11月28日KB会のお知らせ

11月28日(木)KB会のお知らせ

 次回KB会は次の通りです

11月28日(木曜)18:30より20:00・・・途中入退出自由
(その次は、12月27日(金曜)を予定しております)

港区立生涯学習センター(ばるーん)205教室
http://www.city.minato.tokyo.jp/shisetsu/toshokan/shogaigakushu/01.html
https://goo.gl/maps/bjTUUvVcBxC2

そのあと、近所のジョナサンを予約してあります
こちらだけの参加も歓迎です
https://store-info.skylark.co.jp/jonathan/spot/detail?code=020421&_resl=true

今月の題材を募集します。身近な話題が歓迎です。

前回までで、残されているものおよび新たなものは

「臨済の四料揀」を解説して欲しいです。
なんかハッキリ理解出来ないので。

平等と差別も時間があればお願いします。

平等は本来一つで、差別は因縁によって違う。
でいいですかね?

富士山はわたしか?

不満の炎

なお、量子コンピュータについてというリクエストがありましたが、理解できましたら、ご説明します。


渡辺 充
090-4064-3765

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この記事へのコメント

カムイ
2019年11月21日 20:13
こんばんは
色即是空と縁の関係を教えて頂きたいです。

空は即今で変化しない。色も今なんですが諸行無常で変化する。
この変化が縁ですよね?
空から縁と言うエネルギーみたいなものが出て色が変化するのでしょうか?
カムイ
2019年11月21日 20:22
あと、シリョウケンわたしが出したんですが却下お願いします。
カムイ
2019年11月21日 21:46
身近な話題ですか。
わたしは、素直で優しいとよく言われます。
ただ、なんかすぐ人を信じちゃうんで、簡単に騙されちゃって嫌になります。
カムイ
2019年11月22日 08:47
愚さん恋してますか?
わたしは久しぶりに恋をしました。
苦とわかりながら止まらない、困っちゃいます。

今すぐ逢いたい その笑顔に
あなたを包むすべてが やさしさで溢れるように
わたしは強く迷わず あなたを愛し続けるよ
どんなときも そばにいるよ
大平
2019年11月22日 09:24
亭主とか女房なんてえものは、一人でたくさんなもので、これはもう人生の貧乏クヂ、そッとしておくもんですよ。…惚れたハレたなんて、そりや序曲といふもんで、第二楽章から先はもう恋愛などゝいふものは絶対に存在せんです。哲学者だの文士だのヤレ絶対の恋だなんて尤もらしく書きますけれどもね、ありや御当人も全然信用してゐないんで、愛すなんて、そんなことは、この世に実在せんですよ。(坂口安吾『金銭無情』1947年)
snow(赤い実)
2019年11月22日 09:37
カムイさん、おひさしぶりです。 snowというのは、ヤフーでは赤い実という名前だった人です。(笑)

え~となんだっけ、そうそうプラトニックだ、そういう感情はけ体内のエネルギーが燃え盛ってる証拠なのかもですね。
私なんかもう枯渇してて(笑)、「あ、素敵。。」とかいう気持ちもそう長くは続かずすぐ消えます。(芸能人やスポーツ選手とかにだけどね。)

心の中であれこれしのぶように想う・・・というのが一番たのしいものかもですね。
もし叶ったとしても、夢と現実は違う、→ボロボロ。。。なんてことはありがちかもですね。

いきなりレスしてごめんなさい。 スルーでオッケーです。
失礼しました。
カムイ
2019年11月22日 09:39
赤い実さんなんですね、お久しぶりです。

女性は怖い生き物ですね。
わたしのようなタイプは近づいてはいけないかもしれません。
明日は明日
2019年11月22日 11:34
輪廻転生もお願いします。順番待ちになるでしょうが。
カムイ
2019年11月22日 11:41
愚さんが以前おっしゃられてた
「自分を勘定に入れずに成り行き任せ」
これが人生の達人だと。
恋は良い修行になりますね。
カムイ
2019年11月22日 11:58
て事で、実践として自分を勘定に入れないコツなどがあればお願いします。
大平
2019年11月22日 13:38
質問***
悟った人たちの体験には共通する事はなんですか?

EO****
「一致現象」による主体の知り方とはどんなものであるかの問題について参考になるも
のを、古今東西の神秘家の体験を要約すれば次のようになる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
★誰でも、時には悟りは起きるが、それは自己客体化(記憶への内観)の機能が止まっ
ていて、さらには意識の存在そのものさえも意識されない時、つまり主体に目を向けて
すらいない時に限られる。しかし、その出来事は、記憶として留めることはできない。

★悟りの中では、何かを知るときに、知る者、知られる対象、知る行為そのものが、
同一で分離していない。それは、目それ自体を見る目であると言ってもよく、
どこを見ても、何を見ても『悟り』しか見えないのである。

★そこには、内面も外面もなく、その悟りがどこから来るのかを問うのは無意味である。
もしもその問いに答えたら、そのとたんに知る者と知られるものに分離が起きる。

★悟りは存在感の意識なのではなく、ただそこに在るものであり、ただそれ自身を見て
いるのである。ただしそれは、内観によって客体として意識されるものではない。
それは、一致によって知るという方法以外には体験する事は不可能である。

★『悟り』は対象化が出来ないことが原則だ。その原因はそれが記憶ではないからだ。
しかも『悟り』は自分の力で悟るのではない。そこには、それ自身を見る純粋な主体だ
けがあり、したがってこれは「私が悟った」とか「誰が悟った」とか、
「誰」に向かって与えられた悟り、というようなものでは全くないのだ。

★『悟り』では、通常の意識の場合のように多くの対象を見るのではない。
悟りの客体はただ一つであり、それがまた同時に主体そのものでもある。
したがって『悟り』は通常の対象のように、時によって見えたり、見えなかったりする
ようなものではなく、いつも今ここに在るのである。つまり、『悟り』だけが、唯一の
現実となる意識の状態にある時には、意識は個々の何ものにも注目することは出来なく
なる。その認識では最初に一なるものが見え、それから意識が具体的なものに及ぶ。

★究極の悟りは、歓喜や幻視の瞬間のような、何か得意な体験ではなく、
理由もなく沸き起こる、沈黙の微笑のようなものである。そして、悟りはどこにあるか
と言えば、いたるところにあり、悟りとは何かと言えば、ありとあらゆるものである。

★悟りの中では物事はただ全体として観照される。それは個々のものに焦点を合わせら
れない幼児の知覚にも似てる。
このように、悟りでの知覚は通常の知覚方法と違い、客体を知ると同時に主体をも知る
ことになる。たとえば、世界の中に分離した事物を見る場合でも、つまるところは、
悟りは、ただ悟りそれ自身を見ているだけなのである。
たとえば鳥を見る場合には、その鳥を見る者は私の主体ではなく、見られるものは、
客体としての鳥ではなく、どちらも悟り自身の現れの「二つの側面」なのである。
悟りの中では見るもの、見られるもの、見ることそのものの3つが一致している。

★『悟り』が経験されるのは私の内部の客体としてではなく『悟り自体』の中において
である。私が悟るのではなく、悟りがそれ自体で悟っているのである。
そこでもしも何かを言えと言われたら、『これはこれである』と言うしかなくなる。

★自己を客体化しなくても、感情や思考の動きによって自分を主体として知ると主張す
る者もいるかもしれないが、もしも自己を客体として見られなくなってしまうときには、
主体も意識できなくなるのだ。その時は、意識にとっては主体とは「無」である。
だが、そこでもしも何かを意識でもしたら、それは瞬時に客体となってしまう。

★この現在の瞬間は記憶ではないので、決して自己というものは存在しない。
そして『悟り』自身を見ているその主体は、その本性からして瞬間のみに集中していて、
内省によって発生する自己意識などを必要とはしていない。そこにあるのは自己意識以
前にあるものである。

★『悟り』は見ることは出来ず、知的には把握できない。
この主な原因は、『悟り』自体が非相対的な次元のものであり『悟り』それ自体の中に
は自己という意識がないのである。そのために自己を意識する通常の心では、それとは
一致ができないのである。

★悟りを目標とするという事は自己(エゴ)の働きである。しかし、『悟り』は期待や
観察の対象とは絶対になり得ない。『悟り』は見ようとしなければ、いつもそこにあり、
見ようとすれば姿を消してしまう。

★この瞑想のプロセスでは、最後には存在全般に渡る虚無に出会わなければならない。
希望も未来も目的も奪われ、無意識のものも含めて、あらゆる経験と観念が一つ残らず
滅び去ったあとにのみ、突然に『悟り』は現れる。
つまり、確実な真実も実在もなしに生きることに十全に慣れて、その虚無を受け入れる
しかなくなった時にのみ『悟り』は「向こう側から」顕現するのである。

★悟りを妨げるのは、外界の出来事そのものではなくて、
その事物に「ついて」人間が思考するためである。

★悟りでは、今の瞬間だけで満たされているので、過去や未来を思う余地などはない。
何も基準がなく、選択の必要がなければ、今の瞬間の外に踏み出ることはあり得ない。

★「無為自然」とは、行為者も行為の対象も知られず、行為のみが知られる。
そこでは、「行為」とその「対象」とその「内容」がひとつである。
知ること、見ること、為すことが、相互に区別されない行為をなしている。
無為自然では、行為は存在と同一のものなのである。

★基準がなく努力もなく、相反するものをあえて釣り合わせる必要もない、非相対的な
「無為自然」の状態では、選択というものはない。この瞬間の中では、思考によって
どちらかよい方を選ぶのではなく、そこにあるものを、受け取るだけである。
カムイ
2019年11月23日 08:43
俺、凄い事を悟った。
女性とはフィーリングが一番で関係はおまけですよね・・・
地球人
2019年11月23日 10:41
男と女は一対だからです。

雌雄同体のミミズ。

通行人
2019年11月23日 14:29
コブダイもいるで!^^

「コブダイは雌性先熟で、子供の頃はメスで、卵を産む。50cmを超えるとコブが張り出してきて、オスに性転換する。

名前の由来である頭部の上下は大きな瘤状に膨れあがっている。雌はカンダイと呼ばれ、雄に比べて遙かに小さいために、かつては別な種類の魚だとさえ思われており、雄のように頭部が異様な形にはならず、体長も大きくても雄の半分ほどにしかならない」 wikipediaより




カムイ
2019年11月24日 11:29
愚さんは以前、悟りより大事なものがある、って言われてましたけど、中島みゆきさんの歌詞のような人間臭いものかな?
明日は明日
2019年11月25日 10:57
「随処に主と作れば立処皆な真なり」という臨済の言葉は、心理学的な解釈がほとんどです。その真義は、アドヴァイタの言う
①世界は実在である→ ②世界は非実在である→ ③真我の顕現としての世界は実在である
の、③ではないでしょうか?