日常性の中で精神を空っぽにすることは可能か?

> 私は、生計を立てている現役生として、収入(金銭)や体面(職場の人間関係)に執着しています。

 一番下の子が社会へ巣立ったら、引退して収入や体面に拘らない環境に居ようと予定しています(後、数年後)。

 生計を立てている現役生が、からっぽの精神に近づくすべはあるのでしょうか。。?


出来ます。環境を変えたところで、また、別の問題が出てくるでしょう。状況はよくなるかもしれませんが、本質的な解決にはならないと思います。

人間関係でいえば、まず、耐えることです。どんなことがあっても、ひたすら、耐え忍ぶんです。そして、その苦痛を十分に味わうことです。抑圧せずに味わうんです。最初は、大変でしょうが、だんだん、できるようになってきます。

そして、だれに対しても、親切であること。裏切られようが、陰口を言われようが、無理してでもいいですから、親切にすること。

つらい作業でしょうが、得るものは大きいです。そうすると、対面を気にせずに、それでもって、世間的な困難もなく、過ごすことができるようになります。クリシュナムルティでいえば、自己を制御することなく生きていけます。楽ちんです。

収入の問題については、執着があれば、不安があります。心配があります。ここで、心配をわざとします。嫌なことを予想するわけです。非常にイヤな感じがします。お金がなくなったときをイメージします。徹底、心配します。意気込みとしては、24時間、お金のことを心配してやるぞ、というような心意気です。

このイヤな感じを味わい尽くします。思い出しては、心配し、イヤな思いを味わうわけです。力いっぱい、身体全体で味わいます。クリシュナムルティでいえば、観察者のいない観察です。

これで、執着が落ちていきます。もちろん、お金が余計に入ってくることはないと思いますが、こころは晴れやかになります。執着があったところで、お金が余計に入ってくるわけでもありませんしね・・・・

このプロセスの中で、条件付けが解けていきます。ですから、職場を通して、条件付けを解いていくわけです。
そうなれば、うっとうしい職場が、自己を解放してくれる道場に変わります。

よろしければ、どうぞ、今日から実行してみてください。やってみて、要領がわかれば、ほかのことにも応用できます。こころの傷も消えます。過去から自由になっていきます。

日常性に基づき、自分で体験すること、これがもっとも効果的で、実践的だと思います。決して、本に書いてあるような、空理空論ではないからです。

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この記事へのコメント

2020年01月22日 07:46
サウナに入り熱さに耐える^_^

外に出て水風呂に入る^_^

苦が滅しなんとも言えない爽快感になる^_^

構造的にどう違うのか^_^
2020年01月22日 10:08
一般の人は苦に対する耐性がないと言うことか^_^

おいら毎日サウナで苦に耐えているけど^_^

何か?^_^
宮啓
2020年01月22日 16:05
 >人間関係でいえば、まず、耐えることです。どんなことがあっても、ひたすら、耐え忍ぶんです。そして、その苦痛を十分に味わうことです。抑圧せずに味わうんです。最初は、大変でしょうが、だんだん、できるようになってきます。

そして、だれに対しても、親切であること。裏切られようが、陰口を言われようが、無理してでもいいですから、親切にすること。

つらい作業でしょうが、得るものは大きいです。そうすると、対面を気にせずに、それでもって、世間的な困難もなく、過ごすことができるようになります。クリシュナムルティでいえば、自己を制御することなく生きていけます。楽ちんです。--


 人間関係に伴う「苦痛」を抑圧せずに味わう。

 一般的には、「苦痛」を回避するために体面を調整します。自己をコントロール(制御)して「苦痛」を回避する。しかし、計算通り回避できずに、怒り・恨みの念を抱くことが絶えたことがありません。

 これに対して、自己をコントロールせずに、人間関係で傷つく、「苦痛」をなめる。

 やってみたいと思います。

 体面は自我と直結しているので、深いところの条件付けが落ちるかもしれません。


 収入(金銭)も自我と直結しているように感じます。人は収入のためには身体を削って働きます。
 クリシュナムルティは、生計活動と同じくらい真理探究に熱意をもって欲しい旨を述べていました。

 自我と直結している「お金」も「体面」のときと同じように、「苦痛」を味わってみます。


 あと「死」と「異性」も自我と直結しているようで・・、これに関しても「苦痛」を観察者無しに味わうという手法が、深いところの条件づけを落とすことに役立つかもしれません。 
2020年01月22日 18:09
愚さん「悩みきる」

おいら「任せきる^^」

2つに1つや^^

2020年01月22日 18:18
うん?

「苦痛」を味わうだと・・^^

それが快楽になるで・・^^

知らんけど^^
2020年01月22日 18:28
「言い換えれば、あなたは、知恵があるためには思考が終らねばならない、とおっしゃっているわけですね。しかし、いかにして思考を終らせたらよいのですか?」


 いかなる種類の規律、訓練、強制によっても、思考の終焉はない。思考者は思考であり、そして彼は、彼自身に作用を及ぼすことはできない。作用するとしたら、それは単なる自己欺瞞にすぎない。彼は【即】思考であり、彼は思考と別個のものではない。彼は、彼が異なっていると思いこみ、似ていないふりをするかもしれないが、しかしそれは、それ自身に永続性を与えようとする思考の狡猾さにすぎないのだ。思考が思考を終らせようと試みるとき、それは単にそれ自身を強めるにすぎない。どうあがこうと、思考はそれ自身を終わらせることはできない。このことの真理が悟られるときにのみ、思考は終わる。あるがままの真理を見ることの中にのみ自由があり、そして知恵は、その真理の知覚である。あるがままは決して静止的でなく、そしてそれを受動的に注視するためには、あらゆる蓄積物からの自由がなければならない。


へー^^
2020年01月22日 18:34
「知恵があるためには思考が終らねばならない」

なんか考えながら仕事してる人がいるんだけど・・^^

遅くてよく間違える^^

仕事のできる人は考える前に体が動きしかも間違えない^^

こういうことか^^?
Bananafisah
2020年01月22日 21:12
愚さん、人に親切にすることと、空っぽにすることは
どう繋がっていますか?教えてください。
地球人
2020年01月22日 21:22
知恵・智慧とは、判断、処理、思考などが的確にできる能力。要するに、対象を正しく理解してるということです。
大平
2020年01月22日 21:59
かっこよくないので、彼女からサツマイモといわれてます。
たーぼー
2020年01月22日 23:00
<いかなる種類の規律、訓練、強制によっても、思考の終焉はない。思考者は思考であり、そして彼は、彼自身に作用を及ぼすことはできない。作用するとしたら、それは単なる自己欺瞞にすぎない。彼は【即】思考であり、彼は思考と別個のものではない。彼は、彼が異なっていると思いこみ、似ていないふりをするかもしれないが、しかしそれは、それ自身に永続性を与えようとする思考の狡猾さにすぎないのだ。思考が思考を終らせようと試みるとき、それは単にそれ自身を強めるにすぎない。どうあがこうと、思考はそれ自身を終わらせることはできない。このことの真理が悟られるときにのみ、思考は終わる。あるがままの真理を見ることの中にのみ自由があり、そして知恵は、その真理の知覚である。あるがままは決して静止的でなく、そしてそれを受動的に注視するためには、あらゆる蓄積物からの自由がなければならない。


地球人さん、こんばんは。勝手に引用させてもらいましたが、
このクリッシュナムルティ の「あるがままの真理を見ることの中に自由があり」
これが中道なんですよ。
仏陀のいう中道とこのクリッシュナムルティ のいうあるがままの真理とは同じです。
仏陀とクリッシュナムルティ は同じタイプだと思います。
でもこれは私がどう書いたところで、自分で納得しないと仕方ないわけです。
私のいうことが嘘かもしれないし、納得するのは自分が納得するしかないからです。
それは知的な理解で納得出来るものではないと思います。でも頭の知識を減らしていけば頭がスッキリしていきますし、思考も減って集中力がついきますからまずそれをやるのがいいと思います。
寺まで行って座禅するのは大変じゃないですか。みんな仕事で忙しいのに。だから日常的にやれるやり方でやるのが一番だと思います。
地球人
2020年01月22日 23:41
クリシュナムルティの本なら一つ持ってます。
彼の体験日記ですが、感覚的な体験で理解できなかった。笑
一般人ではわからない何かを知覚していたのでしょう。
地球人
2020年01月23日 00:17
ついでだから、一つ載せましょう。
分かるなら解説してください。

<空っぽ>にちなんで!

九日

飛行機の中のあらゆる騒音、煙や声高な会話の真っ只中に座っていた時、あまりにも突然に、あのL家で感じた<広大な広がり>の感覚と言い知れぬ至福、あの神聖さの感覚が起こり始めた。だがこれはすべてのことにもかかわらず、それはそこにあった。圧迫と締めつけは強烈で頭の後部には鋭い痛みがあった。この状態だけが存在しており、観察者はいなかった。全身が完全にその中にあり、神聖さの感覚はあまりにも強烈だったため、隣りの座席には乗客がいたが、体からは呻き声が漏れた。それは数時間続き、夜遅くまで続いた。それはあたかも、人が今見ているばかりでなく、幾千世紀にもわたって見ているかのようだった。全く不思議な出来事であった。頭脳は完全に空っぽで、すべての反応は停止していた。このことが起こってる間、人はこの空に気づいておらず、書くことによってのみそれは知り得るものとなっている。だがこの知識は単なる記述であり、リアルではない。頭脳と自己を空っぽにできた奇妙な現象である。・・・・・※注釈 クリシュナムルティは自分自身のことを三人称でone(人)と呼んでいる。

<クリシュナムルティの神秘体験>より抜粋  
地球人
2020年01月23日 00:42
確かに、中道はあるがままに観て理解することが必要条件です。
地球人
2020年01月23日 00:49
クリシュナムルティの体験はよく理解できないが、坐禅は確かに「空っぽ」になります。
たーぼー
2020年01月23日 01:26
<飛行機の中のあらゆる騒音、煙や声高な会話の真っ只中に座っていた時、あまりにも突然に、あのL家で感じた<広大な広がり>の感覚と言い知れぬ至福、あの神聖さの感覚が起こり始めた。だがこれはすべてのことにもかかわらず、それはそこにあった。圧迫と締めつけは強烈で頭の後部には鋭い痛みがあった。この状態だけが存在しており、観察者はいなかった。全身が完全にその中にあり、神聖さの感覚はあまりにも強烈だったため、隣りの座席には乗客がいたが、体からは呻き声が漏れた。それは数時間続き、夜遅くまで続いた。それはあたかも、人が今見ているばかりでなく、幾千世紀にもわたって見ているかのようだった。全く不思議な出来事であった。頭脳は完全に空っぽで、すべての反応は停止していた。このことが起こってる間、人はこの空に気づいておらず、書くことによってのみそれは知り得るものとなっている。だがこの知識は単なる記述であり、リアルではない。頭脳と自己を空っぽにできた奇妙な現象である。・・・・・※注釈 クリシュナムルティは自分自身のことを三人称でone(人)と呼んでいる。



やっぱり仏陀と同じタイプだ。
この頭脳と自己を空っぽに出来た奇妙な現象というの仏陀と同じ智慧解脱なんです。
柳は緑、花は紅というのが禅的な悟りらしいですが、これは私の推測だと頭が落ちてないんだと思います。身心脱落で体は落ちるんだと思うんですが、頭が落ちてないから違う景色になってくるんだと思います。
いずれにしろ心が作り出す現象です。

スッタニパータ727
かれらは、心の解脱を具現し、また智慧の解脱を具現する。かれらは(輪廻)を終滅させることができる。かれらは生と老いとを受けることがない。

987
かれは頭のことを知っていません。かれは財を欲しがっている詐欺者なのです。頭のことも、頭の落ちることも、かれらは知ってはいないのです。

だから仏教を頭の知識で学ぶのは、よくよく注意しないといけないと思います。
知識、経験の記憶の束が自分の想念の出元ですから色々勉強したあげく、頭でっかちになって自我もでっかちになっているだけという可能性が高いと思います。
地球人
2020年01月23日 01:52
「衆生本来仏なり」「衆生悉有仏性」。十牛図もあります。
「見性成仏」か・・・
見性とは、人間に本来そなわる根源的な本性を徹見すること 。性は本来、煩悩に汚されることはなく、それ自体で清浄なものであり、この自性清浄心に気づくことを指す。

そういえば、某掲示板で仏教知識はやたら詳しいが、悟りにかすりもしない人もけっこう居ました。知識だけではなく見性体験が必要なのでしょう。笑
たーぼー
2020年01月23日 03:30
そういえば、某掲示板で仏教知識はやたら詳しいが、悟りにかすりもしない人もけっこう居ました。知識だけではなく見性体験が必要なのでしょう。


仏教知識も見性体験もいらないです。
あってもいいんだけど、普段日常で生活する上で想念の出元になっていたら、その経験と知識は捨てたほうがいいと思います。確固とした自己を作ってしまうから。
例えばヤフー掲示板でも沢山そういう人いましたけど、仏教知識がやたら詳しい人はおそらくその仏教知識で理論武装して確固とした自信の持てる自分を作りたいんだと思うんです。でもこれが罠で無量である事が本来なんです。だから確固とした自分を作れば作るほど自分という固まりが出来て苦しくなるんです。だから仏陀は一切の形成されるものは苦だと言ったわけです。この無量が本来であるということは一度経験しないとわからないんです。でも普通の人でもはっきり分かる方法があって頭の知識経験をどんどん捨てていくと楽になります。この世は固まりが無くなれば無くなるほど本質に近づいて楽になるんです。無量に気付くまでは中々いかなくても頭の知識経験の記憶が減るだけで楽になるんです。まず日常に関係ない知識や仕事に関係ない知識から捨てていくといいと思います。
2020年01月23日 04:43
仏典は読むのではなく確認するためにあるんだなこれが^_^

地球人
2020年01月23日 13:24
ともかく学識では悟れない。煩悩の自我が巨大化するだけです。

そう、学識は確認です。
地球人
2020年01月23日 13:30
単に知識欲だけでなく、真剣に学べば、気づきの援助はしてくれる。

地球人
2020年01月23日 14:33
クリシュナムルティを知りたかったら、超感覚の精神は理解できない部分もあるが彼の脳内、精神構造を知りたかったら、「クリシュナムルティの神秘体験」は良い本です。絶版ですが、アマゾンで検索したら中古品で1000程から出品していた。笑 デヴィッド・ボームとの対話もあったのだが、部屋のどこかに埋もれて見つからない。笑

本の一部、紹介します。

「思考は記憶であり、記憶は蓄積された反応である。従って思考は、いかに自由であると想像してみても、常に条件づけられている。思考は機械的であり、それ自身の知識の中心に拘束されている。思考は機械的であり、それ自身の知識にの中心に拘束されている。思考の及ぶ範囲は知識に依存している。知識とは常に昨日の、過ぎ去ってしまった運動の残りものである。思考はそれ自身を未来の中に投影することができるが、それは昨日に拘束されている。思考はそれ自身の監獄を作り上げてその中に住む。それが未来の中にあろうと、着飾っていうようと質素であろうと。思考は決して鎮まることができず、その本質上まさに落着きのないものであり、常に進出と撤退とを繰り返している。その思考という機械装置は、ある時は静かに、ある時は表面で、ある時は深層で、絶えることなく動き続けている。それは擦り切れるということがない。思考はそれ自身を洗練し、行く手を制御することができる。方向を選択することができ、環境に適応することができる。
思考はそれ自身を超えられない。それは狭い、あるいは広い範囲において機能するかもしれないが常に限界づけられている。記憶は心理学的、内的に死滅しなくてはならず、ただ外面的にのみ、機能せねばならない。内面には死が必要であり、外面的にはあらゆる問題と反応に敏感であらねばならない。思考の内面的な関心は行為を妨げる。」
地球人
2020年01月23日 14:38
たーぼーさん、

他者の学識も参考にはなるのです。手間が省けますからね。笑

知識は確認したら要らなくなるのです。
地球人
2020年01月23日 15:01
たーぼーさんへ

「あるがまま」とは何ですか?
たーぼー
2020年01月23日 19:21
他者の学識も参考にはなるのです。手間が省けますからね。笑

知識は確認したら要らなくなるのです。



こんな本読んで手間が省けるなんて発送では全然ダメです。
分かるとは頭で理解するって事ではないんです。体全体で分かるんです。
だから禅だろうとヨガだろうと独覚だろうと自分で骨を折らないと無理です。
地球人
2020年01月23日 20:10
>こんな本読んで手間が省けるなんて発送では全然ダメです。
分かるとは頭で理解するって事ではないんです。体全体で分かるんです。
だから禅だろうとヨガだろうと独覚だろうと自分で骨を折らないと無理です。

解らない人は体験するしかありません。
地球人
2020年01月23日 20:24
もちろん、私も坐禅をして思考を観察しました。
地球人
2020年01月23日 20:42
「クリシュナムティの神秘体験」は本当に良い本です。私も一部しか理解できてない。 中古本1000円程から買えますが、絶版ですから早い者勝ちです。

たーぼー
2020年01月23日 20:58
もちろん、私も坐禅をして思考を観察した。


地球人さん、お仕事はされているんですか?本気でやるつもりがあるなら、やり方を教えてもいいです。
たーぼー
2020年01月23日 21:50
私もそのやり方で3カ月かかりました。
そのくらいの覚悟でやるつもりがあるなら教えます。
詳細は電話で話します。
地球人
2020年01月23日 21:57
坐禅歴は長いです。最初はお寺で参禅しました。

坐禅も奥が深いです。自我をありのままに観るのは・・・

最近、自我苦はあまり感じません。

たーぼーさんはどうですか?



地球人
2020年01月23日 22:01
たーぼーさんは、自己主張の強い人に観えますが、

その自己主張とは何だと思いますか?
たーぼー
2020年01月23日 22:14
分かりました
地球人
2020年01月23日 22:24
了解しました。

地球人
2020年01月24日 00:34
あるがままの真理とは三法印です。

「一切の形成されたものは無常である。」(諸行無常)と明らかな智慧をもって観るときに、人は苦しみから遠ざかり離れる。

「一切の形成されたものは苦しみである。」(一切皆苦)と明らかな智慧をもって観るときに、人は苦しみから遠ざかり離れる。

「一切の事物は我ならざるものである。」(諸法非我・無我)と明らかな智慧をもって観るときに、人は苦しみから遠ざかり離れる。

以上の三法印を理解したしたら煩悩は去って涅槃寂静に至る。 現世の仏教はこれで終了です。八正道の実践は衆生に対してのお付き合いです。


通行人
2020年01月24日 01:25
三法印は完璧だ。反論の余地がない。

反論すれば、自我に執着してるって事だから。^^