倫理

倫理について議論があるわけですが、わたしはこのように考えています。

倫理というのは、矛盾のない、葛藤のない生を送ることだと・・・・・早い話が、楽をして生きる・・・生きることを楽しむ

ですから、周りから与えられたものではなく、善だ悪だ、ああだこうだではなく、自主的なものだと思います。そして、その目的はひとつで、楽をすることです。

例えば、好き勝手に生きることは、苦しいわけです。

聞いたところでは、ギリシャの哲学者たちは、アリストテレスとか、アナクシマンドロスとか、ストア派とか、エピキュロスとか、みな、倫理的であったとのことです。

おそらく、かれらは明晰だったので、楽な生き方は、ストイックな生き方だと見抜いたんだと思います。

そう思ってみると、仏教の戒も・・・・それらはオリジナルには、悟るためのものですが・・・・楽に生きる指針だと見えてきます。

ですから、人生の目的・・・・そのようなものを、仮に設定するとして・・・・それは、楽に生きる、生を楽しむ、それに尽きると思っています。苦しいことはまっぴらごめんです。

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この記事へのコメント

snow
2020年01月30日 08:05
>例えば、好き勝手に生きることは、苦しいわけです。


書かれているように、これ、自分で気づかないとどうしようもないのかな、と思います。

つまり、
>ですから、周りから与えられたものではなく、善だ悪だ、ああだこうだではなく、自主的なものだと思います。そして、その目的はひとつで、楽をすることです。

ということ。

楽をすることを目標に設定するのがいいのか良くないのかは、ちょっとわからないのですが、「好き勝手に生きるのは実は苦しみを呼ぶ」というのがわかれば、自ずと多少なりともストイックになる方向になると思います。
そして、それは実際、楽になる方向性だと気づいていくと思います。
地球人
2020年01月30日 09:04
>楽をすることを目標に設定するのがいいのか良くないのかは、ちょっとわからないのですが、「好き勝手に生きるのは実は苦しみを呼ぶ」というのがわかれば、自ずと多少なりともストイックになる方向になると思います。
そして、それは実際、楽になる方向性だと気づいていくと思います

自我の思考が葛藤を生み苦しむ。

只々、社会に流されて生きればいいわけですか?
地球人
2020年01月30日 09:31
それとも、只管、耐え忍ぶ。
蓮風
2020年01月30日 10:27
庭で雀たちが鳴いています。
陽射しも暖かく。

ただ、昔のように、それを一心に味わえない自分が居ます。
ありがとうございます、余計な「気づき」という概念で、自我を二段構えにしていただいて。
わたしは元々、気付いている人だった。

『ラクになりたいから忍辱せよ。』
バカみたいでは?
加齢にともなって慣れたり諦めたりすることも多いというのに。
各人が、境涯に応じて、楽を求めたり、苦に耐えたり、できることをするだけです。

ものすごく余計なことを教わって別人と化し、十数余年のときを経て、元の自分に戻りつつあります。
通行人
2020年01月30日 10:28
そうだね、普段の社会生活はストイックだわ。
蓮風
2020年01月30日 10:30
不思善悪とは謂うけれど。
たしかに、その謂わんとするところは分かる訳だけれども。

わたしたちは、もう一方で『社会的存在』であり、因果の『集合的生命体』な訳でしょう?

どうして片方の側面だけ説いて、「お互い」とか「相身互い」といった関係性の概念を捨象するようなことになっちゃったのかなあ?
善悪はあるんです。
わたしたちが社会的な存在であるからには。
蓮風
2020年01月30日 10:34
論語の有名な一節で、KB 会でも度々言及されますが、

> 七十にして心の欲する所に従って矩(のり)を踰(こ)えず。

な訳でしょう?
だから、「自由」とか「好き勝手」とか標榜していても、それでいて「野放図」とか「不品行」を指向する訳ではないんでしょ?

その時に隠れている「自分」は誰だ!?

そこを問題にしているんですよ。
ストイックで、倫理的で、規範的な生き方、大いに結構。
でも、それは何故?
蓮風
2020年01月30日 11:41
もし、わたしが「本当に」自由に好き勝手できるならば、いますぐ目の前に、無から有を産み出すが如くに、金の延べ棒 10 本作り出したいですよ。生活、いささか苦しいから。

できないでしょ?
摂理に反するから。
物理的制約と云ってもいい。

フリーになんでもできる、とか嘯いたって出来ないこと、圧倒的過半な訳。
蓮風
2020年01月30日 11:47
『宇宙とピッタリ生きる』ために『因果に即して生きる』って、逆に、そうじゃない生き方なんて可能なんですか?


不可能じゃないですか。
しかも、多くの物理的/精神的制約にがんじがらめになって、その制約を内面化して生きているんじゃないですか。

どこが自由なんですか?
それもまた、心理的合理化ですよ。

その時の《判断主体》が居るんだよ。
無常かも知れないし、たんなる現象かも知れないけれど。
それは原理的には大宇宙、あるいは神そのものと繋がっているかも知れない。

でも、人間は『あきらかに万能ではない』。
『全知全能でもない』。

きちんとそこを指摘すれば好いのに、何故、いつの間にか、穴ぼこだらけの論を展開せざるを得なくなったのですか?
カルマ、業、輪廻転生
2020年01月30日 13:13
自我という人間主体を無くする、無いものであるべきだ、事実として無い、無いのが真理だ・・・

いわんとすることはわかりますよ、もっともそれは、現実に生きる自分にとって自我のリアル感が強すぎるからそれから脱却したいわけでしょう?

自我のリアル感を文字通り根絶しない限りは、自我がなんかないんだ、ありようがないんだ、存在確率ゼロなんだといったところで、説得力はないですね。

自我は虚構なとしても、それを基点に善なる意志決定をせざるえないというのが、自由意志完全否定説からも帰結されると思います。
2020年01月30日 13:51


>カルマ、業、輪廻転生さん
>
>自我という人間主体を無くする、無いものであるべきだ、事実として無い、無いのが真理だ・・・
>
>いわんとすることはわかりますよ、もっともそれは、現実に生きる自分にとって自我のリアル感が強すぎるからそれから脱却したいわけでしょう?
>
>自我のリアル感を文字通り根絶しない限りは、自我がなんかないんだ、ありようがないんだ、存在確率ゼロなんだといったところで、説得力はないですね。
>
>自我は虚構なとしても、それを基点に善なる意志決定をせざるえないというのが、自由意志完全否定説からも帰結されると思います。

了解です。期待してます
2020年01月30日 13:53


>蓮風さん
>
>『宇宙とピッタリ生きる』ために『因果に即して生きる』って、逆に、そうじゃない生き方なんて可能なんですか?
>
>
>不可能じゃないですか。
>しかも、多くの物理的/精神的制約にがんじがらめになって、その制約を内面化して生きているんじゃないですか。
>
>どこが自由なんですか?
>それもまた、心理的合理化ですよ。
>
>その時の《判断主体》が居るんだよ。
>無常かも知れないし、たんなる現象かも知れないけれど。
>それは原理的には大宇宙、あるいは神そのものと繋がっているかも知れない。
>
>でも、人間は『あきらかに万能ではない』。
>『全知全能でもない』。
>
>きちんとそこを指摘すれば好いのに、何故、いつの間にか、穴ぼこだらけの論を展開せざるを得なくなったのですか?

そうですね・・・・困ったものです
2020年01月30日 13:54


>蓮風さん
>
>もし、わたしが「本当に」自由に好き勝手できるならば、いますぐ目の前に、無から有を産み出すが如くに、金の延べ棒 10 本作り出したいですよ。生活、いささか苦しいから。
>
>できないでしょ?
>摂理に反するから。
>物理的制約と云ってもいい。
>
>フリーになんでもできる、とか嘯いたって出来ないこと、圧倒的過半な訳。

それはそうですね
2020年01月30日 13:55


>蓮風さん
>
>論語の有名な一節で、KB 会でも度々言及されますが、
>
>> 七十にして心の欲する所に従って矩(のり)を踰(こ)えず。
>
>な訳でしょう?
>だから、「自由」とか「好き勝手」とか標榜していても、それでいて「野放図」とか「不品行」を指向する訳ではないんでしょ?
>
>その時に隠れている「自分」は誰だ!?
>
>そこを問題にしているんですよ。
>ストイックで、倫理的で、規範的な生き方、大いに結構。
>でも、それは何故?

まあ、そこらへんは、個人個人で探求するんでしょうね
2020年01月30日 13:56


>蓮風さん
>
>不思善悪とは謂うけれど。
>たしかに、その謂わんとするところは分かる訳だけれども。
>
>わたしたちは、もう一方で『社会的存在』であり、因果の『集合的生命体』な訳でしょう?
>
>どうして片方の側面だけ説いて、「お互い」とか「相身互い」といった関係性の概念を捨象するようなことになっちゃったのかなあ?
>善悪はあるんです。
>わたしたちが社会的な存在であるからには。

では、そのように生きられたらいいと思いますよ
蓮風
2020年01月30日 13:58
原田祖岳老師『無門関提唱録』冒頭、第一則『趙州狗子』、本則の提唱にあるところを引用します。

“ところが趙州は無と一言答えられた。無という字は無いという字だね。だがこれは有るの無いのという無ではないよ。有るとか無いとかなら二つになってしまう。いつもいう通り天地は一つものだからね。それではこの無はなんだろう? ものそのものを、事実を、端的に示されるのに無と仰せられたのだ。”
(中略)
“意味は絶対にないぞ。全く意味のないのが祖師の意味だ。浅さも深さもない。条件は絶対にない。ただムだ。理知的には仏性とか本来の面目とかの換言葉と見るべし。”


つまり、私たち人類のつかう言葉自体の限界性や二重性(シニフィエとシニフィアンの関係)を指摘するために、『ム』と答えている訳。

だからといって、やっぱり「言葉で答えている」の。
極力端的にしよう、とは目指しているけれども。

この辺の、まず真っ先に説かれるべき内容が、世間ではなかなか理解されていないことが、よく分かりました。

事実ベースで。
事実に重きを置いて。
言葉は所詮解釈であり、事実とは別物だよ。
それは結構だし、当たっているとは思うけれども、じゃあ、その事実を構成する要素でもある『言葉』という因果をこれ以上否定して、なにかあるのですか?

言葉(=感覚)も事実という因果のうちです。
理屈以前に《世界》は現前している。
理屈を捏ねることが《世界》を混乱させている。
それも事実でしょう。
だからといって「その事実」の否定や脱却を目指して、結果的に退行していてなんになる?
2020年01月30日 14:02


>蓮風さん
>
>原田祖岳老師『無門関提唱録』冒頭、第一則『趙州狗子』、本則の提唱にあるところを引用します。
>
>“ところが趙州は無と一言答えられた。無という字は無いという字だね。だがこれは有るの無いのという無ではないよ。有るとか無いとかなら二つになってしまう。いつもいう通り天地は一つものだからね。それではこの無はなんだろう? ものそのものを、事実を、端的に示されるのに無と仰せられたのだ。”
>(中略)
>“意味は絶対にないぞ。全く意味のないのが祖師の意味だ。浅さも深さもない。条件は絶対にない。ただムだ。理知的には仏性とか本来の面目とかの換言葉と見るべし。”
>
>
>つまり、私たち人類のつかう言葉自体の限界性や二重性(シニフィエとシニフィアンの関係)を指摘するために、『ム』と答えている訳。
>
>だからといって、やっぱり「言葉で答えている」の。
>極力端的にしよう、とは目指しているけれども。
>
>この辺の、まず真っ先に説かれるべき内容が、世間ではなかなか理解されていないことが、よく分かりました。
>
>事実ベースで。
>事実に重きを置いて。
>言葉は所詮解釈であり、事実とは別物だよ。
>それは結構だし、当たっているとは思うけれども、じゃあ、その事実を構成する要素でもある『言葉』という因果をこれ以上否定して、なにかあるのですか?
>
>言葉(=感覚)も事実という因果のうちです。
>理屈以前に《世界》は現前している。
>理屈を捏ねることが《世界》を混乱させている。
>それも事実でしょう。
>だからといって「その事実」の否定や脱却を目指して、結果的に退行していてなんになる?

ですから、ご自分の思う通りに行動するしかないわけです。
蓮風
2020年01月30日 14:04
愚さん

わかっていて道化を演じるのはズルいと思います。
そういう手法で教導できるようには、わたしには見えていません。
蓮風
2020年01月30日 14:09
じゃあ、話を多少変えて質問。

愚さんは、「自分のなかから湧き上がる雑念に直面化すると、そのカルマ(善業であれ悪業であれ)は消えていく」と仰います。

これ、ウソでは?


たしかに自分の内面で起きることにできるだけ直面化していくことで、余計な理路を組み上げることが減り、ハッキリいうと人類のほぼすべてがそれぞれ抱えている狂気(本当の意味での精神病)が緩和(寛解)されていくのは分からんでもない。

でも、それはカルマが解消しているのではなく、心理的に慣れているだけでは?

(内面的にのみ)抑圧をはずすことによって、なぜ、阿頼耶識のカルマ自体が徐々に解消する、と言えるんですか?
2020年01月30日 15:03


>蓮風さん
>
>じゃあ、話を多少変えて質問。
>
>愚さんは、「自分のなかから湧き上がる雑念に直面化すると、そのカルマ(善業であれ悪業であれ)は消えていく」と仰います。
>
>これ、ウソでは?
>
>
>たしかに自分の内面で起きることにできるだけ直面化していくことで、余計な理路を組み上げることが減り、ハッキリいうと人類のほぼすべてがそれぞれ抱えている狂気(本当の意味での精神病)が緩和(寛解)されていくのは分からんでもない。
>
>でも、それはカルマが解消しているのではなく、心理的に慣れているだけでは?
>
>(内面的にのみ)抑圧をはずすことによって、なぜ、阿頼耶識のカルマ自体が徐々に解消する、と言えるんですか?

知りませんが、わたしの場合はそうだったということだけです。ですから、当然、そうじゃないかたもいると思いますよ
2020年01月30日 15:04


>蓮風さん
>
>愚さん
>
>わかっていて道化を演じるのはズルいと思います。
>そういう手法で教導できるようには、わたしには見えていません。

わたしは教導するとかいうつもりはまったくありません。
蓮風
2020年01月30日 15:42
そうですか、じゃあ、まあいいや。
カルマだなんだ、は謂わんとするところは分かるつもりだけれど、正直、無記の範囲ですよね。わたしも仮説は持っているけれど。

それでも今回のダイアローグは勉強になりました。
ありがとうございます。
地球人
2020年01月30日 17:24
戦後、アメリカ文化によって、変になったのです。
日本の大衆文化人がメディアで個人の自由意思・意志を叫んで若者を洗脳しようした。対局が倫理・道徳で悪のように排斥しようとした。
現在、倫理・道徳は忘れられた。死語に近い。
学校教育でも道徳の授業はあるのか? 
そんな経緯で逆に自我意思・意志に悩み苦しむ日本人がネットで鬱憤晴らしているのではないですか。
確かに倫理に準じた規則正しい生活は楽でしょう。
気づかなかった。



カルマ、業、輪廻転生
2020年01月30日 20:16
倫理についてなら、単純明快でしょう。

仏教というのは、真理探究や快楽追求のためにあるのではなく、苦しみからの脱却のための修行。


よって、苦しみから脱却することが、善。

では悪は。

悪は生きとし生けるものを苦しめること。
たーぼー
2020年01月30日 22:09
倫理についてなら、単純明快でしょう。

仏教というのは、真理探究や快楽追求のためにあるのではなく、苦しみからの脱却のための修行。



カルマさんこんばんは。
以前カルマさん接心に通うのは因果かとか言ってたの見たんですが、どういう接心か聞いてもいいですか?
曹洞宗系なのか、臨済宗系なのか。
同じ接心に通う愚さんと随分考え方の違いがあるので、どういう事なのかなと思いまして。具体的な寺名とかは結構ですから、差し支えない範囲でお聞きしたいです。
地球人
2020年01月31日 06:07
倫理は仏陀の悟りの八正道です。
crucrusaders
2020年01月31日 11:27
わたくし、自慢じゃないけど根っからの楽して生きたいタイプです。

ストイックに生きること、憧れはしますが……………我が身に引き寄せてみれば、やはり遠慮しとこうか、と。

なぜストイックに生きることが楽に生きることなのでしょうか?
地球人
2020年01月31日 13:00
禅の時代は、物理科学が全く分からなかったのだから「無」「ありのまま」なのです。
地球人
2020年01月31日 13:19
ストイックとは、欲望に流されない、自堕落にならない、とのこです。我欲、自堕落の生活をすれば破滅しますね。

楽に生きるとは、無茶をしない、人の本性に準ずる。
地球人
2020年01月31日 15:22
ストイックな規則正しい生活は楽なのです。

我欲、エゴが出ると苦しいのです。求めるものが得られない葛藤が起きます。
カルマ、業、輪廻転生
2020年01月31日 18:53
>たーぼーさん

>曹洞宗系なのか、臨済宗系なのか。
同じ接心に通う愚さんと随分考え方の違いがあるので、どういう事なのかなと思いまして。具体的な寺名とかは結構ですから、差し支えない範囲でお聞きしたいです。

曹洞宗系です。といっても、曹洞宗や道元がもっとも優れていると思っているわけではありません。どの宗派も、同じダルマを別の側面から表現しているだけだと考えています。
たーぼー
2020年02月01日 00:49
曹洞宗系です。といっても、曹洞宗や道元がもっとも優れていると思っているわけではありません。どの宗派も、同じダルマを別の側面から表現しているだけだと考えています。


カルマさん、こんばんは。
やはり筋がいいと思ったら曹洞宗系なのですね。今ショーシャンクさんの影響で仏陀の原始仏教を勉強してるんですが、仏陀の感覚はスッパニパータを読む限りは、無事禅と揶揄されるような曹洞宗の本流に近いですよ。見性を重視してないんです。仏陀がどう言ってるかと言うと、スッパニパータ1119「常によく気をつけ、自我に固執する見解を打ち破って、世界を空なりと観ぜよ。そうすれば死を乗り越えることができるであろう。このように世界を観ずる人を、(死の王)は見ることがない」臨済宗で見性とされる空を仏陀は死の王と言ってるんです。自分と世界が対立しなければ死の王を見ることがないと言ってるんです。臨済宗系の見性が色即是空の空の一点を見性としているのに対して、仏陀は空即是色なんです。
2020年02月01日 02:04


>crucrusadersさん
>
>わたくし、自慢じゃないけど根っからの楽して生きたいタイプです。
>
>ストイックに生きること、憧れはしますが……………我が身に引き寄せてみれば、やはり遠慮しとこうか、と。
>
>なぜストイックに生きることが楽に生きることなのでしょうか?

矛盾を起こさないからです。葛藤を起こさないからです。たとえば、嘘をつけば、自分自身の内部、自分と他人の間に葛藤を起こします。

プライドを持てば、守ろうとして、他と葛藤を起こします。

ただまあ、仏戒で、不邪淫戒は、なかなか守りづらいものがあるようです
crucrusaders
2020年02月01日 05:56
>矛盾を起こさないからです。葛藤を起こさないからです。たとえば、嘘をつけば、自分自身の内部、自分と他人の間に葛藤を起こします。

そりゃそうです。
たしか・・・・エピキュロスも食べ過ぎるな、あとで腹痛になるから、金持ちになることや社会的地位が上がることを望むな、みんなの反感を買うから、と言っていたようです。

>プライドを持てば、守ろうとして、他と葛藤を起こします。

プライドって自我丸出しですもんね。

でも、なんというか、そんな便所の日めくりカレンダーの格言みたいなもので欲望をコントロールできる幸せな人なんているのかなあ。

わかっちゃいるけどやめられない!!明晰のかけらもない、煩悩の嵐に苛まれる凡夫としては、どーしたものかと悩みどころです。ま、それも慣れると苦痛というほどでもないのが凡夫のありがたいところです。

>仏戒で、不邪淫戒は、なかなか守りづらいものがあるようです

エピキュラスも性交はよくないと戒めていたようです。
よほど悪い女性にひっかかったんでしょう。その点、愚さんもわたくしも、素晴らしい女性体験があったがゆえに、葛藤多き人生を歩めて幸いなことです。
2020年02月01日 20:55


>crucrusadersさん
>
>>矛盾を起こさないからです。葛藤を起こさないからです。たとえば、嘘をつけば、自分自身の内部、自分と他人の間に葛藤を起こします。
>
>そりゃそうです。
>たしか・・・・エピキュロスも食べ過ぎるな、あとで腹痛になるから、金持ちになることや社会的地位が上がることを望むな、みんなの反感を買うから、と言っていたようです。
>
>>プライドを持てば、守ろうとして、他と葛藤を起こします。
>
>プライドって自我丸出しですもんね。
>
>でも、なんというか、そんな便所の日めくりカレンダーの格言みたいなもので欲望をコントロールできる幸せな人なんているのかなあ。
>
欲望をコントロールするのは意味がないと思います。欲望が苦痛だとこころの底から気が付かない限り、ダメでしょう。とはいっても、なかなか、気が付かないわけです。そのときどうするか、といえば、欲望になり切ってしまう。
なり切れれば、欲望は脱落します。そのとき、サッパリします。そして、欲望がうっとうしい、ダサい、わずらわしいものとわかるわけです。そうすると、あらたなフレッシュな欲望?があらわれてきます。

>わかっちゃいるけどやめられない!!明晰のかけらもない、煩悩の嵐に苛まれる凡夫としては、どーしたものかと悩みどころです。ま、それも慣れると苦痛というほどでもないのが凡夫のありがたいところです。
>
>>仏戒で、不邪淫戒は、なかなか守りづらいものがあるようです
>
>エピキュラスも性交はよくないと戒めていたようです。
>よほど悪い女性にひっかかったんでしょう。その点、愚さんもわたくしも、素晴らしい女性体験があったがゆえに、葛藤多き人生を歩めて幸いなことです。

わたしは、個人的には、社会的、実践的にですが、大事なことのほとんどを女性から学んできましたし、いまも学びつつあります・・・・理論は男性、実践は女性・・・

わたしにとって、女性は神様です。というのは、常に、鍛えてくれるからです・・・・
カルマ、業、輪廻転生
2020年02月01日 21:09
>たーぼーさん

どうなんですかね、仏教の源流・本質を忘れたら、禅もおかしくなるでしょうね。原始仏教やテーラワーダが大乗仏教の前に姿を現したのは最近のことです。以前は何もわからずに小乗仏教といって馬鹿にしていただけです。
カルマ、業、輪廻転生
2020年02月01日 21:37
カルマの善悪と倫理の善悪が別のところにあると思っていない?

仏教の場合この二つは分けることはできない。

不倫や性的堕落が悪なのは、人為的な社会倫理として仮に設定されたルールだからではなく、端的に悪いカルマだから。
2020年02月01日 21:45


>カルマ、業、輪廻転生さん
>
>カルマの善悪と倫理の善悪が別のところにあると思っていない?
>
>仏教の場合この二つは分けることはできない。
>
>不倫や性的堕落が悪なのは、人為的な社会倫理として仮に設定されたルールだからではなく、端的に悪いカルマだから。

どうも、わたしが非難されているようで、気がめいってしまいました・・・・
カルマ、業、輪廻転生
2020年02月02日 13:59
性にまつわる行動が悪いカルマになりうるのは、最も強烈に貪りの煩悩に触れるのが性だからです。

貪瞋痴、すべてのトリガーになる。

ただ、禁欲を守れば悪いカルマにならないというわけでもないでしょう。怒りと嫉妬と嫌悪の感情を強烈にもちながら家庭生活を送るのであれば、悪いカルマですね。

普通の
2020年02月02日 14:50


>カルマ、業、輪廻転生さん
>
>性にまつわる行動が悪いカルマになりうるのは、最も強烈に貪りの煩悩に触れるのが性だからです。
>
>貪瞋痴、すべてのトリガーになる。
>
>ただ、禁欲を守れば悪いカルマにならないというわけでもないでしょう。怒りと嫉妬と嫌悪の感情を強烈にもちながら家庭生活を送るのであれば、悪いカルマですね。
>
>普通の

では、性の煩悩のあるひとは、どうすればいいんですかね?
snow
2020年02月02日 15:36
どこかで最近見たんですが。
性犯罪者に、その人が気持ち悪くなってもうやめてくれ、っていうぐらいエロ画像を見させ続けると、そういう欲望がなくなるらしいです。
実際、それを採用している国があるとか。
カルマ、業、輪廻転生
2020年02月02日 17:49
>では、性の煩悩のある人はどうしたらいいんですかね

当事者や周囲の人が幸福になるような活動に、性エネルギーを転用する、昇華することです。

精進のエネルギーです。実はこれは自由意志です。
2020年02月02日 20:15


>カルマ、業、輪廻転生さん
>
>>では、性の煩悩のある人はどうしたらいいんですかね
>
>当事者や周囲の人が幸福になるような活動に、性エネルギーを転用する、昇華することです。
>
>精進のエネルギーです。実はこれは自由意志です。

そうなんですか・・・・・そうすると、どうやって転用するんですか?
2020年02月02日 20:16


>snowさん
>
>どこかで最近見たんですが。
>性犯罪者に、その人が気持ち悪くなってもうやめてくれ、っていうぐらいエロ画像を見させ続けると、そういう欲望がなくなるらしいです。
>実際、それを採用している国があるとか。

なるほど・・・町中に、エロ画像を貼り付けたら、面白いですね
2020年02月02日 20:16


>snowさん
>
>どこかで最近見たんですが。
>性犯罪者に、その人が気持ち悪くなってもうやめてくれ、っていうぐらいエロ画像を見させ続けると、そういう欲望がなくなるらしいです。
>実際、それを採用している国があるとか。

なるほど・・・町中に、エロ画像を貼り付けたら、面白いですね
夕暮れ
2020年02月02日 20:50
愚さんは性には大らかな方のようですね。
自分自身も、嵐のような激しい性慾にさい悩まされ、性に身も心もとろけるように溺れてきた人間なので、人様のことをどうこう言える立場にもありませんが、
「愛欲の想いを離れ、一切の束縛を超え、歓楽による生存を滅しつくした人。彼は深海のうちに沈むことはない」(スッパニパータ)と、仏陀は性の欲望を執着、妄執と捉えていることを間違いと判断されますか?
2020年02月03日 00:24


>夕暮れさん
>
>愚さんは性には大らかな方のようですね。
>自分自身も、嵐のような激しい性慾にさい悩まされ、性に身も心もとろけるように溺れてきた人間なので、人様のことをどうこう言える立場にもありませんが、
>「愛欲の想いを離れ、一切の束縛を超え、歓楽による生存を滅しつくした人。彼は深海のうちに沈むことはない」(スッパニパータ)と、仏陀は性の欲望を執着、妄執と捉えていることを間違いと判断されますか?

これは非常に難しい問題ですね・・・・・生存の根底ですからね

わたしも、ひとから相談されても、困ってしまうというのが現状です。

禅では、この問題を避けています。公案としてあるのは、たった一つです。バシショウアン
http://www3.ic-net.or.jp/~yaguchi/advice/josei-b.htm

どういう受け答えをすれば、追い出されなくてすんだか?というものです。

あまり面白くもないし、意味があるとも思えません。公案の答えの出し方としては面白いかもしれませんが・・・

あきらかに、禅は、この問題を避けてますね。また、歴史的には、禁欲が、結果として、男色とか、そういった方面に向かったということも推測されます。キリスト教もそうみたいですね・・・・

また、一休さんのようなスタイルもありますね・・・・

クリシュナムルティだと、セックスの問題にははいりこんでいます。性欲をLUSTとか呼んで、あまりいい意味につかっていません。しかし、禁欲には否定的です。結局、性欲の持ち主の不在、ということに行きつくわけです。

執着のない性欲といった感じなんですかね

わたし個人としては、この流れの中で、抑圧することなく、欲望になりきってしまう、ということにしています。

これで個人的には問題がありません。ニ三の知人には勧めましたが、おおっぴらに勧めるのは、どうかな、と躊躇しますね
カルマ、業、輪廻転生
2020年02月03日 16:40
>愚さん
>>当事者や周囲の人が幸福になるような活動に、性エネルギーを転用する、昇華することです。

>>精進のエネルギーです。実はこれは自由意志です。

>そうなんですか・・・・・そうすると、どうやって転用するんですか?

部屋の掃除でも、散歩でも、何かを創造するのでも、なんでもいいんじゃないですか。
カルマ、業、輪廻転生
2020年02月03日 19:13
苦悩の原因は自分にあるというのはそのとおりでしょう。

それはつまりこういうことです。

個人としての人間は自分の外にある現象、事物、自然、人間、生き物、それらの真相、中身については結局何にもわからない。大海の一滴ほどもわからない。

比較的わかっているつもりの自分についても、過去や未来の自分は編集や想像でごくごく一部を切り取っているだけで、リアルなその時の自分からは全く別。過去や現在の自分については、これまた大海の一滴ほどもわからない。

結局、現在いまこの瞬間の自覚作用以外は、何にもわからない。

ポジティブであれネガティブであれ、自分の外がどういうものであるかはすべて、自分の投影であり、想像ですね。

カルマ、業、輪廻転生
2020年02月03日 19:21
悟りや覚醒には、過去の自分を否定することが必要だといわれるし、そのとおりだと思う。

性的な快楽への執着に問題があるのは、過去の条件づけ、習慣化を強烈に凝縮したのが性を巡る行動パターンだからだ。それはそうだ、幼児の時の父と母との関係、思春期の行動。刷り込まれた人間関係内反応パターンをリプレイするのが性行動。

夕暮れ
2020年02月03日 22:12
「婆子焼案(ばすしょうあん)」という公案のお婆さんは、何とも面倒臭い人ですね。自分で女性に行けとけしかけておいて、修行僧が女性を拒むと、お婆さんはたいそう怒って、僧を庵から追い出し、住んでいた庵まで焼いてしまったという乱暴なお話ですね。
この公案の答えとしては、女性を拒むまでは良いとしても、その拒み方。「まあ、まあ」と相手の誘惑してきた女性の面子を潰さないで紳士的に拒めれば合格だったのですが、乱暴に叱りつけるように女性を拒んだことが、修行僧の人格と修行の未熟を露呈してしまったのでしょうね。
「執着しないことに執着する」ことが「禅病」だとありますね。それはよくわかります。本来なら、「執着」などという言葉さえ忘れているくらい、(ごく自然に)執着しない自分であるべきです。
この修行僧は、これほど激しく女性を拒否しなければ自らの性慾を保てないほど、女性に対する執着がまだ残っていたということでしょう。
愚さんの「欲望になりきってしまう」という答えも、どう捉えたら良いのでしょうか。「なりきる」という禅らしい言葉で、綺麗に纏めてらっしゃるようにも思えますが、愚さんが公案の修行僧なら、「欲望のままに」女性をお抱きになって、お婆さんにこっぴどく怒られて、やっぱり庵を焼かれているでしょう。失礼ながら、落第では?
2020年02月04日 02:09


>夕暮れさん
>
>「婆子焼案(ばすしょうあん)」という公案のお婆さんは、何とも面倒臭い人ですね。自分で女性に行けとけしかけておいて、修行僧が女性を拒むと、お婆さんはたいそう怒って、僧を庵から追い出し、住んでいた庵まで焼いてしまったという乱暴なお話ですね。
>この公案の答えとしては、女性を拒むまでは良いとしても、その拒み方。「まあ、まあ」と相手の誘惑してきた女性の面子を潰さないで紳士的に拒めれば合格だったのですが、乱暴に叱りつけるように女性を拒んだことが、修行僧の人格と修行の未熟を露呈してしまったのでしょうね。
>「執着しないことに執着する」ことが「禅病」だとありますね。それはよくわかります。本来なら、「執着」などという言葉さえ忘れているくらい、(ごく自然に)執着しない自分であるべきです。
>この修行僧は、これほど激しく女性を拒否しなければ自らの性慾を保てないほど、女性に対する執着がまだ残っていたということでしょう。
>愚さんの「欲望になりきってしまう」という答えも、どう捉えたら良いのでしょうか。「なりきる」という禅らしい言葉で、綺麗に纏めてらっしゃるようにも思えますが、愚さんが公案の修行僧なら、「欲望のままに」女性をお抱きになって、お婆さんにこっぴどく怒られて、やっぱり庵を焼かれているでしょう。失礼ながら、落第では?

紳士的であろうがなかろうが、拒否したら、落第は確定します。そこでどう答えるかという、そこら辺の工夫はおまかせします。
crucrusaders
2020年02月04日 08:11
>欲望をコントロールするのは意味がないと思います。欲望が苦痛だとこころの底から気が付かない限り、ダメでしょう。

NHKBSだったかな・・・「欲望の資本主義」という番組がありました。高度にプログラミング化された欲望が資本主義のエンジンといいうわけです。勤勉さはどこへいった、とウェーバーも草葉の陰で泣いていることでしょう。

あの・・念のために言うと、番組でわたしが面白かったのは「異次元の金融緩和」への賛否のところで、必要なだけ通貨を発行して何が悪い、と開き直るような、ホンマにええんかいな、と疑いたくなるようなく主張も出てきているというところでした。まあわれわれは次から次へと更新されつづける欲望に突き動かされて羽根車のハムスターみたいに死ぬまで走り続けるのでしょうか、ちょっと気取って言えば、ね・・・どーでもいいけど。

>とはいっても、なかなか、気が付かないわけです。そのときどうするか、といえば、欲望になり切ってしまう。
なり切れれば、欲望は脱落します。そのとき、サッパリします。そして、欲望がうっとうしい、ダサい、わずらわしいものとわかるわけです。そうすると、あらたなフレッシュな欲望?があらわれてきます。

なるほど・・・・と言いたいのですが、なんのこっちゃ?です。
わたしはない、あるのは感情の波だけなら、同様に、わたしはない、あるのは欲望だけということで、そもそもダサいも何もないんじゃないですかね。

あの「婆子焼庵」の坊さんですが・・・・抱いたらなぜダメなんですか?
抱かずとも抱いたことにしてもダメなんですかね。

>わたしは、個人的には、社会的、実践的にですが、大事なことのほとんどを女性から学んできましたし、いまも学びつつあります・・・・理論は男性、実践は女性・・・
わたしにとって、女性は神様です。というのは、常に、鍛えてくれるからです・・・・

愚さん、偉い!

わたしにとっても、女性は神様です、ときどき夜叉になりますが。
というのは、波のように繰り返される幸福と落胆を・・・つまり欲望は決して充足されないことを理屈抜きに、そして骨身にしみるまで教えてくれるからです。
2020年02月04日 20:29


>crucrusadersさん
>
>>欲望をコントロールするのは意味がないと思います。欲望が苦痛だとこころの底から気が付かない限り、ダメでしょう。
>
>NHKBSだったかな・・・「欲望の資本主義」という番組がありました。高度にプログラミング化された欲望が資本主義のエンジンといいうわけです。勤勉さはどこへいった、とウェーバーも草葉の陰で泣いていることでしょう。
>
>あの・・念のために言うと、番組でわたしが面白かったのは「異次元の金融緩和」への賛否のところで、必要なだけ通貨を発行して何が悪い、と開き直るような、ホンマにええんかいな、と疑いたくなるようなく主張も出てきているというところでした。まあわれわれは次から次へと更新されつづける欲望に突き動かされて羽根車のハムスターみたいに死ぬまで走り続けるのでしょうか、ちょっと気取って言えば、ね・・・どーでもいいけど。
>
>>とはいっても、なかなか、気が付かないわけです。そのときどうするか、といえば、欲望になり切ってしまう。
>なり切れれば、欲望は脱落します。そのとき、サッパリします。そして、欲望がうっとうしい、ダサい、わずらわしいものとわかるわけです。そうすると、あらたなフレッシュな欲望?があらわれてきます。
>
>なるほど・・・・と言いたいのですが、なんのこっちゃ?です。
>わたしはない、あるのは感情の波だけなら、同様に、わたしはない、あるのは欲望だけということで、そもそもダサいも何もないんじゃないですかね。
>
それは悩みがダサいというような感じです。

>あの「婆子焼庵」の坊さんですが・・・・抱いたらなぜダメなんですか?
>抱かずとも抱いたことにしてもダメなんですかね。
>
公案として見るときは、ストレートではダメですね・・・それじゃ普通になっちゃう

>>わたしは、個人的には、社会的、実践的にですが、大事なことのほとんどを女性から学んできましたし、いまも学びつつあります・・・・理論は男性、実践は女性・・・
>わたしにとって、女性は神様です。というのは、常に、鍛えてくれるからです・・・・
>
>愚さん、偉い!
>
>わたしにとっても、女性は神様です、ときどき夜叉になりますが。
>というのは、波のように繰り返される幸福と落胆を・・・つまり欲望は決して充足されないことを理屈抜きに、そして骨身にしみるまで教えてくれるからです。

話は長くなるから、やめます
夕暮れ
2020年02月05日 00:24
「婆子焼庵」について調べました。公案の中でも難しいとされているとありました。
東京外語大教授の町田さんという僧でもあり学者の「法然と女性たち」というお話の中に「婆子焼庵」の解説がありました。
もともと、この公案の元の話はもう少し長い話で、老婆は誘惑してこいと娘を送り出した訳ではなく「抱き付いて、どんな感じがするか僧に聞け」と言ったのだそうで、娘もただ僧に抱き付いて「どんな感じですか?」と聞いただけで、それ以上のこともありませんでした。
この町田教授は「この婆子焼庵の答えは法然の生き方にこそある」としています。
法然は当時、女性が不浄とされ救われないとされていた世で、女性も等しく往生出来ると最初に説いた人で、そのために女性信者も多く、慕われ、人柄も女性にとても人気のあった僧でした。しかし、法然は生涯、不犯で、女性と関係を持つことは一切、ありませんでした。
天皇の娘であられる武子内親王までが信者であられましたが、その内親王が病になって死の間際に「ぜひ、最後にお会いしたい。来て下さい」という長い手紙を法然に送りました。法然は返事で「忙しくてお会いに行くことはできません。今生ではもうお会い出来ないと思います。あの世でお会いいたしましょう」と書いて、内親王に会いにはゆきませんでした。
法然は、必要以上には女性との関係は持ちませんでしたが、誠心誠意で女性信者たちに接して教えを説いた、その姿こそが「婆子焼庵」の答えだと町田教授は言っています。
2020年02月05日 09:54


>夕暮れさん
>
>「婆子焼庵」について調べました。公案の中でも難しいとされているとありました。
>東京外語大教授の町田さんという僧でもあり学者の「法然と女性たち」というお話の中に「婆子焼庵」の解説がありました。
>もともと、この公案の元の話はもう少し長い話で、老婆は誘惑してこいと娘を送り出した訳ではなく「抱き付いて、どんな感じがするか僧に聞け」と言ったのだそうで、娘もただ僧に抱き付いて「どんな感じですか?」と聞いただけで、それ以上のこともありませんでした。
>この町田教授は「この婆子焼庵の答えは法然の生き方にこそある」としています。
>法然は当時、女性が不浄とされ救われないとされていた世で、女性も等しく往生出来ると最初に説いた人で、そのために女性信者も多く、慕われ、人柄も女性にとても人気のあった僧でした。しかし、法然は生涯、不犯で、女性と関係を持つことは一切、ありませんでした。
>天皇の娘であられる武子内親王までが信者であられましたが、その内親王が病になって死の間際に「ぜひ、最後にお会いしたい。来て下さい」という長い手紙を法然に送りました。法然は返事で「忙しくてお会いに行くことはできません。今生ではもうお会い出来ないと思います。あの世でお会いいたしましょう」と書いて、内親王に会いにはゆきませんでした。
>法然は、必要以上には女性との関係は持ちませんでしたが、誠心誠意で女性信者たちに接して教えを説いた、その姿こそが「婆子焼庵」の答えだと町田教授は言っています。

この公案は、難透・・・難しい・・・・に分類されているようですね・・・・

室内は、そう難しくないにしても、公案自体は難しいですね。わたしは、二人のお師家さんに見てもらいましたけど、まあ、なんとかとおしてもらいました。答えは別でしたが・・・

法然のことは法然にまかせるとして、自分がどうするか?ということになるわけです。

この僧の対応は、いかにもマズいわけで、悟り臭さ満々で、悟りにひっかかって、身動きがとれない感じでしょ。

この公案の眼目は、自我を完全に落として、そして、その落としたという意識も落としたところで、どう対応するか、ということですね。

自分が、自我も情欲も脱落した時、あたまのなかが、空っぽの時、どのような反応をするか、凡夫でもダメ、聖人でもダメ、というところですか・・・・さあ、どうするか?
snow
2020年02月07日 15:24
いきなり後ろから誰かに抱き着かれたら、普通にびっくりするでしょうね。
まずは、お~、なんだ? でしょ。
色気より、お~、なんだ? が来ると思います。