わたしは世界である、世界はわたしである

>もっと、踏み込んだ質問を追加してみましょうか?

愚さんは「あなたはわたしである(わたしはあなたである)」、そして「世界(=宇宙)はわたしである」と語ります。

そうです、その通りです。
でも、それは愚さんの認識世界のなかに閉じた話であります。愚さんの認識できる範囲での認知や解釈が投影された《世界》ですよ、もう一方から語るならば。

でも、他者もやはり『閉じた《世界》』の内に生きていて、その他者同士が『言葉』という限定的で、解釈が多様な手段を使って、誤解を生みがちなコミュニケーションをしている。
だからこそ、フッサールは【間主観性】を問題にした。

そういうね、『累重している認識世界としての《宇宙》』を自覚しないと、人生も社会も巧く回らないんじゃないですか?

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実際はこうなんです。

わたしの認識世界なるものはないんです。だから閉じていません。世界の認識世界なんです。花子の認識世界、太郎の認識世界、そういったものがあるわけではありません。いずれも、世界が世界を認識しているんです。その認識のしかたが、千差万別なだけです。

あなたがこの文章を認識しているのではなく、世界がこの文章を認識しています。

社会は、ここの誤解があるんで、わたしの認識、あなたの認識、さまざまなひとの認識があると思い込んでいるわけです。さまざまな認識があるだけで、あなたの認識、わたしの認識というものはありません。

この間違った認識があるので、回りを見渡せばわかるように、人生も社会もうまく回っていないんです

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この記事へのコメント

蓮風
2019年06月20日 02:09
では、仮に、ここに 100 人の人間が居るとします。
ところが宇宙は百人百様の認識を総体として為している。
そこには自他を超越したなにものかがある。
こういうことですか?

もし、そうならば証拠は?
あるいは立論根拠は?
地球人
2019年06月22日 12:21
私個人の世界観はカレーライスであったり、スバゲティーであったり、牛丼であったり、寿司であったり、とのことでしょう。
2019年06月22日 22:54
>では、仮に、ここに 100 人の人間が居るとします。
ところが宇宙は百人百様の認識を総体として為している。
そこには自他を超越したなにものかがある。
こういうことですか?

>もし、そうならば証拠は?
あるいは立論根拠は?

もう、十分に示したと思いますので、あとはお任せします

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