世界はわたしだ2

>では、仮に、ここに 100 人の人間が居るとします。
ところが宇宙は百人百様の認識を総体として為している。
そこには自他を超越したなにものかがある。
こういうことですか?

>もし、そうならば証拠は?
あるいは立論根拠は?

簡単です。以前にも説明したように、認識している主体は認識できません。ここで、推理が二通りになります。
1、認識している主体はない
2、認識している主体はあるが、認識できない。

どちらでもいいです。

いずれにせよ、「わたしの」認識、「あなたの」認識、なるものは存在しえないからです。ただの、さまざまな認識があるだけです。

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この記事へのコメント

蓮風
2019年06月20日 08:48
ゴメンナサイ。
以下の 2 文のあいだに論理的飛躍があるように思われ。
きちんと展開できますか?
そうでないと、「様々な認識」のうちのひとつを愚さんは把握できるけれど、その他は把握し得ないはず(推測も個人の範囲になりますから)であることの説明にならないかと。

1)
>いずれにせよ、「わたしの」認識、「あなたの」認識、なるものは存在しえないからです。

2)
ただの、さまざまな認識があるだけです。
蓮風
2019年06月20日 11:49
わたしがここで指摘したいこと。

誰かが生きて活動していれば、なにがしかの「認識」自体はしていて、これは不可避である。

ところが認識しているはずの世界に、認識しきれない領域がある。時空間的にも、生物個体的にも。たとえば私は愚さんの心中を推測することはできても、完全に知ることはできない。

以上より、認識そのものに個別性があり、それが自我の正体では? それを超克もしくは脱構築しうる余地はあれども、基本的に常人には困難なので、漸進的手法やシステム的対策が必要なのでは。
地球人
2019年06月20日 18:58
>いずれにせよ、「わたしの」認識、「あなたの」認識、なるものは存在しえないからです。ただの、さまざまな認識があるだけです。

匿名性ですかね。「あれは鳥だ! あれは飛行機だ! いや、あれはスーパーマンだ!」

個人名が存在しなかった原始人時代は、さまざまな認識があっただけでしょう。
地球人
2019年06月20日 19:39
世界の認識が一つになることもあります。

国と国の戦争になると拙いですね。
地球人
2019年06月20日 20:19
様々な認識の例えは、キリスト教、イスラム教、仏教、禅宗・・・が適当ですね。

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