親切にすること

>愚さん、人に親切にすることと、空っぽにすることは
どう繋がっていますか?教えてください。

対立観念を際立たせるからです。早い話、イヤなやつに親切にするのは抵抗があります。その抵抗感を味わうわけです。実際は、自分が持っている相手に対するイメージとの葛藤なのですが、そのイヤな感じを味わうわけです。すると、その抵抗感=条件付けですが、それが取れていきます。つまり、浄化されていくわけです。空っぽになっていくわけです。

原理的に、対立感の伴う心理的抵抗は、すべて条件付けです。ふだんそれは隠れていて、アクティブではありませんので、あえて、アクティブにして、それをあぶりだし、直面して、消化していきます。ほかのことにも応用できます。気が進まないかもしれませんが、コツがわかると、面白いですし、楽になります。

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この記事へのコメント

名無しさん
2020年01月23日 12:26
Youtube、ライブ配信になるのでしょうか?
地球人
2020年01月23日 17:09
親切とは無償の行為です。
Bananafish
2020年01月23日 20:09
愚さん、

ありがとうございます。面白いですね!
今日、早速職場で試してみました。

「対立感の伴う心理的抵抗は、すべて条件付け」というのを参考に、
私も色々と実験してみようと思います。
2020年01月23日 21:57
彼女からしょっちゅう言葉のDV受けてる。
2020年01月24日 04:53
そうやな^_^
思考で分別するから好き嫌いが生じる^_^
空っぽであれば分別は生じない^_^

あなたは私であると^_^

無分別から親切が生じるけど^_^
親切を意識した時点で既に分別が生じている^_^
地球人
2020年01月24日 12:42
ふつう、親切を意識して親切するか? 笑
地球人
2020年01月24日 12:53
条件付けで分別する行為は好意と言うのです。笑
地球人
2020年01月24日 13:00
或いは打算です。
2020年01月24日 13:46
うん、

親切とは無償の行為です

ちみの言ってる有償の行為のことなんだけど^_^

ところで^_^

昼起きて酒でも呑んでいるのかな^_^

体に悪いよ^_^

これが無償の親切である^_^

地球人
2020年01月24日 13:52
親切は受けて印象だから全て親切との感想もあるだろう。

さて、ここで問題です。

KB会開催は講師、愚さんの親切か?否か?
地球人
2020年01月24日 14:00
>昼起きて酒でも呑んでいるのかな^_^
>体に悪いよ^_^
>これが無償の親切である^_^

あさんに言われてもね・・・お節介か、善い人と思われたい打算だろう。笑
地球人
2020年01月24日 14:04
親切云々は置いて、体験者は語る、、これだね。笑
地球人
2020年01月24日 14:09
親切と受け取らない場合もある。
条件付けの分別は行為者ではなくて受けての印象です。
地球人
2020年01月24日 14:23
受け手が親切と認識しなければ、親切は成立しない。
通行人
2020年01月24日 14:48
うんうん、行為者の意思は関係ないね。

地球人が親切しても、誰も親切とは思わない。^^
地球人
2020年01月24日 15:06
そうでもないと思うが・・・

「余計なお世話だ」と言われて、「すみませんでした。」と謝るのは本当の親切だ。 君は言えないな。笑
2020年01月24日 15:15
親切なんて世俗の言葉^_^

分別、無分別で事足りる^_^
地球人
2020年01月24日 15:20
親切とは知人なら大半の知人が、或いは見ず知らずの他人が感謝する場合です。

受け手が条件付けしない場合です。
2020年01月24日 15:25
経典に親切なんて言葉あったらびっくりして気絶するわ^_^
2020年01月24日 15:29
ということで浄土きた^_^

空寂瞑想に入る^_^
地球人
2020年01月24日 15:32
それはそうです。

仏陀は我無しの無分別なのだから。笑
通行人
2020年01月24日 15:59
無我の八正道は万人の意味かもしれないね。

地球人
2020年01月24日 16:06
一切衆生悉有仏性
2020年01月24日 16:54
愚さんが言ってたように^_^

自我は人生最大の問題なんだな^_^

好きとか嫌いとか^_^

親切にするとかしないとか^_^

自我を捨てれば全て消え去る^_^
地球人
2020年01月24日 18:01
「我有りとする不当な思惟の根本を制し、常に心して学べ」

「これはわがものである」また「これは他人ものである」という思いがなにも存 在しない人、―――かれは「このようなわがものという観念」が存在しないから、「われなし」といって悲しむことがない。 

以上、スッタニパーダ
2020年01月24日 18:19
KB会開催は講師、愚さんの親切か?否か?

ジョナサンに行くためと言っても過言ではないだろう^^

何回も動画見てればわかる^^

2020年01月24日 18:21
KB会開催とジョナサン は既に条件付けられてる^^
地球人
2020年01月24日 18:33
>KB会開催とジョナサン は既に条件付けられてる^^

それは何の条件付けか? 我、それとも無我?
2020年01月24日 18:35
ちなみに・・^^

今日エレベーターの中である人が・・^^

「問題はカリスマ性があるかないかなんだよな~」

「なんであんな奴に言われるんだとなるからな・・」

とか会話してた・・^^

「その通り」とうなずくおいらがいた^^

地球人
2020年01月24日 18:44
>「問題はカリスマ性があるかないかなんだよな~」

 尊師か、 KB会は宗教だったか? 笑
2020年01月24日 19:02
会社のエレベーターの中での会話だから・・

上司になんか言われたんだろう・・^^

そんなことより・・

「三輪空寂」をちょっと確認してる^^
地球人
2020年01月24日 19:10
因みに、クリシュナムルティは、すべての物事が時間的にも空間的にも互いの条件付けによって成り立つと考え、人は組織、信条、教義、聖職者、儀式等によって真理に到達することはできず、ただ自己認識によってのみ真理を見出すことができると説いた。

東方の星教団解散、神智学協会を離脱した理由として、崇拝者に囲まれたが、その状態を喜んでいなかった。彼は、真理は権威者を必要とするものではなく、まして集団に属するものではありえないと考えていた。、「あなた方は他の会を作って、誰か他の人を選んでください。その会には私は関係しないし、新しい会を作ろうとも思いません。私の関係するのは絶対的に人を解放することであり、無条件に自由にすることであります」と言って、3,000人あまりの団員がいた「東方の星教団」を解散した。wikipedia参照


2020年01月24日 19:14
本来、「喜捨=歓び」にならなければ、本当の喜捨にならない。

そこに「念」が「残」っていると、「残念」なことになる。


だれが上手いこと言えと^^
地球人
2020年01月24日 19:23
もっとも、10数人の受講者では宗教団体組織にはならないだろうが、

数千人に集まったら、有り得ることになるかもしれない。笑
通行人
2020年01月24日 19:41
宗教組織に発展するか否か、は人を集めたり、担ぎ上げる受講者の意思なんだよ。^^
2020年01月24日 21:24
私がこのコップを見ますと、コップを見るという視覚が生じます。見られるコップは分子ないし原子からでき上がった物ですね。それから、見る目の方も水晶体とか網膜、細胞、ないし、ぐうっと分析して、やはり、分子ないし原子からでき上がった物ですね。

 この二つの「物」が認識関係に入った途端に視覚という「心」が生じるのです。これは不思議なことでしょう。物と物とから心が起こるということは、まさに摩訶不思議です。これはなぜなのか。もしも、このメカニズムを解明できたら、これはノーベル賞ものですが、決して誰もこれを解決することはできません。

 なぜならば、ここに我々の見方に狂いがあるわけです。我々は、存在するものを「物」と「心」とに分けますが、そのこと自体がまちがっているからです。坐禅をするとこのことが分かってきます。ずうっと坐って坐って坐りぬく。たとえば、吐く息、吸う息になりきる。吐く時はただ吐くだけ、吸う時はただ吸うだけ。いわゆる随息観を修するのです。

 このように吐く息、吸う息になりきり、なりきっている時は、物も心もありません。言葉もありません。思いもありません。

 物も心もない。二つに分別しない状態を定心といいます。しかし、普通は、私たちは分別する乱れた心の状態で生きています。それを散心といいます。

 定心の時には、思いも言葉も感覚がデータもありません。これを体験されればいいですね。なかなかなれませんね。なかなか集中できませんね。人間は、いつもいつも深層からいろんな言葉とか、いろんな思いが吹き出してきますね。しかし、なりきり、なりきっていく坐禅を1年、2年ないし10年とつづけていくと、すうっと定心に入っていくことができます。その時には、物も心もありません。自分も他人もありません。有るのは、いや、有るといことも無いということもありません。

なりきるだと・・^^

自分も他人もありませんだと・・^^

どこかで聞いたような感がする^^

2020年01月24日 21:33
だとすると・・・^^

仏になりきる^^

これもできるはず^^

・・と皆考える^^

それが何か調べてみようとなる^^
2020年01月24日 21:41
空海が伝えた真言宗は、「密教」を中心とするものでした。密教では「大日如来」の教えを実践することが大切だと説きます。自分が大日如来になりきって修行することで、そのまま「ほとけ」となることができるというのです。お経が人々に分かりやすく教えているのに対して、ほとけの体や言葉、心になりきることは「明らかにすることはできない」ことであるから「秘密の教え(密教)」といわれています。


空海ちゃんきたぁああああああああああ^^
2020年01月25日 02:18
法句経

「怨みは怨みによって果たされず、忍を行じてのみ、よく怨みを解くことを得る。これ不変の真理なリ。」

あれ?

愚さんの言ってた通りやが^^
2020年01月25日 02:22
怨みは怨みによって果たされず』のあとはこう続く。『忍を行じてのみ、よく怨みを解くことを得る。これ不変の真理なり』。

 怨みは怨みによっては解決しない。怨みをじっとこらえる修行をすることで、初めて怨みを忘れることができるのだと説いている。たしかに怨みからは何も生まれない。でも、そうわかっていても、なかなか忘れることができないのが人間だ。だから『忍を行じろ』と、仏さまも言っておられるのだろう。


まじ?
2020年01月25日 02:28
「そのイヤな感じを味わうわけです。すると、その抵抗感=条件付けですが、それが取れていきます。つまり、浄化されていくわけです。空っぽになっていくわけです。」

怨みは怨みによっては解決しない。怨みをじっとこらえる修行をすることで、初めて怨みを忘れることができるのだと説いている。


同じこと言ってるやないかい^^

不変の真理なりか・・^^

『忍を行じろ』つまり・・「そのイヤな感じを味わうわけです。」

うわっ^^
2020年01月25日 02:30
・・ということで・・寝る^^
2020年01月25日 03:59
忍辱波羅蜜と夢の中で出てきた^^

なんぞこれ^^
2020年01月25日 04:07
初学者は業障が重く、煩悩の習気(じっけ)が深いものです。それはどうすれば良いでしょうか?忍辱波羅蜜を修めて、耐え忍ばなければなりません。耐え忍ぶことで少しずつ落ち着き、心が定まります。ですから忍辱は禅定の前方便です。六波羅蜜の中には忍辱、精進、禅定がありますが、耐え忍べなければ進歩しません。耐え忍んでこそ進歩するのです。布施はあなたに放下することを教えます。大乗教ではよく言われます。あなたが放下できるなら、本当に成就するかどうかは、忍辱波羅蜜ができるかどうかにかかっています。「忍」(忍耐)があってこそ「定」(じょう=禅定)が身につき、「定」が身についてこそ「慧」(智慧)が開きます。智慧を開くことが成就です。
2020年01月25日 06:35
忍辱やな^^
2020年01月25日 06:59
不識やな・・^^
2020年01月25日 07:02
いやいや諦察法忍やな・・・^^
みゅう
2020年01月25日 07:05
あ さん
  
変わってないようなので、もとにもどします。

例えば、安心感とか、変わらない良さもあるにはある、、、
2020年01月25日 07:22
聖諦現観において、忍と智は交互に働き、忍は無間道であり、
智は解脱道であるので,「無間道におて煩悩を断ずる慧のはたらきを忍といい
、解脱道において真理を証するはたらきを智という」

忍も智の性か・・^^

忍だけでは不十分・・智も必要なのか・・^^

なるへそ^^

あっ・・みゆうさん^^

おはよ^^
2020年01月25日 07:25
うわっ^^

遊んでたらもう朝だ^^
2020年01月25日 07:28
変わってないようなので、もとにもどします。

例えば、安心感とか、変わらない良さもあるにはある、、、

なにをもどすの?
2020年01月25日 07:39
親切にすることを考えてたら・・^^

三種の忍まできた^^

世の中変化してるけど・・^^

どない変化したんやろ^^


三種の忍(耐怨害忍・安受苦忍・諦察法忍)の忍。

耐怨害忍  他人の怨み・加害・侮辱などに耐え忍ぶこと
安受苦忍  苦を受け止めて耐え忍ぶこと
諦察法忍  深遠な教えを観察思惟して存在の真理を決定的に知ること
2020年01月25日 07:45
「忍」(忍耐)があってこそ「定」(じょう=禅定)が身につき、「定」が身についてこそ「慧」(智慧)が開きます。智慧を開くことが成就です。

忍も智の性とはこのことか・・^^
2020年01月25日 07:47
では寝不足で浄土に行ってきます^^
2020年01月25日 08:01
「無間道におて煩悩を断ずる慧のはたらきを忍といい・・」

耐え忍ぶのも慧のはたらきか・・^^

慧がないと耐えることがでけへんということかな^^

ということは・・おいら慧がないので無理ということやな・・^^

やっと結論でた^^

みゅう
2020年01月25日 08:03
あ さん

>なにをもどすの?

しょうがないなあ。

いつか、コンビ組んで仏教漫才やりましょう。

受けないだろうね、、、
2020年01月25日 08:14
受けなかったけど^_^

何か?^_^
2020年01月25日 13:01
第一段階は Aphrodite的女性支配である。バハオーフェンはどの民族においても、無秩序な両性関係と娼婦性的生活の存在した痕跡のあったことを指摘している。正確に言えば、バハオーフェンは、この第一段階を母権制以前の低次の段階と位置づけ、第二段階以降を紀律化された高次の段階と区別している。人類の始原において無秩序な両性関係と神殿娼婦が存在していたことを記述している。(……)

中間段階は Amazon的女性支配である。始原の無秩序な両性関係は、いずれ、男性の横暴な性欲によって品位を奪われることになる。女性たちは安定した地位と純粋な生活を求め絶望の果てから武器を取り、抵抗とへ駆り立てられた。これが Amazon的女性支配にならざるを得なかった背景である。Amazon的女性支配は、月女神に従い、永遠に満ちかける月の表情 は、まさに死をもたらす恐ろしい Gorgonの三姉妹の表情であった。しかし、Aphrodite的女性支配、Amazon的女性支配を支えた食料事情は、野性的・自然的生産に依存し、「母なる大地」から成長する「野生生物」頼りの泥土的沼沢地生活であったが、やがて農耕生産に移行していく。

第二段階は、Demeter的女性支配である。穂や穀粒、根菜、果樹などの植物を中心にした農耕生活は、 農耕神の Demeterと女家長の女性支配の下での紀律ある婚姻制度を生み出すことになった。農耕生活には 男手を必要とする。そこで、厳格な紀律に従う婚姻制度ができたのである。仕事の手順はすべて女性が決める。それは、季節、月、週がすべて、「宇宙原理=自然原理=女性原理」でとらえることができるからである。しかし、バハオーフェンによれば厳しい紀律の Demeter的女性支配と自由で自然な Aphrodite的女性支配との間に長い対立があったのであり、葡萄栽培の普及と葡萄酒の祭りの Dionysus宗教が広がるにつれて、女性たちを再び Aphrodite的性の解放に目覚めさせたのである。

中間段階は Dionysus宗教支配である。Demeter的 女性支配は、婚姻制度を敷くことにより、男性に家族、社会における役割を与え、男性もよくその期待に 応えた。しかし、Dionysus宗教は、女性たちを Aphrodite的原理に回帰させることになり、男性たちの尊厳を奪いさってしまったのである。ここに紀律ある Demeter的母性を象徴する麦穂とパンが、再び生殖の神の豊かな果実を象徴する葡萄酒の前に屈したのである。Aphroditeと Dionysusらが手を結んだミルクと蜜と水が再び官能的なトランス・エクスタシーの境地を与えてしまったのである。男性たちは、 Demeter的原理の下で得た幸せをいかにして取り戻すか。そこで第三の Apollon的段階への移行が始まるのである。

第三段階は Apollon的男性支配の原理である。紀律を遵守するということは精神性、道徳性の問題である。男性たちは男神を創造し、男神に支えられながら精神性の高い「父性的―天界的」原理を立てて父系で家父長制(patriarchy)の父権制社会への転換を企てたのである。 バハオーフェンは、母権制社会から父権制社会への移行を文明の進歩と認識しておりながら、母系による女性支配の母権制に強い愛情を寄せている。
2020年01月25日 13:01
第一段階:アフロディア Aphrodite的女性支配
(中間段階:アマゾーヌ Amazon的男性排除)
第二段階:デメテール Demeter的女性支配
(中間段階:ディオニソス Dionysus的女性解放)
第三段階:アポロン Apollon的男性支配
2020年01月25日 13:03
悟りとは、前世、デメテル段階で得た幸福を、アポロン段階で取り戻すことなんだな。
地球人
2020年01月25日 13:47
忍耐?

悟ってないね、、自我に囚われている。笑

地球人
2020年01月25日 14:11
学識では悟れない。自我が大きくなるだけです。

何で、皆さんは坐禅、瞑想をしないのかな?

基本が大事だから、公共の教室で坐禅を学んだほうがいい。

地球人
2020年01月25日 14:23
坐禅をできない人は、じ~と、只、坐ってることが我慢できない。

それが自我なのです。
地球人
2020年01月25日 14:27
そこで、忍耐で我慢しようとしては坐禅はできない。
地球人
2020年01月25日 14:31
忍耐が自我だと気づいて、我慢するのを止めるのです。

楽になります。それが無我です。
通行人
2020年01月25日 14:56
空っぽ! だわ。^^
地球人
2020年01月25日 15:15
空っぽ!になったからと言って、バカ、アホになるわけではない。

自我の知ではなく、アリストテレスが言ったあるがままの「無知の知」が働くから大丈夫。笑
地球人
2020年01月25日 15:26
今まで学んだ知識も真に生きてくる。
通行人
2020年01月25日 15:43
あんた、、禅宗の寺からお金貰って宣伝してるんじゃないか?
地球人
2020年01月25日 15:45
家は仏教だけれども、禅宗ではない。笑
通行人
2020年01月25日 15:55
えっ、お寺のなの?
2020年01月25日 15:58
土 水 火 風 空

物質 感情 思考 直観 空性


この5つの段階がある。

地球人
2020年01月25日 15:59
違うよ、ぜんぜん熱心な信者ではないが、世襲だから仕方ない。笑
地球人
2020年01月25日 16:04
>物質 感情 思考 直観 空性

物質 → 感覚 → 感情 でしょう。
地球人
2020年01月25日 16:13
感情 → 思考 → 直感(気づき)→ 無我 → 空住
地球人
2020年01月25日 16:24
思考(自我) → 苦悩 → 坐禅・瞑想 → 直感(気づき) → 無我(悟り) → 空住 
地球人
2020年01月25日 16:35
空住で終わりではなくて・・・

色即是空(往相)→ 空即是色(還相) 完!
無字
2020年01月25日 16:42
愚さんの教えは具体的、且つ実践的でとても役に立ちます。

ところで嫌な感じ味わうの味わうですが、
なんらかの対象に触れた途端、その嫌な感じはぐるぐると回ってきます。同時に身体的感覚、お腹が熱い、力が抜ける感じ、引っ張られる感覚。
それらの感覚から逃げる事なく、共にいるという
感じでしょうか。

地球人
2020年01月25日 16:48
感覚はセンサーで感覚がないと気づかない。
通行人
2020年01月25日 16:53
感覚が無いと、熱湯に手を入れて火傷するね。^^
通行人
2020年01月25日 17:45
>空住で終わりではなくて・・・
>色即是空(往相)→ 空即是色(還相) 完!

往相の色と環相の色は全く違う。

環相の色は仏! 本来仏であったか、^^v
地球人
2020年01月25日 18:20
本来仏性は後付けの気づき。笑

通行人
2020年01月25日 19:17
で、真に悟って仏になったのか?^^
地球人
2020年01月25日 19:49
仏? まだ、もう少し生きていたいが、、
通行人
2020年01月25日 21:25
生死の肉体に執着しているのだから、色即是空を悟ってないでしょ。^^
地球人
2020年01月25日 22:04
色即是空とは、宇宙全体の視点なのです。

しかし、個体の私は肉体を持って存在している。肉体が死滅すれは、私の意識は消滅する。死ぬ時が来れば死を受け入れるが、生きている時は生を欲する。生物として自然だ。死を望むのであれば不自然だ。
通行人
2020年01月25日 22:17
理屈を言ってるだけで、肉体が私だと思ってるじゃないか。^^
名無しさん
2020年01月25日 22:22
ツイッター通知ありがたいです
地球人
2020年01月25日 22:23
きみの脳と同化することはできないよ。笑
地球人
2020年01月25日 22:36
私とは知能だ。老化して重度の認知症になると、私は消滅する。
地球人
2020年01月25日 22:46
此処は愚さんのブログでしたね。忘れてた。
地球人
2020年01月25日 23:04
最後に一言だけ。

私、自我とは、頭脳が想像した仮象ですね。
2020年01月26日 12:39
真我を実現した人は、世界を彼自身と異なったものとしてみていないのである。
交わるべき他の人など存在しない。ただ真我だけが存在しているのである。


http://kuboakoru.web.fc2.com/lamananokotobaitilann.html

世界を彼自身と異なったものとしてみていない^^

真我を実現した人=愚さんになる^^

うわっ^^
2020年01月26日 12:41
そうなると・・

富士山=私

あなた=私

みんな私となる^^
2020年01月26日 12:43
ちょっと持ち上げすぎた感がある^^
2020年01月26日 12:49


>無字さん
>
>愚さんの教えは具体的、且つ実践的でとても役に立ちます。
>
>ところで嫌な感じ味わうの味わうですが、
>なんらかの対象に触れた途端、その嫌な感じはぐるぐると回ってきます。同時に身体的感覚、お腹が熱い、力が抜ける感じ、引っ張られる感覚。
>それらの感覚から逃げる事なく、共にいるという
>感じでしょうか。
>
そうです。嫌な思い出、失敗、嫌いな人との出会い、そういったことが引き起こすイヤな感覚、それとともにいるということです。もちろん、肉体的なものも含まれます。
地球人
2020年01月27日 15:10
>そうです。嫌な思い出、失敗、嫌いな人との出会い、そういったことが引き起こすイヤな感覚、それとともにいるということです。もちろん、肉体的なものも含まれます。


何故、嫌な感覚は消滅しないのですか? これは愚問ですが、、

それは、坐禅をしないと消去できないのですか?

他に方法はないのですか?



2020年01月27日 17:46

>地球人さん
>
>>そうです。嫌な思い出、失敗、嫌いな人との出会い、そういったことが引き起こすイヤな感覚、それとともにいるということです。もちろん、肉体的なものも含まれます。
>


>
>何故、嫌な感覚は消滅しないのですか? これは愚問ですが、、
>
>それは、坐禅をしないと消去できないのですか?
>
>他に方法はないのですか?
>
もちろん、坐禅しなくてもかまいません。嫌な感覚は消化しきれれば、消えます。

まず、ご自分でやってみてください。どうなるか?という議論をしてもあまり意味がありません。
すべては実践が優先します。
地球人
2020年01月27日 18:15
>まず、ご自分でやってみてください。どうなるか?という議論をしてもあまり意味がありません。
すべては実践が優先します。

経緯はこうなのです。

坐禅をやってみて、忘れていた嫌な記憶を思い出したのです。

そうか、私は傷ついたのだな。

それで、他に方法はなかったのか? と考えたのです。

時系列からは方法はなかったことになりますが、笑

2020年01月27日 18:25


>地球人さん
>
>>まず、ご自分でやってみてください。どうなるか?という議論をしてもあまり意味がありません。
>すべては実践が優先します。
>
>経緯はこうなのです。
>
>坐禅をやってみて、忘れていた嫌な記憶を思い出したのです。
>
>そうか、私は傷ついたのだな。
>
>それで、他に方法はなかったのか? と考えたのです。
>
>時系列からは方法はなかったことになりますが、笑
>
了解です。要点は、傷の痛みを十分に味わうこと、それだけです。坐禅はお勧めですが、必要条件ではありません。

ひたすら、その苦痛に耐えること、そうすれば、傷が癒されていくのがわかります。早い話が、過去に味わうべき苦痛を逃げていたわけで、いま、そのつけが来てるんです。

受けて立とうじゃありませんか・・・・傷は癒えます、癒さなければならないのです。
地球人
2020年01月27日 18:46
>了解です。要点は、傷の痛みを十分に味わうこと、それだけです。坐禅はお勧めですが、必要条件ではありません。
>ひたすら、その苦痛に耐えること、そうすれば、傷が癒されていくのがわかります。早い話が、過去に味わうべき苦痛を逃げていたわけで、いま、そのつけが来てるんです。
>受けて立とうじゃありませんか・・・・傷は癒えます、癒さなければならないのです。

その通りです。

坐禅で気づいた時に理解したのはこうなんです。

私は傷ついた時に傷ついた感情を放置してしまったのです。時間の経緯と共に消滅したと思っていたが、傷ついた感情は深層化してしまった。けっして忘れたわけではなかった。逃げていただけです。



2020年01月28日 00:50


>地球人さん
>
>>了解です。要点は、傷の痛みを十分に味わうこと、それだけです。坐禅はお勧めですが、必要条件ではありません。
>>ひたすら、その苦痛に耐えること、そうすれば、傷が癒されていくのがわかります。早い話が、過去に味わうべき苦痛を逃げていたわけで、いま、そのつけが来てるんです。
>>受けて立とうじゃありませんか・・・・傷は癒えます、癒さなければならないのです。
>
>その通りです。
>
>坐禅で気づいた時に理解したのはこうなんです。
>
>私は傷ついた時に傷ついた感情を放置してしまったのです。時間の経緯と共に消滅したと思っていたが、傷ついた感情は深層化してしまった。けっして忘れたわけではなかった。逃げていただけです。
>
それはよかった
地球人
2020年01月31日 16:13
>そうなると・・

>富士山=私

>あなた=私

>みんな私となる^^

みんな私となった感想は?
地球人
2020年02月01日 21:49
親切に自他分別が無くなります。

親切にするのは気持ちいい。
2020年02月01日 21:59


>地球人さん
>
>親切に自他分別が無くなります。
>
>親切にするのは気持ちいい。

そうですね・・・・・わたしは、以前は、意識してする親切は親切でないと否定していました。他人のために、してあげたという意識がある限り、かえって害になるという理由です。自我を強めるという理由です。

いまは、意識的にでも親切はすべきだと思っています・・・・・もちろん、親切ともしらない親切が最高ですが・・・・親切と意識することは、自分の条件付けを意味します。だから、親切への抵抗感で、自分の条件付け、業がわかるわけです。

つまり、自分を知ることができるわけです。自我を強めてもいいじゃありませんか、それを知ることができればおのずから、突破しますからね