さん
>>因果がすべてであると同時に因果から自由である。これが真理でしょう
>それがどういうことか、ということが、この公案の眼目です。それを具体的に示すわけです。

カルマさんは、どうも公案禅に向いていそうですね。もし、そうであれば、公案禅に参禅してみたらどうですかね?

ありがとうございます。テーマが公案から来ているので、公案をみてもらうようなやり取りになっていますが、わたし自身は、言語的な問答よりは想念や感情と自分で対峙する方が端的で効果があると考えています。
たーぼー
2020年02月04日 20:45
私も普段、「よし、気合入れてがんばろう~。」みたいなことが浮かんできて、それによって動いたりというのは普通にしています。
アル中の人がお酒に手を伸ばさないようにしようと思う、私が気合入れてがんばろう~、と思う。
このようなことというのは、全体の中から出ているということです。
個別に見えている(例えば、アル中の人がいる、私がいる、たーぼーさんがいる)けれど、実はどこにも分離はなく全体があるだけです。


分かりました。私もショーシャンクさんじゃないけど、堂々巡りになるの嫌ですからお好きにどうぞ(笑
まぁ自分を信じて正しいと思う道に行くしかないですからね。頑張って下さいね。
2020年02月04日 21:01


>地球人さん
>
>>愚さん^_^
>
>>ありがとうございました^_^
>
>要するに、あさんが3時間後に生きてるか?死んでるか?分からない。^^
>
マクロの世界だと、情報が十分にあれば、生死を正確に予想できます。

ミクロの世界では、情報が十分にあったとしても、確率的にしか予測できないということです。
2020年02月04日 21:03


>カルマ、業、輪廻転生さん
>
>>愚さん
>>>因果がすべてであると同時に因果から自由である。これが真理でしょう
>>それがどういうことか、ということが、この公案の眼目です。それを具体的に示すわけです。
>
>カルマさんは、どうも公案禅に向いていそうですね。もし、そうであれば、公案禅に参禅してみたらどうですかね?
>
>ありがとうございます。テーマが公案から来ているので、公案をみてもらうようなやり取りになっていますが、わたし自身は、言語的な問答よりは想念や感情と自分で対峙する方が端的で効果があると考えています。

であれば、そうされたらいいんでしょうね
snow
2020年02月04日 21:51
>たーぼーさん

>まぁ自分を信じて正しいと思う道に行くしかないですからね。頑張って下さいね。

やりとり、ありがとうございました。
たーぼー
2020年02月05日 11:03
仏教とは、十二因縁のカラクリを見破ってその外に出ることをゴールにすることでしょう。

カルマさんおはようございます
十二因縁の外に出る為には、この世を捨てないといけないのではないですか?
私はまだ十二因縁の外に出れていないのですが、どうもそんな気がしてます。
2020年02月05日 14:58
誰かが無明を智慧に変えるとかなんとか^_^
そうなるとどうなるんだ^_^

智慧ー空で終わりなのか^_^
2020年02月05日 15:32
思い出した^_^唯識だ

無明が智慧に変わると^_^

大円鏡智(だいえんきょうち):大きな円い鏡に一切がありのままに映し出されるように、すべてを明らかにする曇り一つない清浄な仏智。
平等性智(びょうどうしょうち):自他すべてのもが平等であることを証する智。
妙観察智(みょうかんさっち):平等の中に各々の徳性があることを証する智。
成所作智(じょうしょさち):あらゆるものをその完成に導く智。

こうなると^_^

うん?
なんか変な感がする^_^
カルマ、業、輪廻転生
2020年02月05日 16:19
>たーぼーさん

>仏教とは、十二因縁のカラクリを見破ってその外に出ることをゴールにすることでしょう。

>カルマさんおはようございます
十二因縁の外に出る為には、この世を捨てないといけないのではないですか?
私はまだ十二因縁の外に出れていないのですが、どうもそんな気がしてます。

この世的なものへの執着、貪りは少なければ少ないほどいいのではないでしょうか。この世的なものへの未練はなく、それでもエネルギッシュに行動できるのがいいですね。
たーぼー
2020年02月05日 16:38
この世的なものへの執着、貪りは少なければ少ないほどいいのではないでしょうか。この世的なものへの未練はなく、それでもエネルギッシュに行動できるのがいいですね。


そうでしょうね。
だから仏陀の仏法は世捨て人系になるんですよね。
これが出家という形の元なったのだろうなあと思います。
2020年02月06日 04:45
基本全ての執着を捨てる^_^

自分をも捨て、この世も捨てる^_^

諸法無我やな^_^
2020年02月06日 04:49
うん?

諸行無常、無我やな^_^
2020年02月06日 04:51
そうなると仏教も捨てんとあかん^_^
snow
2020年02月07日 14:43
当初とキャラが変わってきてる人が・・・。 原型が出たか。
snow
2020年02月07日 14:52
あら、書くとこまちがえました。