自己イメージ3

>> その感覚を感じている主体を探すと、そこにはなにもありません。

>見つからないようでいて、「気づき」はあるのだから、「気づき」自体と不可分な主体が居て、探索に失敗しているだけでは?

要点は、その探索に失敗している主体はありますか?見つけられますか?というのが問いです。

>> つまり、過去の経験から作り上げたものを自己イメージと呼んでいます。

>その「過去の経験」という条件付けの集合を、自己イメージと呼ぶとして、それは人間的な属性だけでなく、物や事象についての知識も(やはり条件付けとして)含まれるので、わたしは、日常生活のいろんな場面で、「自己イメージが(比較の基礎として)呼び出される」と申しております。
これは私の、いささか特殊な境遇がそうさせているのかも知れません。

それが一般的ですが、自己イメージはただのイメージで、作り上げたものだといっています。経験はありますが、その経験を経験している経験者はいないということです。

>> すべてが自己であるとき、支配すべき他者は存在しません。

>此処に愚さんの主張の欠陥があるかと。
愚さんの側からは、そのような主観を持つのは、べつに仕方がありません。でも、他者の側からは「そんなのイヤだ」と拒絶されるでしょう。「あなたはわたしではない」と。

>このとき、面白い現象が起きていませんか?
誤解しているのは、どちらでしょう?

わたしに聞かれても困ります。その真偽を確かめるのはあなたしかいないんですから・・・

>> 簡単です。この文章を読んでいる主体があると思い込んでいるからです。その主体があれば、つまり、読んでいる、気づいている主体があれば、わたしという主体があれば、他者が存在します。他者があれば、かならず、争いが生まれます。

>上のコメントの答えが実質的にこれだと仰りたいんでしょう。
でも、こちらのコメントの方が通例であり、本質です。

>そして、個々に主体があって、そのあいだで利害を調整しながら、相互相生的な社会をなんとかして作り出そうと、漸進的な努力をしてきたのが人類です。

>愚さんの主張は、それを壊すのでは?

そういうことが起きてきたのは事実です。これからも、戦争やその他の調整システムも機能させながら進んでいくでしょう。ただ、分断化された個人の集団に、平和がこないことは確かでしょう。

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この記事へのコメント

蓮風
2019年06月13日 09:06
> 要点は、その探索に失敗している主体はありますか?見つけられますか?というのが問いです。

個人的には、「発見できない」からといって「(それが)存在しない」とは云えない、という立場に変化しました。何故なら、『(その行為を為している)現象』が現前として機能しているからです。

愚さんの謂い方だと此処は「現象はあっても主体はない」となるのでしょうが、釈然としなくなりました。むしろ『現象≡主体』ではないかと。システムの作動にこそ、要点があるのではないかと。その作動は因果律にしたがっていても千変万化で無常だとは思いますが。固定的な属性――「主体」――がないからといって、非在と帰結するのは論理的誤謬に見え始めています。


蓮風
2019年06月13日 09:07
> それが一般的ですが、自己イメージはただのイメージで、作り上げたものだといっています。経験はありますが、その経験を経験している経験者はいないということです。

愚さんの謂い方に知覚すると、「こんがらがった綾取り」ですよね。確かに「自己イメージ」は極端に、余計に混乱しうることを、我が身を以て体験しました。いまは、おそらく回復傾向です。だから、この「自己イメージ」も生体システム、あるいは宇宙システムの上に乗っかっているシステム(メタ?、サブ?)であって、生々流転するように変化するにしても、やっぱり作動を続けることで自己を延命するような仕組みに見えます。
レトリックが固くて済みません。


> ただ、分断化された個人の集団に、平和がこないことは確かでしょう。

断片化された個人の集団に平和が来ないことが、確かかどうかは、実際には検討の余地があります。
さらに不可避であったところで、漸進的な努力をするところに私たちの良さと希望があるのではないでしょうか。
ちなみに愚さんの「分断化」の対義語はなんですか?
Wholistic みたいな単語?

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