自己イメージ4

>> 要点は、その探索に失敗している主体はありますか?見つけられますか?というのが問いです。

>個人的には、「発見できない」からといって「(それが)存在しない」とは云えない、という立場に変化しました。何故なら、『(その行為を為している)現象』が現前として機能しているからです。

>愚さんの謂い方だと此処は「現象はあっても主体はない」となるのでしょうが、釈然としなくなりました。むしろ『現象≡主体』ではないかと。システムの作動にこそ、要点があるのではないかと。その作動は因果律にしたがっていても千変万化で無常だとは思いますが。固定的な属性――「主体」――がないからといって、非在と帰結するのは論理的誤謬に見え始めています。

主体があるという前提でもかまいません。その場合は、主体は対象ではありませんから、あらゆる対象は主体でないことになります。つまり、あらゆるものは主体ではない、ということになります。

ここで、あらゆるものは、自分の肉体を含みます。ですから、主体=わたしは、身体とは無関係だということになります。主体=わたしは、経歴とか経験とも無関係です。わたしが、わたしだと思っているものは、わたしではない、ということです。これでもいいです。

>> それが一般的ですが、自己イメージはただのイメージで、作り上げたものだといっています。経験はありますが、その経験を経験している経験者はいないということです。

>愚さんの謂い方に知覚すると、「こんがらがった綾取り」ですよね。確かに「自己イメージ」は極端に、余計に混乱しうることを、我が身を以て体験しました。いまは、おそらく回復傾向です。だから、この「自己イメージ」も生体システム、あるいは宇宙システムの上に乗っかっているシステム(メタ?、サブ?)であって、生々流転するように変化するにしても、やっぱり作動を続けることで自己を延命するような仕組みに見えます。
レトリックが固くて済みません。

自己イメージは連続していきます。ただ、それは虚偽だよ、ということです。

>> ただ、分断化された個人の集団に、平和がこないことは確かでしょう。

>断片化された個人の集団に平和が来ないことが、確かかどうかは、実際には検討の余地があります。
さらに不可避であったところで、漸進的な努力をするところに私たちの良さと希望があるのではないでしょうか。
ちなみに愚さんの「分断化」の対義語はなんですか?
Wholistic みたいな単語?

分断化というより、断片化のほうがいいですね。断片化の反対語は、非断片化です。英語だと、no division

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この記事へのコメント

蓮風
2019年06月13日 21:50
度重なる質問に答えていただきありがとうございます。

> 主体があるという前提でもかまいません。その場合は、主体は対象ではありませんから、あらゆる対象は主体でないことになります。つまり、あらゆるものは主体ではない、ということになります。

ここ、ちょっとアクロバティックすぎて、ついていけません。
「自分」という感覚=主体があるから、それは客体化して対象として扱うことはできない。でも、だからといって「他の」あらゆるものも同時に対象化できない、というのは、これ、ちょっと納得できません。


> 自己イメージは連続していきます。ただ、それは虚偽だよ、ということです。

何故、すべては前後截断しながらも、連続性を維持できるのでしょうか?
2019年06月13日 21:52
私はよく思うのですが、肉体への執着のない人のほうが、肉体に執着する人よりも、肉体を丁寧に扱うということです。

同じように、自己イメージを捨てた人は、しばしば、現世的なアイデンティティをもてに入れるんですね。

執着ない人が実は自己実現を果たすのだと思います。

我やプライドに執着する人は、挑戦し賭け続けることができない。

ほとんどの人は、そもそも天職すらわかっておらず、まして天職に賭け続けるだけの強烈なガッツと勇気も持ち合わせていない。

自己実現とは、金持ちになったり有名になったりすることではない。

自分の自然な適性を見つけ、それに悔いがないくらい自身を捧げつくすことである。

自分から自分を出し惜しみせず与えるとき、自分から愛するとき、そこに安らぎがあるのである。
蓮風
2019年06月13日 21:52
> 分断化というより、断片化のほうがいいですね。断片化の反対語は、非断片化です。英語だと、no division

分断かというとき、PC 用語の fragmentation が念頭にあります。
辞書で調べてみると、to break up のこととか(動詞としての fragment)。ところがシソーラスを調べても、対義語が出てきません。synthesized とか integrated とか、そんな感じなんですかね、アドヴァイタは?
蓮風
2019年06月13日 21:54
それで愚さんに重ねて質問です。

愚さんが『非断片化』というとき、そこに悪は含まれますか?

わたしは、それでは法や摂理が壊れると思ってます。
「全体」があるのならば、悪は忌避されないと、全体が維持できない。

これが、愚さんと対立するところかも知れません。
2019年06月13日 22:28
>ここ、ちょっとアクロバティックすぎて、ついていけません。
「自分」という感覚=主体があるから、それは客体化して対象として扱うことはできない。でも、だからといって「他の」あらゆるものも同時に対象化できない、というのは、これ、ちょっと納得できません。

対象となるものは、主体ではないという簡単な原理からです。だから、あらゆるものは、対象となるので、主体ではない、ということです
2019年06月13日 22:29
>> 自己イメージは連続していきます。ただ、それは虚偽だよ、ということです。

>何故、すべては前後截断しながらも、連続性を維持できるのでしょうか?

連続性を与えているからです。前後裁断ということがわからないからです。
2019年06月13日 22:31
>synthesized とか integrated とか、そんな感じなんですかね、アドヴァイタは?

アというのは否定です。ドヴァイタというのは、DIVIDEDです
アドヴァイタというのは、UNDIVIDEDです。NO DIVISIONです。
2019年06月13日 22:35
>愚さんが『非断片化』というとき、そこに悪は含まれますか?

広い意味で、非断片化というとき、善悪という断片化はありません。

あえて善悪をいえば、善悪を持たないのが善、善悪を分けるのが悪となります。

非断片的なとき、どういうわけか、世の中の善悪と完全に一緒ではありませんが、悪は行わないようです
蓮風
2019年06月13日 22:39
結局、この説明に尽きますよね。

> 対象となるものは、主体ではないという簡単な原理からです。だから、あらゆるものは、対象となるので、主体ではない、ということです
蓮風
2019年06月13日 22:43
> 連続性を与えているからです。前後裁断ということがわからないからです。

その『連続性を与えている』のは誰ですか?

> 広い意味で、非断片化というとき、善悪という断片化はありません。
> あえて善悪をいえば、善悪を持たないのが善、善悪を分けるのが悪となります。

実は此処までは分かっているんです。ですが…、

> 非断片的なとき、どういうわけか、世の中の善悪と完全に一緒ではありませんが、悪は行わないようです

これは何故? 論証できますか?
また、こう仰っているということは、「実際に悪を為す」ということは「断片化ゆえ」であり、であるからこそ全体の調和を乱すので、「爪を切るように」対策せざるを得ない、という話になるのでは? 戒のことを問題にしたいのです。
2019年06月13日 23:08
>> 連続性を与えているからです。前後裁断ということがわからないからです。

>その『連続性を与えている』のは誰ですか?

自我です

> 広い意味で、非断片化というとき、善悪という断片化はありません。
>> あえて善悪をいえば、善悪を持たないのが善、善悪を分けるのが悪となります。

>実は此処までは分かっているんです。ですが…、

>> 非断片的なとき、どういうわけか、世の中の善悪と完全に一緒ではありませんが、悪は行わないようです

>これは何故? 論証できますか?

断片化しなければ、あらゆるものは自己となり、自己は自己を大切にするからです。だから、争いがなくなります。

>また、こう仰っているということは、「実際に悪を為す」ということは「断片化ゆえ」であり、であるからこそ全体の調和を乱すので、「爪を切るように」対策せざるを得ない、という話になるのでは?

それはそうなります。

> 戒のことを問題にしたいのです。

戒については、後日、また、あらためて書くことにしましょう

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