無門

>無門、門はなかったと気づく事。
すでにど真ん中にいるか。主体なき視点。
どこからでもない視点。ひたすら、坐るしかなさそうです。

そうですね・・・・・・ど真ん中にいるんです。これを、言葉はよくないですが、信じてしまうのは大事です。

どれだけ、困っていても、どれだけイヤなことがあって動揺していても、どれほど苦しくとも、悲しくとも、自分が真理のど真ん中にいて、その本体がああだこうだやっているだけで、本体にはなんの問題もないと、信じていることは大事です。

すべては夢幻のなかで、どたばたしているわけです。ですから、ドタバタするなということではなくて、安心してドタバタすればいいわけです。

わたしなんかも、苦しいことがあると、こころをかき乱されてしまい、なんとか落ち着きを取り戻し、その苦痛から逃れようとしてしまうんですが、これがマズいんです。

こころはかき乱されてもいいんです。かき乱されるままにかき乱されていればいいわけです。というのは、ど真ん中にいるわけですから。だから、いずれ収まります。台風は過ぎるのを待つのが一番です。そのときは大変ですが、しょうがないんです。

できないことは、できないとあきらめるべきです。

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この記事へのコメント

宇宙
2019年06月20日 13:58
悟りというものがあるとするならば、こう定義したいです。
いまの様子に落ち着いている、自分が自分に安心している状態
です。もちろん、台風の中にいながらです。

今の僕の状態を言葉で表すなら、何かを求めている、達成したいと
思っている。明日は、もっとよくなってほしい。
内面的には、不機嫌さ、つまらさ、いやな感じが混合している
状態です。

そこで、どうしているか。
その内面のもやもやとしたもの、いやな感じを追い払わず、
そのまま、そのエネルギー的なものをまるまる味わっています。
坐禅の時もそうです。今の様子のど真ん中に。

この方法は、愚さんからの影響です。

方法は大きくわけて2つ、只管打座または、マインドフルネス瞑想的
に観察、目撃して流す。
あとは、サマタ瞑想、無字の瞑想的に、そのエネルギーに集中して
そのものに成りきってしまう。

いろいろ工夫していますが、骨が折れます。

問題の根源、自分があるという意識。これは、自然選択として
そのように脳が設計されているようです。設計図の外にでる
圏外にでるためには、ひたすら座る、工夫するしかなさそうです。

ありがとうございます。
ひたすら精進するのみです。

















通行人
2019年09月28日 07:35
自我意識が無くなると認知症では? 街中を徘徊してることに気づかない。 

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