仏教の三位

>私は、三位一体の三つの位格について、こんな感じがしています。

『それ自体としてあるもの(存在)=事実』としてしか把握できないもの、表現することができないもの
・・・すなわち、超人間性的(=超人間力的)存在が、中心(真ん中の?)の第一。

知性面で把握され、知性で表現される側面が第二。
金剛界ってこれではないでしょうか。
智慧の世界。

感性で把握され、感性で表現される側面が第三。
胎蔵界ってこれではないでしょうか。
慈悲・神の愛の世界。
水月
2019/06/14 14:13
追加。

第一は、有り様というか、存在そのもの、事実そのものとして、把握し、表現するということは、ギリギリできるといえばできるし、
もっとも、それは禅的な文化に過ぎず、こんなことを付け加えるべきではない、という感じもします。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
仏教的ですね・・・・キリスト教とは違うような気がしますが・・・・

仏像で、真ん中にお釈迦さん、そして、智慧を現す文殊菩薩、この場合は慈悲を現しているであろう普賢菩薩とか・・・

曼荼羅については、以前、調べたことがあるのですが、よく覚えていません。金剛界は、本文上のところ・・・・悟りそのもの、衆生本来仏なりのところ、胎蔵界は、悟りに至る修行のプロセスみたいな感じ、だった記憶があります。

昔のひとたちは、さまざまな工夫をしてきたんですね、そのエネルギーには感服します。

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この記事へのコメント

水月
2019年06月16日 19:54
単に「金剛界」「胎蔵界」という言葉上の対比からの直観的推定のレベルだけに留まるのですが、
ダイヤモンドの金剛という言葉からは、言葉・観念の方向から捉えられた世界(明なる世界)ということが思い浮かびます。
しかし、そうすると非二元的事柄を表現しようとしても
言葉・観念の性質上当然に二元対立の要素が入ってきてしまいます。

他方、胎蔵は母親のおなかの中に包み込まれている、すなわち包摂(すべてを摂り込み包む)を意味し、
上記二元対立の要素を打ち消して、金剛的(=言葉・観念的)表現の実質的意味を本来的な非二元性に
引き戻す働きを持つように感じられます。

この意味での金剛性と胎蔵性が相まって(統合的に一体化して)始めて本来性が現成する、というような捉え方
ができないかな、という感覚なのですが・・・・。

すなわち、言葉(=キリスト)が神とともにあることは、
言葉・観念が胎蔵性=包摂性とあいまって担保されるというような意味で、
全体として一つにならなければならない、一つになった時が本物だ、
そして、そういう意味での胎蔵性(=包摂性)のこと、あるいはその現成を、聖霊というのではないかな、
という感じなんですが・・・・。

ちょっと、こじつけというか、違うんですか・・・・???。
2019年06月16日 21:22
>すなわち、言葉(=キリスト)が神とともにあることは、
言葉・観念が胎蔵性=包摂性とあいまって担保されるというような意味で、
全体として一つにならなければならない、一つになった時が本物だ、
そして、そういう意味での胎蔵性(=包摂性)のこと、あるいはその現成を、聖霊というのではないかな、
という感じなんですが・・・・。

>ちょっと、こじつけというか、違うんですか・・・・???。

ひとそれぞれ解釈のしかたがあると思うのですが・・・・・
繰り返しになりますが、わたしのイメージは、

神=大日如来=法身仏
キリスト=おしゃかさん=化身仏
聖霊=無字

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