わたしの坐禅観(理屈)

わたしの坐禅の実体について書きましたが、理屈ではこう整理しています。

わたしの過去を振り返ると問題の連続でした。問題は尽きることなくやってきます。それに対し、あるときは戦い、あるときは妥協し、ああだこうだやってきました。そして、いまもそれは続いています。

そうすると、問題は人生とともに常にあり、常に悩まされ続けなければならない、ということになります。回りのひとたちを見ても、そう見えます。そして、かれらの意見を聞けば、人生なんてこんなもの、という具合です。そして、もちろん、時が来て、この世からおさらばです。

少数のひとたちが、そのような苦しみの人生から脱却は可能だといっています。
坐禅だ、念仏だ、アーメンだ、ああだこうだです。

そこで、理屈はともかくとして、問題に対処することが問題かもしれない、という考えが浮かびます。つまり、なにかするから、問題が起きているのかもしれないと推測するわけです。

そうすると、なにもしなければ、どういうことになるか、実験しなければなりません。

なにもしなければ、というのは、考えることをしなければ、アクションをとることをしなければ、ということになります。

そこで、何か原因があるので、考えが浮かんだりするわけですから・・・・それがすべてではありませんが・・・・まずは、身体を動かさないこと、しゃべらないこと、これは意図的にできます。また、外部の刺激を少なくすること。

つまり、こころに、考えを起こす材料を与えないわけです。

考えることをしないことを目標としているのですから、まずは、考えが起きていることを知らねばなりません。つまり、ボンヤリしていたり、ボヤーっとしていてはマズいのです。そのための姿勢は、やってみればわかりますが、背筋を伸ばしたほうが頭がスッキリします。「キオツケ」の姿勢です。

そして、立っているより坐っている方が落ち着くので・・・・・寝てもいいんですが、ボヤーっとしやすくなります。

足は組んでも組まなくてもいいですが、組んだほうが楽です。これが坐禅の姿勢です。

つまり、こころに考える材料を与えない姿です。

一方、こころは、材料がなくても、過去を食べながら、考え続けます。しかし、だんだんと、材料は食べつくされていきます。そして、おだやかになっていきます。それまでは、悪戦苦闘かもしれませんが、それでいいんです。
この時、坐禅は戦場です。それでいいわけです。

そうすると、こころにスペースが生まれます。いままでは、日常の問題にあけくれていたのが、余裕ができるわけです。このスペースが大事なんです。

このスペースがあると、洞察が働きやすくなります。それまで、思考が邪魔していたものが顕わになるわけです。

この洞察が、問題を解決しようとして考えを働かせても限界がある、ということを教えてくれます。そしてまた、本当の問題は自我にあったということも教えてくれます。

そうすると、目的は、洞察をもつこと・・・悟りでもいいです・・・・そのためには、スペースがいること、瞑想でもいいです・・・・そのために、なにもしないこと・・・・・・不為です・・・・・・そして、なにもしない格好は坐禅だということ

わたしは、あらゆる宗教の修行は、結局、不為に集約されると思っています。なにもしなければいいわけです。何の努力もいりません。身体が持っている英知に従えばいいだけです。

この意味で、坐禅がいちばん洗練されていると思っています。念仏とか、祈りとかは、色がついていますから・・・・公案禅もいっしょですね・・・・・・若干の色づきはしょうがないでしょうが、汚染です・・・・・・

それ以上に、坐禅すること自体も、人工的で、不為ではないという議論もありますが・・・・クリシュナムルティとか・・・・それは、そうではありますが、一般論として、凡人ができる最大の妥協点は、坐禅だと思っています。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 3

驚いた 驚いた 驚いた

この記事へのコメント

蓮風
2019年06月20日 08:53
前者は、個人的に了解していることです。
ですが、そこから後者を述べて、一般に実現性はあるのでしょうか? 実現性に乏しいから、社会的問題を抜本的に解決できることが不可能で、漸進的な改善しかできないのではないでしょうか? それが人類の歴史で、ここまで随分改善してきたけれど、まだまだ先は長いのでは? そして、それしか方法がないのであって、それで正しいのでは? 根本的治療を求めようとして不可能事を実現しようと企図するからこそ、問題が増えるのでは?

1)
> この洞察が、問題を解決しようとして考えを働かせても限界がある、ということを教えてくれます。

2)
> そしてまた、本当の問題は自我にあったということも教えてくれます。
Keiren Applebaum(桂蓮)
2019年06月20日 16:03
すごい

今まで読んできた坐禅のすすめ類のどれよりも
映像化しやすい解釈、観ですね。

渡辺さんは前世で私の先生だったかも知れないと
今回、確信しました。

私はなぜか、
渡辺さんの説明はそのまま受け入れることができるので
蓮風さんのように
さらなる疑問が湧きません。


追伸:
因みに
私のブログURLを添付しておきます。
アクセス貧困ブログなので
こちらでだれかさんがアクセスしてくれると
順位上がりますので、よろしくです。
2019年06月20日 17:15
後輩にまた楽天カード勝手に使われた。2500円の損失だった。

怒りは生じなかったが、おこったふりはしといた。
宇宙
2019年06月20日 18:12
楽天カードなんで勝手に使われるのですか?
カードは一枚ですよね。^_^
また後輩とはどんな関係なんですか?
2019年06月20日 18:28
関西学院時代の後輩。

スマホにナンバー入れて遠隔操作できるらしいのです

宇宙
2019年06月20日 18:44
でもなんで彼はあなたの番号知ってるのですか?ナンバー変えたほうが、お互いの為では。
2019年06月20日 20:41
解約することにしました。
宇宙
2019年06月20日 22:00
そりゃ良かったです。
2019年06月20日 22:17
>ですが、そこから後者を述べて、一般に実現性はあるのでしょうか? 実現性に乏しいから、社会的問題を抜本的に解決できることが不可能で、漸進的な改善しかできないのではないでしょうか? それが人類の歴史で、ここまで随分改善してきたけれど、まだまだ先は長いのでは? そして、それしか方法がないのであって、それで正しいのでは? 根本的治療を求めようとして不可能事を実現しようと企図するからこそ、問題が増えるのでは?

そう思う人は、そうすればいい、としかいいようがないんですが・・・・
カムイ
2019年06月20日 22:36
境涯が上がりましたので、視野が広がりました。
カムイ
2019年06月20日 22:40
普段から坐禅してたら、坐禅したら坐禅の上に坐禅をするになりませんか?
2019年06月20日 23:18
人間は、自分の世界観からすると間違っていない。

詐欺師も悪人も彼らの基準からしたら正しい。
2019年06月20日 23:20
一生懸命こつこつ働いてためたおじさんのお金を、おれおれ詐欺で騙し取る、詐欺師も、詐欺師の世界観、善悪の基準からしたら間違っていない。
2019年06月20日 23:30
人間がいかに卑劣で。人の優しさに付け上がり、他者を害することを好む存在であるかを知り抜くことが、闇とカオスを知るということである。
2019年06月20日 23:42
私の周りは闇で満ちています。

詐欺師の後輩。精神病院、施設などで脅してくる母親。稼ぎが少ないやつはいじめてもいいという考えの父親。
精神的マウントをとってくる彼女。
そのほかにもたくさんの闇があります。


私は、全面的な真っ暗闇のなかにいます。

しかし、闇を直視してるので、苦しみません。

見るという意志の強度が、私の中に悲しみや苦しみを寄せ付けないのです。
カムイ
2019年06月20日 23:47
カァカァはカァカァ
ワンワンはワンワン
ニャーニャーはニャーニャー
カムイ
2019年06月20日 23:54
前後裁断するとこうなる。
タキ衛門
2019年06月20日 23:59
>あらゆる宗教の修行は、結局、不為に集約される
 これは言い過ぎでしょう。カルト宗教だってあるし、真言密教とかは悟りというよりも、神通力・霊的能力の開発が目的だったり。

>坐禅がいちばん洗練
 私も座禅が一番、メソッドとしていいと思いますが、ついでに言うと托鉢とか無駄なんじゃないかなと。それやっている時間あったら、座禅の方がいいかなと。托鉢やったことないけど。
2019年06月20日 23:59
精力絶倫で肉体が強いのは悪いことではないが、想像力と幸福感が増すにつれて重要ではなくなっていく。

情感が豊かで、情緒に富むことは悪いことではないが、直観力と愛が増すにつれそれらは重要ではなくなっていく。

知的に明敏で、知性が活発なのは悪いことではないが、意志力と安らぎが増すにつれそれらは重要ではなくなっていく。
蓮風
2019年06月21日 10:21
愚さんの別の記事からの引用ですが。

> ところで、あの件はどうなるかな?これこれになるかな?そうなったらどうしようかな?ああしようかな、こうしようかな・・・・・
> こんなことを考えててもしょうがないな、やはり、無字の公案でもやるかな
> ムー!
> こんなことの繰り返しです。

つまり、私と、というか常人とたいして変わらないじゃないですか。

思考というもの自体に限界や問題性があることは共通理解だと思います。ですが、これまでの愚さんの言説は「あり得ない境地」を薦めていたのでは? たしかに三昧に入ったときなどの体験からふり返ると、そういうことを言いたくなる気持ちは分かりますが、それは三昧のときの状態に過ぎないでしょう。

もっと現実的に、目の前の問題に取り組むことを薦めたほうがいい気がします。
宇宙
2019年06月21日 19:40
日々問題が出て、問題をなんとかしようとしています。一年前も10年間前も、そうでした。
問題は問題でもなかったと気が付けば、問題は解決するはず。要はこの思考、気分を絶対視しているからだろう。わたしの立場、わたしのなんとか。敵はわかってきた。
地球人
2019年06月23日 08:22
投稿が削除されました。?

アメリカ、イラン、中国、ロシア、北朝鮮、日本の立場・・・わたしの立場の問題です、

この記事へのトラックバック