雑念

>愚さんの別の記事からの引用ですが。

>> ところで、あの件はどうなるかな?これこれになるかな?そうなったらどうしようかな?ああしようかな、こうしようかな・・・・・
> >こんなことを考えててもしょうがないな、やはり、無字の公案でもやるかな
> >ムー!
> >こんなことの繰り返しです。

>つまり、私と、というか常人とたいして変わらないじゃないですか。

おそらく、まったく同じです。要点は、そういった雑念のまま、落ち着けるかどうかでしょうね・・・・

>思考というもの自体に限界や問題性があることは共通理解だと思います。ですが、これまでの愚さんの言説は「あり得ない境地」を薦めていたのでは? たしかに三昧に入ったときなどの体験からふり返ると、そういうことを言いたくなる気持ちは分かりますが、それは三昧のときの状態に過ぎないでしょう。

なにも薦めてはいません、事実は、世界はわたしであるということを言っているだけです。その真偽は、ご自分で確かめるしかありません。

>もっと現実的に、目の前の問題に取り組むことを薦めたほうがいい気がします。

そう思われるなら、目の前の問題に取り組まれたらいいと思います。それも必要ですからね・・・・

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この記事へのコメント

蓮風
2019年06月22日 08:05
> なにも薦めてはいません、事実は、世界はわたしであるということを言っているだけです。その真偽は、ご自分で確かめるしかありません。

『事実は、世界はわたしである』のを確認せよ、と主張するだけで、通常の認識と異なるので、「違った状態」を薦めていること同様になっていると思いますがね。


> そう思われるなら、目の前の問題に取り組まれたらいいと思います。それも必要ですからね・・・・

そうします。
snow
2019年06月22日 09:03
横ですみません。

>『事実は、世界はわたしである』
という愚さんの言葉ですが。

愚さんの書かれたことへの反応として、いろんな方がこちらに投稿します。
愚さんが仮にこちらへの投稿をしなくなれば、いろんな方たちもここに投稿しなくなるでしょう。
つまり、反応(愚さんの投稿)に対しての皆様の反応(皆様の投稿)となっています。

こうしたことからも、『事実は、世界はわたしである』というのはわかるのではないでしょうか。
反応という行為に対して反応という行為が起きる。
そうしたことの積み重ねが世界だということ。

蓮風
2019年06月22日 11:47
> snow さん

愚さんは他のレスでそのような、「積み重なって」「重なり合う」ような《世界》を否定しています。
つまり《世界》はひとつしかないのであって、それが千差万別な「見え方」をしている、まるで多面体的万華鏡のようなイメージを、愚さんはお持ちの様子です。

因縁生起、因縁相続、というのは一応、ここに来る方の多くの前提だとは思います。
snow
2019年06月22日 13:02
>蓮風さん

>つまり《世界》はひとつしかないのであって、それが千差万別な「見え方」をしている、

それに異論はなにもなく、その通りと思っていますよ。

不思議に感じたのは、↑を理解されているのに、『事実は、世界はわたしである』については疑問なのかしら?ということなんですが。
それとも理解はされてるけど、愚さんに何か再確認したい、であるとかだったのかな。



蓮風
2019年06月22日 13:13
「『誰もが』事実、世界はわたしである」と認識した場合に起こるのは、共存か衝突か?

そこに疑問があるんです。
現状は衝突ばかりですが、人類の歴史をふり返れば、随分改善してきました。これもまた事実。

そこで一足飛びに、「これまで巧く行かなかったのは『世界はわたしである』という認識がなかったため」だから、『世界はわたしである』という認識さえ持てば、世界平和が訪れるはず、という論法は極論か短絡にしか見えなくなってきた、ということです。
蓮風
2019年06月22日 13:18
愚さんにはかなりの恩があります。
ただ、愚さんの言説に出会ってから、自分が(曲解かも知れませんが誤読してしまい)内面的に相当な迷走をしてきたのも事実です。

最近になって、いろいろと諦めもつき、ようやく昔の自分の内面状態を取り戻しつつありますが。

あと、おかげさまで悟り体験と思しきものの体験もありました。いわゆる「悟り」が単なる神秘体験に留まらず、自分の、認識的成長・変容をもふくむ多様で総合的なものであることも、個人的には了解されました。

でも、それがなんだったんだろう?とふりかえざるを得ない状況に、現在居ます。

蓮風
2019年06月22日 13:21
そこで十数年経ってから、愚さんから出てきた発言が以下の通りですよ。

なんだ、元の木阿弥じゃないか。
いままでの紆余曲折の廻り道が余計だったんじゃないか。
だったら、もっと自分なりの手法で、単に模索を続けていれば良かった、と後悔と反省をしている次第です。


>> ところで、あの件はどうなるかな?これこれになるかな?そうなったらどうしようかな?ああしようかな、こうしようかな・・・・・
>> こんなことを考えててもしょうがないな、やはり、無字の公案でもやるかな
>> ムー!
>> こんなことの繰り返しです。
蓮風
2019年06月22日 13:27
>> つまり《世界》はひとつしかないのであって、それが千差万別な「見え方」をしている、
> それに異論はなにもなく、その通りと思っていますよ。

ここで疑問です。
「世界はひとつものであり、ところが複合的総体なので、見え方は多種多様、千差万別である」のならば、何故、一個人(一生命体)は他の個人の見え方が分からないのでしょうか? 推測はできても、知ることは根本的に不可能なのが「他者の内面」でしょ? わたしは個々の問題こそが、わたしたちの不調和、衝突の原因だと思っているんですが、これを解消するのに『根治』的手法は可能なのか、最近になって疑問を感じるようになった次第です。
蓮風
2019年06月22日 13:29
ゴメンナサイ。誤字。

> 個々の問題
⇒ ここの問題
snow
2019年06月22日 13:54
>蓮風さん

そういえばですが、ヤフーでrenpuさんというお名前の方を、もう8年ぐらい前になるでしょうか、拝見した記憶があります。
愚さんとは長い交流があられるのですね。
私はヤフーではアホみたいな投稿ばっかりしてました。
それでちょっと恥ずかしいっていうのもあり、ここでは名前を変えてるんです。(笑)
とはいえ、以前、ヤフーの時の名前も書いたので、わかる方にはわかるのですが。
snow
2019年06月22日 14:02
続きです。

>「世界はひとつものであり、ところが複合的総体なので、見え方は多種多様、千差万別である」のならば、何故、一個人(一生命体)は他の個人の見え方が分からないのでしょうか? 推測はできても、知ることは根本的に不可能なのが「他者の内面」でしょ? わたしは個々の問題こそが、わたしたちの不調和、衝突の原因だと思っているんですが、これを解消するのに『根治』的手法は可能なのか、最近になって疑問を感じるようになった次第です。


観察力、把握能力が高い人であれば「知る」こともしやすいんじゃないかな、とは思います。

集団が小さい、価値観が近いなどであれば衝突も少ないでしょうけれど、単純な話、世界の人口は多いし価値観も多様すぎなんで衝突は起きるにきまってると。
衝突が起きるのはしかたないと思ってれば間違いないんじゃないか、と思ってます。

蓮風
2019年06月22日 14:13
> 観察力、把握能力が高い人であれば「知る」こともしやすいんじゃないかな、とは思います。

これ、そのように誤解しがちですが、原理的に不可能です。
むしろ、わたしのように『察しがいい』と自己誤認しているタイプのほうが、憶測を元に判断したり行動したりしかねません(自戒するところです)。

よく考えてみれば分かると思うのですが、「生命個体として別の個体である」というのは決定的な断絶なのです。それをなんとか克服しよう、というのが全一思想(「わたしは世界であり、世界はわたしである」)という『神話』の機能的使命な訳ですが、それには効用として、長所もあれば短所もあるだろう、というのが最近の私の主張の要約です。
蓮風
2019年06月22日 15:17
> これ、そのように誤解しがちですが、原理的に不可能です。

ちゃんと解説しておきます。
たとえば今、15:00 過ぎです。
ですから私が「snow さんも小腹が空いて、おやつが食べたいだろうなあ」と憶測します。そして、質問します。『きょうは、おやつを食べたくなりましたか?』

回答は yes or no があり得ます。
ですが、よしんば “yes” であったところ、それは『偶然の一致』であって、snow さんの内面を「知ることができたから」当てることができた訳ではありません。

以上から個人的に、わたしたちは言語ゲームをしているに過ぎず、だからこその対策を講じないから、「衝突がくり返される」のだと感じ始めています。
snow
2019年06月22日 15:23
>蓮風さん

よく考えてみれば分かると思うのですが、「生命個体として別の個体である」というのは決定的な断絶なのです。それをなんとか克服しよう、というのが全一思想(「わたしは世界であり、世界はわたしである」)という『神話』の機能的使命な訳ですが、それには効用として、長所もあれば短所もあるだろう、というのが最近の私の主張の要約です。

例えばですが、世界が平和になっていくというのの実現は困難でしょうけれど、身近な家族や友人との関係性だったりなら、分離のなさを理解すれば円滑にいきやすいんじゃないかと思うんですが。
ただ、置かれている状況環境が難しいとやすやすとはいきにくいでしょうね。

それにしてもですが。 短所のほうを実感せざるをえないような事例が身近で起きているのですか?
立ち入ったことと感じられたらスルーされてくださいね。
snow
2019年06月22日 15:31
すみません。 今の投稿の最初の8行は、蓮風さんの文章です。 引用符をつけ忘れました。
蓮風
2019年06月22日 16:40
> snow さん
> それにしてもですが。 短所のほうを実感せざるをえないような事例が身近で起きているのですか?

そういうことです。
私的にも、社会的にも、そういう短所が問題化している、と感じております。
蓮風
2019年06月22日 16:42
例え話ですが。

愚さんに対して、「わたしは付き合いが長いから良く分かっている。貴方のことはすべて私に任せなさい」といって【勝手にいろいろ押しつけたら】愚さんは怒ると思います。

ほどほどの距離感って大事なのでは?というお話。
snow
2019年06月22日 17:30
>蓮風さん


社会的にも、ですか。 う~ん・・そんなに一元って広まってるものなのかな、と少し疑問ではありますが。
蓮風
2019年06月22日 17:56
う~ん、そうですか……わたしも段々分かんなくなってきちゃったな……。
2019年06月22日 23:57
傲慢な人物は自分を知らない。
比較優劣で偏屈なプライドをもっている。

snow
2019年06月23日 01:16
>蓮風さん

蓮風さんは、対話の相手に対し、真摯に説明しようとされる姿勢の方というのが、やりとりを通じて伝わってきました。
対話していただきありがとうございました。
蓮風
2019年06月23日 08:32
> snow さん

いえいえ、こちらこそ、お付き合いいただきありがとうございました。もし宜しければ、またの機会に。
地球人
2019年10月01日 13:16
事実は個体のわたしでは無く世界のわたしであった。

例えば、鏡を見て容姿を気にするのは世界のわたしでしょうか?

Aはブスで気にするが、Bは美人だから気にしない。

事実は、ブスも美人も同じ視点のわたしである。

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