自由意志2

>>私が思うのは一般の人、ごく普通の一般の人が禅仏教の後ろ向きの因果論で自分の人生を自分で切り開いていくという主体性がなくなってしまうんではないかと危惧してます。


>たーぼーさん。 私が書いたのを引用いただいたので、ここでもそうさせていただきますね。

自由意志はない、という表現に、虚無感や無力感、不気味さを感じてしまう人もいるようですが、表層での理解だとそのように感じてしまうものなのかもしれません。

自由意志がない、すべては因縁で動いている、ということをきちんと理解できれば、それは大きな救いになりますよ。
例えばですが。 どうしようもなくアル中な人がいたとします。
また、どうしようもなく粗野で短気な人がいたとします。
その人たちは、なぜそうなのでしょう?
脳、身体の特性、環境、遺伝的なもの、それらがあいまってそのようになってるわけです。
自分を責めてもしかたないんです。(責める、ということさえ、そうなるしかないからそうなってるんで、それはそれでいいんですけど。)
自分を責めてもしかなない、というのは大きな救いですよ。
責めずに淡々と治していけるきっかけになれます。

また逆に、とても才能があり優秀な人というのも、脳、身体の特性、環境、遺伝などからそうであるということで、その人個人の持ち物でもないのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
因果しかない、自由意志はない、というのを、理解するのは結構大変です。情緒的に反発するからです。どうしても、自由意志があるような気がしてならないからです。

それは、そうです・・・・・自由意志がないということになれば、無力感を感じますから・・・

ところが、実際は、逆のことが起きます。あらゆることがただの因果だとわかったとき、肩の荷がおります。ホッとします。つまり、努力することがすべて無駄であったということに気が付きます。これは、ホントに楽になります。

真理に達する道はないことが、ありがたいんです。あがくのを止めます。あがくのが止めば、真理は目前に現前します。

しかし、努力してあがくの止めるわけにはいかないんです。努力するのが難しいのではなく、努力を放棄することが難しいんです。

だから、どうするか、徹底努力するしかありません。自由意志があるという感覚を信じて、やるしかありません。徹底、あがきます。その結果、まちがいなく挫折します。そこがいいところです。

だから、努力するしかありません。ヘトヘトになるまでやればいいわけです。その努力の果実は大きなものがあります。

というわけで、わたしも努力を続けている次第です・・・・・いま、接心中です

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この記事へのコメント

地球人
2020年01月26日 13:40
自由意志2ですか、、、

>だから、どうするか、徹底努力するしかありません。自由意志があるという感覚を信じて、やるしかありません。徹底、あがきます。その結果、まちがいなく挫折します。そこがいいところです。

>だから、努力するしかありません。ヘトヘトになるまでやればいいわけです。その努力の果実は大きなものがあります。

以上は矛盾しませんか?

自由意志は間違いなく挫折すると分かって努力する人はいますか?
自由意志を貫く意志を持って努力するなら理解できますが、

以上は、
地球人
2020年01月26日 13:49
補足すると、いつか実を結ぶと信じてるわけです。
地球人
2020年01月26日 14:15
結果として思うようにいかなかったが、自己の意志を貫らぬき努力した充足感が有り後悔はない。
地球人
2020年01月26日 14:29
因果、因縁の意志はそれなりの結果が出たとしても、自己が無いので充足感は乏しい。
蓮風
2020年01月26日 15:47
「すべては因果である」「自由意志などなく、因果の相互・相関関係によってのみ行動している」ならば……、

 ・受動的に情況に流されようとも
 ・能動的に情況に関わっていこうとも

どちらもこれまた「因果に基づいた意志」の発現であり、人間が、それを自由意志と誤解しようがしまいが、やるべきだと思ったことはやり、やるべきでないと思ったことはやらない、それだけですよね。

知的な理解は大切かも知れないですけれど、どうも悲観的というか受動的な姿勢が前面に押し出されている嫌いを感じます。
蓮風
2020年01月26日 15:53
ちなみに私は「(部分的)自由意志」に相当するものは存在する、と考えています。

たとえば、私の脳内で起こっている想念を、行動化したり、あるいはしなかったりの選択を積み重ねて、外的環境にもアクセスしているからです。
それらの意志決定も当然ながら、外的環境からのフィード・バックを受けていますが、だからといって、完全に情況に流される訳ではない。敢えて、違う行動を取ったほうが、自分や他者にとって利得が大きい、と判断すれば、自己犠牲だってするのです。

自他、内外のあいだには緩やかな境界があるのです。
それともそれを無くしてやれば極端な話、世界平和が訪れるのですか?
あるいは逆に、先の大戦のような、思考停止した全体主義の怖れはないのですか?
蓮風
2020年01月26日 15:58
此処には「悪すらも受容できることが聖者の証」と誤解なさっている御仁も居ます。

じゃあ、その「悪」の被害に遭っている人々のことは受容しないのですか?
善は善、悪は悪です。
人は関係性のネットワークが具現化した、社会的存在です。

「悪すらも受容できる」度量を是としようとする人は、実は神経症的に「度量が広いことが是」という前提を誤解して持っている人です。
悪人は、それこそ生来の事情があって悪人に堕している人がほぼすべてでしょう。
そこに斟酌しておくべき事情はある。
でも、大事なのは、そんな悪人でも救い出すことであって、悪を放置することではない。何故ならば、その影に、被害に苦しむ人々が多数隠れているからです。
宮啓
2020年01月26日 15:59
 戦前・戦中の日本人について。

 「自由意志がない」と示唆しても、ほとんど誰も肯定しないのではないでしょうか。

 「精神力で鬼畜米英を打破する」と意志の力を強調する戦前・戦中の日本人に「自由意志はない」と示唆しても、ほとんど誰も聞く耳をもたない。


 では、今、現在の日本人は?

 表面的には戦前・戦中と大きく異なるように見えるが、根底の部分では差異はないというのがクリシュナムルティの示唆です。

 深いところでは、今の日本人は、戦前・戦中の日本人や、現在の北朝鮮の国民と同じく、自由意志はないのではないでしょうか。。
蓮風
2020年01月26日 16:11
結局、「御利益」がなければ努力できないんですか?
「努力はいつか限界に達して、そのことによって真理が現前する」という御利益がなければ?

そんな迂遠な廻り道を辿らないと、自分がやるべきことも、やるべきでないことも判断できないのですか?

愚さん、ひいては禅や K に参じて、多くのことを学ばせていただきましたが、元の木阿弥に堕してしまった、という認識です。
元々、精神とは「思考の迷宮」であり、実体はありません。
かといって、それらも因果の結実であり、因果へ影響するので、自他や社会を変えていきます。

わたしたちは、こんなに徒労多き「ゲーム」をしなければ「悟れない」のでしょうか?
そんなことはすべて放棄して、四の五の言わずに働き、暮らし、考えることの方が重要なのでは?
蓮風
2020年01月26日 16:16
北山 修とかが言っていたかに思いますが、日本人には「二者関係」はあっても「三者関係」がない。

これがすべての(日本的問題の)病巣ではないですか?
地球人
2020年01月26日 16:16
因果の意志、或いは自由意志と区別してる自覚が当人に無ければ同じです。

愚さんは何故、自由意志2をアップしたのか?其処を聞きたい。
たくさんのコメントがあったと記憶してますが、自由意志1では納得できなかったのでしょう。

地球人
2020年01月26日 16:29
一般的には、自分の意志で決定すれば自由意志と判断するでしょう。
2020年01月26日 17:11
束縛があって自由がある^^
自由があって束縛がある^^

ところで自由って何からの自由なのかな?

地球人
2020年01月26日 17:22
あさん、そういう問いではないのです。

テーマの主題を読んでください。
2020年01月26日 17:26
うん?

ほんとのこというとね・・^^

自由意志なんて解脱した人でないとわからないと思うんだよ^^

だから議論しても戯論寂滅なんだよな・・^^

これが^^
2020年01月26日 17:30

戯論寂滅(けろんじゃくめつ)

間違った根拠に基づいての論理や論争が無益であること、
言葉での説明や論理だけで実際の真偽を実証できないこと
が「戯論」です。そのような「戯論」から離れること、
止めることが「戯論寂滅」です。
「言葉」そのものが一つの誤謬という考えもあります。
「言葉」では説明できないものを説明しようとすると
このような「戯論」に陥るという意味で。

スッタニパータ 734

およそ苦しみが生ずるのは、すべて識別作用に縁って起こるのである。
識別作用が消滅するならば、もはや苦しみが生起するということは有りえない。



スッタニパータ 874

ありのままに想う者でもなく、誤って想う者でもなく、想いなき者でもなく、
想いを消滅した者でもない。 -- このように理解した者の形態は消滅する。
けだしひろがりの意識は、想いにもとづいて起こるからである。


だれがうまいこと言えと^^
地球人
2020年01月26日 17:42
日本人は民主主義・個人主義が根づいてるかどうか?疑問なので、自由意志を理解してるかどうか?わからない。
地球人
2020年01月26日 17:58
皆は焼肉定食を注文したが、私は味噌ラーメンを注文した。

これが自由意志だ! こんな理解でしょう。笑
2020年01月26日 18:00
おいらを含めて・・^^と言っておかんとまずい・・


煩悩具足のおいらたちが・・^^

自由意志だぁああああああああ

自由だぁあああああああ・・^^

って言っても・・^^

「えっ?・・まじ?・・どこが・・?」

煩悩具足してるのに?

となるのが必然^^
地球人
2020年01月26日 18:45
仏教からすれば、諸法無我の縁起なのだから、自由意志は無いわけです。笑

先ずは、自由意志1を読んでみてください。^^
地球人
2020年01月26日 19:11
前回の自由意志で揉めたので・・・

愚さんが言ってる自由意志とは何か? 自由意志がないとは何か?人其々、認識に差異があるので、具体的に提示する必要があるでしょう。
2020年01月26日 21:25
皆は焼肉定食を注文したが、私は味噌ラーメンを注文した。

刹那滅してるからそこら辺は難しいな^_^
想念があって私が決めたのか?

私が決めたのか?

まっどっちでもいいか?

ちなみに私ってなんだ?

うわっ^_^
2020年01月26日 21:33
刹那滅に思考はついていけれんかも知れんな^_^
地球人
2020年01月26日 23:04
他の人は諸法無我の因縁の意志だが、一人私は自分の食べたいものを食べた。
正に自由意志である。

それはおいて、愚さんの考える自由意志とは何か? それが知りたいね。
たーぼー
2020年01月26日 23:07
私が言いたかったのは、この現象世界は全て心が作り出しているんです。
本当に実在するのは唯一の意識だけなんです。
だから皆んな本当は思い通りに生きられるんです。
中々そうは思えない人がいると思うんだけど、それは自信がなくて思いが足りないからです。
そして人間の最も自由の原点は、思うという事です。
どういう境遇であろうと、どんな障害があろうと今のこの瞬間にどのようにも思う事が出来るんです。
だから因果だけあって自由意思がないのは、本当かどうかは悟れば分かるんでしょうから、あまりこういう言葉に振り回されない方がいいと思います。
これは人間をHAPPYにする言葉ではないです

地球人
2020年01月26日 23:39
>私が言いたかったのは、この現象世界は全て心が作り出しているんです。
本当に実在するのは唯一の意識だけなんです。

心は五蘊ですね。色即是空、諸法無我。 唯一のの意識とは仏陀の言ってるアートマン(自己)ですか・・・また、クリシュナムルティにおいてのアテンション(気づき)ですか・・・
地球人
2020年01月27日 00:03
単なる意識であるととすると、五蘊に吸収されるでしょう。
地球人
2020年01月27日 00:26
意識は五蘊でした。
地球人
2020年01月27日 00:34
焼肉もラーメンも人、動物の食欲です。
2020年01月27日 01:32
自然、現実は0思考ありのまま^_^

人の心が一念三千の世界を作り出す^_^

明日の夜は雪^_^

0思考で見れば雪は良くも悪くもないありのまま^_^

心で見ると良い悪いが生じる^_^

摩訶不思議^_^


2020年01月27日 01:42
心寂止やな^_^
地球人
2020年01月27日 03:08
愚さんは、自由意志が無いことを理解するには、実際に無駄な努力して気づかないと分からない、その時に心が楽ちんになると言ってるのです。体験しないと分からない。諸行無常、諸法無我、色即是空、一切皆苦。

知能で知識の理解は当てにならない。坐禅も実際にしなければわからない。
地球人
2020年01月27日 03:16
>0思考で見れば雪は良くも悪くもないありのまま^_^

>心で見ると良い悪いが生じる^_^

大雪は五蘊の心身の体験です。屋根の雪下ろしもしなければならないし、道路は除雪しなければならないし、交通は渋滞するし、大変です。笑


2020年01月27日 04:42
大変かー^_^
苦が生じたかー^_^

煩悩即菩提に変われる瞬間やな^_^

ここで悟れる人と悟れない人が分かれるのはなんでやろ^_^

悩みのほとんどの原因がここにあるのに^_^
snow
2020年01月27日 06:02
最初は。 「思考=頭の中に流れてくる声、言葉」は私ではない、というのが実感となるところから、のスタートなのかな、と。
これは、坐禅をしたり、日頃から思考観察をしていれば気づいてくると思います。
そのうち、身体も私ではない、というのも実感となっていけるかもしれません。
五蘊は私ではない、ということですね。

そのようななかで少しずつわかってくるものなのだと思います。
すべては因果因縁であり、自由意志といわれるものは実はない、というのも。
私もだいぶ前に、自由意志はない、という話を初めて知った際には、「ありえない。なにいってるんだろう。」と感じ、理解できませんでした。
crucrusaders
2020年01月27日 11:48
相変わらず愚さんの言葉は刺激的ですね。

侃々諤々の「自由意志」なんかほったらかして………さっさと接心中というところが愚さんらしくてイイです。

自由意志があろうとなかろうとそこは本当はどーでもよくて…………取り敢えずは、それがあるとしないとマズイんじゃないですかね。

一番典型的なのは、人がなぜ人を裁けるかということ。

敢えて自由意志により法規範に反した行為をしたことに裁きの根拠を求めるわけでしょ?

法規範にとどまらず諸々の規範の倫理的、文化的、宗教的あるいは歴史的背景等々をキレイさっぱり棚に上げた上で言えば、「〜してはならない」禁止の命令にチクチク触れることがなければ、人はそもそも自己存在を確信することができないんじゃないですか❓

要するに、ギクシャクする自由意志が世界にワタシを照射させて自己の立ち位置を確認しているようなものです。

もちろん世界も自己も仮象に過ぎず、コトバが世界からワタシを分離させてしまったものですが…………。
2020年01月27日 12:06
仏教に理系が向いているのが分かった^_^

人情が入らないからや^_^

人情が入ると真理が霞む^_^
地球人
2020年01月27日 12:27
>大変かー^_^
苦が生じたかー^_^

それは成れるまで大変だろう。笑
地球人
2020年01月27日 12:34
学識の欠点は頭で理解したしたつもりになってるが、実際、身体で体験しなければ解らないことは数多くあります。心身一如
カルマ、業、輪廻転生
2020年01月27日 12:51
自由意志を否定したら、そもそもカルマなどないんだとならないかな。
カルマ否定論。上座部仏教、原始仏教、チベット仏教ならありえない。
仏教否定の暴論となる。

日本大乗仏教なら許される?

そもそも99・99パーセント以上の人間が悟っていないのに、そのことを正当化する屁理屈ばかり積み上げられた、畸形的なブッキョーだけが正しいということはあるまい。
地球人
2020年01月27日 12:54
自転車も自動車も学識で路上を運転できない。
カルマ、業、輪廻転生
2020年01月27日 13:01
自由意志の否定は、反転して自由意志の肯定に転ずるとも言えるんだ。

360度の範囲で何処にでも行ける、何処に行ってもいい、そのことの不可能性、無意味性が心底分かったら、そのことを体現する道は一点に集約される。その道を選ぶしかないということだね。これこそ、強制ではなく自由だ。
地球人
2020年01月27日 13:02
自由意志があるなら具体的に分かるように説明してください。
地球人
2020年01月27日 13:12
>360度の範囲で何処にでも行ける、何処に行ってもいい、そのことの不可能性、無意味性が心底分かったら、そのことを体現する道は一点に集約される。その道を選ぶしかないということだね。これこそ、強制ではなく自由だ。

360度、何処に行ってもいい道はありますか?

地球人
2020年01月27日 13:24
選択の余地がない・・一本道と同じでしょう。
地球人
2020年01月27日 14:02
こんな想像はどうですか?

360度、全開の広大の土地の中心にあなたはいます。
広大な土地には一匹の餓えたライオンがいます。
あなたは、ライオンが何処にいるかわからない。

さて、あなたはどの方角に歩けばよかったのか?
2020年01月27日 17:48


>カルマ、業、輪廻転生さん
>
>自由意志を否定したら、そもそもカルマなどないんだとならないかな。
>カルマ否定論。上座部仏教、原始仏教、チベット仏教ならありえない。
>仏教否定の暴論となる。
>
>日本大乗仏教なら許される?
>
>そもそも99・99パーセント以上の人間が悟っていないのに、そのことを正当化する屁理屈ばかり積み上げられた、畸形的なブッキョーだけが正しいということはあるまい。

カルマしかないから、自由意志は否定されるのです。
2020年01月27日 17:59


>crucrusadersさん
>
>相変わらず愚さんの言葉は刺激的ですね。
>
>侃々諤々の「自由意志」なんかほったらかして………さっさと接心中というところが愚さんらしくてイイです。
>
>自由意志があろうとなかろうとそこは本当はどーでもよくて…………取り敢えずは、それがあるとしないとマズイんじゃないですかね。
>
>一番典型的なのは、人がなぜ人を裁けるかということ。
>
>敢えて自由意志により法規範に反した行為をしたことに裁きの根拠を求めるわけでしょ?
>
>法規範にとどまらず諸々の規範の倫理的、文化的、宗教的あるいは歴史的背景等々をキレイさっぱり棚に上げた上で言えば、「〜してはならない」禁止の命令にチクチク触れることがなければ、人はそもそも自己存在を確信することができないんじゃないですか❓
>
>要するに、ギクシャクする自由意志が世界にワタシを照射させて自己の立ち位置を確認しているようなものです。
>
>もちろん世界も自己も仮象に過ぎず、コトバが世界からワタシを分離させてしまったものですが…………。

自分というものを調べてみると、いろいろ選択したり、あたかも自由意志であるかのように見えますが、実体は、条件付けのカタマリだな。そのプロセスで概念化が起きてる、といったことがわかったりします。

そうすると、考え、感情は、フレッシュなものでもなければ、自由でもないということになります。

あらゆる考え、概念は、中古品です。

そうすると、考えをさしはさむことなく、行動することができるか、ということになります。これがヒョットすると自由です。

つまり、過去からの自由が・・・・・遺伝的、性格的、社会的条件付けからの自由が・・・・・可能かどうかということになります。

そんな風に話を持っていければいいと思っていたのですが、なかなか思う通りにはいかないものです。
2020年01月27日 18:06


>宮啓さん
>
> 戦前・戦中の日本人について。
>
> 「自由意志がない」と示唆しても、ほとんど誰も肯定しないのではないでしょうか。
>
> 「精神力で鬼畜米英を打破する」と意志の力を強調する戦前・戦中の日本人に「自由意志はない」と示唆しても、ほとんど誰も聞く耳をもたない。
>
>
> では、今、現在の日本人は?
>
> 表面的には戦前・戦中と大きく異なるように見えるが、根底の部分では差異はないというのがクリシュナムルティの示唆です。
>
> 深いところでは、今の日本人は、戦前・戦中の日本人や、現在の北朝鮮の国民と同じく、自由意志はないのではないでしょうか。。

それは明確でしょう。社会は競争主義で、弱者は切り捨てごめんです。悪意があるとはいいませんが、政治家も条件付けされて、無茶苦茶です。世界は発狂状態であることは、間違いない思います。もちろん、わたしがその発狂状態から免れているとはいいません。ただ、自分が発狂状態であろうということは理解しているつもりです。
2020年01月27日 18:12


>地球人さん
>
>愚さんは、自由意志が無いことを理解するには、実際に無駄な努力して気づかないと分からない、その時に心が楽ちんになると言ってるのです。体験しないと分からない。諸行無常、諸法無我、色即是空、一切皆苦。
>
>知能で知識の理解は当てにならない。坐禅も実際にしなければわからない。

自由意志はないことは、ちょっと考えればわかるのですが、それが腑に落ちるのには、結構苦労するんじゃないかな、ということです。

自由意志がないことは、消極的に聞こえますが、実際は、正反対です。というのは、自由意志をあきらめたとき、つまりギブアップしたとき、別種のエネルギーがやってくるからです。

このエネルギーが、自分を通じて、働いていくわけです。だから、自由意志という、努力という苦役がなくなるわけです。
2020年01月27日 18:15


>蓮風さん
>
>結局、「御利益」がなければ努力できないんですか?
>「努力はいつか限界に達して、そのことによって真理が現前する」という御利益がなければ?
>
>そんな迂遠な廻り道を辿らないと、自分がやるべきことも、やるべきでないことも判断できないのですか?
>
>愚さん、ひいては禅や K に参じて、多くのことを学ばせていただきましたが、元の木阿弥に堕してしまった、という認識です。
>元々、精神とは「思考の迷宮」であり、実体はありません。
>かといって、それらも因果の結実であり、因果へ影響するので、自他や社会を変えていきます。
>
>わたしたちは、こんなに徒労多き「ゲーム」をしなければ「悟れない」のでしょうか?
>そんなことはすべて放棄して、四の五の言わずに働き、暮らし、考えることの方が重要なのでは?

そう思えば、そうするのがいいと思います・・・・簡単です、ひとは自分の望むことをすればいいだけのことです。
2020年01月27日 18:43


>地球人さん
>
>自由意志があるなら具体的に分かるように説明してください。

自由意志はありませんが、自由という感覚はあります。それは、環境に依存するものではなく、ただ、自由であるという実感です。こころというか、思考というか、その枠組みが外れてしまった感じです。これは実感できます。

もちろん、そんな実感をいつも感じているわけではありませんし、状況によって、自我の念を起こせば消えていきます。

自由は積極的に定義できません。わたしたちが、感じられるのは、自由でないものです。自由でないものの否定が自由です。自分がこの身体に閉じ込められているというのは自由ではありません。社会的条件付けは、国家間の対立とか、人種差別とか、自由ではありません。社会的善悪は、自由ではありません。

そういった、あらゆるものを否定した時自由です。
地球人
2020年01月27日 19:11
愚さん、了解です。 あなたは見性してます。

ありがとうございます。
カルマ、業、輪廻転生
2020年01月27日 21:15
>カルマしかないから、自由意志は否定されるのです。

それは違うと思います。いつかはカルマを清算して、きれいさっぱり外に出たいと思うなら、その方向に意志を定めなければ。
自由意志を否定したら、カルマに翻弄され、カルマを重くする一方でしょう。

カルマ、業、輪廻転生
2020年01月27日 21:21
仏教における自由意志というのは、何十年、何年に一度という長期スパンの意思決定ではなく、瞬間瞬間、不断に働かせる精進意志のことだと考えています。努力するとか、ストレスやプレッシャーをかける不自然な作業ではなく、もっと瑞々しいものだね。
カルマ、業、輪廻転生
2020年01月27日 21:34
思考と思考者の同一性ということでいえば、こういうことかもしれない。

思考、これは反応でも、感応、感情、思い、意志でもなんでも同じだが、思考に対する主体としての思考者を分離させるから様々な問題を引き起こす。

思考者が自由に思考するのではなく、あるのは思考だけ。

こう考えれば確かに、思考者の自由な思考はありえない。

仏教で自由意志というのは、思考者に自由な思考が可能だといっているのではなく、思考者への執着をいまこの瞬間捨てろという意味だと思う
たーぼー
2020年01月27日 22:01
>カルマしかないから、自由意志は否定されるのです。

それは違うと思います。いつかはカルマを清算して、きれいさっぱり外に出たいと思うなら、その方向に意志を定めなければ。
自由意志を否定したら、カルマに翻弄され、カルマを重くする一方でしょう。



カルマさんこんばんは。
愚さんはダルマを分かってないんです。
禅は法空じゃなくて人空なんですよ。
私はあなたの書いたダルマと自由意思の微妙なニュアンスの書き込み全部分かりますよ。
どうもタイプがあるみたいなんだなぁ。
仏陀やクリッシュナムルティ などの独覚タイプと公案禅タイプはどうも違うみたいなんです。
地球人
2020年01月27日 22:39
主題から引用

>因果しかない、自由意志はない、というのを、理解するのは結構大変です。情緒的に反発するからです。どうしても、自由意志があるような気がしてならないからです

自我は因果を条件付けで発現するのです。だから、因縁生起、因果です。

精進は自我を滅する修行です。
2020年01月27日 22:50
思考や自由意志がない。というとき二つの意味があって、動物的でほとんど自由意志や思考を働かせてない人間と、反対に思考と自由意志の極限として、思考や自由意志が消えた覚者との、二パターンがある。

その間に、思考を酷使し、自由意志を使う段階がある。


2020年01月27日 22:50
「八不中道の戯論寂滅の縁起を説いた仏に帰依したてまつる」

戯論寂滅の縁起やな^_^

タキ衛門
2020年01月27日 22:50
>れんぷうさん
>ちなみに私は「(部分的)自由意志」に相当するものは存在する、と考えています。
>たとえば、私の脳内で起こっている想念を、行動化したり、あるいはしなかったりの選択を積み重ねて、外的環境にもアクセスしているからです。

 なぜ、上記の外部環境へのアクセスが部分的自由意志ありの根拠になるのか、理解できません。

>宮啓さん
> 「精神力で鬼畜米英を打破する」と意志の力を強調する戦前・戦中の日本人に「自由意志はない」と示唆しても

 テーマは「自由意志があるかないか」であって、「意思があるかないか」では
ないわけです。「意思」はあるって事でいいのではないかと思います。

>愚さん
>社会的条件付けからの自由が・・・・・可能かどうか

 愚さんが議論したいのは、条件付からの自由があるかどうか。一方、哲学で議論される自由意志は物理法則もしくは因果律に反するような自由意志があるかどうか。この2つは、異なる議論ですので、混ぜずに、分けて(別トピとか)でやったほうがよいと思います。でないとぐちゃぐちゃになるので。
2020年01月27日 22:54
自由意志や思考が消えるのは最後の段階で、それまでは、徹底的に考えないといけない。



2020年01月27日 22:55
虚妄の世界の中での自由意志かー^_^

ありえるかも知れん^_^
地球人
2020年01月27日 22:56
わたしは悟った第二の仏陀で四諦八正道する仏だ。
と、宣言するなら有りですが、

衆生が認めるかどうか?
2020年01月27日 22:59
「三界虚妄、唯是心作」やな^_^
2020年01月27日 23:03
一念三千の世界での自由意志とはこれいかに^_^
地球人
2020年01月27日 23:09
自我は悟れないから、大乗仏教の観自在仏が誕生したのです。笑
たーぼー
2020年01月27日 23:11
一番典型的なのは、人がなぜ人を裁けるかということ。

敢えて自由意志により法規範に反した行為をしたことに裁きの根拠を求めるわけでしょ?

法規範にとどまらず諸々の規範の倫理的、文化的、宗教的あるいは歴史的背景等々をキレイさっぱり棚に上げた上で言えば、「〜してはならない」禁止の命令にチクチク触れることがなければ、人はそもそも自己存在を確信することができないんじゃないですか❓

要するに、ギクシャクする自由意志が世界にワタシを照射させて自己の立ち位置を確認しているようなものです。


こんばんは。
この倫理について言うと、倫理の元は何かというとカルマさんが書いていたダルマに反する思い、言葉、行為なんです。
しかし、これが中々に人に理解してもらうのが難しいから、人類は色々な道徳や法律を作ってしまったわけです。
そして、外側の道徳や法律を完備させればさせるほど、人はそれを守っておけばいいとなってその都度立ち止まって考える事がなくなり、惰性の様になってますます気づきから遠ざかるわけです。
本当の法規範とは外側の制度ではなく、自己にあるんだと思います。これが仏陀の言った自灯明法灯明だと思います。
だから昨日思う事が人間の自由の原点だと書きましたが、それはその通りですが、このダルマに反する思いではダメなわけです。
地球人
2020年01月27日 23:15
愚さんのブログに対する投稿が正に因果業の足掻きでしょう。私も、、笑
2020年01月27日 23:19
自由意志ではなく妄想やな^_^

妄想は自由やな^_^
2020年01月27日 23:44
想念が自由意志かと言えば^_^

なんでそうねん?

となるな^_^
2020年01月27日 23:47
そもそも自由意志の概念がわからんな^_^

2020年01月27日 23:52
思い通りにならない^_^
苦が生じる^_^

自由意志
苦が生じる^_^

自由意志で苦が生じなければ^_^
妄想となるのか^_^

知らんけど^_^
2020年01月27日 23:58
やりたいことができる^_^

自由意志^_^

なんで言っても^_^

煩悩に足引っ張られてるもんな^_^
2020年01月28日 00:38
結論^_^

自由意志は妄想^_^
地球人
2020年01月28日 00:51
世界各国情勢を観ると・・・煩悩因果の連鎖か!

止まらない!! どうする? 笑
2020年01月28日 01:16


>カルマ、業、輪廻転生さん
>
>>カルマしかないから、自由意志は否定されるのです。
>
>それは違うと思います。いつかはカルマを清算して、きれいさっぱり外に出たいと思うなら、その方向に意志を定めなければ。
>自由意志を否定したら、カルマに翻弄され、カルマを重くする一方でしょう。
>
あまり議論してもしょうがないんですが・・・・・・実践的でないんで・・・・

カルマというのを業という意味に取ります。アクションです。因果です。世界は空性です。ですから、諸行無常です。その諸行無常の運動が、業です。因果です。

ですから、業は仏性です・・・・一般的にはそうは思われていないかもしれませんが・・・・・

業は解脱できます。その解脱の仕方は、業を担う主体はないと見破ることです。

これはどういうことかといえば、すべてを業だと見破ることが、業からの解脱だということです。業から解脱するのが自由です。

つまり、自由意志などというものは、存在しないと、悟ることが、まさに、自由の肯定なんです。
2020年01月28日 01:19


>タキ衛門さん
>
>>れんぷうさん
>>ちなみに私は「(部分的)自由意志」に相当するものは存在する、と考えています。
>>たとえば、私の脳内で起こっている想念を、行動化したり、あるいはしなかったりの選択を積み重ねて、外的環境にもアクセスしているからです。
>
> なぜ、上記の外部環境へのアクセスが部分的自由意志ありの根拠になるのか、理解できません。
>
>>宮啓さん
>> 「精神力で鬼畜米英を打破する」と意志の力を強調する戦前・戦中の日本人に「自由意志はない」と示唆しても
>
> テーマは「自由意志があるかないか」であって、「意思があるかないか」では
>ないわけです。「意思」はあるって事でいいのではないかと思います。
>
>>愚さん
>>社会的条件付けからの自由が・・・・・可能かどうか
>
> 愚さんが議論したいのは、条件付からの自由があるかどうか。一方、哲学で議論される自由意志は物理法則もしくは因果律に反するような自由意志があるかどうか。この2つは、異なる議論ですので、混ぜずに、分けて(別トピとか)でやったほうがよいと思います。でないとぐちゃぐちゃになるので。

そうですね・・・・・レイヤーが違いますね・・・・本質的には一緒なんですが・・・・つまり、思考過程、感情は、メカニカルで、物理法則に沿っているということなんですがね・・・・言葉を替えると、条件付けです
たーぼー
2020年01月28日 01:25
自由意志を否定したら、そもそもカルマなどないんだとならないかな。
カルマ否定論。上座部仏教、原始仏教、チベット仏教ならありえない。
仏教否定の暴論となる。


原始仏教に関して言うと、宗教というより哲学に近いと思います。
日本の原始仏教研究の第一人者だった中村元さんは、宗教者ではなく哲学者を名乗っていました。その人の体質が合うかどうかだと思います。
スッタニパータを読むと繰り返し繰り返し「犀の角のようにただ独り歩め」と説かれてます。兎に角誰にも依りかからず1人で立つということが強調されている。これはクリッシュナムルティ も同じです。これは宗教というより哲学の構えですよ。
2020年01月28日 01:26

>たーぼーさん
>
>自由意志を否定したら、そもそもカルマなどないんだとならないかな。
>カルマ否定論。上座部仏教、原始仏教、チベット仏教ならありえない。
>仏教否定の暴論となる。
>
>
>原始仏教に関して言うと、宗教というより哲学に近いと思います。
>日本の原始仏教研究の第一人者だった中村元さんは、宗教者ではなく哲学者を名乗っていました。その人の体質が合うかどうかだと思います。
>スッタニパータを読むと繰り返し繰り返し「犀の角のようにただ独り歩め」と説かれてます。兎に角誰にも依りかからず1人で立つということが強調されている。これはクリッシュナムルティ も同じです。これは宗教というより哲学の構えですよ。
>
仏教もクリシュナムルティも捨てちゃったらどうなります?
地球人
2020年01月28日 01:29
希望的予想としては、いずれ、世界が悟る時が来ると信じてます。笑
2020年01月28日 01:33


>地球人さん
>
>主題から引用
>
>>因果しかない、自由意志はない、というのを、理解するのは結構大変です。情緒的に反発するからです。どうしても、自由意志があるような気がしてならないからです
>
>自我は因果を条件付けで発現するのです。だから、因縁生起、因果です。
>
>精進は自我を滅する修行です。

仏教に出会ったということが因で、精進という果があるわけです。自我も因果ならば、それを滅しようとするのも因果です。これは議論のための議論ではありません。ちょっと考えればわかることです。
2020年01月28日 01:36


>カルマ、業、輪廻転生さん
>
>思考と思考者の同一性ということでいえば、こういうことかもしれない。
>
>思考、これは反応でも、感応、感情、思い、意志でもなんでも同じだが、思考に対する主体としての思考者を分離させるから様々な問題を引き起こす。
>
>思考者が自由に思考するのではなく、あるのは思考だけ。
>
>こう考えれば確かに、思考者の自由な思考はありえない。
>
>仏教で自由意志というのは、思考者に自由な思考が可能だといっているのではなく、思考者への執着をいまこの瞬間捨てろという意味だと思う

仏教で自由意志といっています?
言っているかもしれませんが、わたしの理解では、因果無人です。要するに、因果だけがあって、人はいない、つまり、自由意志など存在しない。
地球人
2020年01月28日 01:42
>>精進は自我を滅する修行です。

>仏教に出会ったということが因で、精進という果があるわけです。自我も因果ならば、それを滅しようとするのも因果です。これは議論のための議論ではありません。ちょっと考えればわかることです。

気づきの坐禅は修行ではないとのことですか?
地球人
2020年01月28日 02:08
身動きできない四の地固めのような結跏趺坐をするのは自我が逃げないようにする為だと思いました。
2020年01月28日 02:33


>地球人さん
>
>>>精進は自我を滅する修行です。
>
>>仏教に出会ったということが因で、精進という果があるわけです。自我も因果ならば、それを滅しようとするのも因果です。これは議論のための議論ではありません。ちょっと考えればわかることです。
>
>気づきの坐禅は修行ではないとのことですか?

修行するのも因果だということです。気づき=悟りは、修業とは独立しているのですが、微妙なところですね
2020年01月28日 02:34


>地球人さん
>
>身動きできない四の地固めのような結跏趺坐をするのは自我が逃げないようにする為だと思いました。

楽な姿勢だからです・・・・そうは思えないでしょうが・・・
地球人
2020年01月28日 02:35
仏教の学識で悟ろうする人の特徴は坐禅ができないのです。

地球人
2020年01月28日 02:41
>>身動きできない四の地固めのような結跏趺坐をするのは自我が逃げないようにする為だと思いました。

>楽な姿勢だからです・・・・そうは思えないでしょうが・・・

最初は結跏趺坐に慣れるまで痛いのです。

結跏趺坐に慣れると・・なるほど、姿勢が安定することが分かります。
地球人
2020年01月28日 02:56
止観・結跏趺坐が出来ればいいとおもいます。

煩悩が出たら、都度都度、坐禅すればいい。
2020年01月28日 03:57
お前らが今不幸の中にいるのは自由意志のおかげなのか?^_^
地球人
2020年01月28日 04:39
自由意志のおかげ様と気づいていればいいでしょ。笑
2020年01月28日 04:41
川の中で自由意志だと叫んでる魚がいる^_^

珍しい^_^

何も考えず川の流れに任せればいいのにな^_^

と言ってみる^_^
地球人
2020年01月28日 04:58
あさんの多投はストレス発散の煩悩なのよ。笑
地球人
2020年01月28日 05:21
ライブでガス抜きは健全だね。
蓮風
2020年01月28日 06:39
> タキ衛門さん

わたしの、先に投稿した此処が端的に回答になっているかと。

> 「すべては因果である」「自由意志などなく、因果の相互・相関関係によってのみ行動している」ならば……、
>
>  ・受動的に情況に流されようとも
>  ・能動的に情況に関わっていこうとも
>
> どちらもこれまた「因果に基づいた意志」の発現であり、人間が、それを自由意志と誤解しようがしまいが、やるべきだと思ったことはやり、やるべきでないと思ったことはやらない、それだけですよね。
地球人
2020年01月28日 07:01
自由意志は自己顕示欲では?
通行人
2020年01月28日 07:22
そうだね、自我は皆、一番で有りたいのだ。^^
地球人
2020年01月28日 07:50
大方の人の悟り願望はエゴだと思う。
通行人
2020年01月28日 08:12
そう、みんな、あんた、すごいと言われたい、褒められたいの! ^^
2020年01月28日 10:10
想念と意志について論文書いたら褒められると思うよ^_^
たーぼー
2020年01月28日 13:26
仏教もクリシュナムルティも捨てちゃったらどうなります?

私は仏教もクリッシュナムルティ などもどうでもいいです。
みんなが騒ぐクリッシュナムルティ っていうの私はまだ読んだこともないです。
貴方はダルマを理解してないから自由意思が無いなどという事を言うのです。
地球人
2020年01月28日 15:06
仏教もクリシュナムルティも関係あります。
わたしたちが求めているものと同じです。

自由意志の有無とは、私(自我)の有無だからです。
また、私があるとすれば、本質は何か?だからです。

人、わたしたちが求める真理はこの一点に尽きます。


snow
2020年01月28日 15:37
ここで話題に出ている、「自由意志はない」。
その意味するところ、内容を理解しようせずに、ただ否定しようとだけしてもしかたないです。

ここで言われている「自由意志はない。」というのは、言い換えれば「すべては因果に拠り成っている。」という意味ですよ。
ここをきちんと押さえないことにはどうにもなりません。
snow
2020年01月28日 15:42
見かけ上は、個別のものとして存在しているかのように見えているけれど、実は、分離はなく全体としての運動があるだけ、という言い方もできます。
 (=すべては因果因縁) ゆえに自由意志はない。
snow
2020年01月28日 15:54
仕組み、システムとして世界は実はそうなっている、というのが、今、出ている、自由意志はない、という話です。
(そういうふうに私は解釈しています。)



カルマ、業、輪廻転生
2020年01月28日 16:06
自由意志の意味するところについて。

左端に意志の自由度ゼロ、右端に100パーセント自由な意志。

自由意志否定の人たちは、左端の一点に執着しているように見える。

ここで自由意志を肯定する人たちは、左端の一点以外の、右端に至る全領域の中に自由意志を見ているわけ。部分的、修正的な自由意志もOKとした上で。

何も仏教における因果や縁起を否定しているのではなく、その中での意志発動の可能性を積極的に認めようとしているだけなんだけど。

カルマ、業、輪廻転生
2020年01月28日 16:30
>業は解脱できます。その解脱の仕方は、業を担う主体はないと見破ることです。

>これはどういうことかといえば、すべてを業だと見破ることが、業からの解脱だということです。業から解脱するのが自由です。

>つまり、自由意志などというものは、存在しないと、悟ることが、まさに、自由の肯定なんです。

いわれていることはだいたいそのとおりだと思いますが、自由意志が存在したら、どうしてまずいのか、理解できません。

2020年01月28日 16:34


>カルマ、業、輪廻転生さん
>
>>業は解脱できます。その解脱の仕方は、業を担う主体はないと見破ることです。
>
>>これはどういうことかといえば、すべてを業だと見破ることが、業からの解脱だということです。業から解脱するのが自由です。
>
>>つまり、自由意志などというものは、存在しないと、悟ることが、まさに、自由の肯定なんです。
>
>いわれていることはだいたいそのとおりだと思いますが、自由意志が存在したら、どうしてまずいのか、理解できません。
>

簡単です。自由意志が存在するとすれば、因果を脱したものがあるという主張です。つまり、自分の中に神がいるよ、といっているのです。危険だと思いませんか?
カルマ、業、輪廻転生
2020年01月28日 16:47
>簡単なです。自由意志が存在するとすれば、因果を脱したものがあるという主張です。

仏教の意志は、因果の中で働かせるものでしょう。因果を完全に脱したものではない。その意味では近現代の西欧圏で議論される意味での自由意志ではないでしょう。しかしそれが自由度ゼロのものにはならない。
2020年01月28日 16:56


>カルマ、業、輪廻転生さん
>
>>簡単なです。自由意志が存在するとすれば、因果を脱したものがあるという主張です。
>
>仏教の意志は、因果の中で働かせるものでしょう。因果を完全に脱したものではない。その意味では近現代の西欧圏で議論される意味での自由意志ではないでしょう。しかしそれが自由度ゼロのものにはならない。

因果を利用することはありますが、因果の影響を受けないということです。UNMOVED MOVERです。

議論してもしょうがないんですが、仏教でいえば、諸行無常、諸法無我・・・・・色即是空でもいいです。

あらゆるものは、因果です。こころの働きもそうだといっています。事実、そうだと思います。

わたしには自由意志はないんです。これを書いているのも因果です。自由意志ではありません。
カルマ、業、輪廻転生
2020年01月28日 17:18
>あらゆるものは、因果です。こころの働きもそうだといっています。事実、そうだと思います。

何も宇宙における因果律の基本的な妥当性を否定するつもりはありませんよ。

ただ、言われているのは、物質と生命を一緒くたにしているようにみえる。人間となれば、普通の生き物を超える何かがある。実際、仏教は人間に生まれることをとんでもない僥倖としているわけですね。

機械論的な因果関係論と仏教の違いがなくなりませんか
カルマ、業、輪廻転生
2020年01月28日 17:30
条件づけからどれだけ自由になれるか、それは可能なのか。
これが最も重要なポイントというのであれば、
条件づけを自覚、意識できるのが人間だと思うね。

機械には自らの条件づけは 意識できない。生き物も自らの条件づけを意識できない。

仏教の意志というのも、人間ならではのこの能力と密接に関連していますね。
2020年01月28日 17:38


>カルマ、業、輪廻転生さん
>
>>あらゆるものは、因果です。こころの働きもそうだといっています。事実、そうだと思います。
>
>何も宇宙における因果律の基本的な妥当性を否定するつもりはありませんよ。
>
>ただ、言われているのは、物質と生命を一緒くたにしているようにみえる。人間となれば、普通の生き物を超える何かがある。実際、仏教は人間に生まれることをとんでもない僥倖としているわけですね。
>
>機械論的な因果関係論と仏教の違いがなくなりませんか

ないと思っています。人間として生まれることは、因果の道理がわかるという意味で、すごくラッキーな因縁ということですね。よかったな、ついてるな、ということでしょう。

心理的に抵抗があるし、実感とも違うのはもっともですが、しょうがないんです。ただ、あらゆるものは因果だと見抜くことができれば・・・・・それは、諸行無常、色即是空を見抜くことなんですが・・・・・日常生活で、一所懸命努力することはあったにせよ、それが、自分の自由意志でないことがわかれば、気が楽でしょう。

困るときは困るしかないんです。自分の責任、自由意志の問題じゃないんです。因縁に任せ、成り行きに任せ、生きていくわけです。それが自由なんです。

自由ということがなりたつのは、絶対者しかいないわけです。あらゆるものから影響を受けないわけですから、この世のものではありません。全体運動、とか、この世界を支えている神とかいうものになります。

そうすると、わたしと神との関係がどういうことになるか?ってことになるわけですが・・・・・これが大問題だったんでしょうね
2020年01月28日 17:38
おまえら・・・・^^

因縁解脱とか変なこと考えるなよ^^
2020年01月28日 17:42


>カルマ、業、輪廻転生さん
>
>条件づけからどれだけ自由になれるか、それは可能なのか。
>これが最も重要なポイントというのであれば、
>条件づけを自覚、意識できるのが人間だと思うね。
>
>機械には自らの条件づけは 意識できない。生き物も自らの条件づけを意識できない。
>
>仏教の意志というのも、人間ならではのこの能力と密接に関連していますね。

仏教に人間の自由意志を肯定したものあります?
人間に関していえば、自己がなにものであるか、わかることのできる、特異な存在だということでしょうね
蓮風
2020年01月28日 17:44
愚さんに端的に伺います。

いま、わたしが愚さんに腹を立て、実際に危害を加えたとします。
責任の所在は何処にありますか?

「因果無人」「自由意志はない」、大いに結構です。
でも、平等相からばかり語ろうとなさるのは何故か?
差別相から、つまり、個別の生命と、そのそれぞれに応じた責任、制限・制約された「自由」といった観点を、(知悉しておきながら)わざと捨象するのは何故か?

わたしが問題にしたいのは此の点なのです。
平等相から空の真理ばかり強調するのでは、自他力円融とは行かないのでは?
2020年01月28日 17:48
うん^^


外道がおる^^
地球人
2020年01月28日 18:05
>見かけ上は、個別のものとして存在しているかのように見えているけれど、実は、分離はなく全体としての運動があるだけ、という言い方もできます。
 (=すべては因果因縁) ゆえに自由意志はない。

つまり、上のレスをしたのはあなたの意志ではなく因果の意志だということですね。
2020年01月28日 18:40


>蓮風さん
>
>愚さんに端的に伺います。
>
>いま、わたしが愚さんに腹を立て、実際に危害を加えたとします。
>責任の所在は何処にありますか?

責任はどこにもありません。
>
>「因果無人」「自由意志はない」、大いに結構です。
>でも、平等相からばかり語ろうとなさるのは何故か?
>差別相から、つまり、個別の生命と、そのそれぞれに応じた責任、制限・制約された「自由」といった観点を、(知悉しておきながら)わざと捨象するのは何故か?
>
社会的なことは、だれでもわかるでしょう

>わたしが問題にしたいのは此の点なのです。
>平等相から空の真理ばかり強調するのでは、自他力円融とは行かないのでは?
>
リンゴが落ちる、と言ったとして、いい結果になるかどうかはわかりません
2020年01月28日 19:03
仏陀が「行為はなされるが、そこに個々の行為者はいない」

これ見たことないんだが・・^^

ソース解る人いる^^?
蓮風
2020年01月28日 19:04
> 愚さん

どうしたんですか?
自分が「真理を知った」と思ったからには、それをただ伝えれば気が済むのですか?
その「真理」が間違っている、あるいは完璧ではない可能性についての留保というものは効かせられないのですか?

あと、「相手」しかも不特定多数の「相手」にたいして法を説こうとしたら、自ずから間違う可能性がある懸念はないのですか?
2020年01月28日 19:08
あなたは身体ではない、それ故、あなたはカルタ(行為者)ではない。


全ての行為は自動的に起こるのだ。

あなた自身を行為者と見なしてはならない。


真我は行為に関心を持っていない。

真我は行為に関わらないことは明らかである。


ラマナ・マハリシの言葉にはあるけど・・^^

ブッダちゃんの言葉がみつからん^^ 
2020年01月28日 19:11
「行為者はいない」

これがどういう意味を持つのか・・・^^
2020年01月28日 19:12
ちなみに今日1日振り返って・・^^

「意志」を持った人いるのかな^^
2020年01月28日 19:18
「行為は起きても、それをやっている人はいない」だと・・・^^

そんな・・ばなな^^
地球人
2020年01月28日 19:19
私がレスしたのは昨日の続きです。つまり、因果です。
蓮風
2020年01月28日 19:19
> 大智度論に、「一切世間ノ法 唯因果ノミニシテ人無シ 仮説ノ故二有ナルヲ除ク 此ハ是レ正思量ナリ」
https://blog.goo.ne.jp/zen9you/e/ccbba6cd9c0d4286ceba5602e857ab37


これがダールマの実態であることは理解してます。
だからといって差別相(しゃべつそう)での千差万別・独立不羈の動向を捨象して、つまり、この世の移りゆく存在はすべて比較・相対のなかにあり、特に人間は社会的存在であり、他の人間に対する関係性を忘れさせようとするような《説法》は、独善であると断じます。


問題は、愚さんが社会の中に居るとき、きわめて常識人として行動していること。
だからこそ、社会的にも一定の成功を収められている。
他の、社会的存在と一定の強調ができているからですよ。
こういった《二重基準》を隠して、さも【自由だ】【因果必然に行動しているだけだ】【因縁の赴くままに行動しているのが、たまたま宇宙全体とピッタリしている】とか云うのは、マズいんじゃないでしょうか?
だって、じゃあ、今回の仮定で云ったら「危害を加えた私」はそのまま許されるんですか? 裁かれるんですか?
実際に被害が出たら「仕方がなかったよ、因果必然だから」で終わりですか?
それでは社会的改善もありえず、犠牲者は増えるままです。

そもそも《悟った》からには自他の救済を目指すのでは?
悟りを求めていたから《悟った》かどうかは知りませんが。

じゃあ、なんのために KB 会を数十年も開き続けているのです?
2020年01月28日 19:36
行為はなされるが、そこに個々の行為者はいない」

つまり・・^^



「一切世間はこの因によって果を生じ、その果がまた因となりまた未来の果を生じていく。その輪転には、はてが無いのであるが、しかしそこには人間という実体はなく、これを因果に人無しというのである。

「因果に人無し」ということやな^^

ありがとう^^
地球人
2020年01月28日 19:44
>「一切世間はこの因によって果を生じ、その果がまた因となりまた未来の果を生じていく。その輪転には、はてが無いのであるが、しかしそこには人間という実体はなく、これを因果に人無しというのである。

>「因果に人無し」ということやな^^

>ありがとう^^


因果に我有り。^^
2020年01月28日 20:08
うん?

「個々の行為者はいない」だったか・・^^
2020年01月28日 20:13


>蓮風さん
>
>> 愚さん
>
>どうしたんですか?
>自分が「真理を知った」と思ったからには、それをただ伝えれば気が済むのですか?
>その「真理」が間違っている、あるいは完璧ではない可能性についての留保というものは効かせられないのですか?
>
>あと、「相手」しかも不特定多数の「相手」にたいして法を説こうとしたら、自ずから間違う可能性がある懸念はないのですか?

わたしのいうことは間違っているかもしれません。だから、仮設なんです。その真偽を判定するのは、みなさまです。
2020年01月28日 20:42


>蓮風さん
>
>> 大智度論に、「一切世間ノ法 唯因果ノミニシテ人無シ 仮説ノ故二有ナルヲ除ク 此ハ是レ正思量ナリ」
>https://blog.goo.ne.jp/zen9you/e/ccbba6cd9c0d4286ceba5602e857ab37
>
>
>これがダールマの実態であることは理解してます。
>だからといって差別相(しゃべつそう)での千差万別・独立不羈の動向を捨象して、つまり、この世の移りゆく存在はすべて比較・相対のなかにあり、特に人間は社会的存在であり、他の人間に対する関係性を忘れさせようとするような《説法》は、独善であると断じます。
>
>
>問題は、愚さんが社会の中に居るとき、きわめて常識人として行動していること。
>だからこそ、社会的にも一定の成功を収められている。
>他の、社会的存在と一定の強調ができているからですよ。
>こういった《二重基準》を隠して、さも【自由だ】【因果必然に行動しているだけだ】【因縁の赴くままに行動しているのが、たまたま宇宙全体とピッタリしている】とか云うのは、マズいんじゃないでしょうか?
>だって、じゃあ、今回の仮定で云ったら「危害を加えた私」はそのまま許されるんですか? 裁かれるんですか?
>実際に被害が出たら「仕方がなかったよ、因果必然だから」で終わりですか?
>それでは社会的改善もありえず、犠牲者は増えるままです。
>
>そもそも《悟った》からには自他の救済を目指すのでは?
>悟りを求めていたから《悟った》かどうかは知りませんが。
>
>じゃあ、なんのために KB 会を数十年も開き続けているのです?

世界が火事だからです。火事だから火事だといっているわけです。
カルマ、業、輪廻転生
2020年01月28日 21:07
カルマというのは人間のものでしょう。あと生き物はどの範囲で?少なくとも無機物、単なる物質、分子、原子にはカルマはない。

人間のカルマのうち、悪いカルマというのは、人間を含めて生きとし生けるものの命を奪ったり、傷つけ、痛めつけ、苦しめる行為だよね。

意志による行為によってかかる結果を生み出すほど悪いカルマ。

意志によって外界に働きかける人間においてとくにカルマが問題になるということが、意志とカルマの密接不可分な関わりを語っているね。
2020年01月28日 21:17


>カルマ、業、輪廻転生さん
>
>カルマというのは人間のものでしょう。あと生き物はどの範囲で?少なくとも無機物、単なる物質、分子、原子にはカルマはない。
>
>人間のカルマのうち、悪いカルマというのは、人間を含めて生きとし生けるものの命を奪ったり、傷つけ、痛めつけ、苦しめる行為だよね。
>
>意志による行為によってかかる結果を生み出すほど悪いカルマ。
>
>意志によって外界に働きかける人間においてとくにカルマが問題になるということが、意志とカルマの密接不可分な関わりを語っているね。

カルマ・ヨーガなんかは、そのスタイルですね・・・・
意思の力を大事にしたいひとは、そうしたらいいと思います・・・・いずれにせよ、ターゲットは同じところですから
地球人
2020年01月28日 21:34
>>因果に我有り。^^

>「個々の行為者はいない」だったか・・^^

因果に因って、「我有り」の認識が生じる。
地球人
2020年01月28日 21:44
>ありがとう^^

「ありがとう^^」 とは、誰?
2020年01月28日 21:48


>地球人さん
>
>>>因果に我有り。^^
>
>>「個々の行為者はいない」だったか・・^^
>
>因果に因って、「我有り」の認識が生じる。

その通りです。因果は仏性ですから、自我は仏性から生まれています。どうしてこうなっちゃったのか、わかりませんね
たーぼー
2020年01月28日 22:07
>機械論的な因果関係論と仏教の違いがなくなりませんか

ないと思っています。人間として生まれることは、因果の道理がわかるという意味で、すごくラッキーな因縁ということですね。よかったな、ついてるな、ということでしょう。



こんなのは仏陀のいう中道ではないです。
空観のみですよ、これでは。
たーぼー
2020年01月28日 22:14
自由意志の意味するところについて。

左端に意志の自由度ゼロ、右端に100パーセント自由な意志。

自由意志否定の人たちは、左端の一点に執着しているように見える。

ここで自由意志を肯定する人たちは、左端の一点以外の、右端に至る全領域の中に自由意志を見ているわけ。部分的、修正的な自由意志もOKとした上で。

何も仏教における因果や縁起を否定しているのではなく、その中での意志発動の可能性を積極的に認めようとしているだけなんだけど。



カルマさんこんばんは。
以前ヤフー掲示板でショーシャンクさんという方に出会いました。
その方とは今でも掲示板でたまにやり取りしています。
私が尊敬している方で、カルマさんと感覚的に合うと思います。
良ければ「ショーシャンク 仏教」で検索してみてください。
ここだと禅関係の方が多いから、感覚的にちょっと違う感じになりやすいと思います。
地球人
2020年01月28日 22:19
>>>>因果に我有り。^^
>
>>>「個々の行為者はいない」だったか・・^^

>>因果に因って、「我有り」の認識が生じる。

>その通りです。因果は仏性ですから、自我は仏性から生まれています。どうしてこうなっちゃったのか、わかりませんね



>>「ありがとう^^」  とは、誰?

あさんは因果のやりとりで「ありがとう」と答えてます。


 

地球人
2020年01月28日 22:32
わたし達の日常の因果のやり取りで、自然に「ありがとう」との言葉は出てきますが、
地球人
2020年01月28日 23:23
あさんに仏性があるわけではないでしょう、私にも、笑
地球人
2020年01月28日 23:37
因果のわたしがひとを殺すこともあるかもしれない。

仏性がひとを殺した。 仏性とは・・・
地球人
2020年01月28日 23:43
因果がひとを殺した・・・が自然ですが、
地球人
2020年01月29日 00:09
経緯は、普段は気づかないのだが、特殊な行為で殺されたものと殺したものが現象化して個体が特定されるが、因果律によれば、殺人の原因を特定することはできない。
よって、殺人もまた本来仏であり、仏性になります。
通行人
2020年01月29日 00:19
だから、色即是空、諸法無我です。^^
地球人
2020年01月29日 01:21
「私」は因果・因縁の現象で一時的に顕現するが恒常の実体はない。

「有無」
存在と非存在。仏教では存在するものはすべて一時的な仮のものであり、諸条件によって生滅するものであるから,存在それ自体に不変常住な固定的実体はないと考える。存在に固定的実体を認めるのが「有」の見解である。逆に、すべての存在を否定してしまうのを「無」の見解という。仏教は、すべてが諸条件によって生滅するという事実に立って、「有」と「無」という両極端の見解に陥ることを戒めている。この立場が仏教の「中道」である。
地球人
2020年01月29日 01:43
私が無い、無我とは一切の苦しみが消えて本当に楽ちんです。
地球人
2020年01月29日 01:51
誤解されると困るので、実体が無いとのことです。
地球人
2020年01月29日 02:44
同時に、罪を犯した人の所在が曖昧になる。
罪を憎んで人を憎まずか・・・

キリスト教では十戒を定めたし、仏教では戒律を定めたのも無理もない。

地球人
2020年01月29日 03:14
調べたら吃驚、日本で戸籍法の姓名が詳細に制定されたのは明治8年1875年です。

それまでは、個人は曖昧だった。
地球人
2020年01月29日 03:24
つまり、生年月日、住所、氏名及び親を定めなければ、個人は存在しない。
地球人
2020年01月29日 03:31
私とは標識、目印に過ぎない。笑
2020年01月29日 03:35
おい^^

標識^^
地球人
2020年01月29日 03:41
呼んだか、何だ? 笑
2020年01月29日 03:42
どうも自分の意志で行為がなされると思われないんだよな・・^^

今から歯を磨きにいくんだけど・・^^

これって自分の意志かな・・^^

まず想念ありきなんだよな・・^^

自分の意志で行動してると錯覚してる感がある^^

行為があって個々の行為者はいない^^

これやな・・^^
地球人
2020年01月29日 03:44
その通り。
地球人
2020年01月29日 04:05
「歯を磨く」とは、気持ちが悪いとの感覚があって歯を磨く行為がある。

行為者は存在しない。

2020年01月29日 04:44
その想念もなくなっとるで^_^

ただ行為だけがある^_^

全て後付けか^_^
2020年01月29日 06:41
普段は無我なんだよな^_^
2020年01月29日 06:43
うわっ^_^

人と接したら自我が出てきた^_^

おい^_^

まだ寝たらや^_^
2020年01月29日 07:36
一切の存在は、因縁によって生じ、因縁によって滅する。因縁によって生滅するという道理を因縁生滅の理といい、因縁によって生じることを因縁生、縁生、縁成、縁起などという

つまり^_^

縁起が生じたわけだな^_^
みゅう
2020年01月29日 07:58
>わたしのいうことは間違っているかもしれません。だから、仮設なんです。その真偽を判定するのは、みなさまです。

 「みなさま」に示されたその仮説を受け取って「私」の世界で検証し、真と判定したならばそれを規則としてもつ「私の世界」そのものをも検証する、、、

 この機会を与えられたすべてに感謝
crucrusaders
2020年01月29日 08:13
>自分というものを調べてみると、いろいろ選択したり、あたかも自由意志であるかのように見えますが、実体は、条件付けのカタマリだな。そのプロセスで概念化が起きてる、といったことがわかったりします。

まっさらの自分なんてないんでしょうね。あるのは欲望や感情、要するにナンダカンダの喜怒哀楽の波に翻弄されているだけ。この波が自分のような気がしてしまう。

>そうすると、考え、感情は、フレッシュなものでもなければ、自由でもないということになります。
 あらゆる考え、概念は、中古品です。

禅に「雨だれの音」の話があったでしょ?雨だれの音を聞いて、あれはなにか、というもの。雨だれの音も中古品なんですね。

>そうすると、考えをさしはさむことなく、行動することができるか、ということになります。これがヒョットすると自由です。

なるほどね。

>つまり、過去からの自由が・・・・・遺伝的、性格的、社会的条件付けからの自由が・・・・・可能かどうかということになります。

で、禅者は、雨だれの音を問うんですね。
crucrusaders
2020年01月29日 08:57
たーぼーさん、こんにちわ。

以前にヤフーの掲示板でも投稿されていたような記憶があります。
ど真ん中へ直球勝負‼みたいな投稿でいいですね。

>この倫理について言うと、倫理の元は何かというとカルマさんが書いていたダルマに反する思い、言葉、行為なんです。

フツーは、倫理の根っこといえば善の定義が先立ってくるわけでしょ?でも善って悪が定義されないと扱いに困るわけで、一神教的世界観であれば善悪の彼岸なんて訳知り顔で言って済ますこともできるでしょうが、ダルマがでてくると善悪なんて吹っ飛んでしまうんではないですかね。

>外側の道徳や法律を完備させればさせるほど、人はそれを守っておけばいいとなってその都度立ち止まって考える事がなくなり、惰性の様になってますます気づきから遠ざかるわけです。

そうですね。言葉は悪いけど家畜みたいなもんですね。
で、逃走した家畜が柵のない自由に目覚めて途方に暮れるわけです。

>本当の法規範とは外側の制度ではなく、自己にあるんだと思います。これが仏陀の言った自灯明法灯明だと思います。

自灯明ってイイ言葉ですね。


2020年01月29日 10:08
良い悪いは思考の中にある^_^

後から付けられたものだろう^_^

ありのままに見ると良い悪いがない

んだよな^_^
2020年01月29日 10:11
幸福不幸もないみんな消え去る故に^_^

なんか詩人になった感がある^_^
蓮風
2020年01月29日 11:39
愚さんは「世界が火事だから」と仰っていますが、その認識は正しいのですか?
あるいは愚さんの言説は「消火」に適切なのですか?

わたしも「世界が火事だから」という認識でおりましたが、そうすると「自分が火事になり」「世界は二つに分かれ」ました。

消防士になろうというならば、もっと手段を選ぶべきでは?
蓮風
2020年01月29日 11:46
「愛憎という感情にすら真っ正面から突っ込んでいく」、大いに結構です。
多くの人々が、感情を「抑圧」することで自縄自縛に陥りがちで、そこからの脱出方法として、抑圧からの(内的に留まる)開放/解放は重要でしょうから。

ただ、愚さんは、メールでも言ったことですが、内的に思っていることを直情径行的に行動化することはない。

あと、これは私個人のことですが「真っ正面から突っ込んでいく」ことも、やはり際限のない落とし穴を自ら掘り進んでいくことになる。「十分危険性が分かれば」とか仰ってますが、逆に、神経症的に恐怖が嵩じて、その強迫的な考えから離れがたくなります。

わたしは、上記のような「思考」もまた、「内面を弄っている」ようにしか見えません。

もっと、各々が自然の流れに任せればイイではないですか?
それぞれの機縁や情況、境涯というものがあるのですから。
2020年01月29日 12:07
おい^_^

人に接していたら頭の中が火事やで^_^
2020年01月29日 12:09
ついでに相手の頭の中も火事や^_^

世界中が火事だらけや^_^
地球人
2020年01月29日 12:16
>その想念もなくなっとるで^_^

>ただ行為だけがある^_^

アホやな。

気持ち悪いとの感覚がなかったら、歯を磨こうとしない。笑
地球人
2020年01月29日 12:21
行為が先で、自我は記憶の後付け。
地球人
2020年01月29日 12:24
個人は標識より、登録番号が適当だな。
地球人
2020年01月29日 12:34
>良い悪いは思考の中にある^_^

>後から付けられたものだろう^_^

>ありのままに見ると良い悪いがない

アホやな。

善い悪いの判断がなかったら、悪を為す。

地球人
2020年01月29日 12:52
良し悪しは自我が判断する。

AIは良し悪しを判断できない。
地球人
2020年01月29日 13:03
自我は悪くないが欲望が加わるとエゴになります。
地球人
2020年01月29日 13:23
自我は司令塔です。
地球人
2020年01月29日 13:28
自我が無いと意思決定ができない。
2020年01月29日 14:53
おい矢印^_^

想念の垂れ流しやめーや^_^
2020年01月29日 15:00
もっとおもろいこと書けや^_^
地球人
2020年01月29日 15:00
自我が無いとレスできない。OK ^^?
地球人
2020年01月29日 15:03
あさんのレスはエゴ、OK ^^?
地球人
2020年01月29日 15:10
此処は愚さんのブログだから自重します。 以上

2020年01月29日 15:22
仕方ない^_^

標識さんの代わりにおいらが想念垂れ流すとするかなっと^_^

しかし智慧って何処から湧くんだろうな^_^
地球人
2020年01月29日 16:08
ブログ主の愚さんに許可をもらったほうがいいとおもいます。

もしくは、自分のブログを立てるか?

わたしは置いて、他の方が投稿しずらいでしょう。
2020年01月29日 16:35
うん?

愚さんは神やで^_^

そんなこと思わん^_^

おしゃべりってほんと想念垂れ流しやな^_^

何故想念を垂れ流すんだろう^_^

2020年01月29日 16:52
行為に行為者がいないことは理解した^_^

ではほんとうの行為者は誰だ?となるな^_^
カルマ、業、輪廻転生
2020年01月29日 17:23
たーぼーさんこんばんは

ブログの紹介ありがとうございます。読ませいただきますね。

ここも別
カルマ、業、輪廻転生
2020年01月29日 17:29
>仏教に自由意志を肯定したものあります?

現代の科学や哲学の文脈にもってこれるような概念としての自由意志なら、仏教にはないでしょう。逆に、その意味での自由意志否定も仏教にはない。

どちらの立場にせよ、自由意志否定や肯定のために仏教を援用することはできないと思います。

ただ、意志によって自分のことばや思いや行動を制御することは、仏教では基本中の基本といわざるうぃえないので、その意味での部分的な自由意志は肯定します。
2020年01月29日 18:17
やはり・・^^

行き着く先は・・「自然法爾」やな^^
2020年01月29日 18:32
いやいや^^

無為の為やな・・^^
2020年01月29日 18:38
至人は無心の境地に遊ぶから、あらゆる事象に自由自在に対応してゆくことができる。『無為』が何もしないでじっと寝そべっていることではなくして、人間の作為的な行為、わざとらしい振舞いなど、無理をしないことであり、同様に、『無心』とは、心が無いということではなく、囚われた心をもたないということである。 邪念を挟まず無理をしない行為であってはじめて「為さざる無し」、即ち、一切を為すことができる。・・・物に応じて無方でありうるために心を虚しくするのであり、心を虚しくすることによって何ものにも限定されない自由な心のはたらきが実現するのである。心の常に虚しい人間だけが一切を容れることができ、無心であるもののみがあらゆる事象にとらわれなく対処してゆくことができる、と。 やな^^やな・・^^



自由意志とは意志を持たないことであると^^

結論でたな^^

おまえらビックリ^^
2020年01月29日 18:39
「やな^^やな・・^^」ってなんぞ^^
たーぼー
2020年01月29日 18:41
>この倫理について言うと、倫理の元は何かというとカルマさんが書いていたダルマに反する思い、言葉、行為なんです。

フツーは、倫理の根っこといえば善の定義が先立ってくるわけでしょ?でも善って悪が定義されないと扱いに困るわけで、一神教的世界観であれば善悪の彼岸なんて訳知り顔で言って済ますこともできるでしょうが、ダルマがでてくると善悪なんて吹っ飛んでしまうんではないですかね。


crucrusadarさん、こんばんは。
仏陀のスッパニバータを読むと、仏陀も善悪という言葉を使っているけど、仏陀が使う善悪はこのダルマに反するか、順ずるかで使ってますね。
だから人間は性善説ですよ。
本当の自分に立ち返れば誰だって善になってしまうという意味で性善説が正しいと私は思ってます。
悪因悪果、善因善果という言葉もこのダルマに反する思い、言葉、行為、そしてダルマに順ずる思い、言葉、行為が元になってますね。
これは天が自分を罰すると考えるのは間違いで、自分が自分を罰するんだと思ってます。何か悪い思い、言葉、行為をした時にこれ以上自分が悪くならないように自分で自分に罰を与えているんだと思います。人間って面白いですね〜。
2020年01月29日 18:50
猫が悪いことしたら猫に悪い結果が起こるのか?

そうでないとしたら・・^^

なぜ人間だけに起こるのか?
2020年01月29日 18:54
善悪一如やな・・・^^

ということは・・^^
2020年01月29日 18:57
善悪一如なんて言葉あったのか^^


善悪一如

善と悪は共に衆生の心に具わっている2つの用(働き)であり、本来その体は不二であること。善悪不二と同意。即ち、善・悪は心の体を述べたものではなく、その用(働き)の面を判別したもの。善法を縁として善があらわれ、悪法を縁として悪があらわれる。したがって衆生は本来善である(性善)、また本来悪である(性悪)との見解は真理の一部を述べたものに過ぎず、一切衆生は本来、善悪両面の働きをそなえている。
2020年01月29日 19:02
これがあればかれがない^^

かれがなければこれもない^^

だったっけ^^
2020年01月29日 19:04
う~~ん^^

おまえらが・・^^

想念垂れ流しの刑に直面してる感がある^^
たーぼー
2020年01月29日 19:11
愚さん)簡単です。自由意志が存在するとすれば、因果を脱したものがあるという主張です。つまり、自分の中に神がいるよ、といっているのです。危険だと思いませんか?


自分の中に神がいたら何がどう危険なんですか?
私は今の禅と仏陀の原始仏教の違いはここにあると思います。
仏陀の原始仏教は自己の確立を目指している。つまり自分がいつかはあらゆる条件付け(因縁)から自由になる事を目指していると思います。禅の場合は自分がある事が因果を脱したものがあるとして、自分を無くそうとする。この違いがあると思います。これは人空と法空の違いではないのか?
2020年01月29日 19:19
縁起の考え方は、古来より

これがあれば、かれがある。これが生ずれば、かれが生ずる。これがなければ、かれがない。これが滅すれば、かれが滅する。

近くで火事かな^^
2020年01月29日 19:25
善があれば、悪がある。善が生ずれば、悪が生ずる。

善がなければ、悪がない。善が滅すれば、悪が滅する。


幸福があれば、不幸がある。幸福が生ずれば、不幸が生ずる。

幸福がなければ、不幸がない。幸福が滅すれば、不幸が滅する


「幸福が生ずれば、不幸が生ずる。」


これは昔から思ってたな^^
2020年01月29日 19:28
幸福を感じているときは不幸も感じていると^^

うん?

想念垂れ流しの刑だからがまんしなさい^^
2020年01月29日 19:45
縁起

自由があれば、束縛がある。自由が生ずれば、束縛が生ずる。

自由がなければ、束縛がない。自由が滅すれば、束縛が滅する。

「自由意志とは意志を持たないことであると^^

結論でたな^^」

確信した^^
2020年01月29日 19:49
うん?

ちょっと揺らいだ^^

寝る^^
snow
2020年01月29日 20:12


くう


 梵語シューニャター(śūnyatā)の漢訳。もろもろの事物は、因縁(いんねん)に依って仮に和合して存在しているのであって、固定的な実体(自性) はないことをいう。無自性と同意。大乗仏教では、人空と法空を説く。人空とは、衆生の中に実体はないことをいい、法空とは、あらゆる存在に実体はないことをいう。



地球人
2020年01月29日 20:45
>愚さん)簡単です。自由意志が存在するとすれば、因果を脱したものがあるという主張です。つまり、自分の中に神がいるよ、といっているのです。危険だと思いませんか?

そういえば、キリスト教国は日本に原爆落としましたね。

地獄の黙示録ですか・・・ The End
https://www.youtube.com/watch?v=kZoFYCDRMYM

つまり、自由意志はエゴではありませんか?

たーぼー
2020年01月29日 21:33
つまり、自由意志はエゴではありませんか?


美しく生きよう、正しく生きようと思う事はエゴですか?
地球人
2020年01月29日 21:43
>>つまり、自由意志はエゴではありませんか?


>美しく生きよう、正しく生きようと思う事はエゴですか?


人が人を滅ぼすことはできないのは確かでしょう。
地球人
2020年01月29日 21:56
>美しく生きよう、正しく生きようと思う事はエゴですか?

美しいとは理想です。実現しますか?

仏陀の八正道を実行出来た人いましたか? 大乗の誕生は・・・
タキ衛門
2020年01月29日 21:56
>れんぷうさん
>責任の所在は何処にありますか?

 責任問題は、自由意志の真偽判定に影響しません。なぜなら、責任概念は社会をうまく回すための便宜的な道具。その責任概念の根底に自由意志があり、それが偽であっても、機能すればいいわけなので。いわば、便利な嘘。
2020年01月29日 23:57


>たーぼーさん
>
>つまり、自由意志はエゴではありませんか?
>
>
>美しく生きよう、正しく生きようと思う事はエゴですか?

「わたしが」美しく生きよう、正しく生きよう、というのは、結構なこにではありますが、エゴでしょう。そのように、生きようとするのを否定するつもりはありませんが、エゴがなければ、美しいも正しいもなく、ただ生きていくことになるでしょう。悪く言えば、成り行き任せです。それしかできませんから・・・・そのような生き方を、他人がどう評価するかは、わかりませんが・・・
2020年01月30日 00:18


>たーぼーさん
>
>愚さん)簡単です。自由意志が存在するとすれば、因果を脱したものがあるという主張です。つまり、自分の中に神がいるよ、といっているのです。危険だと思いませんか?
>
>自分の中に神がいたら何がどう危険なんですか?
>私は今の禅と仏陀の原始仏教の違いはここにあると思います。
>仏陀の原始仏教は自己の確立を目指している。つまり自分がいつかはあらゆる条件付け(因縁)から自由になる事を目指していると思います。禅の場合は自分がある事が因果を脱したものがあるとして、自分を無くそうとする。この違いがあると思います。これは人空と法空の違いではないのか?

通常は・・・・わたしの理解する限りですが・・・・人空というのは、自分が空であるということで、法空というのは、宇宙が空であること。

早い話が、自分がなかったって気が付くのが人空、世界がなかったって気づくのが法空。

通常、人空から入ります。ただ、入り方が少ないので、法空を見破るのは難しいです。つまり、物が見えちゃうんです。個別の物がなくなったところが法空です。これは、人空が徹底すればわかります。

法空がわかったところで、この世は夢幻と気が付きます。

禅では、仏教もそうかもしれませんが、人法二空といいます。両方とも、空だということです。

因果については、禅では、というか、実際は、因果に落ちるのも、脱するのも、同じ、ということになります。

ここについて考察してあるのが、無門関の第二則だったか、百丈野狐の公案です。

初期仏教と大乗仏教については、わたしはテーラワーダ上座部仏教をちょっと知っているだけですが・・・これもそのまま初期仏教といえるかどうか疑問ですが・・・・向かっているところは一緒だと思います。

つまり、因果からの離脱⇒自我の滅却です。

上座部だとここで終わりますが、大乗ですと、それが洗練されてきて・・・・それがいいか悪いかわかりませんが・・・滅却したところから、また、因果に戻るわけです。

色即是空・・・・ここで終わるのがテーラワーダ
空即是色・・・・ここまで進むのが大乗

という感じでしょうかね
2020年01月30日 00:21


>蓮風さん
>
>「愛憎という感情にすら真っ正面から突っ込んでいく」、大いに結構です。
>多くの人々が、感情を「抑圧」することで自縄自縛に陥りがちで、そこからの脱出方法として、抑圧からの(内的に留まる)開放/解放は重要でしょうから。
>
>ただ、愚さんは、メールでも言ったことですが、内的に思っていることを直情径行的に行動化することはない。
>
>あと、これは私個人のことですが「真っ正面から突っ込んでいく」ことも、やはり際限のない落とし穴を自ら掘り進んでいくことになる。「十分危険性が分かれば」とか仰ってますが、逆に、神経症的に恐怖が嵩じて、その強迫的な考えから離れがたくなります。
>
>わたしは、上記のような「思考」もまた、「内面を弄っている」ようにしか見えません。
>
>もっと、各々が自然の流れに任せればイイではないですか?
>それぞれの機縁や情況、境涯というものがあるのですから。

もちろん、そうしたいひとは、そうすればいいと思いますよ・・・・・わたしが口をはさむ余地はありません
2020年01月30日 00:29


>蓮風さん
>
>愚さんは「世界が火事だから」と仰っていますが、その認識は正しいのですか?
>あるいは愚さんの言説は「消火」に適切なのですか?
>
>わたしも「世界が火事だから」という認識でおりましたが、そうすると「自分が火事になり」「世界は二つに分かれ」ました。
>
>消防士になろうというならば、もっと手段を選ぶべきでは?

わたしは、20歳くらいのわたしに、話しかけているわけです。当時、こういうことを聞いておいたらよかったのに、ということを話しているだけのことです。

ですから、この話は、役にたつひともいるだろうし、役に立たず、むしろ、害になるひともいるかもしれません。

それを判断するのはみなさんであり、わたしではありません。わたしの話が違うと思えば、無視すればいいと思います。そうだな、と思えば、参考にすればいいだけです。

当然のことながら、わたしの話は、間違っているかもしれないのですから・・・・・
2020年01月30日 00:41


>crucrusadersさん
>
>>自分というものを調べてみると、いろいろ選択したり、あたかも自由意志であるかのように見えますが、実体は、条件付けのカタマリだな。そのプロセスで概念化が起きてる、といったことがわかったりします。
>
>まっさらの自分なんてないんでしょうね。あるのは欲望や感情、要するにナンダカンダの喜怒哀楽の波に翻弄されているだけ。この波が自分のような気がしてしまう。
>
>>そうすると、考え、感情は、フレッシュなものでもなければ、自由でもないということになります。
> あらゆる考え、概念は、中古品です。
>
>禅に「雨だれの音」の話があったでしょ?雨だれの音を聞いて、あれはなにか、というもの。雨だれの音も中古品なんですね。
>
>>そうすると、考えをさしはさむことなく、行動することができるか、ということになります。これがヒョットすると自由です。
>
>なるほどね。
>
>>つまり、過去からの自由が・・・・・遺伝的、性格的、社会的条件付けからの自由が・・・・・可能かどうかということになります。
>
>で、禅者は、雨だれの音を問うんですね。

聞きなれた雨だれの音を、フレッシュに聞けるかどうかです。ああ、雨だれだな、と観念化しません。初めて聞くように耳を傾けるわけです。

これは面白んです・・・・やってみればわかります。

そうすると、あすの朝、奥様を初めて見るように接することができます。そこにはおそらく美があると思います。
2020年01月30日 01:19


>カルマ、業、輪廻転生さん
>
>>仏教に自由意志を肯定したものあります?
>
>現代の科学や哲学の文脈にもってこれるような概念としての自由意志なら、仏教にはないでしょう。逆に、その意味での自由意志否定も仏教にはない。
>
>どちらの立場にせよ、自由意志否定や肯定のために仏教を援用することはできないと思います。
>
>ただ、意志によって自分のことばや思いや行動を制御することは、仏教では基本中の基本といわざるうぃえないので、その意味での部分的な自由意志は肯定します。

それはそれで結構なことなんで、議論したくはないんですが、制御するのは、自由意志ではなく、仏教の影響でしょう。仏教に洗脳されたということでしょう。

仏教の定義として、おそらく一般的だと思いますが、三法印があります。

諸行無常
諸法無我
涅槃ジャクショウ

無常だし無我だから、自由意志は持てません。はなはだ、こころもとないですが、よって立つところがないからです。浮草のようなものです。

そこが涅槃ジャクショウだといっています。

もちろん、禅は自力で、浄土真宗は他力だとかいって、自力を強調したりしますが、それは方便で、実際は、禅による洗脳でしょう。洗脳されてもいいんですが・・・・だまされるのも大事なことではありますが・・・・・

たーぼー
2020年01月30日 01:40
上座部だとここで終わりますが、大乗ですと、それが洗練されてきて・・・・それがいいか悪いかわかりませんが・・・滅却したところから、また、因果に戻るわけです。


愚さん、こんばんは。
私はテーラワンダーって全然わかんないし、信用してないです。
どうも嘘臭いなと直感で感じてます。
それはいいとして、因果を完全に償却したらもう条件ずけは無くなって戻る因果(条件ずけ)はなくなると思いますが。
ヤフー掲示板でも随分愚さんとは話したし、意見が合わなくても仲良くしたいです。
意見が合わなければお互い言いっ放しでいいです。喧嘩や対立するつもりはありませんから、それだけ分かって下さい。
地球人
2020年01月30日 01:43
>涅槃ジャクショウ

>無常だし無我だから、自由意志は持てません。はなはだ、こころもとないですが、よって立つところがないからです。浮草のようなものです。

自由になった、解放されたが自由意志は持てない。

諸行無常、諸法非我
たーぼー
2020年01月30日 02:04
ただ、意志によって自分のことばや思いや行動を制御することは、仏教では基本中の基本といわざるうぃえないので、その意味での部分的な自由意志は肯定します。


カルマさん、私は貴方が言わんとするところ物凄い分かりますよ。それだけ伝えたかったです。
2020年01月30日 03:05


>たーぼーさん
>
>上座部だとここで終わりますが、大乗ですと、それが洗練されてきて・・・・それがいいか悪いかわかりませんが・・・滅却したところから、また、因果に戻るわけです。
>
>
>愚さん、こんばんは。
>私はテーラワンダーって全然わかんないし、信用してないです。
>どうも嘘臭いなと直感で感じてます。
>それはいいとして、因果を完全に償却したらもう条件ずけは無くなって戻る因果(条件ずけ)はなくなると思いますが。
>ヤフー掲示板でも随分愚さんとは話したし、意見が合わなくても仲良くしたいです。
>意見が合わなければお互い言いっ放しでいいです。喧嘩や対立するつもりはありませんから、それだけ分かって下さい。

もちろん、対立する気はまったくありません。仲良くしましょう。意見がちがってもかまいません。ひとそれぞれです。
わたしのいっていることが違うと思えば、ご自分の好きなようにやるべきです。ひとの話にただ同意してもまったく意味がないです。なぜなら、それは間違っているかもしれないからです。また、正しかったにせよ、それをご自分で検証しないとどうしようもないです。
わたしは、さまざまな意見を得ながら、それぞれの、いいとこどりをしながら、自分の考えに従い、試行錯誤してきました。それでよかったと思っています。
2020年01月30日 03:16
問題は自我に執着してるおまえらに自由意志があるのか?

と言うことやな^_^

自我の自由意志^_^

無我の自由意志^_^

無我はそもそも自由意志なんてあるのか?
2020年01月30日 03:24
全ての執着から離れた所に自由意志がある^_^

しかしそれは自由意志ではない^_^

そもそも自由意志自体がないからや^_^

自由になる必要がないと言うことやな^_^

うわっ^_^

想念垂れ流しきたで^_^
2020年01月30日 03:29
なんでもやりたい事ができる^_^

自由意志や^_^

なんて思ったらあかんで^_^

既に束縛されとるで^_^
2020年01月30日 03:32
そうそうなると思考がある限り自由意志はないな^_^
2020年01月30日 03:37
思考が私ならそこには自由意志はない^_^

想念も何処から湧いて来るのか難しい事言うな^_^
2020年01月30日 04:31
空に囚われると空病になる^_^
自由意志に囚われれると自由意志病になるかも知れん^_^

あるがままがそのまま自由と言う事で^_^
2020年01月30日 07:35
愚さん、質問です。

>因果については、禅では、というか、実際は、因果に落ちるのも、脱するのも、同じ、ということになります。

>ここについて考察してあるのが、無門関の第二則だったか、百丈野狐の公案です。


因果に落ちる、というのは、因果を受け入れる、ということですよね。
それが不昧因果という言葉で表されるもの、という認識で合ってますか?


snow
2020年01月30日 07:36
入れ忘れました。今の質問、snowです。
蓮風
2020年01月30日 10:20
> タキ衛門さん

ということは、それだけの行為を為した場合は、「便利な嘘」によって、死刑(私刑)になることもある、ということですね?
カルマ、業、輪廻転生
2020年01月30日 12:59
>たーぼーさん
>ただ、意志によって自分のことばや思いや行動を制御することは、仏教では基本中の基本といわざるうぃえないので、その意味での部分的な自由意志は肯定します。

>カルマさん、私は貴方が言わんとするところ物凄い分かりますよ。それだけ伝えたかったです。

ありがとうございます。
カルマ、業、輪廻転生
2020年01月30日 13:04
>愚さん
>仏教の定義として、おそらく一般的だと思いますが、三法印があります。

>諸行無常
諸法無我
涅槃ジャクショウ

>無常だし無我だから、自由意志は持てません。はなはだ、こころもとないですが、よって立つところがないからです。浮草のようなものです。

仏教の「自由」意志というのは、諸行無常・諸法無我・涅槃寂静に向け直す、回帰するための意思でしょう。よって立つところがない浮草のようなものの正反対。
2020年01月30日 13:49


>カルマ、業、輪廻転生さん
>
>>愚さん
>>仏教の定義として、おそらく一般的だと思いますが、三法印があります。
>
>>諸行無常
>諸法無我
>涅槃ジャクショウ
>
>>無常だし無我だから、自由意志は持てません。はなはだ、こころもとないですが、よって立つところがないからです。浮草のようなものです。
>
>仏教の「自由」意志というのは、諸行無常・諸法無我・涅槃寂静に向け直す、回帰するための意思でしょう。よって立つところがない浮草のようなものの正反対。

まあ、それならそれでいいです・・・・頑張ってください
2020年01月30日 15:38


>さん
>
>愚さん、質問です。
>
>>因果については、禅では、というか、実際は、因果に落ちるのも、脱するのも、同じ、ということになります。
>
>>ここについて考察してあるのが、無門関の第二則だったか、百丈野狐の公案です。
>
>
>因果に落ちる、というのは、因果を受け入れる、ということですよね。
>それが不昧因果という言葉で表されるもの、という認識で合ってますか?
>
>
https://www.youtube.com/watch?v=Y_6lGpWprZU&feature=youtu.be

にアップしました・・・・・うまく説明できてるかわかりませんが・・・
2020年01月30日 19:23
「生老病死」

自我でみると苦が生じる^^

法(自然)に従うと・・^^

生きてよろし、老いてよろし^^病気になってよろし^^

死んでよろしとなる^^


ってだれか言ってたな^^

う~~ん^^

深い^^
2020年01月30日 20:15
自我よりも法に従ったほうが楽やな^^
タキ衛門
2020年01月30日 22:55
>ということは、それだけの行為を為した場合は、「便利な嘘」によって、死刑(私刑)になることもある、ということですね?

 そうです。何か問題でも?
2020年01月31日 02:27
ありのままをみるとは^_^
自我で見ない^_^
自分の都合で見ない^_^
法自然を見ると言うことやな^_^

あるがままも同じやな^_^
蓮風
2020年01月31日 06:35
> タキ衛門さん
>> ということは、それだけの行為を為した場合は、「便利な嘘」によって、死刑(私刑)になることもある、ということですね?
> そうです。何か問題でも?

平等相の側面から見れば、それは正解でしょう。
差別相の側面から見れば、それは不正解でしょう。
地球人
2020年01月31日 18:09
ありのままを観ている私がいる。 

あるがままを観てる私はいない。 

>ありのままをみるとは^_^
自我で見ない^_^
自分の都合で見ない^_^
法自然を見ると言うことやな^_^

あるがままも同じやな^_^
タキ衛門
2020年01月31日 18:44
>平等相の側面から見れば、それは正解でしょう。
>差別相の側面から見れば、それは不正解でしょう。

 意味がわからないです。社会システム(責任概念等)に対して、
正解・不正解とは言わないと思います。
 役に立つか、立たないか。コストが高いか、安いかとかの評価軸なわけで。
道具ですから。
お節介な見物人
2020年02月01日 14:11
  そもそも「自我」と呼ばれている「実体のない働き」はどうなっているのでしょうか。何時何処でどんな形をして生まれてきたのか。自らが作り出しのでなければ何処からやってきたというのでしょうか。今どこにいてどんなタイミングで出てくるかもコントロールできません。どこに潜んでどんなスイッチでどのように出てくるのか。何の為にどのように働いているでしょうか。
 生命としての根本煩悩である「自分かわいい」が前面にでます。自己保身・自己保存のために自然に作られた。実体のない仮想の何か。実体が有るのなら煮るなり焼くなり調理できてもいいようですが誰もできていません。
 「私は自我を知っているし、私の意志で私が思考している。私は気づきだと分かっている。」これ全て自我。個として認識している全てが自我のようです。

 どんな働きをしているのか列挙してみます。心当たりがあるかと思われます。
 「自我」の何たるかを知るには、日◯テレビの番組を見ることです。「自我」による「自我」のための「自我」がなんたるかをよく表現されているます。
<特徴>
・探求している私。
・良いところまで来ている。
・もうすぐ分かるところだ。
・全てを分かるといつか知ることができる存在だ。
・努力すれば何かに成れる。
・頑張れば達成できる。
・良い手法が見つかれば達成できる。
・楽しいことが大好き。
・邪魔されたくない。
・自分が自分を一番良く知っている。
・至福を手に入れることができる。
・自身こそが正しい。
・自身こそが主人公。
・願いを叶えたい。
・負けたくない。
・特別でありたい。普通のままでいたくない。
・自身こそ優れている。
・努力すれば達成できる。
・嫌なことは後回しにする。
・思考でなんでも解決できる。
・楽をしたい。苦しむのはいやだ。
・何かになるには苦しみも受け入れる。
・何者でもないことを見破られたくない。
・せっかく作り上げてきた「世界」をみすみす無いことにはしたくない。
・自身が構築してきたこの自身の「世界」で安住したい。固定観念を守る。
・ともかく自分(=自我)が主役であり主人としてこの「世界」で生きていく。
・承認されたい。認められたい。
・知識を誇る。
・けなされるのがいやだ。自身を誇りにしている。
・人の話に耳を傾けたくない。自身の世界が最優先。
・思考だけでは何も変わらないことを知っている。
・何か何かと落ち着かない。
・何かをしていたい。
・実体がないことを見破られたくない。
・常に目標や目的を持ってせっかちに動き回る。
・とにかく動いて主体として君臨していたい。
・他人と比較したい。
・抵抗するのが一番のご馳走。
・何でも手に入れたい。
・感情こそが正直な自分だとしている。
<自我が仮想であることがバレそうになる時、自我が嫌うこと>
※自我のエネルギーの行き場が無くなることを恐れます。活動できないと自らの存在価値がなくなります。とにかく頑張り屋で働き者の自我さんです。※

・達成感や開放感や自由を感じる時。何も無かったと気づかれそうになる。
例:登山で山頂に到達した時には達成感よりも開放感や自由を感じる。
すぐに現実の引き戻す。明日の予定は?心配事は?と思いを巡らす。
・嫌なことをすぐに片付ける。ホットして切迫感を感じない。
・苦しみを甘んじて受ける。「刀折れ矢尽きる」
・諦めてしまう。自我のエネルギーを注ぎ込む対象が無くなる。
・無能だと認める。頑張らなくても良いと思うこと。
・思考が止んでしまう瞬間。
・苦しみを乗り越えてしまった場合。グレートレースでの限界を超えた挑戦。
・自らが無価値の状況に置かれた時。宇宙ステーションから地球を眺めた時に感じる無力感。呆然と観ていることしかできない、自我が働きようのない状況。
※苦しみを超えたも何も手にするものなど無いと気づかれる。「私=自我」が存在しなくてもよかったと気づかれる。見抜かれる。※
「自我」が消えるわけではなく、今までと異なる働きをするようです。
特別でなくても何でもない平凡のままでいい、世界を有ると主張しなくてもこのままでなんの支障もなく生きていける。
 「三解脱門」が参考になります。
お節介な見物人
2020年02月01日 15:38
「自我さん」が最も嫌がることは、「只」ということのようです。何かしたいという「自我さん」のエネルギーが使わせてもらえないことのようです。「自我さん」は、コツコツと頑張って作ってきた「理想の世界」で好き勝手に生きていきたいようです。
 「理想の世界」と思っている世界なのにちょくちょく問題が起こります。無常であるのでどうしても「仮想の世界」であり思ったとおりにはいかないようです。
 諦めの悪い「自我さん」は思考というツールを駆使して解決できると大人や学校で教わってきました。たまに解決することがありますが、自身の思考のおかげではないようです。それは経験則や知識で解決できるだけだったかもしれません。数学や物理的なことは難なく解決できてきました。
 「仮想の世界」で起こっていた「問題」をほったらかしているうちに、過去のことになり勝手に消滅していったようです。「問題」は「自我さん」の作った仮想の世界の仮想の問題であり、もともと実体はなく勝手に消えていったにすぎないようです。どうでもよかったということのようです。
 幼稚園や小学校の時の問題は一体どこにあるのでしょうか。今ある「問題」も正対していくうちに「問題」の化けの皮が剥がれて「事実」だけに昇華される筈です。「お金がない!」という動かしようのない事実に直面するだけ。「病気になっている」という動かしようのない事実と一体であるという気づきがあるだけ。怖がらずに認めるほかないということだけ、考えてもどうしょうもないという気づき。

<無字の公案>
 思いが浮かんできても「無」と拒絶されると「自我さん」が働けません。「自我さん」の働く場を奪われてしまいます。なんでもいいから動いたり考えたりしていないと、止まらざるを得ません。回転が止まってしまうと、ただの紐でしかなかったとバレてしまいます。「自我さん」がいなくても何も困らないという現実に気づかれてしまいます。なんだ「私」がいなくても生きているぞと見抜かれてしまいます。
<只管打坐>
 只坐っているとか、何もしていないとか、只ほっつき歩いているとか・・・
何かになろうとか何かを得ようとかして坐っていれば「自我さん」も活躍の場が残されているのですが・・・。「自我さん」にとって「悟り」にも無関心で只坐れれては面目丸つぶれのようです。「自我さん」にとって、こういう人が一番たちの悪い人とされます。そんな人はほとんどいません、何かしら知識や見識や誇りを山ほど抱えて坐っているので我慢比べです。
「只管打坐」を習慣にされると、「自我さん」の仮面が剥がされるので最大の敵のようです。

 知識で打ち負かそうとか、思考でどうこうしようとか・・・どうでもよくなってくれば「自我さん」の出る幕も少なくなってくるようです。ただ見聞覚知があるだけのことそれ以上でも以下でもないと気づかれるのも時間の問題かも知れません。
地球人
2020年02月01日 18:27
「ありのまま」を観ている私は悟った者である。

  ↓

「あるがまま」 無我
2020年02月01日 18:32
お節介な見物人さんはよく自己を知っとんな~~^^

どっからその想念沸いてくんねん^^

地球人
2020年02月01日 18:59
悟った無我さんの行為とは、例えば?
地球人
2020年02月01日 19:07
言わずと知れた・・・あの方、
2020年02月01日 19:09
悟った無我さんの行為とは

①空解脱門。一切の存在は空であると観ずる。
②無相解脱門。一切が空であるから差別の相はないと観ずる。
③無願解脱門。願求(がんぐ)すべき何ものもないと観ずる。

これ^^
地球人
2020年02月01日 19:12
なるほど、、自我で仏教学識を積んだ人が坐禅できない理由がわかった。

お節介な見物さん、ありがとう。
2020年02月01日 19:13
空 無相 無願やな・・^^

どこかで見たような・・見ないような・・^^
地球人
2020年02月01日 19:14
>あさん

実際にどんな行為ですか? 問うたのです。

あの方でしょう。笑
2020年02月01日 19:18
行為はないな^^

観ずるだけ^^
地球人
2020年02月01日 19:21
行為が無い?

レスをしたあーさんは何もの?
2020年02月01日 19:23
あなたは身体ではない、それ故、あなたはカルタ(行為者)ではない。

全ての行為は自動的に起こるのだ。
あなた自身を行為者と見なしてはならない。


真我は行為に関心を持っていない。
真我は行為に関わらないことは明らかである。

http://kuboakoru.web.fc2.com/lamananokotobaitilann.html

これ^^
2020年02月01日 19:27
(根本第一想念である私と言う観念)^^

私は観念きたな^^
地球人
2020年02月01日 19:33
あーさん、、、実際の日常の行為を問うたのです。

あの方、でしょう。笑
2020年02月01日 19:42
問うて曰く、三解脱門に入らば、則ち涅槃に到る。今、云何が空・無相・無作を以て、能く声聞・辟支仏地を過ぐるや。答えて曰く、方便力無きが故に、三解脱門に入りて、直に涅槃を取るなり。若し方便力有れば、三解脱門に住して涅槃を見るも、慈悲心を以ての故に、能く心を転じて還起す。

大智度論

うん?

無我の人の行為・・^^

空無相無願三昧やな・・^^

涅槃にいけるみたいやで^^

知らんけど^^
2020年02月01日 19:45
あの方?

標識さんしかおらへん^^
2020年02月01日 19:53
サンユッタでは三三味は無為に達する道と云われ解脱は三昧の修習に
よつて得られるものと云うべく、三昧は有漏と無漏とに通じ解脱は
無漏に通ずると云うことができる。。
増一阿含では三解脱門を釈して、空解脱門の空は主体の側における
我我所を空じて存在の根拠を滅する空の知見に基づき解脱を得るとしてある。
無相とは一切法において想念なく対象は不可見であるとすることである。
相を取するは想であるから、無相解脱門は想を滅することを解脱への契機である
としたのであり無願とは一切法において願ぜざることである

またまたこんなことやってると想念に難しいこと言われるで^^

地球人
2020年02月01日 20:05
標識は恥ずかしい、 只の登録番号と言ったでしょ。^^

あの方に対して失礼です。

2020年02月01日 20:08
これ見ると楽に生きるのも大変ということやな・・^^

苦楽一如やな・・^^
お節介な見物人
2020年02月01日 20:19
あさん


「ラマナ・マハリシの言葉 」ご紹介ありがとうございます。
探求者が検証すべき全てがここにあります。
2020年02月01日 21:12


>お節介な見物人さん
>
>  そもそも「自我」と呼ばれている「実体のない働き」はどうなっているのでしょうか。何時何処でどんな形をして生まれてきたのか。自らが作り出しのでなければ何処からやってきたというのでしょうか。今どこにいてどんなタイミングで出てくるかもコントロールできません。どこに潜んでどんなスイッチでどのように出てくるのか。何の為にどのように働いているでしょうか。
> 生命としての根本煩悩である「自分かわいい」が前面にでます。自己保身・自己保存のために自然に作られた。実体のない仮想の何か。実体が有るのなら煮るなり焼くなり調理できてもいいようですが誰もできていません。
> 「私は自我を知っているし、私の意志で私が思考している。私は気づきだと分かっている。」これ全て自我。個として認識している全てが自我のようです。
>
> どんな働きをしているのか列挙してみます。心当たりがあるかと思われます。
> 「自我」の何たるかを知るには、日◯テレビの番組を見ることです。「自我」による「自我」のための「自我」がなんたるかをよく表現されているます。
><特徴>
>・探求している私。
>・良いところまで来ている。
>・もうすぐ分かるところだ。
>・全てを分かるといつか知ることができる存在だ。
>・努力すれば何かに成れる。
>・頑張れば達成できる。
>・良い手法が見つかれば達成できる。
>・楽しいことが大好き。
>・邪魔されたくない。
>・自分が自分を一番良く知っている。
>・至福を手に入れることができる。
>・自身こそが正しい。
>・自身こそが主人公。
>・願いを叶えたい。
>・負けたくない。
>・特別でありたい。普通のままでいたくない。
>・自身こそ優れている。
>・努力すれば達成できる。
>・嫌なことは後回しにする。
>・思考でなんでも解決できる。
>・楽をしたい。苦しむのはいやだ。
>・何かになるには苦しみも受け入れる。
>・何者でもないことを見破られたくない。
>・せっかく作り上げてきた「世界」をみすみす無いことにはしたくない。
>・自身が構築してきたこの自身の「世界」で安住したい。固定観念を守る。
>・ともかく自分(=自我)が主役であり主人としてこの「世界」で生きていく。
>・承認されたい。認められたい。
>・知識を誇る。
>・けなされるのがいやだ。自身を誇りにしている。
>・人の話に耳を傾けたくない。自身の世界が最優先。
>・思考だけでは何も変わらないことを知っている。
>・何か何かと落ち着かない。
>・何かをしていたい。
>・実体がないことを見破られたくない。
>・常に目標や目的を持ってせっかちに動き回る。
>・とにかく動いて主体として君臨していたい。
>・他人と比較したい。
>・抵抗するのが一番のご馳走。
>・何でも手に入れたい。
>・感情こそが正直な自分だとしている。
><自我が仮想であることがバレそうになる時、自我が嫌うこと>
>※自我のエネルギーの行き場が無くなることを恐れます。活動できないと自らの存在価値がなくなります。とにかく頑張り屋で働き者の自我さんです。※
>
>・達成感や開放感や自由を感じる時。何も無かったと気づかれそうになる。
>例:登山で山頂に到達した時には達成感よりも開放感や自由を感じる。
>すぐに現実の引き戻す。明日の予定は?心配事は?と思いを巡らす。
>・嫌なことをすぐに片付ける。ホットして切迫感を感じない。
>・苦しみを甘んじて受ける。「刀折れ矢尽きる」
>・諦めてしまう。自我のエネルギーを注ぎ込む対象が無くなる。
>・無能だと認める。頑張らなくても良いと思うこと。
>・思考が止んでしまう瞬間。
>・苦しみを乗り越えてしまった場合。グレートレースでの限界を超えた挑戦。
>・自らが無価値の状況に置かれた時。宇宙ステーションから地球を眺めた時に感じる無力感。呆然と観ていることしかできない、自我が働きようのない状況。
>※苦しみを超えたも何も手にするものなど無いと気づかれる。「私=自我」が存在しなくてもよかったと気づかれる。見抜かれる。※
>「自我」が消えるわけではなく、今までと異なる働きをするようです。
>特別でなくても何でもない平凡のままでいい、世界を有ると主張しなくてもこのままでなんの支障もなく生きていける。
> 「三解脱門」が参考になります。

つまるところ、いまこの瞬間の自我に注目するわけですね・・・
2020年02月01日 21:30


>あさん
>
>あなたは身体ではない、それ故、あなたはカルタ(行為者)ではない。
>
>全ての行為は自動的に起こるのだ。
>あなた自身を行為者と見なしてはならない。
>
>
>真我は行為に関心を持っていない。
>真我は行為に関わらないことは明らかである。
>
>http://kuboakoru.web.fc2.com/lamananokotobaitilann.html
>
>これ^^

このスタイルはその通りだし、わたしにあっているんですが、一般的にはどうなんですかね・・・・
2020年02月01日 21:33


>あさん
>
>問うて曰く、三解脱門に入らば、則ち涅槃に到る。今、云何が空・無相・無作を以て、能く声聞・辟支仏地を過ぐるや。答えて曰く、方便力無きが故に、三解脱門に入りて、直に涅槃を取るなり。若し方便力有れば、三解脱門に住して涅槃を見るも、慈悲心を以ての故に、能く心を転じて還起す。
>
>大智度論
>
>うん?
>
>無我の人の行為・・^^
>
>空無相無願三昧やな・・^^
>
>涅槃にいけるみたいやで^^
>
>知らんけど^^

方便力って、なんなのかな?
2020年02月01日 22:14
問うて曰く、是の三事は、後の品中に各因縁有り。
仏は今、何を以ってか、併せて説きたもうや。

答えて曰く、是の中に、略説すれば、後には、当に三事の因縁を広説すべし。
又今は、但だ空、無相、無作の因縁を説けば、後には、当に種種の功徳を
説くべし。故に三事を合して説けり。

問うて曰く、三解脱門に入れば、則ち涅槃に到る。
今は、云何が、空、無相、無作を以って、能く声聞、辟支仏の地を過ぐる。

答えて曰く、方便力無きが故に、三解脱門に入れば、直ちに涅槃を取るも、
若し方便力有れば、三解脱門に住して、涅槃を見るも、慈悲心を以っての故に、、
能く心を転じて、還って起す。後の品中に説くが如し。
譬えば虚空を仰射するに、箭と箭と相拄(ささ)えて地に堕せしめざるが如し。
菩薩は、是の如く、智慧の箭を以って、三解脱の虚空を仰射するに、
方便の後の箭を以って、前の箭を射て、涅槃の地に堕せしめず。
是の菩薩は、涅槃を見ると雖も、直ちに過ぎて住せず、更に大事を期す、
謂わゆる阿耨多羅三藐三菩提なり。
今は、是れ観る時にして、是れ証する時に非ず。
是れ等の如きは、応に広説すべし。若し、是の二地を過ぎて、
諸法の不生不滅を知れば、即ち、是れ阿鞞跋致の地なり。
阿鞞跋致の地中に住して、衆生を教化し、仏世界を浄むれば、
是れを能く仏道を浄むと為す。

復た次ぎに、菩薩は、三解脱門に住して四諦を観ずるも、
是れ声聞、辟支仏の法なりと知りて、直ちに四諦を過ぎ、
一諦に入る。謂わゆる一切法の不生不滅、不垢不浄、不来不去等なり。
是の一諦中に入れば、是れを阿鞞跋致の地と名づけ、是の阿鞞跋致の地なる、
仏道を浄むる地に住す。身、口、意の麁悪の業を滅除し、及び諸法中の初より
已来、失する所の事を滅すれば、是れを仏道を浄むる地と名づく

大智度論

ちょっとこれ理解してから答えます^^

何時間かかるかわからん^^

想念がむちゃくちゃになる感がする^^

たぶん・・方便波羅蜜 のことではないかと・・^^
2020年02月01日 22:36


>あさん
>
>問うて曰く、是の三事は、後の品中に各因縁有り。
>仏は今、何を以ってか、併せて説きたもうや。
>
>答えて曰く、是の中に、略説すれば、後には、当に三事の因縁を広説すべし。
>又今は、但だ空、無相、無作の因縁を説けば、後には、当に種種の功徳を
>説くべし。故に三事を合して説けり。
>
>問うて曰く、三解脱門に入れば、則ち涅槃に到る。
>今は、云何が、空、無相、無作を以って、能く声聞、辟支仏の地を過ぐる。
>
>答えて曰く、方便力無きが故に、三解脱門に入れば、直ちに涅槃を取るも、
>若し方便力有れば、三解脱門に住して、涅槃を見るも、慈悲心を以っての故に、、
>能く心を転じて、還って起す。後の品中に説くが如し。
>譬えば虚空を仰射するに、箭と箭と相拄(ささ)えて地に堕せしめざるが如し。
>菩薩は、是の如く、智慧の箭を以って、三解脱の虚空を仰射するに、
>方便の後の箭を以って、前の箭を射て、涅槃の地に堕せしめず。
>是の菩薩は、涅槃を見ると雖も、直ちに過ぎて住せず、更に大事を期す、
>謂わゆる阿耨多羅三藐三菩提なり。
>今は、是れ観る時にして、是れ証する時に非ず。
>是れ等の如きは、応に広説すべし。若し、是の二地を過ぎて、
>諸法の不生不滅を知れば、即ち、是れ阿鞞跋致の地なり。
>阿鞞跋致の地中に住して、衆生を教化し、仏世界を浄むれば、
>是れを能く仏道を浄むと為す。
>
>復た次ぎに、菩薩は、三解脱門に住して四諦を観ずるも、
>是れ声聞、辟支仏の法なりと知りて、直ちに四諦を過ぎ、
>一諦に入る。謂わゆる一切法の不生不滅、不垢不浄、不来不去等なり。
>是の一諦中に入れば、是れを阿鞞跋致の地と名づけ、是の阿鞞跋致の地なる、
>仏道を浄むる地に住す。身、口、意の麁悪の業を滅除し、及び諸法中の初より
>已来、失する所の事を滅すれば、是れを仏道を浄むる地と名づく
>
>大智度論
>
>ちょっとこれ理解してから答えます^^
>
>何時間かかるかわからん^^
>
>想念がむちゃくちゃになる感がする^^
>
>たぶん・・方便波羅蜜 のことではないかと・・^^
>
頑張ってください
2020年02月01日 23:07
うわっ^^

なんか他人事の感がする^^

想念がむちゃくちゃになっとるで^^

寝ながら考えよっと^^

寝る^^
2020年02月02日 08:35
うん?

起きたら頭の中火事や^^

これは浄土へいかんとあかん^^

水風呂や^^

ではでは^^
2020年02月02日 08:40
空解脱門は空寂なりの清浄の句義は是れ菩薩の句義なり。

無相無願解脱門は空寂なりの清浄の句義は是れ菩薩の句義なり。

八解脱は空寂なりの清浄の句義は是れ菩薩の句義なり。

八勝處、九次第定、十遍處は空寂なりの清浄の句義は是れ菩薩の句義なり。
2020年02月02日 11:23
空寂瞑想してきた^_^

さっぱりした^_^
お節介な見物人
2020年02月02日 12:21
 静寂を掴んだり得たりはできるのでしょうか。「騒がずに静寂であれ」。思考する時間を静寂(=只管打坐)へと振り向ける。見聞覚知のままにしておく。分別(=自我さん)に感受したことを律儀に橋渡ししてご意見を聞く必要があるのでしょうか。「今ここ」にいるという事実は「何でもない」只あるだけ。
 存在にはいちいちラベルや好悪など貼っていません。各人の嗜好で勝手に色分けされて受けとるようです。勝手に自分なりの世界を投影しているかもしれません。赤ちゃんになって世界を観ると、価値も意味もない何でもない事実だけの世界があるだけです。
 こうありたいという「自我さん」の理想(=幻想)の世界と事実を比べてしまう脳の癖からなかなか抜け出せないようです。「自我さん」は「自分かわいい」という根本本能(=煩悩)によって自らのために一生懸命に観念を構築してきました。事実の世界で体験し、教育によって知識を得てきました。思考によって解決できると教わってきました。事実の世界から「自我さん」の描く「理想の世界」が徐々に構築されているようです。
 「自我さん」は自らの想像力を遺憾なく発揮して「理想の世界=幻想の世界」の方が現実であると信じるようになってしまっているようです。勝手に湧いてくる思いなのに「私=自我さん」の思いだとして大切にしているようです。 
 理想は理想であり幻想なのに、事実を理想に近づけようと必死です。理想は幻想であって事実に生きなくてはならないと気づけるかポイントのようです。理想(=幻想)が事実に贖(あがな)うにはエネルギーが必要です。事実には勝てません。挫折します。
 何度戦っても事実には勝てないようです。現実(=事実)はなにかおかしいと他がおかしいと非難することで「自我さん」を正当化します。自分が間違いなんて「自我さん」は認めません。

 今までの「自我さん」の奮闘を認めてあげましょう。「自我さん」の助けを受けずに事実を事実として、事実は変わりようがないと綺麗サッパリ抵抗せずに降参する。潔く腹を決めて諦める。
 さすがの「自我さん」も腑に落ちたこと(=身体が納得したこと)には逆らえないようです。「自我さん」の伝家の宝刀である思考をつかっても身体の痛みがとれることはないようです。事実に精一杯負けを宣言してみる。 
 「自我さん」の理想は頭で描いた「世界」で自由に好き勝手にすることのようです。まるでファンタジー映画を現実のものにしたいのです。魔法の剣やリングがどこかにあって「言葉」という道具を使いこなす「思考」という調理人によって何でも生み出せるかのようです。
 「自我さん」の世界は「恒常不変な理想の世界」なのに事実は瞬間瞬間に生滅していて実体のない無常の世界のようです。「自我さん」は高い志で、決して掴んだり得たりできない「世界」のために道なき道を進んでいるようです。理想(=空)から事実へとコペルニクス的転回が必要かも知れません。
 個々人でまったく異なる体験で生きています。「自我さん」との付き合い方も様々だと思われます。自身を遡れば身体も感覚も心もどこにも存在しません。「無」から何らかのエネルギーによって「今ここ」にある・・・。「自我さん」の役割も認め、無常(=空)なる「世界」を理解してもらいあがくのを鎮めてもらうように説得するのはどうでしょう。よけいなお節介すみません。
 ※ネーゲルの「便器のクモ」参照
2020年02月02日 12:32


>お節介な見物人さん
>
> 静寂を掴んだり得たりはできるのでしょうか。「騒がずに静寂であれ」。思考する時間を静寂(=只管打坐)へと振り向ける。見聞覚知のままにしておく。分別(=自我さん)に感受したことを律儀に橋渡ししてご意見を聞く必要があるのでしょうか。「今ここ」にいるという事実は「何でもない」只あるだけ。
> 存在にはいちいちラベルや好悪など貼っていません。各人の嗜好で勝手に色分けされて受けとるようです。勝手に自分なりの世界を投影しているかもしれません。赤ちゃんになって世界を観ると、価値も意味もない何でもない事実だけの世界があるだけです。
> こうありたいという「自我さん」の理想(=幻想)の世界と事実を比べてしまう脳の癖からなかなか抜け出せないようです。「自我さん」は「自分かわいい」という根本本能(=煩悩)によって自らのために一生懸命に観念を構築してきました。事実の世界で体験し、教育によって知識を得てきました。思考によって解決できると教わってきました。事実の世界から「自我さん」の描く「理想の世界」が徐々に構築されているようです。
> 「自我さん」は自らの想像力を遺憾なく発揮して「理想の世界=幻想の世界」の方が現実であると信じるようになってしまっているようです。勝手に湧いてくる思いなのに「私=自我さん」の思いだとして大切にしているようです。 
> 理想は理想であり幻想なのに、事実を理想に近づけようと必死です。理想は幻想であって事実に生きなくてはならないと気づけるかポイントのようです。理想(=幻想)が事実に贖(あがな)うにはエネルギーが必要です。事実には勝てません。挫折します。
> 何度戦っても事実には勝てないようです。現実(=事実)はなにかおかしいと他がおかしいと非難することで「自我さん」を正当化します。自分が間違いなんて「自我さん」は認めません。
>
> 今までの「自我さん」の奮闘を認めてあげましょう。「自我さん」の助けを受けずに事実を事実として、事実は変わりようがないと綺麗サッパリ抵抗せずに降参する。潔く腹を決めて諦める。
> さすがの「自我さん」も腑に落ちたこと(=身体が納得したこと)には逆らえないようです。「自我さん」の伝家の宝刀である思考をつかっても身体の痛みがとれることはないようです。事実に精一杯負けを宣言してみる。 
> 「自我さん」の理想は頭で描いた「世界」で自由に好き勝手にすることのようです。まるでファンタジー映画を現実のものにしたいのです。魔法の剣やリングがどこかにあって「言葉」という道具を使いこなす「思考」という調理人によって何でも生み出せるかのようです。
> 「自我さん」の世界は「恒常不変な理想の世界」なのに事実は瞬間瞬間に生滅していて実体のない無常の世界のようです。「自我さん」は高い志で、決して掴んだり得たりできない「世界」のために道なき道を進んでいるようです。理想(=空)から事実へとコペルニクス的転回が必要かも知れません。
> 個々人でまったく異なる体験で生きています。「自我さん」との付き合い方も様々だと思われます。自身を遡れば身体も感覚も心もどこにも存在しません。「無」から何らかのエネルギーによって「今ここ」にある・・・。「自我さん」の役割も認め、無常(=空)なる「世界」を理解してもらいあがくのを鎮めてもらうように説得するのはどうでしょう。よけいなお節介すみません。
> ※ネーゲルの「便器のクモ」参照

なるほど・・・・・それはそうですね。そこで、つまるところ、結局、どうなります?
お節介な見物人
2020年02月02日 12:56
愚さん

お読みいただきありがとうございます。
「自我さん」は鎮まりました。
2020年02月02日 13:16


>お節介な見物人さん
>
>愚さん
>
>お読みいただきありがとうございます。
>「自我さん」は鎮まりました。

すばらしい・・・・・よかったですね
お節介な見物人
2020年02月02日 13:33
愚さん

お忙しいところお返事ありがとうございます。
皆さんの奇譚のない投稿を見させていただいて
とてもオープンだと感じました。
新参者を拒んだり、いじめもないようですね。

断りもなく勝手に投稿させていただきありがとうございます。

削除されるか恐る恐るでしたが、
どんな意見でもこだわらないところがすばらしいですね。
投稿者の方からの情報も検証には役立ちました。
またお節介させていただきます。宜しくお願いいたします。
2020年02月02日 14:57


>お節介な見物人さん
>
>愚さん
>
>お忙しいところお返事ありがとうございます。
>皆さんの奇譚のない投稿を見させていただいて
>とてもオープンだと感じました。
>新参者を拒んだり、いじめもないようですね。
>
>断りもなく勝手に投稿させていただきありがとうございます。
>
>削除されるか恐る恐るでしたが、
>どんな意見でもこだわらないところがすばらしいですね。
>投稿者の方からの情報も検証には役立ちました。
>またお節介させていただきます。宜しくお願いいたします。

大歓迎です。公序良俗に反しない限り、なんでもありです。わたしへの悪口でもなんでもありです。単なる冷やかしは困りますけどね・・・・・

他人のさまざまな意見というのは、自分も一部持っているわけですから、他人の意見に耳を傾けることが、そのまま、自分の精神の浄化につながるはずなんですが・・・・
2020年02月02日 18:16
此があれば彼があり、此がなければ彼がない。此が生ずれば彼が生じ、此が滅すれば彼が滅す。
『自説経』

迷いがあれば仏教があり、迷いがなければ仏教がない。迷いが生ずれば仏教が生じ、迷いが滅すれば仏教が滅す。
『あ経』

う~~ん^^

そろそろ仏教とお別れの時期が来たようだ^^

長い間ありがとう^^